宝石店主殺人事件⑧

 夜。柔らかい月明りだけが差し込む、わたしの部屋。ずっと目隠しをして過ごしてきたわたしにとって、月明りだけでも十分に明るい。


 暗闇はわたしを安心させてくれる。誰の顔も見なくて済む。大切な人の顔を、見なくて済む。


 アイマーロ家の魔法は、わたしの心に暗い影を落としていった。


 一族の中でも、特にずば抜けて強い魔力を持っていたわたし。両親だけでなく、末裔の一族は歓喜した。


 これでようやく、王家に復讐を果たせる。魔力そのものが衰えつつあった一族にとって、わたしは最後の希望だった。


 物心つく前から、人を操ることを覚えさせて。幼いわたしは、ただ周囲の人がなんでも願いを叶えてくれるのが、嬉しくて。


 そうやってたくさんの人の顔を見て、たくさんの人の声を聞いた。


 一度見た人の顔は忘れなかった。忘れなければ、ずっと操っていられる。強い魔力と、人間離れした記憶力。わたしは一族の特別になった。


 ただちやほやされるだけの日々が終わったのは、私がもう少し大きくなって、明確な自我を持ち始めた頃。ほんの些細なことで、親に反抗した。別のおやつが食べたいだとか、そんなことで。


 親の意見とは違う命令を、操った相手に与えて……、それだけのことで、親は激怒した。そして、それ以来わたしは、親の魔法で操られるようになった。


 親に操られたわたしが、他の大勢の人々を操る。そうやって、アイマーロの一族は傀儡を従え、どんどん大きくなっていった。


 魔法で操られることが、あんなにも恐ろしいものだなんて思いもしなかった。自分の意思などそこにはなく、ただ灰色の世界が広がるばかり。


 そんな生活は、私が十歳の頃に終わりを告げた。外部の人間を取り込みすぎて、王国にバレたのだ。一族は改めて全員が処刑され、わたしだけは子供であったことと、わたし自身も親に操られていた被害者だったことで、封印処置に落ち着いたのだ。


 人を操る魔法。そんなもの、わたしは使えない方がよかった。誰かを自分の思い通りに動かすのは、とても甘美な誘惑で、そしてとても恐ろしい罪だ。


 操られてしまった人が、一体どうなるのか。それをわたしは、もう身に染みて知ってしまった。


 だから、こんな魔法はなくていい。わたし以外のアイマーロの末裔は全員死んだ。わたしがこの屋敷でこのまま朽ちてしまえば、この魔法はもう後世には残らない。


 それでいい。それが、いい。






 カルが描いてくれた似顔絵のノートを、そっと枕の上に置く。


 ベッドにもぐりこみ、ノートに手をかけて、離して、もう一度触れて。


 カルは、「そっくりに描けすぎて恥ずかしい」と言っていた。すごく口をもごもごさせていたから、多分本当に似ているのだろう。


 ずっと、目隠しの裏に思い描いていた。大切な、とても大切な人の顔を。


 優しく頬を綻ばせた、少しつり目がちの、綺麗な顔。唇は薄くて、鼻は高い。首は意外とがっしりしている。


 髪はどんな色だろう。目はどんなふうに輝くのだろう。わたしが彼の本当の色を知ることは、一生無い。


 でも、こうやって彼の絵を見ることができるのは、とても嬉しい。


 わたしはもう二度と、誰かの顔を見ることもできない。声を聞けば想像はできるけれど、それが合っているのかどうか、確かめる術はない。


 わたしは大きく息を吸って、止めて、それからノートを開いた。


 少しつり目がちの、唇の薄い、綺麗な顔の少年が、こちらを見ていた。優しい笑顔で、わたしに何かを語り掛けているみたいだった。


 これが、カルの顔。


 わたしが大好きな、カルタスの顔だ。


 想像した通りに、けれど多分、細かいところは彼が見知っている、自分の姿のままに。



「カル……」



 どうしてだか、涙があふれて止まらなかった。


 泣いているのに、笑みも零れて、たまらなかった。


 ずっとずっと、彼がどんな顔をしているのか見てみたかった。けれど、本当にこの目に映すのは恐ろしい。彼の心を、本当の意味で奪ってしまうから。


 だから。この絵が手元にあることが、こんなにも嬉しい。


 枕に顔をうずめて、ノートを濡らさないように。しばらくの間、わたしの涙は止まらなかった。

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かんばせ聞きの令嬢と、記憶描きの従者 神野咲音 @yuiranato

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