親友の顔

SSS(隠れ里)

親友の顔

 真面目に働くことすら許されなかった時代。貧民に生まれたものたちは、仕事を選べなかった。


 大半のものは、戦争の道具として戦いを強制される。そこで命を終えられたのなら、幸福だ。


 怪我をした場合は、野に放たれる。魔物のエサとなるもの、餓死する人間。


 賊に身をやつすものもいた。俺もそのひとりだ。


「くそ、あの冒険者ども……。でも、何とか逃げ切れたか。ははは、このアジグ様も悪運の強い男だ。レグールのように殺されなかったとは……」


 俺は、同じ下民として生まれて戦地で怪我をした親友の最後を思い出した。


 レグールは、死ぬ間際まで俺の名前を呼んでいた。何度も呪文のように唱えて死んだ。


 血反吐まじりに俺を見る姿は、決して忘れられないものだった。


「死体は、魔物に食われただろうか。あのときは、捨てておくしかなかった。あぁ……レグール。俺も長くはない。ここが、どこかもわからない……」


 夜空に鎮座する月を見上げた。あのように輝く宝石を手に入れられたら、抜け出せる。


 月でなくても良い。星のような金の粒ひとつあれば、しばらくは飲み食いできるはずである。


 夜風が、ぼろ切れをまくりあげて古傷をえぐった。赤く避けた皮膚が、寒さに震える。


 俺は、布の切れ端をしっかりと握りしめて、歩き出した。どうすればいいのか、何度も呟く。


 そうして、歩いていると喉も渇きつぶやくことすら辛くなってきた。


 当て所なく、荒野を進んでいるとほのかな明かりを放つ小さなものを遠くに見つけたのだ。


 俺は、なにか金目のものが落ちていると思った。いや、確信と言っていい。


 少なくとも、明日の朝日を見ることはできる。


 それくらいの金になってくれるのではないかと考えたのだ。羽虫が、光を求めるように走った。


 光のそばには、白骨化した人間が横たわっていた。その手には、光の正体が握られている。


 エーデルワイスの形をしたランプだった。お宝ではないが、売ることはできそうだ。


 どこかで、見たような形だった。なんとなく騎士たちが、持っていた物と似ている気がする。


 きっと、売れるはずだ。問題は、近くに街があるのだろうか?


