その弟子、曰く付きにて

――時は少し遡り、天明元(1781)年秋


掃部頭かもんのかみ殿……?」

「不躾な頼みとは重々承知しておる」


 その日、先触れをもって屋敷を訪れていた人物は井伊家の御当主直幸殿。


 今でこそ一つ格上の左近衛中将という官位もお持ちなので、彦根で世話になったときは家中の手前そちらで呼んでいたが、掃部頭は代々の彦根藩当主が最初に任じられる官職であり、左中将となった今でもそちらの方が直幸殿のことを指すには分かりやすかったりする。


 ちなみにその上屋敷は江戸城桜田門を出て右手、出羽米沢上杉家と安芸広島浅野家の屋敷を越えたところにある。


 井伊家というと、大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」が有名だが、これは別にたまたまここで斬り合いになったわけではなく、屋敷を出てから桜田門を通って登城しようとしていた井伊家の行列を狙った計画的犯行なわけで、だから桜田門外そこで発生したのだ。




 さて、話を戻すが、今日掃部頭殿がお越しになった用件は、実はなかなか難しい話だったりする。


「藤枝先生にはお初にお目にかかります。長丸と申します」


 用件というのが今目の前にいる、長丸という若者の弟子入りについてなのだ。


 弟子入り自体を嫌がるわけではない。今回に関しては相手が相手で、長丸の父は元・出羽山形藩主、秋元摂津守永朝つねとも。東海寺の変において一橋の将軍位簒奪に同心したものの、宗武公や俺たちによってその企みを防がれ、結果改易となった謀反人の嫡男だからだ。


 本来であれば嫡男の長丸も一族連座となっておかしくなかったが、彼は当時まだお目見前で正式に後継者と認められたわけではなかったので、罪一等を減じられ、士分を剥奪されて隠棲していたのだ。


 その隠棲先は近江彦根。彼の母親は井伊の分家である越後与板藩主の娘で、掃部頭家の養女となって秋元家に嫁いだので、直幸公から見て義理の孫となる。その縁で引き取って領内で隠棲させていたのだそうだ。




「して、何故に私に弟子入りをと?」

「彦根にて先生のもつ料理を目にして、その行動力や見識に驚かされました」


 彦根で隠棲し、父の菩提を弔っていた長丸がその日目にしたのは、肉の焼ける匂いに溢れた彦根の城下だった。


 それは俺が仕掛けたプロデュースした肉祭りの光景なわけだが、その様子を見聞きして、新たな産業の奨励や各々の仕事に対する向き合い方を説いた結果、城下の庶民が身分の垣根を越えて肉を頬張りながら語らい、生き生きとした目をしていることを知り、これもまた政の形の一つなのかと感銘を受けたのだとか。


「某、日陰で生きる身ゆえ、そのときお話を伺うことは叶いませなんだが、先生の話を聞くにつれ、私でも学ぶことで誰かの役に立つのではと、そう考えましたら居ても立ってもおられず、掃部頭様にお願いして、こうしてまかり越した次第で」


 長丸の目は真剣だ。それこそ俺の弟子という身分だけを求めてやって来たのが有り有りと分かって、塩を撒いて追い返してきた数多の若者とは目の色が違う。


 ……だが、受け入れるには聞かねばならぬことが多くある。私は言うなればお父上の仇のようなものだからな。




「私がお父上に何をしたか、知らぬわけではないと存ずるが?」


 彼の父永朝は先代の実兄の子で、秋元家には養子として入った身。さらにその義父であり、田沼公と対立したせいで、武蔵川越から出羽山形に左遷されられたという噂もあった凉朝すけとも殿も、秋元家の分家旗本からの養子である。


 この時代は家を守ることが一番の仕事。故に後継男子がいない場合は一族縁者から養子を取るとか、娘婿として迎えるのは常の話であるが、だからこそ養子として入った者はその重責を感じざるを得ない。


 大仰に言えば、見込まれて一族の未来を託されたわけだから、家の繁栄を考えるという点においては実子より重圧があるのではと思われる。お前も養子のはずなんだが、重圧があるようには見えないが? という批判はしないでもらおうか。これでもひしひしと己が双肩に感じているんだぞ(キリッ)


 それはともかく、そういった事情があるので、出世欲の強い御仁は少なくない。永朝殿もそうだったのではないかと思われる。ただ、彼はそのやり方を間違えた。良からぬ方法で地位に就こうとした一橋に加担し、結果としてその身を滅ぼし、家名を絶つこととなった。


「私はそれを防ぐ側として、其方の父を罪に問い、家を取り潰した側の者ぞ」

「先生は幕臣として成すべき事を成されただけ。恨むのならば、軽挙に走り家名に傷を付けた父を恨むべきでしょう」


 と言いながらも、そこに怨恨が籠もっているとは感じ得ぬ長丸の言葉。順調であったならば、早晩後継者と定められ、山形六万石を継ぐはずだったのだから、恨み言の一つも言いたいところではあろうに、恨むべきは身内の所業だと冷静だ。


