久野鈴也
船での戦いから三日が経った。
その間の記憶はほとんどない。
でも、釘の刺さった痛みでうなされているぼくをずっとさっちゃんが抱きしめていてくれていたことは、うっすらと覚えている。
三日経って、やっと意識がクリアになった。
なんだか、一千万年ぶりくらいに目が覚めた感覚すらある。
ここは、この見知った天井は、ぼくの家だ。
「……おはよ」
「おはよ」
さっちゃんがぼくの頬に手を当てる。
「もうどこも痛くない?」
「まだ左腕は痛いかな。でもだいぶマシになったよ」
そう言うと彼女は息を大きく吐いて、ぼくの胸に顔を埋めた。
「ばか」
「…………うん」
「ほんと、ばかだよ」
「………………うん」
「もう一生帰ってこないかと思ったんだよ」
「ごめん」
「ううん、ちゃんと帰ってきたから、許す」
さっちゃんが顔を上げた。
ぼくたちは見つめ合い、唇をそっと近づけ――
「おいおい、病み上がりでさっそくおっぱじめる気かいな」
――嫌な関西弁が聞こえた。
「なんでぼくの家にいるんですか、あさひさん」
三上あさひ。船での戦いを共にした女性が、こたつに足を入れてみかんを食べていた。
「なんでとは失礼なやつやな。この三日間ほとんど生活能力を失ってた鈴也と沙鳥ちゃんの世話をしたんは誰やと思ってんねん」
その言葉に違和感を覚える。ぼくは確かに生活能力を失っていただろうけど、さっちゃんも?
その疑問を感じ取ったのか、あさひさんは大げさなジェスチャーとともに「こいつ、昨日まで飯もトイレも風呂も一人でできひんかってんぞ」と言った。
「ちょっ、あさひさん!」
「さっちゃん、どういうこと?」
「聞くなばか!」
次の瞬間、突然部屋の隅に黒い渦が現れ、そこから角の生えた少女がでてきた。
アイである。
「サトリはな、ずっとお主に抱きついたまま動かなくなってたんじゃ。だからアサヒが無理やり抱きかかえて風呂やトイレに連れて行っておった」
「ねぇなんで言うの?」
賑やかだった。
チャージエンショットで、あさひさんはさっちゃんを撃った。
アイはぼくの体を乗っ取ろうとした。
それでも今、こうして四人で馬鹿な話ができているのは、なんというか、良かった。
ぼくが天月さんに勝ち、アイに勝ったからこそ、この光景に辿り着いたんだと思う。他の誰が勝っていても、この四人で再び楽しく話すことなんてなかっただろう。
誇らしかった。
ひとつ惜しい点があるとすれば、アイに勝った記憶がないことである。
ゲームが開始した瞬間までははっきりと思い出せるのだけれど、ゲーム中や、どうやって勝ったかは全く思い出せなかった。
ただ、ぼくの策通りに進めば記憶が消えるはずなので、記憶が消えたということはその通りに勝てたということだろう。
精神や記憶の摩耗はぼくのほうがはやい。
だからこそ、それを逆手に取って、先に壊れてしまえばいい。
こんな勝ち方をしたことがさっちゃんに知られたら絶対に色々と言われるので、胸にしまっておくけれど。
「ほんで鈴也、アイにはどうやって勝ったんや」
胸にしまわせてくれ。
「いやぁ、それがゲーム中の記憶がなくて、覚えてないんですよね」
ぼくが正直にそう答えると、さっちゃんの体がピクリと跳ねた。
「記憶が、無い?」
「え、う、うん」
「…………すずくん?」
「…………」
この女、マジか?
「どういうことや? 沙鳥ちゃん、なんかわかったんか?」
さっちゃんは呆れと称賛と悲しみが入り混じったような複雑な表情をして、言った。
「記憶が無いってことは、アイが記憶を消したってことでしょう。でも、負けた側のアイが記憶を消すって、どういう意味だと思います? 普通は勝った人間の記憶なんて消さなくていいですよね」
「…………鈴也が勝ったものの、エグいトラウマとかを負って、現実で使いもんにならん状態になった、とかか? 負けたアイは鈴也に付き纏うしかないから、鈴也に壊れられたら困る」
「そう思ったんです。ねぇ、すずくん。君は一体どんなゲームを挑んだの? そこは覚えているよね」
もう言い逃れはできなさそうだった。
ぼくは渋々、ゲームのルールと思い描いていた策を話した。
「……イカれとるんかお前は」
その結果あさひさんにはドン引きされ。
「ほんと、無事で良かったよ」
さっちゃんには強く抱きしめられた。
そのあとぼくたちはアイも交えた四人で他愛ない話をして、会話が途切れたら棚からボードゲームを引っ張り出してプレイした。
もちろん何も賭けずに。
それでもぼくは、本当に一度も勝てなかった。
船でのゲーム、あの瞬間だけは、この場でぼくが一番強かったけれど、やはり人生の総合点ではこの人たちに劣っているのだろう。
それでもいい。
本当に勝ちたいその一瞬だけ、相手を上回ることができたのなら、人生の総合点なんてどうでもいい。
ぼくはそれを中学生の頃ヒナミの爺さんに教えられ、いま、身をもって体感した。
ぼくはもう迷わない。
ううん、少し嘘かも。
これからも、たくさん迷うだろう。たくさん後悔するだろう。
それでも、散々迷って後悔して辿り着いた、ぼくが信じる答えからは、逃げない。
自分を信じて、オールインできる。
「ほな鈴也、沙鳥ちゃん、またな」
日が落ちてきた頃、あさひさんが立ち上がった。
「あさひさんはこれからどうするんですか?」
