S.18 「俺は、もっと色々なものを知りたいんだ」

 ファイルもエルドとマチルダの会話も全部作り話。自信満々にこう言い放った時、俺はマチルダが動揺することを期待した。慌てふためく様を想像して内心舌舐めずりをしていた。彼女には今まで散々驚かされてきたのだ。少しくらい意趣返しをしたいと考えるのは当然だろう。

 だが、俺の意に反してマチルダは全く動揺しなかった。薄ら寒くなるような無表情のまま、ただそこに立っている。

 俺としては非常につまらない展開だ。だから、少しでも状況を動かそうと俺がその結論に至った経緯を解説してやることにした。エルドもまだ戻ってこないことだし。

 まず最初に、そのエルドとマチルダの不可解な会話についてから。

 

「エルドを穴に落としたのはお前だろう、マチルダ。これは後の話にも繋がってくることだが、お前はエルドにファイルを部分的に削除されたら困る。このまま俺の側に置いて色々話されるのも問題だ。だから、強制的に部屋の外に連れ出すことにした。と、同時に俺がエルドに対して疑心暗鬼に陥るように策を仕掛けた」

 

 エルドを俺から離すだけなら、彼を穴に落とした後蓋を閉めるだけで良かった。が、マチルダはそれだけでは不安だったのだろう。何故なら彼は、彼女達にとって最大の不確定要素だったから。死んでも記憶を保持し、俺の味方であると言いながら突き放した態度を取る彼がこれ以上何をするか分からない。いくら情報局が策を練っても、最終的な決定権は俺にあり彼らがそれを覆すことは不可能である。だからこそ、自分達にとって未知のエルドの言葉ばかりを俺が信じたら困るのだ。情報局からしてみれば、俺とエルドは仲が悪ければ悪い方が都合が良い。

 

「お前達が用意した『マチルダ』とエルドの会話は本物だった。策は良くできていた。この街ディア・ノクトは俺の世界なのに、よくあそこまで繊細な干渉ができたと褒めてもいい。それとも、俺の中にまだエルドを疑う気持ちが残っていたということかな」

 

 心は難しい。俺は声にせず呟く。この部屋を出てから自分でも知らない自分に気付いてばかりだ。同時に、俺の知らないエルドも知った。部屋を出るまではそんなこと考えもしなかった。俺もエルドも相手に見せているのが全てで、それが当たり前だと信じていた。だからこそ、今までとは全く違う腹の底が見えないエルドの衝撃は大きかった。あの時、俺は確かにエルドを疑っていた。あの時に例の会話を見せられたら、俺は少しも不思議に思うことなくエルドが裏切り者だと決めつけていたかもしれない。

 だが、今は違う。俺はエルドに「お前を信じる」と言った。信じると言った以上、多少の疑いはあっても俺は彼を信頼して行動するのだ。そして、俺の側にはアルがいる。俺以上に俺が見たものを記録し、常に冷静で優秀なクジラロボットが。

 だから俺は、あのエルドとマチルダの会話に存在する「違和感」に気付くことができた。

 

「あの会話は本当に存在した。だが、だろう。全ては映像であり、大部分は俺が穴からディア・ノクトに移動する前の会話だ。そして、更にその一部は全く別のタイミングで録られたものを繋げている」

 

 全てはアルが気付いてくれたことだ。

 あの時、俺が動揺している間にアルが会話が映像であることを見破った。最初は小さな違和感に気付いただけだったが、後に精査した結果、彼が俺が見たものは良くできた作り物であると証明してくれた。特に一瞬ノイズが入った部分、俺が一番動揺したエルドの言葉は不自然に差し込まれたものだと。

 過去の言葉でも、彼が言った事実は存在する。それでも、「マチルダ達が敢えて仕組んだ」ということが分かっただけで俺は堂々としていられる。彼らが未だ俺を侮っていることが分かるから。

 過去のエルドが何を考えていたのか、全てを知ることはできない。それを今の俺は分かっている。それでも、俺は今のエルドを信じている。彼と交わした約束はそういうものだ。

 

「俺は、今のエルドはあんなこと言わないと信じている。過去なんて知るか。俺も忘れていることの方が多いんだ」

 お前達のせいで。

 

 答え合わせをしよう。俺は微笑む。マチルダは無表情のまま。結構動揺しているはずなのに、何を考えているのか。つまらない。が、これを話せば彼らの計画は完全に破綻していると気付くはず。

 第二の真実。俺の部屋にあった過去の情報データについて。

 

「もういつの話になるのか。俺が部屋を脱出した後、

 

 エルドと再会した後、家に帰ろうとしたができなかった時のことだ。

 あの時は殺気の印象が強すぎてすっかり忘れていたが、何とか覗き見た部屋にマチルダがいるのを確かに見た。モニタを囲む女達。彼らが一体何をしていたのか。

 

「それに、リアに頼んだ『時間稼ぎ』。その稼いだ時間で、お前は俺の部屋にあった情報データを弄っていたんだろう。過去の俺がエルドを探すために集めた乱雑な断片を、生まれたばかりの自我が記した記録をご丁寧に並べて、そこに全く存在しなかった物語を追加した」

 

 リアに騙されたと知り、エルドをも疑い、自分が人間ではないと知ったばかりの俺が無防備なままあのファイルを見た場合の衝撃は想像がつかない。彼らもそれを狙ったのだろう。動揺した隙を強襲するつもりだったのか、甘い言葉を囁いて支配下に置く予定だったのかまでは分からないけれど。

 

「お前達は見事ファイルの改変に成功した。が、そのことにエルドが気付いた」

 

