S.15 「オレは、いつまでシンの友達でいたらいいんだ」

 突然、部屋の床に開いた穴にエルドが落ちた。

 俺は驚いたが、そう不思議なことではないと気づいた。エルドは、この世界が作り物であると言った。現実を模倣しながらも、誰かの願いや望みによって刻々と変化し続ける世界。今は「俺の部屋」の状態を保っているこの空間も、願いひとつで如何様にも変化するしどんな現象も起きる。

 問題は、「エルドが穴に落ちる」のが俺の願いではないということだ。俺はまだエルドと話したかった。彼が弄っていた機械、殺されても奇跡的に記憶が残ったままだったというエルドが今まで何をしていたのかもっと聞きたかった。少なくとも、俺は彼が今いなくなることを望んではいない。

 では、エルドの望みだろうか。彼が何かを危惧して俺から離れたのだろうか。しかし、エルドは穴に落ちる直前「まずい、バレた」と言った。何が誰にバレたのかは分からないが、少なくとも彼の意思に反することが起きたのは確かだろう。

 よって、エルドを穴に落としたのは彼と違う意思・考えを持つ人物と考えて間違いないだろう。それは、恐らく俺にとっても敵。マチルダや彼女の仲間と考えるのが妥当だ。彼女達も俺に俺の部屋に残る真実を見せようと考えていたらしいのに、何故ディア・ノクトの正体や過去に起き俺が忘れた事実を話してくれたエルドを俺から離そうとするのかは謎だが。エルドが少しだけ教えてくれた、彼とマチルダの「勝負」に関係があるのだろうか。

 

「色々気になるけど、あまり考えている時間はないな」

 

 俺は呟いて思考を中断する。何にせよ、エルドが敵のいる場所に移動したのならまずい。最悪彼が殺される可能性もある。まだ聞きたいことがあるのに、今度こそ記憶が消えて全部忘れてしまったら困る。すぐに見つけて救出しなければ。

 俺はいそいそとエルドを探そうとして、彼が落ちた穴が未だ開いたままであることに気づいた。

 

「もしかして、俺も誘われている?」

 

 罠かもしれない。エルドがいる場所に繋がっていない可能性もある。

 だが、俺はすぐに穴に飛び込む覚悟を決めた。迷っている暇はない。こんなの、どうせ誰かが突貫工事で開けた穴だ。もしエルドがいる場所に繋がっていなくても、俺が望むように捻じ曲げてしまえばいい。

 念には念を入れて、俺はアルに同行を頼む。彼がいれば、大抵の想定外はどうにかなるだろう。俺は機械のクジラに、一番大事なことを願った。

 

「穴の向こうで何が起きていても、どんなことが待ち構えていようとも、お前は絶対に真実だけを記録してくれよ」

「もちろんです! ボクはそのための『クジラのアル』ですから!」

 

 頼もしくも元気な返事に少し微笑んで、俺は穴に飛び込んだ。

 大事な親友の無事を願いながら。

 

 *

 

 穴の向こうは夜だった。見慣れた廃墟が広がっている。ここはディア・ノクトだ。

 薄暗い闇の中、目を凝らして周囲を探る。倒壊した建物や瓦礫に囲まれて視界はかなり悪い。自分達以外に人の気配もない。それでも、どこかにはエルドがいるはず。

 

「それとも、まさか遠くに離された?」

 

 ほんの一瞬嫌な予感が頭を過ぎる。俺は一度足を止め、深呼吸をして気を引き締めた。どちらにせよ、やることは全く変わらない。エルドを探すために、俺は罠を承知で穴に飛び込んだのだ。

 こうなったら、バグを集めて数で押すか。俺は指示を出そうとする。

 

「あ。ご主人、あれを」

 

 アルの声を聞いて俺は勢いよく顔を上げる。エルドを見つけたのか! クジラの言葉は最後まで聞かず慌てて周囲を確認すると、少し離れているがちょうど開けた場所にエルドのオレンジ色の髪が見えた。俺は安堵して彼がいる場所に近付こうとする。

 

「おーい! 大丈夫か、エル」

 

 佇んだまま動かない友人の名前を呼ぼうとして、俺は思わず声も足も止めた。エルドの正面に立つ栗毛の女性。彼は、あろうことかマチルダと話しているようだった。

 見覚えのある光景だ。姉の鏡が映した未来予知の通りに、エルドとマチルダが向かい合って話し込んでいる。マチルダが俺に気づいて、ちらりと視線を寄越した。俺は一歩も動けない。二人の会話だけがはっきりと聞こえてくる。

 

「いつまでこんなことを続けるつもりだ?」

 

 エルドが問いかける。マチルダが微笑んだ。

 

「もちろん、全部元に戻るまでですよ」

「それで破綻したらもう一度やり直す、と?」

「それが、私達の役割ですから。神様が望んだように、正しく穏やかに存在できるようにするのが私達の使命です。いつか【豊葉ファラ】に帰る日まで」

 

