恋はスクランブルエッグ
一初ゆずこ
恋はスクランブルエッグ
「
おはようの
「たまには、
「やだ。大和の目玉焼きがいい。もう大学受験は終わったし、いいでしょ?」
「受験生でもお構いなしに、作れって毎日せがんでただろ」
「受験生になる妹に、もっと優しくしてよ。荷造りだって、もう終わるでしょ?」
「まあな。あとは父さんが起きてから、
「そんなことない。大和の料理は特別だもん」
大和の目玉焼きは、家族の誰が作る目玉焼きよりも美味しかった。お母さんの目玉焼きは、
「最後の朝くらい、母さんが作る朝食を食べたいんだけどな」
最後の朝、という言葉が、あたしの胸をつきんと刺す。けれど、最後ならせめて、悲しい顔は見せたくない。あたしは、笑顔を無理やり作った。
「料理してるところ、見せて。明日からは、あたしが作るから。お願い」
声に
「顔を洗って、着替えてこいよ。その間に準備をしてるから」
高校の弓道部で
一つ年上で、あたしと血が
*
「みはね、お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
あたしの人生の中で一番古い記憶は、まだ小学校にも上がっていないほど幼い頃に、家族に宣言した日のことだ。
子どもの
「お兄ちゃん、おはよう!」
「お兄ちゃん、どこに行くの? みはねも、つれていって!」
「お兄ちゃん、だいすき!」
「
「海羽も、遊びに行きたい? いいよ。おいで」
「うん、知ってるよ」
いつだってあたしを
「俺も、海羽が大切だよ」
決して嘘をつけなくて、優しくて
「大和、おはよう」
「大和、あたし、合格したよ。大和と同じ高校!」
「大和……」
高校二年生になって、十七歳になって、ちょっとずつ子どもじゃなくなって、その分だけ大人に近づいたあたしは、この恋が家族を悲しませることくらい、分かっている。実の
だから――
その日の夕飯はハンバーグで、大和が作った目玉焼きが
「この記事の写真、海羽がうちに来たばかりの頃に、家族で花見に行った公園だな。桜は今が見頃だそうだ。大和も海羽も春休みだし、久しぶりにみんなで行くか」
「ちょっと、あなた!」
お母さんが、
「実は、海羽は――」
*
「
両親の告白を聞いた晩に、あたしは大和の部屋を訪ねた。机に向かって参考書を開いていた大和は、ベッドに腰かけたあたしに「知ってたよ」と普段通りの口調で答えて、普段よりも影がある微笑で振り返った。
「身寄りがない四歳のあたしを、両親が引き取ったことも?」
「うん。
「あたし、覚えてない」
「幼かったもんな。俺も、海羽が来る前のことは、全然思い出せないよ。俺の人生の中で一番古い記憶は、妹ができた日のことだから」
あたしたちは、実の兄妹じゃなかったのに、記憶のページの始まりには、互いの存在が記録されている。誰にも内緒にしていた恋の卵を、これからも温めていく資格を得られた奇跡が、あたしに告白を
「あたし、大和のことが好き」
大和は、シャーペンを机に置いた。あたしが大和のお嫁さんになると言ったときの再現みたいに、何も言わない。耳鳴りがしそうな沈黙を壊したのは、嘘っぽいくらいに穏やかな笑みで告げられた、昔から変わらない
「俺も、海羽が大切だよ」
「はぐらかさないでよ」
ずっと抑え込んできた痛みを、あたしは隠さずにぶちまけた。
「あたしの『好き』の意味を、本当は知ってるくせに、鈍感なふりをしないでよ」
「俺は兄で、海羽は妹だから。恋はできないよ」
「あたしと大和、血が繋がってないんだよ。兄妹じゃなかったんだよ」
「血が繋がってなかったら、兄妹じゃないのか?」
訊き返す声は、頭に血が上ったあたしから声を奪うには、じゅうぶんなくらいに冷えていた。ハッと口を
「その話は、もうやめよう」
「じゃあ、どうして、あんな顔をしたの」
今度は、大和が口を
「あたしが養子だって判ったときに、なんであんなに苦しそうな顔をしたの。本当は恋ができることをあたしに知られるのが、そんなに嫌だった?」
「違う」
「違うなら、認めてよ。
涙で視界が波打って、大和がどんな顔をしているのか分からない。両手で顔を
「好きって、言ってよ」
「好きだよ。海羽」
欲しかった一言は、
「家族として、大切な妹として、海羽が好きだよ」
椅子から立ち上がった大和は、大きな手のひらで、あたしの頭を撫でた。
「俺はまだ勉強で起きてるけど、海羽はそろそろ寝たほうがいいよ。おやすみ」
あたしを妹扱いする兄の手は、昔よりも硬かったけれど、昔と変わらず温かくて、
*
大和に振られてからの一年を、あたしたちは兄妹として過ごした。あれから大和は、妹の告白なんて聞かなかったような顔で、あたしと今まで通りに接していた。
