第1話   丹桜抄


改めまして。『香司こうし』の美結みゆと申します。


わたくしめは、助手で妹の『香織かおり』と共に、

とある町にて、ひっそりとかおり美香びこう』を開いております。


単純でございましょう?姉妹の一文字ずつを取っただけでございますの。

そして胡散うさんくさいでしょう?ほとんどお客様はおりませんのよ?


でも値段はとてもリーズナブル!

匂袋においぶくろの販売も取り扱っており、最近はオンラインでも……!


こほん……。

これはこれは失礼致しました。そんなことよりも今日のお話を……。


そんな私どものさびれたかおりですが、不思議とわたくしどもを必要となさるお客様がぽつりと来店なさいます。

一人目にご紹介するお客様は、奥様に先立たれた御年輩の男性でございました。







その男性は、当店の胡散うさんくさぁい扉をお開けになって、これまた薄暗くて胡散うさんくさぁい部屋を見渡してまゆひそめられました。

わたくしはカウンター越しに笑顔でお迎え致しました。


「ようこそお越し下さいました」


「店の軒先のきさきに、『貴方あなたの話、お聞かせ下さい』とあったがね?」


「当店はかおりにございます。視覚、聴覚、嗅覚をもって、お客様に満足していただく店にございます。どうぞお話もたっぷりと」


「ま……ひまつぶしにはいいかね。金はそんなにないよ?」


「ご安心下さい。良心価格にございます。もし宜しければお客様の言い値でかまいません」


奥の部屋から「ちょっとお姉ちゃん!」と、香織が不満ふまんに小声で申しておりました。


……無視にございます。



男性は恐る恐る入店なさいました。


私はどうしてもお話が聞きたくて、接客用の椅子に男性を招くとテーブルを挟んで向かい合いました。

差し上げたお茶を一口すすられてから男性は口を開かれます。

聞けば奥様に先立たれた男性は、これまでの人生をいておられる様でした。


「私は仕事人間でね。全く家庭をかえりみなかった。妻は桜公園が好きだったが花見の一つも連れていってやらんかった。家事ばかりさせてね。馬鹿げた話だよ。妻が逝ってしまい、今更ながら気がついた。仕事に没頭したために生活には苦労せんかったが、私は結局何も残さんかった」


「後悔なさっている……と?」


「それすらもわからん。ただ毎日が虚無でね。子どもはいるが大きくなって、家族をないがしろにしてきた私なんかとは連絡も取らんさ。血の繋がった子どもですらそんなものだ。妻という人一人の人生を奪っておいて、さらに今も償いどころか虚無から抜け出したいと我のことばかり考えている。生きていてむなしい」


