第3話   央美丘 ─前編─


皆様、ご機嫌うるわしゅう。『香司こうし』の美結みゆと、申します。


またまた来て頂けるなんて、まことに頭の下がる思いにございます。

もう皆様に足を向けて眠れませんわ?


そうですわ!眠りといえば……。

直接的ではございませんが、お香によるリラックスから安眠に繋がる方もおりますの!

当店はリラックス促進週間。期間限定で今ならポイント2倍のキャンペーンを……


こ、こほん……

もう、わたくしったら……。どうしていつも……。

かさがさね、本当に失礼致しました。



そういえば、お香はアロマとはまた違うものですが、過去にアロマブームもあって女性に人気のイメージもありますでしょう?


当店にも女性のお客様がいらしたことがございます。


今回のお話は、少し長くなってしまうかもしれません。

何せ、わたくしめの不手際により不快な思いをなされてしまいましたから。


よくよく覚えております。

春の陽気の少し涼んだ日。

それはそれは、綺麗なお客様でございました。







「ようこそお越し下さいました」


わたくしは来店なさった女性に思わず見とれてしまいました。

美しいお顔立ちに、整った身だしなみ。肩からショールをお掛けになって、お仕事に対して如何いかにも辣腕らつわんそうな方でいらっしゃいました。

そのお方はいぶかしげに入店なさる他のお客様と違い、腕をお組みになり、厳しい眼差まなざしで店内を見回みまわしておられました。


「は、はわわわ……。さ、SAYAKAさん…」


香織が奥の部屋からこちらを覗き見ながら、慌てふためいておりました。


……香織の知り合いのお方なのでしょうか?。


わたくし狼狽うろたえる香織を一先ひとまず背にしまして、お客様へ出迎えの礼を致しました。


「どういったご用件でしょう?」


「古臭いお店……。許可は取れてるの?アロマは無いの?」


「当店はアロマと違い、お香の店にございます。マッサージ等、肌に触れる物は医薬部外品手続き等が必要な物があることも存じておりますが、香は申請無くとも販売と店内提供は出来ます。当店では勿論もちろんのこと人体に悪影響の無い香のみを取り扱っております」


「お香……ね。……あなた、ちゃんと資格あるの?」


「香に国家資格は存在せず、日本の一般社団法人の調香ちょうこう関係の資格も持っておりませんが、一応、わたくし香司こうし』認定と、フランスの『ル・ネ』認定を受けております」


「ちょっと!……あなた『ル・ネ』なの?……世界最高峰のフレグランス認定資格じゃない」


女性は大層たいそう驚かれて目を細められました。


「結構よ。お香もいいかもね……。少し香りを楽しめたらいいの。お任せするから何か試供して下さらない?良ければ何か買うわ」


「誠にありがとうございます。どうぞお掛け下さいませ」


女性は足を組んで椅子にお掛けになられました。

そのお顔は常々つねづね厳しいものでございました。


「選別して参ります。少々お待ち下さいませ」


お茶をお出しして、わたくしはカウンター裏の引き出しへと足を運びます。

数あるお香からの選別作業は、いくつもの宝箱に囲まれているようで、ついつい胸が高鳴ってしまうのです。


奥の部屋から香織が「ちょっとちょっと、お姉ちゃん」と小声で申しておりました。


……無視にございま……あら?……あんっ!


