先従隗始

――時は天明二(1782)年に戻る


「しかし、まさか摂津守の嫡子を弟子に取るとはな」

「掃部頭殿の頼みとあれば、さすがに断るのは難しゅうございます」


 子供たちへの指南を終え、しばし定信様といつもの茶飲み話が始まった。


「で、になりそうなのか」

「元々大名の嫡男ゆえ、学問をするというところの慣れはございましょうが、思っていた以上に理解が早うございます」

「その先はどうするのじゃ」

「先と言いますと?」

「功を立て名を上げれば、いずれは家名再興もあろう」


 秋元家は元々関東の在郷武士で、主家滅亡後、徳川の関東移封に伴いその家臣となり、幕府の創業に功のあった名家である。


 このような名のある家が改易となる場合、それまでの功に免じて大幅な減封の上、一族の者が家名を継ぎ旗本として存続……なんて事例も多々あるが、今回ばかりはやらかした事が事なので、有無を言わさず潰されたわけだが、それでも後継が生きている以上は復活の余地はある。


 もっとも、普通ならば士分すら剥奪された者が汚名返上する機会など訪れることはないので実質ノーチャンスなわけだが、今回は井伊家が後ろに付いているから、状況を考えれば可能性がある方だろう。


 問題は、本人がどうやって功を挙げるかにかかっている。


「敢えてその機会を与えるのか」

「そういう意味では蝦夷地開発が良い機会になろうかと」

「蝦夷地……」

「先日平蔵殿と話をしました」


 蝦夷地に関しては、取っ掛かりを作っただけで京都に行ってしまったので、その後はノータッチだったが、松前藩の不正が明るみになったことで、その調査は大名の監視を務める大目付に役割が移ったと聞く。


 とは言うものの、この時代の大目付は半分名誉職となっているため、速やかに処理をするという名目で田沼公は新たに『蝦夷目付』という、大目付並みの権限を持った老中麾下の役職を制定。巡検使として赴き、現地を一番良く知る平蔵さんこと長谷川平蔵宣以殿が持ち上がりのような形でその役に就いた。


 それから二年の月日が経ち、次々と松前藩のアイヌに対する不適切な処遇の実態と、度々発生していた騒動を秘匿していた事実が明らかとなり、近々蝦夷地は召し上げられ、幕府直轄領になる運びとなったようだ。そのことで先日、今後の経略についての意見が欲しいと平蔵さんが我が屋敷を訪れた。






「直轄領とは言っても、何も分からねえ土地だからな。まずは探索調査だが」

「その人選の最中ということですな」


 今回の蝦夷地探索は、巡検使として平蔵さんの下で動いた普請役の者を頭として、方面別に探索の部隊を組織する大掛かりな取り組みとなるらしい。


 当面の課題はその探索隊の隊員をどうするかということなのだが、これを小普請組、つまり無役の旗本御家人から登用しようとしているという。


「小普請が役を与えられるなんてそう簡単な話じゃないからな。どいつもこいつも目の色変えてやがる」

 



 小普請が役をもらうには、逢対日に行われる上役との面談を通じて依頼しなければならない。


 これは旗本なら月に三度、御家人は月に二度その日が設定されており、逢対日となると皆が上役である組支配役の屋敷を訪れ、役に就きたい者は書面で願いを提出するのだが、そもそも役の数は決まっているので、そう簡単に願いが通りはしない。そんなところへ仕事が舞い込んで来たのだ。


 蝦夷地の環境の厳しさは前回の巡検で広く知られることとなったが、直轄領となったことで、後々開発が進めば功のあった者に対し所領が与えられるやもしれぬという噂が広がり、役付きを願う多くの小普請の者が役を願っているとか。


「組支配のところへ日参するのは勝手だが、中には俺の屋敷に頼み込みに来る奴も多くてよ」


 今回は多くの人間を登用する手はずだが、それでも希望者全体からいえば一握り。こういうとき、どうしても役に就きたいと願う者は組支配の屋敷に日参して顔を覚えてもらうなどの運動工作をするのだが、中にはズルい奴がいて、口利き出来そうな人間が分かっていると、直接そちらに頼みに来るのだ。


 もちろん、手土産ワイロ持参でね。


「付け届けに目がくらんで下手な人物を薦めてはなりませんぞ」

「分かってらぁ」


 付け届けの類いを全否定はしないが、今回に関してはこの国の今後に関わる大事な仕事だ。役付きになったことで安堵してしまうような無能者はいらない。必要なのは本来の任務に対するやる気と能力のある者だけだ。


