第2話   静林恵


皆様、こんにちは。香司こうしの『美結みゆ』と、申します。


またお越しいただけるなんて本当に感激ですわ!

お忙しい中、御来訪ごらいほう下さり誠にありがとうございます。

もしも次回ご来店なさったあかつきには

香司こうし 美結みゆ、読んだよ』

を合言葉に匂袋においぶくろの全品三割引きを……


こほん……

まぁ、私ったら……。はしたないこと。

嬉しくてついついあきないの話までしてしまいました。



さてさて、本日は皆様と、どのお話に思いをくゆらせましょう。


ふむふむ……。そうですね……。


そういえば前回は御年輩の男性のお話でしたが、当店にお越しになるお客様は何も御年輩の方ばかりでは無いのですよ?

ずいぶん前に中学生の男の子がいらしたことがありました。

よく覚えております。何せ若い方は初めてだったものですから……。







扉が開き、軽やかな鈴の音がお客様の御来訪を告げました。


「ようこそお越し下さいました」


笑顔で挨拶をした私は、口元を指先で隠しながら「まぁ……」と驚いてしまいました。

今でこそ珍しくはありませんが、若い方が来店なさるのはその時が初めてだったのです。


「え……。何これ……。えと……、さーせん。ここ何?」


他の方にれず、男の子は怪訝けげんそうに店内を見渡しておられました。


「当店はかおりです。目、耳、鼻をもって、お客様に素敵な時間を過ごしていただくお店です」


「あぁ……。いいや。さーせん」


「お待ち下さいまし!大層たいそうお疲れの様ですが、何かお悩みがあるのですね?皆様、お話をして帰られるのです。よろしければ少しお時間を下さいな?」


奥の部屋から香織が「どこのインチキ占い師だよ」と口元を引きらせながら申しておりました。


……無視にございます。



「でも、金なんてぇし」


「ご安心下さい。お話は無料でございますわ?」


渋々しぶしぶ、椅子に腰掛けられた男の子は、お出ししたジュースを飲みながらやがて口を開かれました。


「なんで入っちゃったんだろ?……これ、ジュース、無料タダでいいんすか?」


「もちろんですわ。このお店はね、何かを抱えた方にしか見えないんですのよ?」


「ハハッ。ウケる。マジでオカルトじゃん。お姉さん面白いね」


「ありがたいお言葉ですわ。それで、お話頂戴ちょうだい出来ますかしら?わたくし、お客様のお話を聞くのが大好きですの」


男の子はしばらくジュースに口をつけたまま思案顔を見せられて、やがてお話を始められました。


「ホントにお金は無いからね?てか、お姉さんに言っても意味ないかもだけど、俺、高校受験の最中でさぁ。親父と上手くいってないんだよね。ガミガミうるさくてさ……。だんだんイライラしてきて勉強も微妙なんだよ」


「まぁ。受験勉強は大変でございますものね。親御おやごさんもさぞかし心配なさってるのでしょう」


「いやいや、マジ無いから。そもそも親が子どもの人生に口出すのってどうなの?ただのしょうもない営業サラリーマンだよ?自分大した仕事就いてないくせに、よく言えるよね。子どもに自分の出来なかった理想を押し付けんなっつうの。志望校のハードルもマジ高ぇんだって!」