わたくしは香織に腕を引かれて奥の部屋へと連れ込まれてしまいました。

彼女は興奮を抑え、声を潜めながら申しました。


「どうしたの?」


「どうしたもこうしたも……。あ、あの人、SAYAKAさんだよ?知らないの?超人気のインフルエンサー」


「インフルエンザ?体調をお崩しに?」


「ちっがぁぁう。有名人。香水、ファッション、美容、食器。自身のブランドでたくさんのファンを持つ若手敏腕びんわん社長よ。自身もモデルでSNSでの影響力がすごいの」


「まぁ……。なんて素晴らしいお方。是非とも有意義な時間を過ごして頂かないと……。やる気出ちゃう」


「逆、逆!お姉ちゃん、変なやる気出さないで。怒らせちゃったらこんなちっぽけな店、一瞬で廃業になっちゃうわよ?」


「大丈夫よ?ちょっと笑顔になって頂きたいだけだから」


「ちょっと、お姉ちゃん。お姉ちゃんてば!」


香織の心配顔に微笑みながら背を向けて、わたくしは香の選別に戻りました。

お客様はきっと、お仕事でお疲れなのでしょう。

わたくしはあのお方に笑顔のお手伝いをしたくなったのです。



本日は印香いんこうを楽しんで頂きましょう。

粉末状にした香木と原料を調合し、型で固めて乾燥させたお香です。

様々な形と彩りを組み合わせることが出来、見ているだけでとても楽しくなるお香にございます。


小さく可愛らしいお香達に目移りしておりますと、まるで「私を選んで」と、呼びかけられているような心地が致します。

この瞬間がこの上なく愛おしいのです。



私はいくつかの印香いんこうを選び、お客様の元へと戻りました。


「大変お待たせ致しました。今回は印香いんこうというものをお持ち致しました。このままでもかおり立つお香にございます。先ずはこちらから試嗅しきゅう願います」


最初に、お客様の前に差し出した小皿の上に、薄緑うすみどりの葉の型の印香をお出ししました。


「あら。可愛いお香ね」


「はい。目でも楽しめるお香にございます」


「素朴だけど奥深い香り……」


扇子せんす仏具ぶつぐにも用いられる、インド産の『白檀びゃくだん』という香木をベースに使用しております。バルサミックな香りと持続力が特徴にございます」


お客様が一つ一つ堪能たんのうされたところを見計らい、私は香りが混ざらぬよう配慮しながら次へ次へと印香と取り替えて披露致しました。


淡い朱の花の型

橙色の紅葉の型

水色のおうぎの型、等……。


一通りの彩りと香りをたしなまれた後に、この香が直接、火を灯せるタイプの印香であることを説明させて頂くと、女性は大層気に入られて「一つ見せて欲しい」と仰ったのです。


嬉しさのあまり、私は一つ特別な香を用意致しました。

お客様のために……と、少々浮かれていたのかもしれません。

この私めの烏滸おこがましい判断が、お客様を大変、不愉快なお気持ちにさせてしまったのです。


用意した印香いんこうは、真っ白な雪の結晶をしたものでした。

優しく、そして静かに胸に降り積もる甘味が、火をともすと一層の拡がりを見せて身体の中を満たして参ります。


「これ、何だか懐かしい香り……」


お気に召して頂けて、私はとても嬉しゅうございました。

しかしお客様は次の瞬間、少し綻んだ顔を険しく戻されました。

立ち上る煙の中に、小学生の頃のご自身を御覧になったのです。


煙の中の女の子は同級生の男の子達に囲まれて、たくさんの涙を流しながら泣き叫んでおられました。


「な……、何よ、これ……」


お客様はしばらく呆然とその姿を眺められた後、思い切りよくお立ちになって机を叩かれたのです。


「ふ、ふざけないで頂戴ちょうだい!」


わたくしは大変に驚いてしまいました。



煙に映る小学生の頃のお客様は、時がっているとはいえ今のお顔とは全く違い、まるで別人のようで全く面影の無いものでした。


女の子の足元ではお皿が少し割れており、周りの男の子達が彼女の容姿をけなしている最中でございました。


「うぅ……。ヒック……。どうじて……こんなひどいことするのぉ?」


「うっせぇブサイク!見てて気持ち悪ぃんだよ!」

「汚ねぇ奴の作るもんは皿まで汚ねぇ!」

「お前マジ視界に入んなよ。もう学校来んな!」

「生きてて申し訳ないと思わねぇの?」


「うぅぅ……。うぇぇぇぇぇぇん」


私は思わず口元を覆いました。

男の子達は、彼女が工作で作ったであろうお皿を割るだけに止まらず、容赦無い罵声ばせいを浴びせ続けていたのです。


子どものする事といえど、それはあまりに一方的でひどいイジメでございました。










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