S.16 「エルドくんが何か削除していたようです」

 部屋に戻る。そう思うだけで、俺はあっさり俺の部屋に帰った。

 邪魔する者がいなければこんなものだ。正確には俺が部屋に移動したのではなく、俺を閉じ込めている空間がディア・ノクトの廃墟から俺の部屋に変化したらしい。エルドが俺に話したことを信じるならば。否、俺は多分彼が話す前からそれを知っていた。

 

(だから、とても簡単に信じられないことが妙に腑に落ちている)

 

 俺は息を吐いて部屋に並ぶ機械類を見る。故意か偶然か、俺は知った事実を全て忘れてしまった。だが、この部屋の機械達は覚えている。機械類は本物だ。嘘と幻想が作った世界でも、これらは俺が部屋を出る直前まで実際に使用していたものだから分かる。恐らく、ディア・ノクトに変化した時も普通に存在していたのだろう。隠されていた可能性は勿論、あの乱雑で常に変化する夜の街のことだ。偶々俺の部屋にある機械がどこかに転がっていたとしても特に驚かない。

 俺はモニタに近づいた。エルドがアルに連れられて現れるまで閲覧していた情報は消え、この部屋を脱出する直前に彼が送ってきた警告メッセージまで戻されている。画面に映し出された短い文章を指でなぞる。『危険が迫っている』エルドはそう言って俺に部屋からの脱出を促した。が、俺の部屋もディア・ノクトも同じ場所なら、あの脱出には一体何の意味があったんだ? 彼にはどんな危険が見えていたのか?

 その他様々な疑問を問い詰める必要があるが、今ここにエルドはいない。部屋にも彼がいないことが分かって心配が増したが、すぐにバグが見つけてくれるだろう。今は、俺は俺にできることをする。

 まずは、「報告することがある」と言ったアルの話を聞くべきだろうか。俺が浮遊するクジラロボットに視線を向けると、心得たようにアルは俺の正面に移動した。迷いも躊躇いも見せず、彼はその大きな口を開いて告げた。

 

「先程、ご主人とこの部屋で話していた時に、エルドくんが何かを削除していたようです」


 俺は驚く。削除していた? この機械達に残されていた情報データを? もしもそれが事実なら、それは立派な裏切り行為だ。例えそれが俺にとって不都合なもので、彼が善意から削除したのだとしても。俺は自分が忘れてしまったことを良いことも悪いこともひとつ残らず思い出したいと言い、エルドはそれに頷いたのだから。消しても良いかは俺が決める。

 だが、彼が「何かを消した」というだけで裏切り者だと決めつけるのは時期尚早だろう。この部屋の機械類は、確かに俺の失われた記憶を保存している。が、それを閲覧するように言ったのはエルドよりよっぽど信頼できないマチルダだ。彼女が何かを仕込んでいる可能性は大いにあり得る。

 アルもそれは理解し、既に対処しているらしい。彼は、エルドが削除した部分を復元したと話した。

 

「危険性を考慮し、また区別がつくようにエルドくんが削除した部分は隔離して表示しています。また、復元の過程で削除されていた部分の特徴を掴むことができたので、恐らく彼が削除しきれなかった部分も予測し合わせて隔離しています。正確率は九十八パーセントです」

「随分と自信のある数字だな」

「ボクはご主人のことを全て記録していますから!」

 

 矛盾していたら何となく分かると、笑顔のアル。俺も少し微笑み、意を決して椅子に座りモニタと向かい合った。エルドのメッセージが消え、情報データを格納したファイルが並ぶ。俺は一つ目の閲覧を開始した。

 

 *

 

 ——ファイルの読み込みを開始します。

 ——読み込みが完了しました。タイトルは「一.この世界について:前提」です。

 

 そのファイルは、開いた時点で凄く軽く、しかも途切れ途切れの情報でできていることが分かった。恐らくどこからかの引用。しかも大量に取り出せない場所から盗み出してきたものだと考えられる。

 アルが補足する。

 

