S.13「あなたは、それを知っていた」

 マチルダについていったら、何度試しても辿り着くことができなかった家にあっさり帰ることができた。

 相変わらず、ディア・ノクトから自宅があるマンションに至る道はいまいち良く分からない。だがそもそもディア・ノクトの道は毎日変わるし、今までも家からディア・ノクトに移動する時に歩いた記憶がない。恐らく普段俺が魔法陣を使って行き来するように、マチルダが何らかの手法を用いたのだと思う。詳細は分からないけれど。

 ただ、俺は彼女の後ろを歩き、僅かに陽の光が漏れ出る路地へ一本曲がっただけだった。それだけで道の先は見慣れた家の扉になり、ついでにマチルダが二人消えて一人になった。

 マンションだから、角部屋だけど左か右には他の扉が続いているはず。だが、陰になっているのか廊下の向こうには何も見えなかった。視界に映るのは、俺と姉が住んでいる部屋のノブがひとつ。それだけ不思議と輝いて見える。誘われている。が、躊躇う必要はない。ここに帰るために来たのだから。鍵が掛かっていない扉を、俺は勢いよく開けた。

 

「ただいま」

 

 返事がないと分かっていながら、玄関で小さく囁いて。「お帰りなさい」マチルダの揶揄うような返事は無視。

 いつぶりに帰ってきたのだろう。既に懐かしいと感じる室内を歩く。玄関から続く、狭い廊下の傍に控える浴室の扉。その先にはリビングダイニングとキッチンがある。姉と何度も過ごした思い出の場所だが、彼女がいないせいか以前よりがらんとして見えた。耳が痛いほどの無音。冷えきった空気が広がる部屋が自分のものではないように感じるのは、

 リビングダイニングの向こうには、俺と姉の部屋がそれぞれ隣り合って並ぶ。姉の部屋は置いて、先に自分の部屋に入った。無駄に緊張している自覚はある。少し心を落ち着けたかった。

 少しの間帰っていなくても、やはり自分の部屋は見慣れたものだ。遠くに霧に包まれたディア・ノクトが見える、あまり陽光は差し込まない窓。ベッド。モニタと細々としたものが満載した机。椅子。ディア・ノクトの探索結果や魔法陣の試作がいっぱい貼られた壁。床にもディア・ノクトで見つけた貴重な成果物である紙の書籍や旧い魔法陣や呪文の断片、電子データが収められた媒体が転がる。俺が見つけたもの。俺が調べたこと。この場所は俺だけの基地であり宝箱のようなものだった。やはり安心感が違う。俺にとって一番安全な場所。家に帰ってきてから、俺はようやく大きく息を吐く。ずっと張り詰めていた緊張が解けていくのを感じる。

 だが、机の上にあるものを見つけたことで再び凍るような緊張が全身を襲った。

 

「⁈ あれは、姉さん・・・・・・?」

 

 正確には、姉の人形。認めたくないけれど、多分彼女の心臓。それを今の俺は知っている。同時に、姉が死んだ日、死体が消えた後の床にこの人形が転がっていたことも思い出していた。

 そうだ、あの日俺は人形を拾おうとして襲撃者に背後から殴られたのだ。彼らが人形を蹴り飛ばして部屋の外に落とそうとしたから、それを阻止しようとした。しかし、俺は失敗した。つまり、人形は俺の努力虚しく部屋の外へ投げ出されたはずである。マンションの、何階だったかは忘れたが、少なくともディア・ノクトを遠目に見ることができるくらいには高層の部屋から窓の外へ。

 あの日の襲撃者がマチルダとその仲間であるということは、彼女自身から言質を取ってある。つまり、まるで見てほしいというように俺の部屋の机に姉の人形を置いたのは。

 

「お前なのか、マチルダ!」

 

 俺は背後を振り返って吼える。が、そこにマチルダはいなかった。

 慌てて部屋を飛び出す。家中の扉を開けて探し回ったがどこにもいない。一体どこに消えた? というか、いつからいない? ・・・・・・思い出せない。まるで迷子の道案内は終わったというように、既にマチルダの気配はこの家のどこにも存在しなかった。

 彼女は何をしたかったのだろう? 探せる場所が無くなり、俺は途方に暮れて自分の部屋に戻った。机に近付いたが椅子には座らず、立ったまま姉の人形を持ち上げる。くるくると回してよく観察した。

 見れば見るほど不思議な人形だ。石彫の、池か湖か広がる水面に横たわる女性。彼女は姉に似てとても美しいが、どこか寂しそうに見えた。女性を縛めるように刻まれた文字は呪文か。これが心臓になるように命じるものだろうか。

 裏返すと、背面にも細かく文字や記号が刻まれている。が、全体ではない。ゴチャゴチャしているのは周囲だけで、中央は光沢が出る程丁寧に磨かれていた。まるで鏡のように。

 その時、光の加減か鏡面に何か映っているように見えた。黒髪に赤い瞳。それは俺の顔に見えた。だが。

 

「違う。これは俺じゃない」

 