「まぁ……」


「気がまぎれるかと散歩してたら、何の気なしに此処ここに吸い込まれた」


「そうでございましたか。承知致しました。それではおこうを焚かせていただきます。少々お待ち下さいませ」


私は浮き足を抑えながら、部屋の片隅にひっそりと展示してある一本の香木にやいばを当てて削っていきます。

さらに細かく粉末にした香木からは既に豊かな香りが拡がって、思わずうっとりとしてしまいます。

この瞬間がとても愛おしいのです。


香織に目配せをすると部屋の中に鳥のさえずりを流してくれました。

当店は音響設備も自慢。

空間を計算して配置場所から考えて……

まぁ、わたくしったらいやでございますわ。その話は置いておきましょう。


「本日は抹香まっこうにより、提供させていただきます」


「抹香……」


「はい。寺院などで良く見るこうにございます。粉末状にした香を盆の上で型取り、焚かせていただきます。まずは目と耳で……」


今日の香炉こうろは透き通った薄桃色の丸いものが良うございましょう。


キィィィン……


ふたを取る際にふちの触れる音色の、何と澄み渡る余韻よいんでしょう。


先ずは灰匙はいさじを使って中に真っ白な香炉こうろばいを敷き、銅のはいおさえで踏んで参ります。

まるで新雪を踏みしめるようなザクザクとした音色は、楽しくてついおさなごころを思い出しますわ。


香炉灰をたいらならしたらぼうきで周りを綺麗になぞります。


真ん中に抹香まっこうがたを置き……そうですね、折角せっかくですので今日は桜の花弁はなびらを一文字書きした型で参りましょう。

型の溝に香匙こうさじで抹香を敷き詰めて、トントンと軽く型を叩いてゆっくりと型を持ち上げます。

とても綺麗な桜の花弁型が出来上がりました。


いよいよ火筋こじで抹香のはしから、そっと香をともして参ります。

素朴な煙と共に、部屋中に得もいわれぬ香りが舞い上がって拡がりました。


「か……佳奈子」


しばらく煙が立ち上った後に、男性は驚いて固まってしまわれました。

渦巻く煙の中に、亡くなられた奥様をご覧になったのです。


「わ……私は、気が触れたものかね……」


驚かれる男性とは裏腹に、煙の中の奥様はとても落ち着いた優しい笑みを浮かべておられました。

それはそれは美しい微笑ほほえみでございました。


「あなた……。あなたは失礼な人ね?私の人生を奪っただなんて。私の人生が不遇だったみたいに勝手に決め付けないで下さいな」


男性は夢を見るような心地でいらしたことでしょう。

やがて震えながらお応えになりました。


「だ……だって、そうじゃないかね。私は良い旦那なんかじゃあなかった。小さい男だったんだよ。自分の器量の無さを、お前に全部ぶつけてしまった」


「だっても糸瓜へちまもありません。相変わらず頑固で子どもみたいなんだから。いつの世も、男は女がいないと駄目なものね」


「お、お前は……。私を恨んでいるんじゃないのかね?もっともらしいことなど、何もしてやれなかった。今もそうだ。自分のことばかり考えて、子ども達にも何も。私は、人生に何も残せない男なんだと」


「あなたは自分に厳しすぎるんですよ。だから気付けていないだけです。たくさんのものをいただきましたよ?子ども達もそう。あなたにそっくり。そのうちにわかる時がくるでしょうに」


男性はしばらく声をお詰まりになり、ポロポロと涙を流されました。


「す、すまなかった。私はただ……。一言……、お前に謝りたかった……」


最期に奥様は、慈悲深いとすら感じる、それはそれは温かい微笑みを浮かべておっしゃいました。


「何を言うんです。私は、あなたの妻になれて幸せでした……。今でも出逢った頃に歩いた桜公園をしのんで巡ってくれる、あなたのような人の妻になれて……。本当に……」


「佳奈子……。も、もうちょっと待ってくれ。佳奈子……」


「美結さん、あなたもありがとうねぇ。またこの人と桜を堪能たんのう出来ました……」


「佳奈子……!」


男性は涙を流しながら香の煙をお掴みになられました。

奥様は最期まで微笑んだまま、煙と共に静かに静かに、やがて席を外されました。







「ねぇ、お姉ちゃん。どうして奥さんが恨んでないってわかったの?」


お客様は涙が落ち着かれた後に、何度も「ありがとう」と頭を下げられてから当店を後になさいました。

その後に、私が香の余韻よいんひたっている時に声を掛けたのが香織にございます。


「もし、あのおじいさんが恨まれてたら修羅場が始まるところだったじゃない」


私はそっと微笑みました。


「奥様が旅立たれた後も、奥様のお好きだった桜公園を散歩なさるような素敵な旦那様よ?恨まれているはずが無いわ?」


「だから、どうしてわかったの?……あのおじいさん、ただの『散歩』としか言ってなかったのに」


「あら?口ではああおっしゃってたけれど、来店なさった時から桜の良い香りがぷんぷんしてたじゃない?」


「うへぇ……。相変わらず、すごい嗅覚……」


香織は頬杖ほおづえをつきながら感嘆のため息を漏らしておりました。


「でも、その香木……。すごく貴重なやつでしょ?確か、『丹桜抄たんおうしょう』だっけ……」


「そうよ?……ものすごぉく高いわよ?」


「ま、また赤字じゃん……」


「あら?人が笑顔で踏み出す新たな一歩より高価なものなんて無いわ?」




今日もまた、わたくしどもを必要となさるお客様がいらっしゃいます。

そしてまた、素晴らしい香りと共に新たな顔で店を後になさるのです。



今日のお話は、ここまで……。

皆様、わたくしどもの話にお付き合い下さり、ありがとうございました。

もしも、再度のお話を御所望でしたら、それはまた次の機会に……。




              『香司』 美結


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