最後の晩餐

小烏 つむぎ

最後の晩餐


 ふと気がつくとオレはぼんやりと暗い森の道を歩いていた。


 さっきまで会社から最寄り駅に向かう道を歩いていたはずなんだが、どうしてこんなところにいるのだろう。確かに近道をしようと狭い路地に入ったが駅前の回転寿司店の近くに出るはずで、こんな森に出るわけがない。そもそもオレの生活圏に森なんてものはない。振り返るがそこにも暗い森が続いているだけで、抜けてきたはずの路地も見当たらない。


 ――ここは、どこだ?


 いくら目をすがめても見慣れた街の灯りは見えない。一度メガネを外してハンカチで拭いてみたが、状況は変わらない。それどころかさっきまできらびやかに光っていたネオンも通りの喧騒もなく、ただうすぼんやりとした闇が広がるばかり。風が木の葉擦れのささやきと心地よいかすかな花の香りを運んでくるせいか、怖いという感情はわかなかった。


 とっさにスマホに手を伸ばすが、どこかで落としたのかポケットにはない。その時自分の両手が空であることにも気づいた。

カバンを下げていたはずなのに、いったいどこにやったのか。見知らぬ場所にいる事より、スマホがないことの方に焦りを感じた。


 ――まさか!よく読む小説のように、転移したとか?


 週の終わり、頑張ったご褒美に回転寿司でフェアの北海道三種盛りをたらふく食べるつもりだったのに、なんでこんなことになったのだろう。食べられなくなったとたん、腹がグルルとわびしく鳴った。こんなことなら路地の手前の居酒屋にしておけばよかったと思いつつ、とりあえず足を前へと進める。


 しばらく歩いていると、先にポツンと明かりが見えてきた。明かりに誘われて近づくと生垣のある一軒家のようだとわかった。ちょうど道の四つ辻に面したその家はごくごく普通で、むしろその普通さに違和感を覚えるほどだ。四つ辻に家がそこ一軒だけという奇妙さに尻込みするものの、明るいのはここだけだ。


 家は二階建てで、一階の大きな掃き出し窓と二階の小さなベランダのある部屋の窓に明かりが点いている。どちらにも若草色の縞のくたびれたカーテンがかかっているので中は見えない。カーテン越しに一階の部屋からかすかにテレビの音が漏れ聞こえてきた。それは毎週火曜日に流れているお笑い系の番組で、少なくともここは「日本」で時代も「今」らしいと安堵した。


 ――そうだ、この家で、ここがどこなのか聞いてみよう。


 家の門はオレの背丈ほどに四角い石を積み上げたような感じで「山端やまば」と書かれた表札と小さな照明がついていた。

門扉はよくあるかねの開き戸で、左側にはプランターに何か植えてあって片側しか開かないようになっていた。昭和の半ばに建てた実家のあたりにはよくある感じの家だ。


 オレは恐る恐る門を通り玄関脇ののインターフォンを押した。この異常な状況にはそぐわないほど、軽やかな音が鳴るのが聞こえた。


 「はい?」


 インターフォンから女性の声がした。

オレは少し声を明るくして、マイクに向かった。


 「あの、すみません。

私、岸本という者なんてすが、少し尋ねたいことがあって。 

あ、怪しいものじゃないです!

えーと、道に、道に迷ったみたいで。

あの、ここはどこでしょうか?」

 

 しばらくするとドアがガチャリと開いて、太いチェーン越しに年配の女性の姿が現れた。50代くらいだろうか。廊下の照明で浮かびあがったシルエットは、痩せぎすの体にダボっとしたトレーナー地のワンピース、肩まである髪はいまかきむしったところかというくらいボサボサだ。


 そこまで見てとって声をかけたのは失敗だったかと思ったとき、家の中から酢飯のいい匂いが漂ってきた。反射のように再びグルルと腹が鳴る。


 「キシモトさん?

なに?迷子?

お腹すいてるの?」


 思ったよりハスキーな声だった。


 「はい。

すみません、気がつくとこの道を歩いていて。

ここはどこなんでしょうか?」

「ああ、〇〇市の△△町だけど。

アンタさ、何やったの?