「言ったやろ、叶えたい夢があんねん。それを叶えにしばらく日本から出て世界回ってくるわ」
「ちなみに、叶えたい夢って?」
ぼくが聞くと、あさひさんは少し恥ずかしそうにしながら「人生で最高の瞬間を、迎えたいねん」と言った。
「最高の瞬間?」
「鈴也も、試験に受かったとき、初めて女抱いたとき、それこそ天月に勝ったとき、『あぁ、最高や』って思ったことあるやろ?」
さっちゃんの前で女抱くとかやめてくれないかな。
「うちはその果てを見てみたい。ここで死んでもいいと心から思える最高の瞬間を迎えてみたいんや」
「…………じゃあ、あさひさん。もしかしてあなた船のゲームで優勝しても」
「せや。別になんでも願いが叶うとかには興味がない。ただ、命とか願い事を賭けて本気でゲームに挑んでいる奴らと本気で戦って、勝つ。その瞬間をうちは求めててん」
それを聞いて、ぼくとさっちゃんは顔を見合わせた。
「あなたも十分イカれてますよ」
あさひさんは「なんかあったらすぐ遊びにくるから連絡してな」と連絡先を残して、家を出ていった。
部屋が少し広くなる。
「で、お主ら、これからどうするつもりじゃ?」
アイが尋ねてきた。
「特に決めてないけど、アイが望むような滾るゲームへの参加はしばらく難しいかもね」
日本で大金を賭けたゲームを行うことは、きっと難しい。裏社会に首を突っ込むか、海外に行くしかないだろう。
そう言うとアイは不満げに口をとがらせた。
「退屈じゃの」
「そう言われても……」
「樋波尊に会わせろ」
少しの間をおいて、アイの口からヒナミの爺さんの名前が出てきた。
「いいの? 嫌な記憶じゃないの」
「もちろんそうじゃが、人間の寿命を考えると、あやつ、もうすぐ死ぬじゃろ。ワシを負かせたたった二人の人間じゃ。会わずに死なれるのは、惜しい」
確かにヒナミさんはもう七十歳くらいだろう。
そう思うと、ぼくももう一度会いたくなった。
さっちゃんがまとめるように両手を叩いて、「じゃあ、次は樋波尊さんを探しに行こ!」と言った。
カップルに大切なのは、共通の目的である。
楽しいデートができる上に、尊敬する人に会える。ぼくが嫌がる理由はひとつもなかった。
「じゃあ、ワシは引っ込む。あとは若い二人でせいぜい楽しめ」
そう言ってアイはカジノチップの中に引っ込んだ。
そして二人だけになる。
「ごめんね、色んなこと隠してて」
たっぷり間をおいてから、さっちゃんが謝ってきたけれど、ぼくにとってそれはもう精算された話だった。
「船でも聞いたし、あの時怒ってないって言ったよね、もう気にしないで。むしろあんな辛いこと言ってくれてありがとうだよ」
「……ありがと」
「あ、でもひとつだけ気になるかな」
さっちゃんは不安げな顔でぼくを見る。
「さっちゃんが天月さんに挑んだのって高二の頃なんだよね?」
「うん」
「さっちゃん、いつからそんなにゲームが強いの? っていうか、なんでそんなにゲームが強いの?」
前々からゲーム強いなぁとは思っていたけれど、アイに関する一連の騒動で、それが常軌を逸している事に気が付いた。
しかしさっちゃんの答えはシンプルだった。
「生まれつき?」
「生まれつきィ?」
「幼少の頃から知育だってたくさんゲームをやってきたからねー。でもそのゲームもあんまり親に負けたことがなかったかも。だから、生まれつき?」
「…………」
勝負師モードのさっちゃんの黒く濁った目を思い出し、それを浴びた彼女の両親が少しだけ哀れになった。
でもいつか、そんなさっちゃんに、真剣勝負で勝ってみたいな。
ぼくはそんな、身の程知らずな、それでいて純粋な願いを抱いた。
――――さて。
ぼくはさっちゃんに「こっちおいで」と言い、ベッドの上に誘った。
彼女はぼくの左腕の包帯を気にしながら背中に手を回して、抱き合う。
「色々あったけど、楽しかったね。まあ船に乗ってるぼくはそんなこと思えなかったけど」
「終わってみればいい思い出だったって、いいのか悪いのかわからないよね。でも、わたしはすずくんと一緒に船に乗れて、本当に良かった」
彼女の頭をゆっくりと撫でる。
「落ち着いたらヒナミさんを探しに行きつつ、新学年の準備だね。春休みも残り少ないし」
「ねー。あ、わたし旅行行きたい。なんか、ボードゲームがめちゃくちゃ置いてある旅館があるらしくて」
「なにそれ! 絶対行く」
結局どこまで言ってもぼくたちはゲームから離れられないんだろう。
相手に勝つため、味方と協力するため、死ぬ気で頭を回して盤面や味方、相手の動きを考え抜く。
考えて考えて考えて、少しだけその人と心を通わせる。
その行為がとても楽しいから、ぼくたちはきっと死ぬまでゲームをやり続ける。
負けたら死ぬデスゲームはもう勘弁だけれど、死ぬまでゲームをやり続けるのは大歓迎だ。
そしてできれば。ううん、絶対、死ぬまでさっちゃんと一緒にいたい。
ぼくたちはこれからも、人生というゲームを一緒に歩いていきたい。
心の底から、そう思った。
さっちゃんの背中に手を回して、抱き締める。
「さっちゃん」
「んー?」
「大好き」
彼女は照れたようにえへへ、と笑った。
「すずくん」
「なあに」
「大好き。愛してる」
みかんゲーム 姫路 りしゅう @uselesstimegs
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます