S.14 「俺はエルドを信じるよ」
窓の外には、アルに捕まってぶら下げられているエルド。それを見て、思わず腹を抱えて大笑いしてしまった俺に気づいた彼がむくれる。
「おいシン! 笑ってないでとっととオレを降ろさせろ!」
「ごめんごめん。ほらアル、エルドを部屋に降ろしてお前も入ってきてくれ。何も言わずに移動したのに、ここまで連れてきてくれてありがとう」
窓を開けながらアルに呼びかける。彼はアームを伸ばしてエルドを部屋の床に降ろすと、自身も滑らかな動きで中に入った。俺のすぐ目の前で止まり、えっへんというように胸を逸らして見せる。
「当然のことです! ボクは世界のどこにいてもご主人を見つけますし、ずっと記憶し続けますから!」
頼もしい返事に笑みが零れる。その時、不意にエルドが声を上げた。
「てか、オマエ家に帰っていたのか? 帰れないって言ってなかったっけ」
ああ、そういえば彼にはどうしても家に帰れない話をしたような気がする。突然帰宅できたことを不思議に思うのは当然だろう。俺は説明を試みた。
「アルを作った後、マチルダって奴が現れたんだ。多分敵だけど、家まで送ってくれるって言うからついて行ったら本当に帰れた」
「マチルダ・・・・・・」
何やら複雑な表情で押し黙ったエルドに、俺はリアと会ってからの一部始終を話した。彼はリアと戦った時、俺を助けてくれたからその辺りのことは知っていると思う。だが、色々と説明するのに都合が良かったので順を追って全部喋ることにした。初めて喧嘩したことや、姉の鏡にエルドとマチルダが映ったことについて反応を見たかったのもある。
結局、彼はマチルダの名前を聞いて僅かに嫌そうな顔をしただけで、彼女と話す未来を見たことについては何の反応も示さなかった。喧嘩についても然り。だが、俺はそれでは困るのだ。黙って考え込むより、俺はエルドと話したくてアルに彼を探させたのだから。
ただ、その前に解決するべきことがあった。突然画面が消えたモニタ。敵——もといマチルダがどこからか画面を操作して見れなくした可能性が真っ先に思いつくが、あいつは俺をここに連れてきて忘れたことを思い出させようとした。自分が仕組んだことを自分で阻止するとは考えられない。そうなると謎は深まるばかりだ。が、幸いにも俺はもう一つ別の可能性を思いついていた。ふよふよと宙を漂うアルに声をかける。
「アル、
アルはぴたっと停止すると、俺の目の前に来て元気良く答えた。
「問題ありません! ご主人の命令通り、見掛けた
「へっ?
エルドが驚いた声を出す。彼は
アルが大きな口から捕まえた
「なるほど、監視カメラか。そりゃ自由にさせとくのも気分悪いな。でも壊したらさらに増えるとか敵が来るとか厄介なことが起きたら困るから、動けないようにして集めさせていたと」
「うん、大体そんな感じ。でも集めるのは集めるのでちょっと問題だったかもしれない」
俺は頷き、
「どういう意味だ?」
「マチルダ達が操作しなくても、こいつらが自動で俺を邪魔する可能性もあったなって」
俺は部屋のモニタが突然消えた理由を考えていた。マチルダがしたとは考えられない。もうひとつ可能性はあるが、それはあり得ないと思う。ならば残る原因として挙げられるのは、アルが体内に入れて持ってきた
俺の仮説を聞いたエルドは「なるほどな・・・・・・」と呟いたきり固まった。何か考えているようで口を開いたり閉じたりしている。俺はエルドの様子を一瞬不思議に思ったが、構わず話を続けた。
「まあ、この
元々その予定だった俺は気軽に言う。が、エルドは目を剥いて驚いた。
「そんなことするつもりだったのか⁈ この数を?」
「多いのは多いけど、千匹以上は覚悟してたし大した数じゃないよ。俺の邪魔をしないようにするだけで、べつにアルを量産するわけじゃないしな」
アルという言葉に、エルドがすぐ横を飛んでいるクジラに目を向ける。「何ですか?」と笑うアルを指さして叫んだ。
「こいつ
エルドが悶絶する。指を差されたアルが、アームで彼の手を叩いたのだ。アルはぷりぷり怒った声で言う。
「失礼ですね! ボクは確かに
「シンが、望んだから……」
ぽつりと呟いたエルドは、俺の方を見た。エメラルドグリーンの瞳が真面目な色を帯びる。
「シンは何を望んで、クジラの形のロボットなんか作ったんだ?」
エルドにしては低い声。彼に釣られて、答える俺の声も低く鋭くなる。
「もう、何も忘れたくないから」
忘れたくないから、護ってくれるクジラが良かった。良いことも悪いことも覚えておきたかったから、アルに永遠の記録を頼んだ。戦うよりも護ることに特化したクジラに、今の俺の全てを。
小さく息を呑む音が聞こえた。エルドを見ると、彼の強い視線とぶつかる。何か驚いているのか、考えているのか。じっとエルドから視線を動かさないまま、俺は話した。
「なあ、エルド。俺は多分、色々なことを忘れているんだろう? それはきっと、俺が忘れたいと思ったから。姉さんのことも、ディア・ノクトのことも。俺にとって忘れたい程嫌なことがあって、本当に忘れてしまったから何も思い出せないんだろう?」
未だ思い出せなくとも、何となく嫌な予感はしているのだ。時々飛来する記憶の断片のようなもの。恐怖。躊躇。嫌悪。悲哀。肉を抉り、骨を砕き、心臓を直に指で撫でるおぞましい感触。リアの心臓を掴んだのが初めてではなかった。俺は、あの時彼女と誰を重ねた?
忘れたものを、俺は思い出すべきではないのかもしれない。そう思った時、俺と同じ思考に行き着いたかもしれない人のことを考えた。俺の友達。友達になりたい人。
「エルドが俺に色々教えてくれないのは、俺が嫌なことを思い出さないようにするためだろう? お前は優しいから、俺が忘れたことを思い出さないまま良い方向へ行くように導いてくれているんだろう?」
敵の思惑に嵌まらないように、危険な時は警告してくれる。俺が家に帰れず四苦八苦して、ディア・ノクトをふらふらと歩き回っている時も、きっと裏で忙しなく動いていた。エルドはそういうやつだ。見えないところで苦労して、他人には頑張っている姿を見せない。そういう格好の付け方をするやつなのだ。
だが、俺は忘れたままで良いとは思わない。
「俺は思い出したい。良いことも嫌なことも。思い出して、今度はちゃんと全部覚えておきたい。全部知りたい。だからアルを作った。エルドが知っている俺が忘れてしまったことも、ひとつ残らず教えてほしいと思っている」
それがエルドの優しさを踏み躙ることになったとしても。俺は守られるより、彼と対等に立ちたいと思っているから。
「エルド、教えてくれないか。お前が知っていることを全部。俺にとって良くないことでも構わない。お互いちゃんと話さないか。俺はお前と『本当の友達』になりたい」
結局、俺が望んでいるのはそれだけだった。エルドと友達になりたい。俺だけじゃなくて彼にも、友達だと思ってほしい。俺の望みにお前が従うのではなくて、お前の指示に俺が意味も分からないまま従うのでもなくて、対等な存在として隣に立ちたい。また一緒に、面白いものや楽しいものを探したい。それが叶うなら、どんなに辛い事実が俺を襲ったとしても耐えられるから。
エルドは、意表を突かれたというように大きく目を見開いて俺を見た。躊躇いがちに口を開き、閉じ。それを何度か繰り返してから、自嘲するように呟いた。
「オレはそんなに優しいヤツじゃないよ、シン」
エルドが壁にもたれる。全身の力を抜いた彼に「オマエも気負わず聞け」と言われている気がして、話に集中したいのを堪えて机に散らばった
ちらりと視線を寄越したエルドは、俺の様子を見て僅かに口角を上げた。彼は何もない宙に顔を向け、独り言のように話し始めた。
「本当は、オレもオマエにちゃんと話すべきじゃないかと思っていた。つまらない意地と恐れなんか無視するべきだった。マチルダがオマエを恐れ危険視するのなら、それに刃向かうオレはもっとオマエを信じるべきなんだ」
オマエは、破壊をもたらす孤独な神様ではなく、ただ普通の少年になれるのだと。
俺は思わず摘んでいた
「俺は一体何なんだ、エルド」
頭の中で何度も繰り返した疑問をエルドにぶつける。彼は一度目を閉じ、開いて、鋭い眼光をオレに向けた。
「その前にひとつ聞かせてくれないか?」
「何だよ?」
「これからオレが話すことは、シンには到底信じられないことばかりだと思う。もしかしたら、今までオマエが思っていた世界そのものが全部覆されるかもしれない。多分、シンはこれからオレも想像できないほど怖い思いをするだろう。オレを疑うしかない状況に陥る可能性もある。それでも、オマエはオレを信じられるか?」
何を今更。
「信じる」
俺は即答する。真面目な顔のエルドを見て、少し考えて言葉を繰り返した。
「俺はエルドを信じるよ。お前を疑うしかない状況なんて、そんなのもう今更だろ。真実が怖いとか辛いとかはとっくに覚悟している。それより何も知らない方が嫌だ。だから、下手な嘘や隠しごとをしないで全部教えてくれ」
それが、友達っていうものなんだろう?
エルドはぽかんと口を開いて固まり、次の瞬間満面の笑顔で快哉を叫んだ。
「よっしゃー! オレの勝ち! 多分!」
「勝ち⁇ 何の話だ?」
突然テンションが上がったエルドに俺は戸惑う。お構いなしに彼は俺の肩を組み、とても嬉しそうに笑った。
「マチルダとの勝負に勝ったんだ! オレが勝手に対抗しているだけだがな。まだ確定じゃないけど、多分大丈夫だ。オレもシンを信じてる。やっとオマエを外に出してやれるよ」
「外って、ディア・ノクトの外ということか?」
混乱しながらも問うと、エルドは「ああ」と答えて肩に回していた腕をほどいた。座っている俺と視線を合わせてしゃがみ、改めて正面で向き直る。
「最初に言っておくと、ディア・ノクトは街じゃない。オマエの家があるマンションは存在しない。どちらも場所的には全く変わらない。コンマ0秒で変化する幻想。全部オマエを閉じ込める檻の中に、シン自身が作った虚構の世界だ」
「虚構の、世界?」
俺は首を傾げた。最初から意味が分からない。が、エルドはそこまで詳しく説明する気はないらしい。ただ「そう理解しろ」と言う。或いは「そう信じろ」というように言葉を重ねる。
「オレはオマエの想像を補強するために、この世界をより深く広くするために存在していた。最初は違ったのかもしれないが、今のオレはそう認識している。オレはエルドとしてシンと遊ぶ『ディア・ノクト』をより面白い場所にするのが楽しくて、でもそれすらも奴らの思惑の内だったんだ」
エルドは嫌そうに言い、しかし彼は「だが」と言葉を続けた。
「だが、それはもしかしたらシンの願いでもあったのかもしれない。幸せな夜に留まること。外では決して許されない『普通の少年』として遊ぶこと。オマエがそれを望むのは当然だ。全部普通で当たり前のことだ。シンがどんなに特別でも、オマエはただのひとりの少年なんだから」
エルドは断言する。彼はそれが一番大切なことだというように、一言一言はっきりと区切って言った。
エルドが言うのならそうなのだろう。俺は他人事のように思う。俺の「願い」とか「特別」とかはよく分からないけれど。きっとちゃんと覚えておくべきことなのだろうと考える。
だが、同時に「それだけではない」と感じた。何が「それだけではない」のか。エルドとディア・ノクトで子供のように遊ぶことか。或いは、そもそもディア・ノクトにいる状態を維持し続けていることか。とにかくそこには「願い」だけではない、底知れぬ恐怖が存在している気がした。しかも、決して暴いてはいけない類の。
「シンが楽しい場所で遊んでいたいと思うのは当然だ。オレもずっとオマエと冒険できたらいいと思う。だが、それはこんな偽物の世界じゃなくても良いはずだ」
