第4話   央美丘 ─後編─


お客様は拳を握りしめても収まらない程に震えなさり、ものすごい剣幕で叫ばれました。


「な、何なのよこれ!一体どういうつもり!どうやったのかはわからないけど、プライバシーの侵害もいいとこだわ!人を馬鹿にして何が楽しいの!?」


「ち、違うのです!まさか、こんなつもりでは……」


「どう違うっていうのよ!どうしてあなたがこんなことを知ってるの!?……人の整形をあばいて、古傷をえぐって!金なの!?脅迫でもするつもり!?」


そう、SAYAKA様はお顔の整形をなさっていたようなのです。


「め!……滅相めっそうもございません!本当に違うのでございます!申し訳ございません。申し訳ございません」


私は予期せぬ出来事に慌ててしまい、ただ頭をお下げすることしか出来なくなりました。

香織もひどく慌てた様子で駆け寄ってくれました。


お客様の怒りは収まらず、煙に浮かんだ過去の姿をおにらみになると、大きく手を振りかざされました。


「どうなってるのよ、これ……。ちょっと!早く消して頂戴ちょうだい!」


煙をはたかれたお客様の手は、偶然ではございますが小皿に少し当たってしまい、香を弾いた小皿はそのままテーブルの下へと落ちて割れてしまいました。


「あ!……ああ!……お皿!」


香織は慌てて駆け寄り、割れた小皿を拾い集めながら、やがてポロポロと涙を流しました。

私はお客様に心配の声をお掛けします。


「お、お客様!お怪我は……!?」


「構わないわ!ちょっとそこのあなた!いくつ?」


お客様の厳しい眼差しに見下ろされ、香織は怯えて、より一層の涙を流しました。


「じゅ……十九……です」


「そんな安っぽい小皿、すぐに弁償してあげるわよ!それよりも何泣いてるの?その歳なら、顧客への謝罪が最優先なことくらいわかるでしょう?職場に立つ以上、仕事に従事する心構えくらい、きちんとお持ちなさいな!」


震えながらお客様を見上げる香織の目からは、止まらぬ涙がたくさんこぼれておりました。


「ご、ごめ……ごめ……なさい!……グスッ……、大変……失礼……致しました。ごめ……ごめんなさい……」


香織は必死に立ち上がりました。私は香織を抱えると、共に深く深く頭をお下げしました。


「お客様、本当に申し訳ございませんでした。全て私めの不手際にございます。こちらの出来得る限りの謝罪と賠償をさせて頂きます。香織、泣かないで。お姉ちゃんが悪かったわ。……本当に、本当に申し訳ございませんでした」


香織も、仕事の最中だと頭ではわかっていたはずでございます。

それでもこらえきれなかったのでしょう。泣きながら崩れ落ちてしまいました。


「だって……。グスッ……。だって、これぇ……。初めて、お姉ちゃんに作った……お皿ぁ……。うぅ。あぁぁぁぁぁぁん!」


お客様はそこでハッと驚いた顔をお見せになると、再びぼんやりと映り始めた煙中の過去にもう一度目を向けられました。

そこに、一人の女の子が現れたのでございます。




「ちょっと!何してるのよ!」


「ああ?」

「うわ!綾香あやか!」

「何って使いもんにならねぇ変な皿、直してやってんだよ!」


「あんたら最っ低!彩香さやかがどんな思いでこのお皿を作ったのか知ってるの?彩香さやかはね!身体の不自由なお母さんが使い易いようにって、この形のお皿作ったんだよ!こんなことして許されると思ってんの?」


「し、知らねぇよ、そんなもの」

「ブサイクな奴が作った、ただのブサイクな皿じゃん」


「ふざけんな!ブサイクなのは、あんたらだ!きぶつはそん!クラス会議にかけてやる!」


綾香と呼ばれた女の子はほうきを振り回して、男の子達を撃退し、彩香様に寄り添われました。


「彩香、泣かないで」


「うぅ……グスッ……。私……みたいな……ブスといたら、綾香ちゃんまで………イジメ……られる」


「何言ってんの。綾香と彩香はずっとかおりつながりの友達じゃん。おばあちゃんが言ってたよ?ああいう奴らは強い奴には怖くて何も言えないんだから」


綾香さんは割れたお皿を集められました。


「先生に教えてもらって、少しでも綺麗にくっ付けよ」


「綾香……ちゃん……」


「ん?」


「私……ブスで……気持ち悪い?」


「そんなことあるわけないじゃん」


泣き止まれない彩香様に、綾香さんはそっと耳打ちなさいます。


「私も、自分の鼻と口、気にしてるんだ」


続けて、お顔を上げられた彩香様に

「初めて人に言ったの。私の気にしてるとこ。二人だけの秘密だよ?」

微笑ほほえまれると、ようやく彩香様もうなずいて笑みを浮かべられたのです。




そこで煙は薄れ、お二人の姿はうっすらと消えていきました。

お客様はしばらくの間、消えた煙をじっと眺められたまま、やがて小さく溜め息をつかれておっしゃいました。


「ちょっと………お茶をいただける?」







それからわたくし共はテーブルを挟んで、少し落ち着かれたSAYAKA様とお話をしました。香織はわたくしの隣でまだ鼻をすすっておりました。


「これは、何なの?」


「これは……、香原料を『きゅう』と申しまして、『白檀びゃくだん』の一種ではございますが、ごく一部の者しか知らない特別な香木こうぼくにございます」


「まるでおとぎばなしね。まだ夢見てる気分だわ」


「過去を見せる物にございます」


「あなた、何者?……どうして、こんなことをしたの?」


「私は、一介の『香司こうし』にございます。……お客様は、来店なされた時からずっと険しいお顔で、さぞかしお疲れなのだろうと思いました。当店は、香でお客様に心の癒しを提供させて頂くことを至上の喜びとしております。私めはお客様に、笑顔を提供させて頂きたくなったのです」