ずいぶん服が汚れてるけど。」


 言われて見下ろすと、お気に入りのスーツがヨレて肘と腰回りに泥がついている。何でこんなになったのか記憶にないまま、パタパタと叩いて泥を落とした。肩回り何か液体が付いたのか、乾いてカパカパするような手触りになっている。


 ――帰ったらクリーニングに出さないといけないな。


 ここは、〇〇市の△△町か。職場の最寄り駅から西に2駅行った隣の市だ。ならば駅までの道を教えてもらったら何とか帰れそうだと安堵した。その前にスマホを探さないと電車にも乗れないこと思い出した。そう思って振り返るが、そこにはやはりぼんやりとした暗い森が広がるばかりだ。その時再びオレの腹が物欲しそうにキュルルと鳴って、女性の失笑を誘った。


 「キシモトさん。

今からうち晩ご飯なんだけど、アンタも食べて?」

「あ、いえ、そんなご迷惑は……。」


 という断りにまた腹の虫が重なって、女性は笑いながら一度ドアを閉めチェーンを外してオレを迎え入れてくれた。廊下は橙色の暗めの照明で、ダイニングに入った途端真っ白い照明がまぶしい。明るいところで見た自分の姿は、どこかで喧嘩でもしてきたかのようにボロボロだった。


 ――一体オレは何をしたんだろう?


 その時二十歳過ぎくらいに見える娘がダイニングに入って来て、オレを見て息をのんで固まった。それもそうだろう。こんな時間に汚いスーツを着た見知らぬ男が立っているんだから。


 しかし娘の格好もさほど褒められた感じではない。母親と思われる女性によく似た痩せた体に、着古したスエット。まとめてはあるがもつれたような長髪で、鶏の巣というのはこんな髪型かと思うようだ。ペタペタ足音をさせていたのはよく見るキャラクタ―のついたスリッパだ。長く伸ばしている爪には剥げかけたマニュキュアが貼りついている。二人の女性は「小綺麗」という言葉からは遠く、「生活に疲れている」という形容の方が似合っているようだった。


 「ヨウコ、今夜はこの人も一緒にご飯食べるからね。」


 それを聞いた娘はこちらをうかがいながら、首だけでコクコクと同意を示した。


 ご馳走になったのは、ちらし寿司だった。

予定していた握り寿司ではなかったが、食いっぱぐれたまま道に迷っているより何倍もいい。母親の方は親切にしてくれたが、娘の方は始終こちらを伺っていた。食卓でも少しでもオレから遠ざかろうとしているのが見て取れて、居心地が悪かった。


 腹の虫も落ち着きお茶を一杯もらって一息ついた時、娘はそそくさとダイニングから消え、母親と思われる女性は台所に引っ込んだ。しばらくすると台所から何やら物音がし始めた。


 ――何だろう?

このるような音は?

僅かだが、忍び笑いも聞こえた気がする。


 気になったオレは確認しがてら湯のみを台所に持って行った。


 そこで見たものは、流しの上の小さな明かりの下で一心に包丁を研ぐ女性の姿だった。

背後の食器棚に映った女性の影が一瞬盛り上がったように思えて、オレは声にならない悲鳴を上げて思わず後ずさりした。


 ――「山姥」!?

 

 昔話で聞いた、道に迷った旅人を家に泊め捕まえて食べるあの山姥の話しを思い出した。そう言えば、表札に「山姥」とあった気がする。それに、オレは奇妙な森に迷い込んでこの家に着いた。今夜家に泊めてオレを喰うつもりなのだろうか?もしや!この床下には幾多の白骨が隠されているとか?

 

 すっかりおびえたオレは早々に失礼することにした。母親の方が玄関先まで見送りに来てオレを心配するが、このままここにいて喰われるのはごめんだ。まだ森を歩いている方がいい。女性が右手の道を真っ直ぐ行くと目的地に行けるというので、そちらを見た。確かに右手の道の先は薄明るいようだ。オレはその道に向かった。


 ◇ ◇ ◇



 「お母さん!なんでいっつも死んだ人をうちに上げるの?」

「そうは言ってもねぇ。

訪ねてくるんだもん。

四つ辻には魔が潜むっていうから、ソレでかね。

何でか来ちゃうよねぇ。

あの会社員、キシモトって言ったけ?」

「うん、たぶんこの前の金曜日に隣の▢▢市駅前であった事故の被害者さんだよね。」

「お腹減ってたみたいだから、最後に食べさせてあげられてよかったよ。」

「もう、お母さんたら!」


 陽子は門扉の脇に男のかけていたメガネが落ちているのを見つけて拾い上げた。


 「あの人、迷わずかなぁ?」

んじゃないかね。」


 のぼって来たばかりの朝日に照らされて、門の外にはいつもと変わらない古い住宅地の風景が広がっていた。


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