S.17 「これはボクが隔離したファイルです」
——ファイルの読み込みを開始します。
——読み込みが完了しました。※ここからは隔離された内容です。
姉を自分が殺したという事実の衝撃が消えないまま、俺は無心でファイルの閲覧を続行した。アルが何か言った気がするが聞きとれない。ただ、「隔離された内容」の部分だけかろうじて聞きとり、何が仕込まれているのか警戒することには思い至った。エルドが消そうとしたファイルのひとつ。そのタイトルは「四. 記録:ルブフォルニアを壊すために」
"ルブフォルニアの真実を知った俺は、この偽物の世界を壊すことにした。"
そんな一文から始まるのは、姉を殺したことで歯止めが効かなくなった
男が書き殴った記録は支離滅裂で狂気に満ちていたが、思考は正常だった。彼は至極真面目にルブフォルニアを完膚なきまでに破壊する方法を考えていたらしい。爆弾を使うような初歩的な方法から、ルブフォルニア中の人と機械を操って破壊に導こうとする荒唐無稽な方法まで、様々な案を出してはひとつひとつ丁寧に考察している。
気がつくと、俺も記録の彼と一緒になってルブフォルニアを壊す方法を考えていた。爆弾は論外。何個必要か考えただけで気が遠くなるし、そもそもあまりにも非効率的だ。それよりも、宇宙船のシステムから破壊する方法を考えた方がいい。ルブフォルニアは未だ動いている。この宇宙船が一体いつ
(そういう意味では、彼が考えたルブフォルニア中の人と機械を操る方法は理に叶っている)
ちょっと残虐過ぎるし、一見荒唐無稽にも思えるが。しかし、多分俺にはできる。その確信がある。ディア・ノクトは俺を閉じ込める偽物の街だけれど、外側から姉やマチルダやリアが現れたようにルブフォルニアはここだけではない。俺を閉じ込めている檻の向こうでのうのうと生きている人は確かにいる。そして、彼らを使ってルブフォルニアを墜とすことは多分そう難しいことではない。
その確証を裏付けるように、この記録にはひとつ資料が添付されていた。
タイトルは「神を生成する罪:
「
故郷。ファイルで真実を知る度に何度もその場所について考えたけれど、声に出して言うのは躊躇われた。かつて俺達が生み出された場所。もう何ひとつ覚えていない、遠く追い出された星。そこに住む人間を滅ぼしかけたから、
その時、ずっと存在を忘れていたクジラロボットが俺の鼻先に浮かび上がる。
「あまり過度な期待はしないでくださいね、ご主人。これはボクが隔離したファイルです」
俺の興奮を感じたのだろう。アルは硬い声で警告した。
「エルドくんはこのファイルを消していませんが、削除されたファイルの添付資料ということで隔離対象と判断しました。どうか情報に惑わされず、自分の判断を信じて、冷静に閲覧してください」
「分かってるよ」
俺は目の前でぷかぷか浮かぶ邪魔なアルを傍にどけ、おざなりに返事をする。が、一応彼の忠告に従って心を落ち着けるべく深呼吸をした。自分が冷静であることを確認してから、資料の閲覧を再開する。ほんの少し残っている興奮を自覚したまま。
"
よって、まず我々は神の定義について考えた。"
このファイルは過去の俺によって書かれたものではない。が、俺と同じかそれ以上の興奮と陶酔を言葉の端々に感じる。
これもまた、狂気によって記されたものと言って良いだろう。かつて
彼らはまず、神を「人間の想像では到達し得ない存在」と定義した。だからこそ、今の方法では神を生成することができない。それは当然の帰結だった。
"魔法は想像と確信を絶対の条件とする。幾ら
神を人間の想像の範囲外にあると定義した以上、人間が魔法を用いて
ならば、どうすれば良いか。
"人間以外に——
かつて、魔素と魔力の存在を認知し魔法を体系化したのは人間だった。しかし、魔法は人間だけが使える力ではない。魔力を発生させることができる者、つまり心を持ち願いを抱くことができるモノは何であれ使える可能性がある。そして、この記録が書かれた当時、
記録の中の研究者は、そのプロジェクトの始動を興奮と共に綴る。
"このプロジェクトは成功の確率こそ高いが、長い時間を要するのは最初から明らかなことだった。沢山の
これは言うならば
"
「エルド・・・・・・?」
突然その名前が出てきたことに俺は驚いた。一瞬、ファイルの閲覧から意識が逸れる。エルドは無事だろうか。
「エルドくんなら無事ですよ」
はっと顔を上げる。いつの間にかアルが目の前に浮んで、俺の顔を覗き込んでいた。
「閉じ込められているのを
「そっか」
俺は安堵の息を吐き、再びファイルに視線を落とした。エルドが戻ってくる前に全部読んでしまいたい。彼ともう一度話すためにも。
"
そして、あるひとりの子供が誕生した時、それは起こった。"
その頃の豊葉はあちこちで戦乱が起きていたが、兵士は主に
しかし、歪だが人間にとって長閑な時代は突然終わりを告げた。
"子供は、初め何も特別なものなど持っていないように見えた。これまで研究所で生まれた沢山の
「まず、部屋の外に出たかった」
「ご主人?」
研究所にいた全ての
「次に、外に何があるのかを知りたかった」
「ご主人、何を言っているのですか?」
脱出に成功した
目指したのは、人間が日常を謳歌する安全地帯。何故なら、俺は——。
「人間を、その心を知りた」
「ご主人‼︎」
はっと顔を上げる。目の前には心配そうなアルがいた。
「ご主人、どうしたんですか?