 そこで、今までやけに鮮明だった会話が急にノイズっぽくなった。が、俺はあまり気にしなかった。

 それよりも【豊葉ファラ】という言葉が引っかかった。昔聞いたことがあるように思う。もしかしたら、失った記憶と関係があるのだろうか。

 その時、エルドが衝撃的なことを言った。

 

「オレは、いつまでシンの友達でいたらいいんだ」


「エルド・・・・・・?」

 俺は目を見開く。少し離れているせいか妙に篭って聞こえたが、確かにエルドの声だった。はっきりとそう聞き取れた。俺は動揺する。とても彼の言葉を信じることができなかった。

 エルドがマチルダから視線を逸らす。マチルダが嘲るように笑う。口を開いた。

 

「ご安心ください。今回の計画が成功すれば、暫く想定外のことは起きないでしょう。私達の神様はお優しい方ですから、自ら部屋に閉じこもることを選択するはずです。貴方が彼と友達ごっこをするのももう暫くのことですよ」

 

 マチルダが微笑みを深くする。俺が呆然としている内に、二人は揃ってどこかへ消えた。

 俺は動揺しながらも己に言い聞かせる。

 

「エルドを、探さないと」

 

 まずはそれが必要だ。消えたエルドを見つけて問い詰めなければならない。彼はマチルダの仲間なのか。何もかも知っていて、俺を騙すために隠していたのか。「友達になりたい」と言ったのは嘘なのか。

 本当にエルドは、今まで俺と「友達ごっこ」をしていただけなのか?

 

「待ってください」

 

 とにかく駆け出そうとした俺を止めたのは、アルだった。

 

「ご主人は動揺しています。少し落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか! それとも、あれは嘘だというのか?」

 

 俺は期待を込めてアルを見る。が、彼は首を振った。

 

「いいえ、あの自体は本物です。しかし、幾つかの違和感は散見されます。ボクが精査しますので、ご主人は落ち着ける場所に——元の部屋に戻ることを推奨します。少なくとも今、

 

 アルの金属アームが俺を掴む。彼はいつになく真面目な声で言った。

 

「ご主人の部屋にも、まだ謎が残されていますよね? ボクも先程の映像とは別に報告することがあります。あまり朗報とは言えないかもしれませんが・・・・・・」

 

 クジラのいつもハキハキとした声が迷うようにこもる。そのことに疑問を感じるよりも先に彼が言葉を続けた。

 

「とにかく、ご主人は一度落ち着くべきです。それから一緒に考えましょう! 大丈夫、ボクは全部覚えています。全ての真実を探します。ご主人が信じるものを信じられるように」

「俺が、信じるもの・・・・・・」

 

 その言葉で、思い出したことがあった。俺の部屋でエルドと交わした会話。

 彼は言った。俺は、これからとても自分でも信じられないもの目の当たりにするだろうと。怖い思いをしたり、エルドを疑うしかない状況に陥ったりもするだろうと。その上で、エルドは俺に問い掛けた。『オマエはオレを信じられるか?』

 俺は答えた。すぐに。しかしちゃんと考えて、はっきりと。

 

『俺はエルドを信じるよ』

 

 ふっと、俺は息を吐いた。金属アームで俺の肩をがっしりと掴んでいるアルを見た。

 

「確かに、少し焦り過ぎたな」

 

 俺は数匹のバグにエルドを探すように指示する。どちらにせよ、彼ともう一度話す必要がある。居場所と生存の確認は重要だ。もちろん、見つけたら捕まえるように言うのも忘れない。バグは小さくて弱いが、エルドを見つけたら勝手に沢山集まってどうにかするだろう。何百、何千というバグに担がれて空を移動する彼を想像するとちょっと笑えた。アルと会話している内に、どうやら俺も大分冷静さを取り戻してきたらしい。

 飛んでいくバグを見送って、俺はそのまま空を見上げる。昇る朝陽、湧き出る霧。俺はもうこれが偽物であることを知っている。俺が少し望むだけで、太陽の動きは逆転し霧は一瞬で消え去るだろう。本当は、いつでも探索できるディア・ノクト。それでも、俺は自分の意思で「家に帰ろう」と言った。

 

「俺の部屋に真実が残っているなら、それを自分の目で確かめにいこう。それからもう一度エルドを捕まえてやる。今度はバグベッドの刑だ」

 

 エルドとマチルダの会話は気になる。すぐにでもどういうことか説明を求めたいのは山々だが、改めて考えると確かに違和感は多い。。まずはアルに任せておくべきだろう。

 その間、俺は俺にできることをするべきだ。中途半端に放置されている部屋には何が隠されているのか。それが過去の俺が忘れたいと思ったくらい怖いものでも、世界をひっくり返すようなものでも、俺は確かめにいく。信じるべきものを信じるために。

 

 ——願わくば、「信じる」と告げた選択が正しいものであるように。

 

 俺はアルのアームを掴む。瞬間、廃墟は崩れ俺は自分の部屋に立っていた。 

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