 俺は、荷馬車を守る冒険者に追われて逃げるうちに、どこにいるのかもわからなくなっていた。


 エーデルワイスのランプの近くに、黒いカードが落ちている。金になるとは思えないが。


 しかしながら、拾えるものはゴミでも拾うべきだ。価値観は、求める人間よって違う。


 俺は、黒いカードも貰うことにした。これだって誰かにとっては、お宝になるはずだ。


 街には、さまざまな人間が住んでいるのだから。


 エーデルワイスのランプの光に照らされたカードは、黒曜石のインゴットのように見えた。


 ただの紙片にしては、重く。加工した金属の塊のようにも思える。


 いずれにしても、確実にエーデルワイスのランプは売れるだろう。あわよくば、黒いカードも。


 俺は、恨めしそうに握る死骸の手からランプとカードを奪い取った。


 ランプの明かりに照らされた黒いカードには、何かが書かれていた。


 俺は、見やすいようにするために、エーデルワイスのランプを近づけていく。


 文字だろうか。俺には、不思議と何が書かれているのか読むことができた。


 ランプの光を遠ざけると、文字は消えた。


 このランプで、照らさなければ見えない仕組みになっているのだろう。


 俺は、貧民の子だ。読めて書ける文字なんて数種類くらいしかなかった。


 この黒いカードの文字は、見たこともない。しかしながら、読めるのだ。


「我、求めるものを見る。黒き魔石は、汝を見る」


 俺の足元の荒地に、どこからともなく王冠が転がった。


 金色の王冠は、エーデルワイスのランプに照らされて、怪しげに輝いていた。


 冠のいただきに虹色の宝石が、細工されている。間違いない。特徴も一致している。


 俺が求めていた財宝のひとつだ。


「ルロワ王の帝冠だ。レグールが、物乞い先の酒場で聞いたっていう。盗まれた7つの財宝のひとつッ!!」


 俺は、荒くなる息を整えながら、エーデルワイスのランプを腰紐に結んで、黒いカードを懐にしまう。


 ルロワ王の帝冠は、ずっしりと重い。これを売ればかなりの金になるだろう。


 貧民からも抜け出せる。故郷にだって帰れるじゃないか、と。あらゆる妄想が頭に浮かんだ。


 親友のレグールの墓だって、立派なものを建ててやれる。


 俺は、どこにあるかもわからない街を目指して、歩きはじめた。


 疲れも吹っ飛ぶようで、足取りも軽い。冒険者に斬りつけられた傷だって痛まないのだ。


 天体の光さえも、この帝冠に比べれば霞んで見える。手に入らない黄金など絵に描いた餅である。


 今、俺の手の中にはそれ以上の価値があるのだ。見れば、誰しも羨むだろう。


 俺が、月や星のような存在になれるのだ。早く街へ。街はどこにあるのか、心は兎のように跳ねる。


 荒地も石畳のように感じた。いや、俺を導いてくれる王族の道、赤い絨毯だ。


 俺は、妄想を口にしては笑いが止められなかった。夢心地な足取りは、どれくらい続いたのだろう。


 荒々しい地面も、いつの間にやら、草原に変わっていた。街道が、茂みの先に見えた。


「やったぞ、街道を辿っていけば街につくじゃないか。よし、もうすぐだ。もうすぐで……うん?」


 俺は、街道に出ると旅人らしき人間を見た。外套に身を隠し、片隅でうずくまっている。


「ぅああ……。誰かいるのですか? み、水を分けてくれません……か?」


 旅人は、声からして男のようだ。その姿は、外套によって隠れていてみることはできない。


 こちらに、気づいているのだろう。水を求めているようだ。声には、力を感じられない。


 俺は、自分も喉が渇いていたことに気づいた。


 あのランプと黒いカードを使えば、水を得られるはずである。何故なら、7つの財宝すら出せるのだ。


 水くらい造作もないだろう。俺は、例の呪文の言葉を口にした。


「我、求めるものを見る。黒き魔石は、汝を見る」


 虫の鳴き声が、近くの草むらから聞こえた。水を求める旅人のうめきも聞こえる。


 俺の足元には、旅人の手が、差し出されていた。肝心の水はない。


 どういうことだ。喉が、せまく感じるほどに枯渇していた。


 俺は、懐から黒いカードを取り出す。もしかしたら、呪文を間違っているのかもしれない。


 腰にぶら下げたエーデルワイスのランプで照らしてみる。


「我、求めるものを思う。黒き魔石は、汝を思う」


 足元に銀色のゴブレットが現れ、旅人の手が、伸びてくる。


 俺は、旅人の手を足で払う。そのまま、銀色のゴブレットを拾い上げた。


 銀杯には、水がなみなみと入っていた。透明で、にごりやゴミなどはない。


 蒼き月を映すほど、透き通っていた。どうやら、呪文を間違えて覚えていたようだ。


「ヘヘ。俺が飲んだあとにくれてやる。少し待て」


 俺は、力なく動く旅人の手に言葉をかける。そうして、水を少し飲んだ。


 美味だ。無色透明な水とは思えないほどに、かすかな甘みが舌の上で、優雅に踊っている。


 日照り続きで枯れかけた草木が、突然の夕立に潤うよう渇きが言えていのであった。


 必死に飲んだ。何かに取り憑かれたように体内に流し込んだ。俺の臓物が、求めるままに。


 中身は、空っぽになる。持っていたはずの杯は、砂のように足元へと崩れて消えてしまう。


 銀色のゴブレットも、それなりに価値があったのではないかと、少し悔しくなった。


 もう一度、水を出そうと呪文を唱えるが、出てこなかった。


 黒いカードを見ると、またしても呪文が間違っていたことに気づいた。


(我、求めるものを感じる。黒き魔石は、汝を感じる……。あれ、こんな呪文だったかな。まぁいい。そういえば、旅人は?)