「このファイルに消去された情報はありませんが、そもそも。散らかった情報を集めたのにしては妙に親切且つ厳重です。恐らくエルドくんはこのファイルを閲覧していないでしょう」

 

 俺は、彼の言葉を流し聞きながら情報データを読み進める。反応できなかったと言っても相違ない。そのくらい衝撃的な内容が残っていた。例えば、の構造と推進システム。

 

“ルブフォルニアとは、廃棄された宇宙船を流用したゴミ捨て場或いは埋立地である。”

 

 ルブフォルニアと呼ばれる宇宙船は、国と呼称するにはあまりにも小さくシンプルだ。それは当然であるといえる。宇宙船を作った人間——「豊葉ファラ」に住む人々は、彼らの故郷では破棄できないものを捨てるためにそれを用意した。どこにも辿り着かず永遠に宇宙を漂ってくれたら御の字。できることなら、とっととブラックホールにでも吸い込まれたら良いと思っていたのだろう。

 だが、そんなことは起きなかった。宇宙船ルブフォルニアは奇跡的にブラックホールに吸い込まれず、小惑星にもぶつからず、己の辿るべき軌道を見つけ廃棄物を乗せたまま我らが故郷「豊葉ファラ」に向かって確実に進んでいる。

 ルブフォルニアを宇宙に放った人間達は、当時この結果を誰も予想していなかったのだろう。しかし、俺はこの奇跡を起きて然るべき事実と認める。

 

(当然だ。ここでは、願いの叶う確率が豊葉ファラの比ではない)

 何せ、宇宙船に詰め込まれていたのはなのだから。

 

 ファイルの閲覧を続行する。ルブフォルニアの正体についての次は、そこに詰め込まれた廃棄物——俺達について示す幾つかの資料だ。この辺に触れる頃には、俺は忘れているはずの先の内容を何となく予測しながら読めるようになっていた。思い出しているというよりは、そう認識するように仕向けられていると思った方が良いだろう。このファイル名は「前提」。先に控える情報を正しいと理解させるための下準備だ。

 この先もそうなっていたら厄介だな。俺は思う。このファイルを纏めたのがマチルダなら、彼らはこの手の誘導に長けていると考えて間違いない。俺は一度深呼吸をする。今は氾濫する情報に混乱してはいけない。己の認識とアルを信じて正しいと考えられる部分だけ読み進めていく。

 

 “機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトは、かつて豊葉の歴史を動かしたとされる魔女を復活させるべく作成された魔法人形である。”


 作り方はとても簡単。かつて神や魔女、偉人と謳われた人々の像を彫り、そこに願いを込めるだけ。「今再び我らに力を貸してください」特別な材料と道具を用い、特別な儀式を行い、大勢の信者を集めて夢が確証に変わった時、魔法は成立し人形は神に変わる。

 人間は神の誕生をとても喜び、その数は瞬く間に増えた。が、ある日人間は全ての神の人形を捨てることにした。その理由は、機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトが人間を絶滅寸前まで追い込んだからだという。

 

「なんかこの辺はざっくりしているな。終わった話だからか」

 

 俺としては少し引っ掛かったが、気にせず先に進むことにした。この先の方が重要であることは間違いない。

 かくして機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトは破棄された。魔素量を極限まで減らした宇宙船に、神の人形を心臓の状態で詰め込んで。そこに願いはない。「神に顕現して欲しい」と祈る者は誰もいない。魔女は人形のまま、永遠に宇宙を漂うはずだった。

 しかし、彼らは目覚めた。機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトは目覚めるために作られたものだから。長い旅の間には他の心臓人形から僅かな魔素を集め、こびり付いた願いをかき集め起動した。己の心臓に刻まれた使命を果たすために。

 魔女達は次々と目覚め、ルブフォルニアは神様めいた力を持つ人々の国になった。小さな宇宙船は住人の想像のままにその内部面積を広げた。そこで暮らす彼らは最初に目覚めた者を指導者と讃え、の願いを叶えるべく宇宙船の進路を豊葉ファラに向けた。より魔素と願いがある故郷へ。

