第43話 倫敦怪人録

 それから数日後、彼等の姿は再びイーストエンドにあった。

 ホワイトチャペル付近ではなく、シェイクスピア劇場のある通りだ。

 看板には高らかに“鬼才・スチュアート・ブラックモアの遺作”と、綴られている。この舞台の招待状が、スチュアートの父から届いたのは、数日前だった。スチュアートの遺志を継いだ若い劇作家が、書きかけだった彼の台本に色を加えたらしい。供養になるだろうと言う手紙も添えられていた。

「楽しみだね」

 パーシーはステッキを打ち、歩き出す。

 その時だった。


「お前、アンソニーだろ?」

 急に声をかけられ、アンソニーは立ち止まっていた。幼い頃に、良く聞いた声だ。

「どうかしたのかい? アンソニー君」

 前を歩いていたパーシーが振り返る。

「いえ、昔の——父の知り合いです」

 今は余り関わりたくはない、貧民街の住人に嫌悪しながら、アンソニーは頭を搔いた。

「めっきり見かけないと思ったら、お貴族様のお人形になっているなんてな」

 ユダヤ人の男は続ける。

「どうやって入り込んだんだ? 身体か?」

「不快だ。行きましょう。パーシー様」

 アンソニーは、守るようにパーシーの前に立った。

「あんたの父さんがしでかした事で、貴族は嫌いになったと思ってたがなぁ……」

 父がしでかした事。その言葉に、彼は再び立ち止まっていた。


 そう言えば、ある時父は大金を持って帰ってきた事があった。

 良い仕事だった。胸焼けがする程な。貴族の乗る馬車を、仕掛けを引っくり返してやった。


 今迄やってこなかった、初めての殺しだ。


 と、安いアルコールを飲み込みながら、そんな事を酒焼けの声で言ったのだ。

 確かその日は、パーシーの両親が死んだ夜でもあった。

「まさ、か……」

 アンソニーは俯いた。今迄己を縛り付けていた紐が解けてゆく。初めてパーシーと逢った時。その時に感じた恋心にも似た感情は、深い謝罪の意味でもあったのだ。

「行こう、アンソニー君」

 今度はパーシーがアンソニーのマントの袖を掴んだ。冷たい風が、二人の間を擦り抜ける。

「僕は、君の父が何をしたのか、深くは触れまい。それよりも、謎が解けて晴々とした気分だよ」

 そうして、彼はアンソニーの耳元まで背伸びをしてして、

「解雇などしないよ。君は親の罪を抱えながら僕のヴァレットになるのだ。それが、君の罰だ」


 その言葉に、密やかに歓喜している己がいる事が、アンソニーにとって憎らしかった。


「……行きましょうか」

 彼も大きく頷いた。

 これから、共に育んでゆく。親の敵だ。こんな滑稽な事があるだろうか。

 しかし、主人はそれが贖罪になると言う。


 それならば、パーシーが飽きる迄付き合って見よう。


 そう思って、アンソニーは彼の腰に手を回した。


 夜、ロンドンの町に悲鳴が谺する。

 怪人録の頁が、また綴られる。




倫敦怪人録

   end

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倫敦怪人録 武田武蔵 @musasitakeda

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