「でも、どうして過去を?」


私は、『きゅう』の箱を見つめて申しました。


「この香は過去を見せるものと申しましたが、そのお方が最もお美しい頃の記憶を映し出すものなのです」


「ちょっと……。ここに来て、まだ揶揄からかうの?」


「それは違います!お客様にこの様なご事情がおありだったことを知らずに、差し出がましい真似を致しましたことは謝ります!それでも、香の煙にお映りになったお姿が美しいことに間違いはございません」


私はSAYAKA様を真っ直ぐに見つめました。


「人の最も美しいお顔……。それは真心から生まれる笑顔だからです」


「笑顔……」


SAYAKA様は何かを思い出されたお顔をなさり、目を見開かれました。


「そうね……。笑顔か。確かに最近笑った覚えが無いわ。……私ね、自分の容姿がずっとコンプレックスで耐えれなかった。耐えきれずに整形したの。あなたは強い人ね。接客中もずっと笑顔で、今もそこまでハッキリ自分の意見を言えるんだもの。根性のある女だわ。まるで綾香みたい」


「いえ、そんなこと……」


「ううん。良い女よ?あなたも良かれと思ってやったことなのね。悪かったわ」


「いえ、私めの浅はかな考えがSAYAKA様を大変傷つけてしまったことに変わりはありません。私は接客業経営者として失格にございます」


私は立ち上がって深く頭を下げました。


「誠に、誠に申し訳ございませんでした。改めて謝罪申し上げます」


「それは、もういいわよ。こちらも取り乱して大人げなかったわ。それに……それこそ私だって」


SAYAKA様はテーブルの隅っこに置かれた、先程さきほど割れた小皿の欠片をまんでから立ち上がられました。


「香織さんって言ったわね?……ごめんなさい。こちらこそ悪かったわ。あなたの大切な思い出が詰まったお皿を壊した上に酷いことを言って」


そして深々と頭を下げられました。

それはとても美しい所作をともなった礼にございました。


「香織さん。本当に、申し訳ございませんでした」


「い、いえ。いいんです、そんな。こちらこそすみませんでした」


「いえ、香織さん?これは一生許されることでは無いわ?許してもらえるだなんて思わない。だけど一つお願いがあるの」


香織はまだうるむ目をキョトンとさせました。


「私、会社経営をしてて、契約している硝子ガラス工房や陶器とうき工房があるの。あなたの大切なお皿はもう帰ってこないけれど、私に新しいお皿を作らせて頂けないかしら?」


「さ、SAYAKAさんの、お皿……?」


「そう。償いたいの。これは人として当然の責務よ?そこは体験工房もしているから、私自身の手で作らせて欲しい。良ければ香織さんにも、一緒に来て細かいデザイン指示をして頂きたいわ?こんなことじゃ償いきれないけれど。それとも、逆に迷惑かしら?」


「と!とんでもないです!……え?え?SAYAKAさんと一緒にお皿作り!?……えええ!あのSAYAKAさんと!?ウソ……。夢?これは夢ぇぇっ!?えぇぇぇぇっ!?」


香織は先までの涙が嘘のように、狼狽うろたえながら頬を赤らめておりました。


「構わないかしら?」


「も、もちろんです!私なんかに勿体なすぎます!」


「では、これ。私の連絡先よ?香織さんの番号も教えて欲しい。少し仕事が立て込んでるけれど最優先で時間を作るから、必ず行きましょうね?」


「さ、SAYAKAさんと番号交換……。うぐっ……。ふぇ……ふぇ、ふぇぇぇぇん!すごすぎるぅぅ!嬉じすぎるよぉぉ!」


香織は再び泣き崩れてしまい、SAYAKA様はそこで初めてクスッとお笑いになりました。


「あとは、今日試供した中で販売可能なお香は全て買い取らせてもらうわ。勿論、謝意も含め多めに払わさせて頂きます」


私はSAYAKA様に微笑むと、もう一度深く礼をしてお断りのご挨拶を申し入れました。


「いえ、SAYAKA様。使用に適当な個数をプレゼント致します。こちらからの誠意としてお受け取り下さいませ。その代わりと言っては何ですが、私、SAYAKA様のフレグランスに対する見識や御姿勢に感銘を受けました。もし謝意を……と申されるなら、今後も末永く私達と、香と語り合いの時間を過ごしては頂けませんでしょうか?お気に召された物はその時にまた、お好きなだけ販売させて頂きます」


SAYAKA様はさも大きなお声を出されてお笑いになりました。


「言うじゃない。完敗だわ。女としても経営者としても負けたと思ったのは、あなたが初めてよ」



それからSAYAKA様は香織とハグを交わし、笑顔で店を後になさいました。

SAYAKA様とは今も親密なお付き合いを続けさせて頂いております。



SAYAKA様とのお話は他にも色々とあるのですが、本日はここまで……。

皆様、長々とした話にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。


もしも再度のお話をご所望でしたら、それはまた、次の機会に……。





              『香司』 美結







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