 外套の旅人は、ピクリともしない。差し出された手もだらっと横たわる。


 俺は、何度か足で揺さぶってみるが、動きはない。外套も、ときより吹く風に揺れるだけだ。


「死んだのか、残念だったな。水すら飲めなくて。お前のかわりにタップリと飲んでやったよ。すごく美味かったぜ……」


 俺は、外套を剥ぎ取ってみたが、旅人は何も持っていなかった。


 どこか、別の世界のことのように思う。このように枯れて死んでいく命もあるのだ、と。


 俺は、喜んだ。気持ちが押さえられずに笑った。虫の鳴き声が、静まる。


 黒いカードは、一部が白くなっていた。触れていた指を見る。


 黒くなっていない。色落ちや表面が剥がれたわけでもないようだ。


 別に大したことではない。黒いカードを懐に隠すと、街道を進んでいく。



 俺は、やがて歩き疲れて寝床と食料を黒いカードに要求した。たちまちにテントが現れる。


 天幕の中には、食料が並んでいた。どれも、食べたこともないものだった。


 戦地で、騎士たちが食べていたものと同じだ。俺たち、貧民はパン一切れのために争わせる。


 戦場の騎士たちの余興だった。あのときの奴らの顔は、忘れられない。


 黒いカードは、文句も言わずに言われたものを出す。また、白くなったが。


 俺も、騎士たちと同じ立場になった。


 この黒い金属のような紙片。といっても、今は白いカードになりつつあるのだが。


 要は、貧民と同じである。


 あのときの俺やレグールだ。騎士の……俺の願いを叶えるために、あいつらは存在している。


 テントの中で、横たわる。膨れた腹を撫でながら歌を口ずさんだ。


 レグールとともに歌った故郷の歌だった。


「レグールが生きていれば、この帝冠を売った金を少しは分けてやってもいいな。いくらでも、このカードが出してくれるからなぁ。フハハ」


 レグールが、生き返ればどう言うだろう。今の俺。騎士になった俺に。


 どのような姿を見せてくれるだろうか。パンの一切れでも、渡してやれば何をしてくれるだろう。


「我、求めるものを触れる。黒き魔石は、汝を触れる」


 白くなったカードに願った。レグールの……哀れな貧困の民の復活。呪文を唱えていて、笑ってしまう。


 死んだ人間が、生き返るはずはない。


「よお、アジグ。元気そうだな。随分と立派な服を着て、これは何があったんだ? まるで、騎士様じゃねぇかよ」


 俺は、体が浮くような気持ちになった。言葉は思いつくのに口に出てこない。


 レグールがいる。話をしている。でも、ただ見つめるくらいしかできない。


「おいおい、どうした? まるで、死人を見てるようだぞ? そのランプ、お前が持っていったのか?」


 俺は、枕元に置いた灯火を見た。エーデルワイスを、ランプを求める。


「酷いじゃないか。それは、俺の母さんの形見だぞ。おい、それはどうしたんだ……」


 俺は、立ち上がろうとした。


 何故だか、そうしなければと思った。その勢いで、懐から白いカードが落ちた。


「なるほどな。母さんが言ってたことは、嘘じゃなかったんだな」


「な、な、何の話だ。これは、白骨化した人間から奪ったものだ。お、お前のものじゃない」


 俺の口から、やっと言葉が出た。そうだ、これは俺の物だ。


 レグールは、怒っているわけでも、喜んでいるわけでもない。まるで、絵画の人物のようだった。


「なあ、アジグ。あの日、戦場から逃げ出した俺が、お前に見せた母さんの形見。お前は、魔石を見たときに……なあ?」


 読めてしまった。レグールが、母親の遺言かもしれないと見せてきたあの文字を。


 俺は、理解したのだ。あれは、願いを叶える呪文だった。わかったのだ。


 だから、俺は……


「違う、違うぞ。これは、死んだ人間が持ってたものだ。たまたま、手に入れたんだ。レグール、違うんだッ!!」


 レグールは、表情を変えない。冷たい、魂のない顔でこちらに向けたままである。


 そうだ。願いを叶えたかった。ただ、それだけだったのだ。俺は、レグールに近寄る。


 俺は、白いカードを見た。呪文を。 


 俺も、騎士のような生活がしたかっただけだ。悪いことじゃない。


 誰だって、見下される存在ならば望むことではないか。誰かを争わせてみたい。高みの見物をしたい。


 不幸を、自分には関係のない不幸を味わいたい。誰を犠牲にしても、手に入れたかった。


「我、求めるものを握る。黒き魔石は、汝を握る」


 俺の手に、短剣が握られた。命を奪う力を得たのだ。そう願ったのである。


 今度こそ、心の底からの殺意だ。


「おいおい、また殺すつもりか? 親友を。なあ、アジグ。宝を山分けしよう。俺たちふたり。贅沢に暮らせるぞ」


 俺は、首を振った。俺の宝だ。このランプも、白くなったカードも。全て。


「我、求めるものを殺す。黒き魔石は、汝を殺す」


 あっ、と。俺は、口にする。


 レグールが、抵抗せずに殺されることを望んだが、呪文の意味を理解して短剣を落としてしまった。


「アジグ、母さんがさ。言ってたよ。握ったものがあるなら、それを手放せってさ。人間、欲をかくとろくなことにならないよな。それにさ。パンだって分け合えば、殺し合いをせずに済んだものを……」


 レグールの無表情が、ゆっくりと動いた。笑っている。


 落ちた短剣を拾って、俺を見て舌なめずりをしているのだ。


「これ、お前が言ってた言葉だったよな。パン一切れのために争うなら、パン一切れを分け合えばいいってさ。アジグ、口だけは立派だったよ。だから、絶対によみがえれるって思ってた……ハハハ、ハハハ、アヒヒヒ。アジグッ!!」


 俺は、動けなかった。逃げたくても。レグールが、徐々に近づいてくる。


 今までよりも、近くで感じ触れられる距離にレグールの顔がある。親友の……



 時は流れて、ある旅人が荒野となった大地に白骨化した死体を見つけた。


 その亡骸の手には、エーデルワイスの形をしたランプと黒い塊が握られていたという……。


 【親友の顔】完。

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