 俺はそう断言する必要があった。何故なら、鏡に映る男の瞳は虚ろ。口から血を溢し、胸元は真っ赤に染まっていることが分かる。

 これは一体何なんだ。俺が顔を顰めている間に場面が変わる。ディア・ノクトと分かる廃墟の幾つかが映った。どことも分からない灰色の建物と巨大な扉が映った。マチルダ。銀髪の男。顔が同じ無数の男女。バグ。アル。それにエルド。知っているものも知らないものもあった。そして、俺にとってあまり良い映像は映らなかった。マチルダとエルドが話しているシーンもあった。あれは何を意味しているのだろう。まさか、エルドが俺を裏切るとでもいうのだろうか。

 

「そんなの、絶対にありえない」

 

 俺は呟く。声が震えたのが自分でも分かって、そのことに動揺した。まさか、俺は疑っているのか? そんな必要ないだろ。エルドが俺の味方だと言ったのだから。これから、俺とエルドは友達になるのだ。こんな不気味な鏡、信じる方がどうかしている。

 だが、そう思う一方で俺はじっと鏡を見つめ続けた。移り変わる場面未来のどこかに小さな希望を探した。誰かに心臓を奪われて孤独に死んでいく俺。これは俺じゃない。俺の部屋にある記録を書き換えるエルド。これはエルドじゃない。何度も否定しながら、これが未来を映す鏡だと理解してひたすら明るいものを探した。探し続けた。その時、握る手に力を込めすぎて、鏡が小さくパキリと音を立てた。

 ——このまま握っていたら、姉の心臓が壊れる?

 

「あっ」

 

 鏡を割らまいと、俺は握っていた手を離す。だがそうすると、当たり前のこととして鏡は床に向かって落下する。俺は咄嗟に鏡に向かって手を伸ばす。が、間に合わない。このままでは壊れてしまう。俺は焦る。その時、白く小さな手が掬うように鏡を受け止めた。

 

「何を遊んでいるの?」

 

 聞き覚えのある声に顔をあげる。蒼い髪に紅玉の瞳。リアが俺の横に立っていた。

 俺は動揺する。ここは俺の部屋だ。だが、そんな些末事今は問題にならない。そもそも、彼女は。

 

「どうして生きているんだ、リア」

 

 リアは俺が殺した。心臓を抉って俺が殺したのだ。彼女はもう二度と会えない人のはずだった。それが何故のうのうと生きているのか。

 詰め寄る俺に、リアは不思議そうに首を傾げた。

 

「どうしてって、ミーチェが生き返らせてくれたのだと思うけど。?」

 

 俺は眉を顰める。軽やかな口調で話すリアは、俺を殺そうとしたことも、俺に殺されたことも忘れているようだった。だが、記憶がなくても間違いなくリアだ。断言できる。彼女も「ミーチェが生き返らせてくれた」と言った。

 とはいえ、事実を並べたところでそう簡単に信じられる話ではない。心臓を抉られた人間が生き返る? そんなこと有り得るのか?

 

、シン」

 

 リアは、口も開けない俺の衝撃を正確に読み取って微笑んだ。

 

「わたしたちは人形。大昔に人間が作った魔法人形。欲しいから作ったけど、要らなくなったから捨てられた神様もどき」

 

 石の人形に呪文を刻んで、魔法陣を刻んで。大切に大切に作ったけど、要らなくなったから捨てられた。このルブフォルニアに。俺はリアの言葉の続きを知っている気がした。

 俺はここで、この部屋でそれを調べた。沢山のデータを集めて、見てはいけない情報を盗んで、俺はそこに辿り着いた。薄暗い部屋で、ただじっとモニタを見つめ続けた日々を覚えている。ディア・ノクトにも行かず、煌びやかな数々の謎には見向きもせず、ずっと同じことばかりを調べていた時期があった。

 それには理由があったはずだ。部屋に引きこもっていた俺にはそうするだけの理由と衝動があった。衝動。鍵。きっかけは些細なものだった。俺はエルドを探していた。ディア・ノクトでいなくなった彼の痕跡を集めて、家に帰って整理した。その過程を毎日繰り返していたある日、俺はことを知った——。

 

(あいつを、殺したのは)

「そう。あなたは、それを知っていた。ルブフォルニアの正体。わたしたちと人形の秘密。全部に辿り着いていた。あなたは忘れてしまっても、この部屋は覚えている」

 

 俺の思考を遮るように、リアが口を開く。彼女はモニタを指で示して微笑んだ。

 

「曖昧な未来に縋るより、過去のあなたが調べた事実を確かめてみると良い。あなたが求めるものは全てそこにあるわ。これから、あなたが決めるべきことも」

 

 緩慢な動きで、俺はモニタに手を伸ばす。その時にはもう、一枚の羽を残してリアは消えていた。姉の心臓も奪われたが、あまり気にならなかった。モニタが煌々と光り、文字列が現れる瞬間から目を離せない。食い入るように文章を読もうとした時、急にモニタが真っ暗になった。同時に窓の外が騒がしくなる。

 

「おいやめろ引っ張るなオレの一張羅が破れたら怒るぞ!」

「逃げようとするからですよー。服なんてどこでも見つかりますって。そんなことより、ご主人の命令の方が大事です!」


 喧しい言い争いに一瞬ぽかんと口を開いた俺は、ついに堪えきれなくなって笑った。

 

「エルドを見つけてくれたのか、アル」

 

 幽かながら柔らかな陽光が差す午後。エルドがアルのアームに捕まって、吊り下げられたまま窓の向こうで揺れていた。

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