 まあ……どの仕事でもそれは一緒だけどね。


「心配すんな。禄が千石も増えて、今回のお役でまた役高がもらえるからな。そんなに金には困っちゃいねえよ。それに、仕事の出来ねえ奴なんざ引き連れて行ったら、俺の首が寒くなるってもんだろ」

「たしかに」

「だから人選は厳しい目でやらせてもらうさ。ただ、その代わりに選んだ奴らにはちゃんと報いてやりてえ」

「と仰ると?」

「あの寒さ、どうにかなんねえかな?」




 平蔵さんが気にしているのは、蝦夷地の気候に関することだ。


 一言で言えば寒いということ。巡検使として赴いたのは春から秋にかけての話だったが、それでも辛かったらしい。


 まあ……この時代は小氷期だからな。しかも日の差し込まぬ未開の山奥とか森林となれば、余計に寒いんだろう。


「夏だってのに、薄着で寝ると風邪ひくかってくらい朝晩寒いんだぞ」

「だから人肌が恋しくて?」

「それもある……じゃねえ。蒸し返すな」


 実は最初の探索のとき、アッケシの古潭でアイヌの娘さんとアーンなことをしていたのを聞いていたのでそれを少しからかっただけだが、反応を見るに奥方にバレたのだろうか……


「蘭学に寒さを防ぐ知識みたいなもんは無えのかい?」

「調べればあるかとは思いますので、少し時間をいただけますかな」


 といった感じで協力することとなったのだ。






「蝦夷地を直接探索する側として平蔵殿の下で働くは難しいでしょうが、それを後方から支援する側として、私の下で働くなら手はあるかと……」


 武士というのはその数に対して日常業務の枠が少ない。だからこそ無役の小普請にとって蝦夷地開発は朗報であるが、主を失った浪人たちにとっても僥倖だったりする。


 それこそ先の政変で改易となった家は少なくない。そこに仕えていた者は当然のように職を失い路頭に迷っている。未来でもアホな経営陣のせいで倒産してしまい、従業員の再就職を斡旋するなんて話はあるわけで、人手が多く必要なことが分かっている今、やる気のある人物はどんどん登用するべきかと思う。


「お主にとっての郭隗かくかいということか」

「さすがは博識の上総介様ですな」




――ず隗より始めよ


 中国がいくつもの国に分かれ覇を競っていた時代、北にえんという小国があった。


 当時の燕は諸国の中で最も強大であったせいの騙し討ちに遭い、滅亡寸前まで追い込まれ、事実上その属国と化していた。


 そんな中で即位した昭王は、なんとかして斉に復讐したいと考え、富国強兵と人材の登用に励み、師と仰ぐ郭隗に優れた人材を求めるにはどうすれば良いか問うた。


 すると郭隗は、名馬を買ってこいと命じられながら、死んだ名馬の骨を五百金という大金で買ってきた家来の話をした。


 死んだ馬の骨を買ってきてどうするんだと主人は怒るわけだが、家来は死んだ馬さえ大金で買ったと伝われば、生きた馬ならもっといい値段で買ってくれるという評判が立つでしょうと言い、果たしてその後、名馬が三頭も手に入ったという故事である。


 郭隗はこれを引き合いに、まず自分を重用することが第一と言い、「自分程度の者ですら厚遇されていると知れ渡れば、いずれ優秀な者が仕官を求めて大勢集まってくることでしょう」と説いたという。


 昭王はこれに従い郭隗を厚遇すると、それを聞いた才ある者が各地からはるばる燕国まで仕官を求めに集まってきた。その中でも有名なのは、からやってきた名将と名高き楽毅がくきである。彼は軍を率いて斉軍を散々に打ち破り、一時はその領土のほとんどを占領するまでの大功を立て、郭隗の言葉を証明した。


 このことから意味が転じ、後世では「言い出した者から実行せよ」という格言になるわけだが、定信様は故事そのままに長丸を郭隗に見立てたのだ。


 彼本人の才覚は別として、咎人の子であるという事実は覆せない。それでも才を持って身を立て、後々家名の再興が成れば、あの者ですら立身が叶うのならと後に続く者が出てくることだろう。


 蝦夷地探索や開発、後方支援の政策、どれを取っても泥臭く苦労の絶えない仕事になるが、そこに希望が見えれば話は変わってくるはずだ。


「して、如何にして寒さを防ぐのだ」

「改善するのは住むところと着るものになりますが、ここはひとつ、先駆者の知恵を借りようかと思っております」

「先駆者?」


 ええ。平蔵さんに依頼されて、まず最初にその人の顔が頭に浮かんだのよ。


 この時代を生きる、第一級の発明家クリエイターの顔がね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旗本改革男 公社 @kousya-2007

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