「高い目標……。それは困難にございますね。お客様には何かやりたいことが他におありなのですか?」


男の子は「え?」と目を上に泳がせて、しばらくうなりながら考えられた後に

「別にそれはまだ無いけど……」

おっしゃいました。


「承知致しました。これも何かの縁。折角せっかくですので一つお香を焚きましょう。特別無料サービスでございますわ」


奥の部屋から香織が「またなの?お姉ちゃん」と不満気に小声で申しておりました。


……無視にございます。



私は胸を躍らせながら、カウンターの内側にある引き出しから一つ箱を取り出しました。

蓋を開けるとお行儀良く整列したお線香達が深甚しんじん芳香ほうこうを浮かべて私になついて参ります。

この瞬間がたまらなく愛おしいのです。


香織に目配せをすると部屋の中にドビュッシーの『月の光』を流してくれました。

当店は音響担当も自慢。

目配せ一つで音源と音量を瞬時に理解してくれて……

やだ……、私ったら。それはまた今度に……。


「本日は一本のお線香を提供させていただきます」


「なんか普通……。お寺みたい」


「はい。我々には一番馴染なじみのある香でございます。お線香は江戸時代に中国から長崎へ作り方が伝わったとされていますのよ?是非とも御堪能ごたんのう下さいませ」


今日は深緑しんりょく真四角ましかく香炉こうろが良うございましょう。

周りのふちに竹林がされたお洒落しゃれな物にございます。

お皿の線香立ても良いのですが、今日は香炉こうろばいに立てて灯しましょう。


キィィィン……


蓋を取る際にふちの触れる音色の、何と心に染み入る余韻よいんでしょう。


灰匙はいさじを使ってしろ香炉こうろばいを敷いて参ります。

本日は角盆なので、四角い銅のはいおさえで踏んで参りましょう。

ザクザクとした音色は、新雪に香織を投げ飛ばした幼い頃を思い出しますわ。


香炉こうろばいたいらならしたらぼうきで周りを綺麗に致します。


真ん中にお線香を立てましょう。

ふちの竹林に負けず、りんと垂直に気をつけをするお線香の背筋せすじの良いこと……。


火筋こじで先端に火を灯すと、煙と共に深い森の息吹きが拡がって参りました。


「あぁぁ……。線香の匂いって割りと嫌いじゃないんだよね……」


「まぁ。嬉しゅうございますわ。私もお香が大好きですの」


男の子は肩肘を付きながら静かに立ち上る煙を見つめられると、やがて驚きの表情を浮かべられました。


「ん?…………え?…………ええ!?」


煙の中にお仕事中のお父様をご覧になったのです。


お父様は部下の方と取引先におもむき、頭を下げていらっしゃいました。


「え?ちょっ……。何?……盗撮?てか何の技術?プロジェクタ?……え、何してんの?」


慌てなさる男の子でしたが、そのうちに中のお父様の謝罪姿を食い入るようにお見つめになられました。



「申し訳ありませんでした!今後は信頼の回復に全力で努めて参ります!……はい!ありがとうございます!この度は、誠に申し訳ありませんでした!」


清々すがすがしいほどの謝罪姿の後に、帰路につかれたお父様と部下の方がお話する姿が映っておりました。



「申し訳ありませんでした。急な呼び出しまでして。課長が頭下げる事案でもなかったのに、あそこまで」


「いいや、必要だし大切なことだ。お前もそのうちわかるさ。俺も確認不足だったのが悪いんだ」


「課長、最近働き詰めでしょう?お子さんも受験で大変な時期なのに……。課長がいないと回らなくて、すみません」


「いいんだよ。お前達がいつか一人前になってくれれば。それに息子には煙たがられててね。家じゃ、ただのやかましい親父だよ」


「そんなこと。息子さん、志望校はどこなんです?……ゆくゆく入りたい業界とかあるんですか?」


「それがねぇ、特に好きなことも無いみたいでね。中学生だとそんなもんだろう。ただ一つだけ……。何かに向かって一生懸命になることを覚えて欲しいんだ。何だっていいんだけど、ほら、受験は待ってくれないだろう?……だから受ける以上は、せめて合格という目標に向かって頑張って欲しくてやかましく言ってしまうんだな」


「いい親父さんですね」


「いやいや、嫌われ者だよ?私は不器用で出来が良くないからねぇ、ハハッ。でも息子は違うぞ?あいつは私と違って集中したらすごくやりこむ才能があるんだ。だから上手くいかなくても逃げずに、自分の可能性を縮めず、後悔しない人生を歩んで欲しい。もしかしたら医者とか大起業家になれるかも」


「うわぁ、親バカですね。ホント似なくて良かったですね」


「おいおいっ!こらっ!」



お線香は優しい香りだけを残して、煙をゆらりと薄くしていきます。

薄れる煙と共にやがてお父様達の姿も消えていくと、男の子は呆気あっけに取られた顔でお話なさいました。


「お姉さん……」


「はい」


「盗撮は……、駄目だよ……」


「ん?え?……ち、違うんですのよ!?これは盗撮じゃなくてあの……」


「でも……、ありがと」


男の子はしばらく照れくさそうになさっていましたが、店に来られた時とは違い、さも清々すがすがしく優しい微笑ほほえみを浮かべられると店を後になさいました。







「ほぁぁ。受験かぁ、思い出すなぁ。大変だねぇ。でもお姉ちゃん、最近は見た目じゃわかんない毒親とか悪い子どもってのもいるし、親子関係って介入難しいわよ?よく見せたわねぇ」


香織はお菓子をつまみながら申しました。


「あら?あの子、普通じゃあり得ないくらいの黒鉛と書物のインクの匂いがしたわ?お父様の言い付け通り、余程よほどお勉強を頑張っていらしたのよ。それにお勉強にガミガミ言う親御おやごさんは心配と愛情の証。あの子が私達に愚痴をこぼしたのも、心から嫌ってない証拠よ?」


「さ、流石さすがね、お姉ちゃん……」


「だから『静林恵せいりんけい』……静かなる林の恵み。お勉強のストレスにはもってこいでしょう?竹林やこのお線香のように、あの子が真っ直ぐ伸びていきますように……。うぅん、良い香り……」


「また高いのを……」




今日もまた、わたくしどもを必要となさるお客様がいらっしゃいます。

そしてまた、素晴らしい香りと共に新たな顔で店を後になさるのです。



今日のお話は、ここまで……。

皆様、本日もわたくしどもの話にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。


もしも再度のお話をご所望でしたら、それはまた次の機会に……。





              『香司』 美結

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