S.12 「もし迷子なら、家まで送ってあげますよ」

 俺の正面に、石でできた天使の人形を抱いた女性。「マチルダ」と名乗った彼女は今何て言った?

 

『親しい者にはミーチェと呼ばれることもありますね』

「お前が黒幕か」

 

 リアにディア・ノクトで俺と接触するように指示を出し、最終的に殺すように命令したのは、彼女の親友で「ミーチェ」という人物だという。つまり、目の前の女がもうひとりの敵。俺の行動を邪魔し、恐らく姉が殺害されたことにも関わっている人物。

 こいつを殺さなければ。そう思った時には既に、俺の周囲にバグが集まっていた。威嚇するような耳障りな羽音。アルはまだ呼んでいない。マチルダの強さが未知数の状況で呼ぶべきじゃない。理性的な部分では、殺す前に色々吐かせるべき情報があることも分かっている。何故俺を殺そうとしたのか。何故姉を殺したのか。俺は何者か。ルブフォルニアとは。ディア・ノクトとは。明らかに生物が持つものではない「石の人形」を心臓として動く住人は何者か。聞きたいことは山ほどあった。

 しかし理性ではない部分で、誰かがもういいじゃないかと囁いた。もう殺してもいいじゃないか。「何故」なんて聞く必要ない。マチルダが姉を殺し、俺を殺そうとしているのは明らかだ。彼女は敵だ。殺すべき存在だ。ならばアルも呼んで、俺の全身全霊で、完膚なきまでに破壊し尽くしてやりたい。

 俺の殺気を感じたのか、マチルダは大袈裟に身を震わせて怖がってみせた。

 

「おお、怖い怖い。ちょっとびっくりしましたが、やはり貴方は特別な存在。私といえど、安易に正面に立つものではありませんね」

 

 芝居がかった口調にすら腹が立つ。

 俺の苛立ちに反応してか、一匹のバグが行動を開始した。弾幕を張りながら果敢に突撃するバグ。マチルダはその攻撃を踊るような足捌きで器用に避けながら、指を一度ぱちんと鳴らす。すると数匹のバグが現れて裏切り者の粛清にかかり、さらに二人の女性がマチルダの横に並んだ。

 

「何⁈」

 

 俺は殺意を忘れて思わず間抜けな声を出す。信じられなかった。現れた二人はどう見ても、どちらもマチルダだったのだ。

 そっくりさんなんてレベルじゃない。背の高さ、目鼻の位置、ふわりと揺れる栗色の髪の遊ばせ方から腹部で組んだ細い指の曲げ具合まで寸分違わず同じ。三面鏡に映したように並んだ「マチルダ達」は、揃って優雅にお辞儀してみせた。

 真ん中のマチルダが口を開く。

 

「でも、そうですね。そんなに私を殺したいなら、誰かひとりくらいは殺すことを許可しましょうか」

 

 左のマチルダは眼鏡のつるを押し上げて興味深そうな顔。

 

「誰が良いですか? 同じ顔の私達を貴方がどういう基準で選ぶのか、とても興味深いですね」

 

 右のマチルダはあからさまに全身を震わせてみせて。

 

「どんな殺し方をしますか? バグにやらせる? 銃でも拾う? 貴方の銃弾はとっても痛そう。・・・・・・こう怖がってみせた方が、貴方も楽しいのでしょうか?」

 

 三人で身を寄せ合って「きゃーっ」と言っているのを見ると本気で殺したくなる。バグどももうずうずして俺の周囲を飛び回っていることだし。

 だがまあ、相手のペースに流されるのも癪だ。俺は三人の誰も襲うことなく、バグを全て彼女達の目の前で自爆させた。壊した時のどうこうは、今は特に考えなくても良い。この偶に使えるが忌まわしい虫の元の主人は、恐らく目の前のマチルダ達だから。

 それよりも、三つ並んだ同じ顔が一様に目を見開き驚いた様子を見て少し気分が良くなる。俺は新たな武器を用意せず、しかしいつでも彼女達を殺せるという態度は崩さず、余裕を示すように笑ってみせた。

 

「茶番はそのくらいにしてくれないか? 他に何か用事があって来たんだろう? 揶揄いに来ただけなら、三人纏めて団子にした上で俺が知りたいことを吐くまでバグの銃弾を浴びさせてやっても構わないが」

 

 ひとりだけ殺すなんて生温いことは言わせない。やるなら徹底的に、俺に隠していることを全部喋らせた上で身体の一欠片も残さずミンチにしてやる。そのくらい俺にもできる。確信があった。俺は割と何でもできる奴だ。

 マチルダ達は顔を見合わせた。視線だけで何かを話し合い、やがて揃って俺を見る。再び真ん中のマチルダから、溜息と共に話し始める。

 

「本当は、私達を何度か殺すことで貴方が満足するのならそれも吝かではないと思っていたのですが、そんな一時的な処置では直ぐに破綻するのは明らかです」

「それは既に分かっていたこと。閉じ込め誤魔化すだけでは、貴方の好奇心を止めることはできない。それを、過去の貴方がどんなに望んでいたとしても。ならば、一度思い出してもらった方が良いでしょう」

「それに、私達も弁明する権利くらいはあると思いませんか? 貴方の敵にされるくらいなら致し方ないとしても、謂れもない罪を押し付けられたら怒りたくなるのは当然です」

 