 エルドは俺の部屋で改変された情報データに気付き、それをそのまま俺に読まれることを危ぶんだ。だから削除していたのだ。俺を裏切ったのではなく、ちゃんと正しい情報を伝えるために。そのことに気付いてくれたのもアルだった。

 

「俺は、ルブフォルニアを壊そうとはしていない。機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトを操って内側から破壊しようとした事実は存在しない」

 

 彼らのおかげで、俺は堂々とこの言葉を言うことができる。

 多分俺は、マチルダが書いたことをやろうと思えばできる。あの感覚は、記録を読みながら一緒になって考えた興奮は決して偽物じゃない。何か歯車がひとつでも間違えば、俺はただこの世界を滅ぼす存在になっていたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。俺はルブフォルニアを壊してもいなければ、豊葉ファラ機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトを操って人間を虐殺した神でもない。断言できる。何故なら、俺は違和感を覚えたのだから。エルドが削除し、アルがそれを認め、俺が確かにしていないと思うのなら、それはマチルダによって改変された情報データだということだ。

 しかし、あのファイルには真実もあった。俺がそうではないと思っていても。

 

「確かに、俺は姉さんを殺した。マチルダ達のせいにしたことは謝ろう」

 

 姉を殺したのは俺だ。エルドがそう言ったように、彼が消さなかったように。全てはそこから始まっている。

 俺が姉を殺したのは、彼女に唯一無二の友人を殺されたからだけじゃない。エルドを探す過程でルブフォルニアの真実を、ディア・ノクトの正体を、睡蓮が俺の側にいる理由を知ったからだ。

 ルブフォルニアが宇宙船だというのは真実だ。俺がちょっと特殊な存在で、夜の街ディア・ノクトに閉じ込められているのも。姉が情報局の指示で、俺を監視・管理する役割であるということも。

 俺はそれを許せなかった。「自由になって」と言うくせに、俺以外の指示で俺を管理しようとしていたことが。彼女が俺の側にいたのは俺のためではなかった。彼女は俺を通して別の誰かを見ていた。俺は眼中にいなかった。紹介したばかりの友人をあっさり殺してしまえるほど。

 だから、俺は姉を殺した。押し倒して首に手を掛ける瞬間、心臓を抉ろうとするその時だけは、確かに彼女が俺を見ることを知っていたから。見開いた目が俺を映すその瞬間が快感であることは認めよう。

 しかし、いかなる偶然か姉が死んだと同時にエルドが戻ってきた。記憶こそ保持していたが少し変わった彼に導かれて、俺もまた少しずつ変わっていく。いつだってそうだったように。俺は親しい人にも自分の思い通りにならない部分があるということを、俺の知らない相手がいることの寂しさと理解しようとする時の痛みを知っている。

 今の俺は、姉に対して考えたことが間違っていると分かっている。どんな理由があれど、彼女を殺したことは正当化できない。あの快感を理解できる俺は危険な存在なのだろう。今回は作り話だったけれど、いつかルブフォルニア世界を壊す存在として恐れられても不思議ではない。

 だが、エルドも言っていた。

 

「だが、

 

 危険だからといって、それを恐れて閉じこもっていたいとは思えない。ディア・ノクトが俺の夢で、外には俺には想像もつかない世界が広がっていると知ったなら尚更。

 

「俺は、もっと色々なことが知りたいんだ。もっと色々なものが見てみたいんだ。ルブフォルニアが宇宙船? ならばその姿を知りたい。ルブフォルニアに集められた沢山の機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトのことを知りたい。この外に広がる宇宙を、いつか辿り着く豊葉ファラを見てみたい! それが後に何を意味するとしても、お前達に管理される理由にはならない。俺は、俺の好きなようにやらせてもらうよ」

 

 マチルダに俺は止められない。そう思っていた。俺が外に出たいと思えば、ここは全て偽物であり外に本物の世界があると確信できれば、部屋もディア・ノクトも瞬く間に崩れる。絶対に邪魔はできないし、させない。俺は勝利を確信していた。

 ——だから、油断していたのだろうか。

 

「全ての計画の破綻を確認。でも、貴方を逃すわけにはいきません」

 部屋が崩れて外が見えようとしたその瞬間、俺は背後から素手で心臓を掴まれていた。

 

 背中に覆い被さるのは、多分マチルダ。俺の心臓を愛撫する細い指、くすくすと笑う声が彼女だと確信させる。いつの間に近づいていたのか、俺がぺらぺら喋っている間も機会を伺っていたのに違いない。

 何という失態だ! 俺は何とか逃れようと足掻く。アルが焦った顔でマチルダを殺してくれた。が、同時に三本の腕が俺の心臓に取り縋る。三人、否、それ以上の数のマチルダが俺の四肢をもぎ取り、身体を押さえつけて動けないようにする。

 それでも諦めるわけにはいかない。部屋は完全に崩れ、白い壁が見える。もうちょっとで俺は俺の家以外の、ディア・ノクト以外の場所を知ることができる。

 しかし、マチルダが無慈悲にも囁いた。

 

「諦めなさい。貴方の部屋を作った場所は、貴方より私達の力が強く影響を受けるようになっています。神様を閉じ込め、万が一の時も出さないための特別な神殿。これは、

 

 自己紹介の時に言ったでしょう? 彼女は首を傾げる。

 

「私達情報局はあなたに仕えるもの。たとえ貴方が忘れてしまったとしても、全ては私達を導いてくれたを叶えるために」

 

 どういう意味だ。そう問い返す暇は残されていなかった。

 マチルダが俺の心臓を抉る。

 

「シン!」

 

 エルドが呼ぶ声が聞こえた気がしたが、定かではない。

 

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