E.19 エルドは間に合わなかった

 エルドは間に合わなかった。

 彼がバグに神輿のように担ぎ上げられてシンの部屋に到着した時、既に友人の心臓はマチルダの手の中にあった。


「シン!」


 エルドは堪らず叫んだ。が、彼の声は何も動かさなかった。マチルダの眉ひとつ。

 マチルダは大切そうにシンの心臓をその胸に抱いた。エルドからはその形状を見ることは叶わない。シンと呼ばれる心臓がどのような形をしているのか。そしてそれはエルドの気にするところではなかった。

 ただ、彼は友人の心臓を取り戻そうと足掻く。後ちょっとだったのだ。後ちょっとでシンを外に連れ出すことができた。彼と「本当の友達」になれた。その確信があった。シンが「エルド」を知り、エルドが「シン」を知ったなら、もう二度とその境界が揺らぐことはない。俺達は俺達として友達になれる。シンの言葉で、エルドは勝利を確信していた。


『俺はエルドを信じるよ』


 彼のその言葉で、賭けに勝ったと思った。シンの思い通りにならないエルド。間違っていると思ったら正面から反対し喧嘩するエルド。そんな彼でもシンが信じてくれるというなら、シンはもう神様じゃない。普通の少年で、エルドの友達になれる。とうとうそこまで至ったのだと。

 だが、シンは死んでしまった。マチルダに心臓を抉られて。復活しても記憶は消える。エルドの計画は再び振り出しに戻ってしまった。

 それでも、諦めるわけにはいかなかった。たとえシンが元に戻っても、エルドを忘れてしまっても、マチルダなんかに彼の心臓を渡したくはなかった。

 だから、エルドは手を伸ばした。無謀なことであるのは分かっている。もしかしたらエルドも殺されてしまうかもしれない。それでも、絶対にシンの心臓は取り返す。そう思って。

 だが、そんなエルドを止める声があった。


「落ち着いて、エルドくん。まずはボクを助けてください」


 その声は、マチルダの足元からした。

 何があったのか。今にも彼女に踏み潰されそうな場所にアルが転がっていた。

 恐らくマチルダはアルを壊すつもりで、だからこそ彼は助けを求めたのだろう。バグでできた自分に対する扱いの悪いクジラロボットなど今は関係ないと思ったが。

 ぱちりと目があった時、エルドはシンがアルを作った理由を思い出した。


『もう、何も忘れたくないから』


 クジラ。記憶。いくつかの言葉が引っかかる。エルドは伝承のクジラを知っていた。シンも知っているだろう。黄金の竜エルドラ然り、機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトは神話や伝承を重要視する。それは、願いの確信に理由を与えるものだから。


(まさか、お前は覚えているのか)

 今まで生きてきた、シンの全てを。


 エルドはアルを見る。あまり考えている暇はなかった。一瞬の躊躇いを飲み込み、エルドはクジラのロボットに手を伸ばす。マチルダに踏まれる寸前、彼はアルをその足元から救い出した。

 マチルダがエルドを見る。エルドは一瞬だけ、彼女の手の中にあるシンの心臓を見た。本当は取り戻したい。今すぐにでも。

 だが、エルドはマチルダから視線を外し、アルを抱えてその場から逃げ出した。


 *


 かつてディア・ノクトのに、エルドは自分の隠れ家を作っていた。

 ディア・ノクトはシンの想像と彼も覚えていない記憶を基盤としていたけれど、元々エルドがその補佐を担っていたので小さなスペースを作るくらい造作もなかった。

 しかし今ディア・ノクトは存在しない。元々夜の街があった場所は情報局の本拠地だ。このままではどこに逃げることもできない。だからエルドは走り、走り、ひたすら走り。もうどうしようもないと思った時、突然穴に嵌った。


「うわあっ!」


 エルドは思わず大きな声を上げ、慌てて自分の口を塞ぐ。恐る恐る左右を見回して、驚きに目を見開いた。


「ここは、ディア・ノクト?」

「と、よく似た場所ですね」


 腕に抱えていたアルが声を出す。彼はふわりと浮き上がった。


「そんなに不思議なことではないでしょう。貴方達は、かつて同じ場所で同じ経験をしたのですから」


 これも誰かの記憶でしょうか。あちこちに視線を向けるアルを見て、エルドが呟く。


「それも、シンの記憶から知ったのか」

「はい! ボクは全部覚えていますから!」


 元気よく答えるアル。それが、本当なら。


「その記憶も、シンに伝えることもできるのか」

「エルドくんがご主人の心臓を取り戻して、目覚めさせてくれたら。余すことなく全てボクが伝えます!」


 それがボクの役目ですから。はっきりと断言するクジラロボットに、エルドは安堵の息を吐いた。そんな彼にアルは問いかける。


「エルドくんにとって、ご主人は何だったのですか?」


 友達ではなかったのでしょう? そう言うアルに、エルドは「今は友達だと思ってるよ」と笑う。エルドだって友達になりたかった。再び目覚めてからはずっと。そういう対等な関係になれると信じていた。

 けれど、その前の話をするならば。


「オレはシンで、シンの一部は多分オレだった」


 そこに逆はない。どうしようもなく二人には上下関係があった。

 だが、シンにとってそうだったように、エルドにとっても彼は一番最初に、大きく自分を変えてくれた人だったから。

 一度逃げてしまったけれど、今度こそ。ディア・ノクトとよく似た場所から、エルドは情報局の真っ白な塔を睨みつけた。

 

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