 俺は、マチルダ達の輪唱のような言葉を黙って聞いていた。「過去の俺」や「思い出してもらう」といった言葉が引っかかるものの、止めて話を無駄に伸ばすほど愚かじゃない。回りくどい言い回しは少々癇に障ったが、後は彼女達の目的を聞くことができる安堵と、ずっと知りたかったことができるかもしれないという期待だけがあった。

 だが、最後の発言だけは放っておくことができなかった。

 

「『謂れもない罪』とは何だ? 全部お前達がしたことなんだろう? 姉さんを殺したのも、リアに嘘をつかせて俺を殺そうとしたのも」

 

 姉が殺された時、俺は誰かに背後から襲われた。リアに裏切られた時、彼女が「ミーチェ」とマチルダの愛称を口にしたことを覚えている。これらは紛れもない事実だ。

 しかし、マチルダ達は首を振った。

 

「確かに、リアに貴方と会って時間稼ぎをして、合図をしたら殺してほしいとお願いをしました。あの子は喜んで頷いてくれましたが、酷なことをさせたと反省しています。貴方に敵う相手なんて誰も存在しないのに」

 

 右のマチルダが天使の像を取り出し、そっと撫でる。お気に入りの人形を愛でるような表情。

 

「貴方のお姉さんが亡くなった後に貴方を襲ったのも私達。あの時はとても焦っていて他に方法がなかったのです。貴方を相手に背後から殴り飛ばしたお馬鹿さんは、後できつく叱っておきましたが」

 

 左のマチルダは呆れ顔。荒々しく息を吐く彼女を、右のマチルダが宥めている。

 真ん中のマチルダは、締めに入るようにひとつ咳払いをして言った。

 

「確かにこれらは事実です。貴方が私達に説明を求めるのも当然のことでしょう。ですが、その前にひとつはっきりさせねばならないことがあります。

 

 そこで、三人のマチルダが同時に俺を見る。彼女達は声を揃えて言った。

 

睡蓮スイレンを殺したのは貴方です。それは、既に貴方もご存知のことかと思います」

 

 相変わらず芝居でもしているような語り口。何かを話す時毎回その茶番を見なければならないのか、とは言えなかった。

 俺が姉を殺すはずがない。そう思っているのに、咄嗟に否定することもできなかった。頭の中で、いつかエルドに言われた言葉が反響する。

 

『睡蓮さんを殺したのはオマエじゃないか』

 

 あの時、俺はエルドの勘違いだと思った。そう判断する以外考えられなかった。

 だが、そうじゃなかったのか?

 

(違う。俺は姉さんを殺してなんかいない。エルドは勘違いしているし、そうなることも含めてマチルダ達が何か策を練っただけだ!)

 

 辛うじてそのような考えに至る。そうだ。そうに違いない。だってマチルダ達は敵だ。俺を殺そうとした人物だ。彼らの言葉を頭から信じる方がどうかしている。

 

「言葉で理解してもらえるとは思っていません。貴方が私達を信じないのも無理のないことでしょう」

 

 俺の考えなんてお見通しだというようにマチルダのひとりが言う。哀れみを含んだ声は腹立たしくて吐き気がする。顔を見る気にもなれなかったから、どのマチルダが言ったのか把握していない。別に誰でもいい。俺は唸るように吐き捨てた。

 

「だったらどうするつもりだ? ここで俺を殺す気か」

「まさか」

 

 マチルダが笑う。顔を見なかったらどれが誰の声だか全く分からない。或いは。人間味がなく聞き取りやすいだけの、どこから発しているのかも分からないような女性の声。

 

「最初に聞いたでしょう? 『迷子ですか?』って。貴方、今家に帰れないでいるのではありませんか?」

 

 それは、確かにそうだった。姉と暮らしていた家。姉が殺された家。ディア・ノクトではない場所にあったマンションの一室。夜の街ディア・ノクトにいるせいか何処を歩いても建物から出ても入っても夜ばかりで、日付感覚なんかとっくに消え失せている。それでもほんの少し前には確かに存在したはずの家に、俺はずっと何度試しても帰れないでいる。

 マチルダ達について行ったら、その家に帰ることができると彼女達は言った。俺は顔を上げる。三人はそれぞれ俺に向かって手を差し出し、慈愛を込めて微笑んでいた。

 

「もう一度聞きます。貴方は迷子ですか?」

「もし迷子なら、家まで送ってあげますよ。貴方がずっと過ごしてきた場所へ。外で遊び、しかし何度だって帰ってきた、一番心が落ち着く場所へ」

「長くディア・ノクトを歩いた貴方は、一度自分の家に戻るべきでしょう。貴方が探し求めてきた真実もそこにあります」

 

 マチルダ達の語り口は、相変わらず大仰で馬鹿らしい。とても信頼できるとも思えなかった。ただ、俺自身ずっと家に帰りたいと思っていたのは確かだったので。

 俺はどの手も取らずにただマチルダ達を見る。それだけでも、彼女達は了承したと受け止めたらしい。喜び勇んで歩く三人の後ろを、俺は黙ってついて歩いた。少しの警戒は怠らずに、しかしそれ以上の期待に胸を膨らませながら。

 ディア・ノクトの廃墟が列を成す道の向こうから白い光が溢れる。同時にどこからともなく立ち昇り、柔らかく視界をぼやけさせ周囲を曖昧にする霧。

 

(ああ、もう帰らないと)

 

 久々に見たそれは、楽しい探索の終わりを示す夜明けの光景だった。

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