 

「神々の、楽園・・・・・・」

「そうも捉えられる文章ですね」

 

 アルが口を挟む。常に陽気な彼にしては固い口調。情報の渦に溺れそうな俺を繋ぎ止めるように、鋭い疑問を投げかける。

 

「では、その『楽園』でどうしてご主人はこの部屋に閉じ込められているのでしょうか?」

「それは、多分次のファイルに書いてある」

 

 俺は読み終わったファイルを閉じ、新たなファイルに指を滑らせた。そこには「三.記録:ルブフォルニア十五年目の真実」と書いてあった。

 

 *

 

 ——ファイルの読み込みを開始します。

 ——読み込みが完了しました。タイトルは「三.記録:ルブフォルニア十五年目の真実」です。

 

 ファイルの読み込み完了と同時に、アルの解説が挟まる。

 

「この記録は、ご主人自らが記述した日記ログのようなものだと思われます。比較的分かりやすいところにありましたが、エルドくんは殆ど触れていないようでしたので復元・隔離の必要はないと判断しました。因みに、『十五年目』はご主人がエルドくんと出会って十五年経ったことを意味するようです」

「それは分かってるよ」

 

 俺はアルの方を見ないまま答える。それは、解説を挟まなくても明確な事実だ。何せファイルの一行目に書いてある。だが、書いてなかったとしても俺は「分かってるよ」と答えただろう。俺にとってエルドと出会ったことは、現在まで俺の全てに関与してきたと自覚している。俺はエルドと出会ったことを詳細に、最も特別なことだというように記す文書の序文に大きな共感を抱きながら読み進めた。

 

 “エルドと出会う前の俺は虚ろな存在だった。家に姉はいたと思うが、彼女は俺と距離をとって淡々と接し、俺も姉を「自分ではないもの」と認識するのに留まった。あの頃の俺が求めていたのは平穏だけだった。廃墟の街ディア・ノクトは否応なく俺の心をざわつかせたが、すぐに暴れ出す好奇心を抑えるのには良い場所といえた。夜は静かだ。誰もいない。何もないが故に何も起きない。誰にも恐れられず、誰を害することも害されることもない。俺は「自分」すら曖昧なまま廃墟を彷徨った。それが何年続いたかすら定かではない。

 変わらない夜。だが、ある日エルドを見つけた! あの時の感動はとても忘れられない。彼は俺を知らなかった。近付こうとも思っていなかった。だから俺も知らなかった。俺は。彼をモデルに、俺は「自分」を定義した。ディア・ノクトをエルドと探索する「シン」はここから始まった。だから、何を記録するにしても年数はエルドと出会った日を基準にするのが適当である。” 

 

 エルドと出会ってすぐは、とても幸福な日々が続いた。俺はそう記憶している。廃墟を歩き回るのが一人ではなく二人になっただけでなんと変化に富むものか。俺はもちろんエルドも変わった。感情に乏しかった彼は、いつしか賢く陽気で明るい少年になった。不思議なことに、家で待っている姉にも変化があった。同じ家にいながらお互い関わることがほとんどなかった彼女は、俺の優しい唯一の家族になった。

 だが、エルドを姉と引き合わせた翌日、それまでの日常は唐突に崩れた。文書の内容はエルドと出会って十五年目——つまり、エルドが俺の前から姿を消して二年後——、俺が姉の死体を見つける直前まで進む。ここからが本編だ。

 

 “エルドがいなくなってから、俺は連日彼を探し続けた。その過程で、俺はルブフォルニアの国政全体を司る情報局のデータベースに侵入することに成功した。そこには多数の驚くべき事実が記載されていた。ルブフォルニアの正体が小さな宇宙船であること。そこに暮らす住人の、俺の正体。姉と暮らす部屋があるマンションもディア・ノクトも現実には存在せず、俺はただ小さな部屋に閉じ込められているだけだということ。何より衝撃的だったのは、姉である睡蓮スイレンということだった。”