ご主人が考えたことは記述内容と一致しますが、全て次の
俺は驚いた。画面を確認すると、子供が生まれた状況を説明するところで文章が終わっている。
しかし、研究所を脱出し、戦争を止め、人間がいる場所を目指した彼らの行動は予想外の展開を見せる。
「"
"彼らは、安全な場所でのうのうと生きる人間を殺した。その目的は定かではない。が、相手が嘆き、怒り、兵器を持ち出して反撃するとその様子を真剣に観察した。突然現れた兵士の姿の
この辺りの文章を読むに、
確かに、それまで少しもこっちを見なかった相手が、攻撃することで目を合わせてくれた快感は俺にも覚えがあった。首を絞め心臓を抉る瞬間は、誰もが最期に相手の顔を見ようとするのだ。理想を押し付けあたかも「それが正しい」と信じ込んでいる奴が、初めて「自分」を見た時の驚愕に満ちた表情。その瞬間の心地良さ。だが、
だって、勿体無いだろう。研究所を出て初めての外だ。初めての人間の街だ。見るもの全てが初めてならば、壊す前に知らなければ。住人に紛れ道中で集めた友達と手を繋いで歩けば、きっとディア・ノクトの探索と同じくらいかそれ以上に楽しい。悲嘆よりも歓喜を、憤怒の表情よりも笑顔を知らなければ勿体無いと思う。
一体どうして、過去の
「あれ? そもそもこの
最初の方は、研究所の人間が書いたものだった。だが、子供と
数々の謎を置き去りに、文書として記録された
"危うく壊滅の危機に瀕した人間は、侵攻の頭である子供を取り押さえることで何とか存続の危機を脱した。蒼い翼の天使は姿を消し、
「神に限りなく近づいた集団・・・・・・?」
俺は驚いた。研究所で数多の犠牲を払い進化を繰り返すことで生み出された
ただ、その集団は神と称されたが俺には劣るらしい。いつか夢が終わり、再び子供が現実を見ることを人間は恐れた。
"子供が目覚めた時、再び止められる状況ならまだ良い。問題は、彼を止めた集団も人間も
これは罪だ。犯してはならない罪を人間は犯した。だから彼らは罰を恐れ、その最初の原因たる
魔女の心臓を取り出して
しかし、俺達は目覚めた。既に
但し、次のファイルも隔離されている。
タイトルは「四(Ⅱ).記録:ルブフォルニア破壊計画」
この記録は「四.記録:ルブフォルニアを壊すために」の続きらしい。前のファイルが隔離されているので隔離は当然といえば当然だ。が、それ以前に不可解な点が幾つかある。最も大きな謎は、ファイル「四」は「三」と同じく過去の俺が書いた日記のようなものだったが、「四(Ⅱ)」は明らかに俺が書いたものではない注釈が入っていること。
"俺は以前、
例えばこの文章。カッコ内の視点が俺じゃないことも勿論変だが、そもそも忘れているとはいえルブフォルニアの破壊に燃え狂っている最中にこんなこと書くか?
明らかに作為的な文章に今後の展開を予測しながら、俺は黙々と読み進める。結局、過去の俺は
「なあ、そうなんだろう? マチルダ」
後ろを振り返る。いつの間にか、そこにはマチルダが立っていた。無表情のまま俺を見つめる彼女に、俺は挑戦的に嗤ってみせる。ファイルの最後の文章を読み上げた。
「"計画は実行寸前まできた。しかし、俺は情報局に捕まってしまった。それは奇しくも再び姉を殺した時だった。彼女を殺した時、同時に俺は思い出したのだ。ルブフォルニアで
なんて感動的な展開だ。俺は皮肉のように思う。俺は人間ではなくて、人間が「罪」と称した存在で、外に出たら大切だと思った人も無関係の人間も魔女もみんな壊してしまうから閉じ込めている。自ら望んで閉じこもっている。幸せな夢を見ながら。
確かにこれは有り得そうな展開で、よくできた物語だ。リアによって自分の正体を知り、己が姉を殺したことを知り、エルドに裏切られたと勘違いしたまま何の準備もなくこの文章を読んだら信じたかもしれない。再びルブフォルニアを壊すことを考え、しかし過去の出来事を知って無抵抗に閉じこもることを選択したかもしれない。
だが、俺はエルドを信じている。そして、側にはアルもいる。
だから笑った。確信を持って俺は言い放つ。
「このファイルも、さっきのお前とエルドの会話も、全部情報局の作り話でお芝居だ。そうだろう? マチルダ」
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