夏休みには、家族で祖父母の家に出掛けた。居間で夕食を取ったときに、集まっていた親戚たちは、久しぶりに会う大和に「いい男になって」とか「高校ではモテるでしょ」なんて言ったけれど、大和は「モテませんよ」と
「俺よりいい男なんて、たくさんいますから」
それは嘘だ。大和は、女子生徒たちから何度も告白されてきた。毎回断っているようだけれど、いつか誰かの恋心を受け入れる日が来るかもしれない。
「海羽は、俺よりも
卵焼きを
それでも嬉しいと思ってしまったあたしは、きっと利口じゃない。恋の諦め方なんて分からないし、分かりたくもなかった。
*
お気に入りのブラウスとスカートに着替えて、洗顔を済ませてリビングに戻ると、掛け時計は七時を示していた。両親は、まだ休日の
「じゃあ、作るか」
「うん」
あたしが隣に並ぶと、大和は卵をまな板にぶつけて、ボウルに手際よく割り入れた。次に、二つ目の卵をあたしに手渡したから、あたしは
「大和が割って。あたしが割ったら、黄身が
「ああ、海羽の目玉焼きは、結局いつもスクランブルエッグになってたっけ」
「あたしだって、好きでスクランブルエッグを作ってたわけじゃないもん」
目玉焼きを作りたくても、卵を割った瞬間には、
「卵の中央を、平らなところにぶつければ、綺麗に割れるぞ」
「こう?」
卵をそろりとまな板にぶつけると、
「フライパンは、オリーブオイルを多めに引いておくんだ。しっかり熱してから、卵を流し入れる」
「大和が料理を始めたきっかけって、何?」
「どうしたんだよ、突然」
「いいじゃん、教えてよ。知らないことが
「子どもかよ」
「子どもだもん。子どもだから、あたしはまだ、諦めたくない」
フライパンの
「覚えてるよ。四泊五日だったよね」
大和がいない間、大和のことばかり考えていたから。そう言葉にしてもよかったけれど、打ち明け話に耳を澄ませたいから、黙っていた。
「あのときの
「スクランブルエッグ? 目玉焼きじゃなくて?」
「ああ。習いたての頃は、卵ひとつ満足に割れなくて、黄身を
「そろそろ完成だ」
大和が、蓋を持ち上げた。湯気の霧が晴れると、二つの白身が作る白い海は、互いの
大和は満足そうに「成功だな」と言って、
「いただきます」
並んで食卓に着いて、
「
「大和が好き」
あたしは、やっぱり
「あたしを、大和の彼女にしてよ」
「やめろよ」
返ってきた言葉は、今までにないほど強い
「俺が、どんな気持ちで、ここから遠い大学を受験したと思ってるんだ」
「あたしのこと、そんなに嫌いだった?」
「違う」
大和は、いつかのように否定した。
「俺のことを好いてくれて、笑顔が可愛い妹のことを、嫌うわけない。俺は……妹ができて、海羽と家族になれて、嬉しかったんだ。海羽を家族にしてくれた父さんと母さんにも、ちゃんと言ったことはないけど、
「だから、離れるの?」
あたしも、いつかのように涙ぐんだ。
「好きって、言ってよ。あたしのこと、好きって言ってよ」
「海羽は、俺の妹だよ」
箸を置いた大和の指が、あたしの目元を
「妹なんだ」
「さっき海羽の分も作らされたから、二人分も四人分も一緒だ。なあ、海羽」
「……うん」
あたしも、涙の
*
朝食を終えたあとで、大和とお父さんは外に出ると、
「じゃ、行ってくる。父さん、運転よろしく」
「ああ、任せとけ」
「身体に気をつけてね」
「うん。長期休暇には帰ってくるよ」
大和は、助手席に乗り込んだ。続いてお父さんが運転席に乗り込むまでに、あたしは助手席の窓をノックする。窓を開けてくれた大和の手を握って、耳打ちした。
「大和。あたし、諦めないから」
大和は、少し驚いた顔をしてから、朝食を作ってくれたときみたいに笑った。
「そういう諦めの悪いところ、子どもの頃から変わらないな」
「子どもだもん。でも、次に会うときは、大人になってるかもよ?」
「変なことを言うなよ」
泡を食った顔の大和に、隣に乗り込んだお父さんが「何の話をしてるんだ?」と訊ねたから、あたしは「お父さん。お母さんも」と呼びかけた。
「あたしを、引き取ってくれて……家族にしてくれて、ありがとう」
車内のお父さんも、あたしの隣のお母さんも、目を見開いて驚いている。助手席の大和が「俺からも」と言って、春風に短髪を
「海羽を、家族にしてくれて、ありがとう」
お父さんは、
「こうやって二人とも、あっという間に大人になっていくのね」
「大和は、まだ子どもだよ。実は怖がりだって分かったから」
「おい、海羽……」
大和は、
「いってきます」
「いってらっしゃい」
「さっき大和と作ってくれた目玉焼き、
あたしは、
「当分は、スクランブルエッグかな」
<了>
恋はスクランブルエッグ 一初ゆずこ @yuzuko
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