 

 本編に入っても既知の情報ばかりでさくさく読み飛ばしていた俺は、唐突な新情報に思わず読む手を止めた。情報局といえばマチルダが所属していると名乗った組織だ。まさか、マチルダと姉が協力関係にあったとは。

 俺は酷く混乱している。が、それは過去の俺も同じだろう。戸惑いながらも、は姉について様々な情報を収集している。彼女がかつて豊葉ファラの大陸を統一した女王をモチーフとした、未来を見通す能力を持つ機械仕掛けの魔女ウィッチクラフトであるということ。彼女はその能力で「ルブフォルニアにとって最悪な未来」を回避するために俺を監視・管理していたこと。これらの事実から、過去の俺はエルドの失踪について姉が何か知っているのではないかという結論を得た。もし彼女が俺を監視していたのなら、エルドのこともきっと監視していただろうと思ったから。

 まずは、姉に直接聞くべきだろう。彼女への疑いを晴らすためにも、姉自身の口から真相を話してもらった方が良い。同じことを、過去の姉も考えたようだった。

 だが、それは叶わなかった。

 

 “最近、姉は部屋に籠りがちだ。俺がエルドの行方を追っている時、同時に彼女も何かを探しているらしい。誰かと連絡を取っている様子も伺える。しかし、俺には何も話してくれない。ただ「貴方は自由になって」と言い続ける。まるで昔に戻ったみたいだ。

 俺は、仕方がないので姉の部屋にある端末に侵入することにした。姉は懐古趣味的なところがあり、端末に打ち込むよりも紙に筆で書くことを好む。だから大した情報はないかもしれないが、俺の知らない誰かとのメッセージのやり取りくらいは残っているかもしれない。姉が俺に隠していることの断片的な情報でも得られれば御の字。そう思っていた。

 だが、驚くことにそこには沢山の情報が残っていた。それらは全て番号が振られ、「報告書」という名前でファイリングされていた。”

 

 報告書。姉が、俺の監視者として俺の知らない誰かに「報告」するための文書。それだけで嫌な予感がする。俺は続きを読むことを躊躇った。

 だが、そういうわけにはいかない。俺はひとつ息を吐き、意を決して続きを読んだ。そこには現在の俺と同じように躊躇いながら、しかし振り返ることなく先へ進んだ男が得た真実が記されていた。

 

 “姉は確かに俺の監視役だった。彼女は俺の行動を逐一見張り、事細かに報告書に記述していた。姉の仕事はそれだけではない。彼女は、情報局が行う実験にも協力していた。俺は実験について何も覚えていないが、そもそも昔の記憶が所々飛んでいるのはこの実験が原因である可能性が高い。”

 

 実験については、現在の俺も初耳だった。そもそも、過去の俺も昔の記憶が所々飛んでいるということに驚くべきだろう。だが、それらは今気にすることではない。

 

 “姉は、俺を監視する過程でエルドの存在を知った。特異な事例である「監視対象の友人」について彼女は情報局に指示を仰いだ。彼らは姉にエルドを処分するように命じた。姉は監視対象を使ってエルドを呼び出し、彼と少し話をした後隙を見て殺した。”

「姉さんが、エルドを殺した・・・・・・」

 

 俺は思わず声に出して呟いた。俄には信じられない話である。しかし、姉がエルドを殺したことは間違いない。その証拠に、過去の俺は様々なものを端末に残している。姉が書いたエルドについての詳細な報告書。姉と情報局のやりとりがあったことを示す、メッセージのスクリーンショット。そして、エルドを確実に殺したことを報告する終了報告書。

 だが、たとえこれらの証拠がなくても俺は姉がエルドを殺したことを信じただろう。だってそれは現在の俺も覚えている。姉がエルドを殺したことを知った衝撃。怒り。その衝動のままに俺が姉を殺したことも。

 

 “俺は姉を殺さなければならない。。”

 

 ファイルに記録された文書ログはそこで終わっている。

 

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