「もしや、先生が良い顔をされておらぬは、某が父の仇を取るために近付いてきたとお考えだからですか」

「いや、それならば浪人や郷士と称して身分を秘して弟子入りすればよいだけだ。わざわざ掃部頭殿を介する必要はあるまい。……掃部頭殿が私を排除しようと考えておられるなら話は別ですが」

「治部、冗談にしては面白うない。大納言様の信任も篤く、田沼侍従も頼りにしておるやに聞く其方を罠にかける必要なぞ無いわ」

「失礼いたした。しかしながら、長丸殿を弟子にするのはいささか難しいかと」

「何故でしょうか」

「其方の身の上に関わることだ」




 本人がどう思うかは関係なく、俺は田安・田沼側、そして長丸の秋元家は一橋側。要は政敵であったのだ。争いに敗れ、家名を失った嫡子が政敵の一人だった男に弟子入りすれば、世間はどう見るかということだ。


 家名を取り戻すために形振なりふり構わず政敵に尻尾を振る男、親の仇も忘れて保身に走った薄情者。そんな声は必ず出てくる。


 別にそれを言う者が本気でそう考えているかと言えば、大半はそこまで深く考えていないだろう。だが世間というのは因果なもので、叩けたりネタになりそうな話題があるとそれに飛びついて、酒の肴にああでもないこうでもないと話を膨らませる。


 対岸の火事。当事者でないからこそ好き勝手に話題にするのだ。


「掃部頭殿を介し素性を明らかにしたのだから、必ずやそれらの謗りは受けよう。それでも弟子入りするか」

「願わくば。己がどう言われようとも、秋元の嫡子であった事実は消せませぬ。されば、今自身で出来ることを悔いの無いようにやりとうございます」

「治部、儂からも頼む」

「そのお気持ちは良く分かりました。さればもう一つの懸念がございます」

「まだ何かあるのか?」

「先程話した、私が長丸にとって仇の一人であるという話につながります」


 これもまた本人の与り知らぬところで起きた結果だが、一般的な感覚で言えば、直接ではないとしても俺は彼の親を死に至らしめた仇敵だ。


 そしてその一件で俺を恨む人物は一定数いる。本人にその気が無くとも、その者たちにしてみれば、俺の元に弟子入りしたのは何か腹に一物あってのことではと邪推もしよう。己の願望と長丸の行動の行き着く先が同一であると読み違えたとき、それらの悪意が彼を巻き込むという恐れはある。


「長丸殿がそう思わなくとも、勝手に向こうから寄ってくるという懸念はあります。そしてその事実を彼に知られ、そのまま捨て置くわけがございますまい」

「治部もやはりそこは懸念するか」

「然り。無い、とは言い切れませんからな」

「それについては目付役を連れて参った。入れ」


 俺の話を聞き、掃部頭殿もそこは考えていたようで、長丸に何者かが接触しようとするのを防ぐために、同年代の家中の若者を目付役として共に弟子入りさせるご意向のようだ。


「彦根藩士、相馬彦右衛門が子にて三之丞と申します」

「相馬?」

「はっ、元は下総相馬氏の一族にて」




 相馬氏は源頼朝に従った御家人千葉氏の一族で、下総相馬郡を所領としたことからその名を名乗った。


 後に頼朝の奥州藤原氏討伐で功を挙げて陸奥にも所領を持ったことで、そちらを相続した家が下総から分かれたのだが、これが「相馬野馬追そうまのまおい」という神事でも有名な、陸奥国宇多郡中村を治める大名相馬氏である。


 一方で下総相馬氏は、立地的に戦国期は小田原北条氏の支配下に組み込まれざるを得ず、秀吉の小田原征伐と共に滅亡。主家は後に幕府に旗本として召し抱えられたほか、徳川家の武将に仕えた一族の者も多く、それらが立藩した後にそのまま藩士として代々仕えており、三之丞の家は井伊家に仕えて今に至るのだとか。

 

「父の彦右衛門は儂に良く仕えてくれた家臣でな、ただそろそろ年ゆえ、息子に跡目を継ごうかという話になっておって、そうなれば部屋住としての三之丞の役目も終わる。そこで長丸の目付を申しつけた次第じゃ」

「蘭学はほとんど触れたことがございませぬが、これまで学問武芸の稽古は欠かしたつもりはございませぬ。長丸殿共々、よろしくご指南いただければと」




 掃部頭殿の頼みゆえ元々無碍にするつもりもなかったが、しっかりと準備をして筋を通してきた以上は受け入れてやるべきか。


 親父は罪を犯したけど、息子にその責任はない。世のために何か役に立つことをしたいと言うのならば、その導きをしてやるのも年長者の務めか。……なんて偉そうに言うが、実は二人とは五つか六つくらいしか年が違わないのよね。


「良かろう。されど事情が事情ゆえ、甘やかすことは出来ませぬ。あまりにも不出来なようであれば遠慮無く破門とさせていただく。精進なされよ」

「先生! ありがとうございます!」


 こうして、曰く付きの弟子が誕生したのだ。

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