第1話 丹桜抄
改めまして。『
とある町にて、ひっそりと
単純でございましょう?姉妹の一文字ずつを取っただけでございますの。
そして
でも値段はとてもリーズナブル!
こほん……。
これはこれは失礼致しました。そんなことよりも今日のお話を……。
そんな私どもの
一人目にご紹介するお客様は、奥様に先立たれた御年輩の男性でございました。
※
その男性は、当店の
「ようこそお越し下さいました」
「店の
「当店は
「ま……
「ご安心下さい。良心価格にございます。もし宜しければお客様の言い値で
奥の部屋から「ちょっとお姉ちゃん!」と、香織が
……無視にございます。
男性は恐る恐る入店なさいました。
私はどうしてもお話が聞きたくて、接客用の椅子に男性を招くとテーブルを挟んで向かい合いました。
差し上げたお茶を一口
聞けば奥様に先立たれた男性は、これまでの人生を
「私は仕事人間でね。全く家庭を
「後悔なさっている……と?」
「それすらもわからん。ただ毎日が虚無でね。子どもはいるが大きくなって、家族を
「まぁ……」
「気が
「そうでございましたか。承知致しました。それではお
私は浮き足を抑えながら、部屋の片隅にひっそりと展示してある一本の香木に
さらに細かく粉末にした香木からは既に豊かな香りが拡がって、思わずうっとりとしてしまいます。
この瞬間がとても愛おしいのです。
香織に目配せをすると部屋の中に鳥の
当店は音響設備も自慢。
空間を計算して配置場所から考えて……
まぁ、
「本日は
「抹香……」
「はい。寺院などで良く見る
今日の
キィィィン……
先ずは
まるで新雪を踏みしめるようなザクザクとした音色は、楽しくてつい
香炉灰を
真ん中に
型の溝に
とても綺麗な桜の花弁型が出来上がりました。
いよいよ
素朴な煙と共に、部屋中に得もいわれぬ香りが舞い上がって拡がりました。
「か……佳奈子」
しばらく煙が立ち上った後に、男性は驚いて固まってしまわれました。
渦巻く煙の中に、亡くなられた奥様をご覧になったのです。
「わ……私は、気が触れたものかね……」
驚かれる男性とは裏腹に、煙の中の奥様はとても落ち着いた優しい笑みを浮かべておられました。
それはそれは美しい
「あなた……。あなたは失礼な人ね?私の人生を奪っただなんて。私の人生が不遇だったみたいに勝手に決め付けないで下さいな」
男性は夢を見るような心地でいらしたことでしょう。
やがて震えながらお応えになりました。
「だ……だって、そうじゃないかね。私は良い旦那なんかじゃあなかった。小さい男だったんだよ。自分の器量の無さを、お前に全部ぶつけてしまった」
「だっても
「お、お前は……。私を恨んでいるんじゃないのかね?もっともらしいことなど、何もしてやれなかった。今もそうだ。自分のことばかり考えて、子ども達にも何も。私は、人生に何も残せない男なんだと」
「あなたは自分に厳しすぎるんですよ。だから気付けていないだけです。たくさんのものを
男性はしばらく声をお詰まりになり、ポロポロと涙を流されました。
「す、すまなかった。私はただ……。一言……、お前に謝りたかった……」
最期に奥様は、慈悲深いとすら感じる、それはそれは温かい微笑みを浮かべて
「何を言うんです。私は、あなたの妻になれて幸せでした……。今でも出逢った頃に歩いた桜公園を
「佳奈子……。も、もうちょっと待ってくれ。佳奈子……」
「美結さん、あなたもありがとうねぇ。またこの人と桜を
「佳奈子……!」
男性は涙を流しながら香の煙をお掴みになられました。
奥様は最期まで微笑んだまま、煙と共に静かに静かに、やがて席を外されました。
※
「ねぇ、お姉ちゃん。どうして奥さんが恨んでないってわかったの?」
お客様は涙が落ち着かれた後に、何度も「ありがとう」と頭を下げられてから当店を後になさいました。
その後に、私が香の
「もし、あのおじいさんが恨まれてたら修羅場が始まるところだったじゃない」
私はそっと微笑みました。
「奥様が旅立たれた後も、奥様のお好きだった桜公園を散歩なさるような素敵な旦那様よ?恨まれているはずが無いわ?」
「だから、どうしてわかったの?……あのおじいさん、ただの『散歩』としか言ってなかったのに」
「あら?口ではああ
「うへぇ……。相変わらず、すごい嗅覚……」
香織は
「でも、その香木……。すごく貴重なやつでしょ?確か、『
「そうよ?……ものすごぉく高いわよ?」
「ま、また赤字じゃん……」
「あら?人が笑顔で踏み出す新たな一歩より高価なものなんて無いわ?」
今日もまた、
そしてまた、素晴らしい香りと共に新たな顔で店を後になさるのです。
今日のお話は、ここまで……。
皆様、
もしも、再度のお話を御所望でしたら、それはまた次の機会に……。
『香司』 美結
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