エルドは話を続ける。俺も一旦開けてはいけない箱から視線を逸らし、彼の話を聞くことに集中することにした。
「オレはシンとディア・ノクトの外に出たい。オマエも、今はもっと色々な場所を見てみたいと思っているんだろう?」
言われて、俺ははっと目を見開いた。それはほんの少し前、ディア・ノクトを歩きながらリアと話したことだった。
『「終わらない夜をずっと」は嫌だな』
あの時、俺はリアにそう語った。ディア・ノクトが偽物の世界だなんてちっとも考えていなかったけれど。エルドと一緒に夜を抜け出してみたかった。ディア・ノクトだけではなく、もっと色々な場所で色々なものを見てみたいと思った。
俺の考えていることが伝わったのだろうか。エルドがにっと口角を上げた。
「な、オマエはもうディア・ノクトだけじゃ嫌なんだろ? シンの好奇心は筋金入りだ。簡単に閉じ込められるものじゃない。だから、睡蓮さんもオマエを外に出そうとしたんだろう」
「そうだ、エルド。前にお前が言ったんだ。『今シンの周りで起きている状況は、半分くらいは睡蓮さんが計画して起こしたことだ』って」
エルドと再会した直後、彼がそう言ったことを覚えている。あの時は全く訳が分からなかったが、今なら多少理解できる。姉は俺を自由にしたかったのだとエルドは語った。彼女は、ディア・ノクトから俺を自由にしたかったのだ。
エルドは神妙に頷いた。彼は姉の計画を話す。
「睡蓮さんは、どういう方法を用いたのかまでは知らないがシンにディア・ノクトの真実を教えた。シンの全部を肯定するオレを殺して、オマエの『願い』によって強度を増すディア・ノクトの存在を揺るがした。そうやって着々と計画を進めていたが、自由にしたいと思っていた
「違う・・・・・・」
俺は呟いた。まだ、ちゃんと思い出したわけではない。ただ、違うと思った。マチルダやリアがそう告げたように、俺はエルドに聞かされる前からディア・ノクトの真実を知っていた。だが、姉に教わったわけではない。俺は、自分でそれを見つけたのだ。
——脳裏に過ぎる光景がある。
それは記憶。俺はエルドを探していた。彼が行方不明になったと思っていたから、大切な親友を見つけるためにあらゆる手を尽くした。毎日のようにディア・ノクトを探し歩いたのはもちろんのこと、少しでも情報を得ようと様々なデータを漁った。
そして、俺は文字通り機密に触れたのだ。俺にだけ隠されていた世界の真実。同時に、エルドが姉によって殺されたことも知った。姉の正体と親友を殺されたこと、どちらも俺には許し難いことだった。
だから、俺は俺の「姉」としてそこにいた女を。
「だがひとつ、誰もが想定外の奇跡が起きた」
エルドは語り続ける。彼に俺の小さな反論は届いていない。ただ熱に浮かされたように、ひたすら手を動かしながら話す。その時、俺は初めて彼が手元でなにか機械を弄っていることに気づいた。
「睡蓮さんによって殺されたはずのオレの記憶が残っていたことだ。オレ達は人間ではない。心臓が存在する限り何度でも甦る。だが、躰が滅びるたび記憶はリセットされる。そのはずが、何故かオレは全部覚えていた。シンと一緒にディア・ノクトを探索したことも、睡蓮さんに殺されたことも。全部覚えたまま再びディア・ノクトに立っていたんだ」
それは、誰の願いだったのか。
俺はエルドの手元を覗き込もうとした。彼が何か機械を操作しているのは確かだった。小さなモニタを赤い文字が大量に流れているのが見えた。
その時、俺達の周囲を浮遊していたアルが唐突に口を開いた。
「何を消しているんですか、エルドくん?」
「えっ?」
エルドがびくりと肩を震わせる。彼が何か言おうと口を開いた時、そのすぐ真下に穴が開いた。
「まずい、バレた」
「エルド‼︎」
悔しそうな、どこか縋るような表情。
俺の叫びも虚しく、エルドはどこかへ落下していった。
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