ブッコロー、ゆーりんちーの心を知る

弥栄

ブッコロー、ゆーりんちーの心を知る

「では今日の収録はここまででーす!お疲れ様です」


「お疲れ様でーす」


 スタッフの声がスタジオに響く。何本か続けての収録は、この日終電間際まで続いた。片付けに追われるスタッフや社員達を横目に、俺は盛大に息を吐いた。


 ここの所、日々の仕事に追われている自覚がある。目を通さなくてはならない企画書の束が雪崩を起こして、隣の席まで散らかしていた。「ブッコロー、デスク片してよー」と言われても、適当に謝って流していた。

 今朝だって、数日放置した社内メッセージについて送り主から「困るよー」と直接言われている。


 半笑いで謝罪した俺の本音はこう。


「直接会えんなら社内メッセージいらねーじゃんな〜」


 自分でもどうかと思う。嫌な奴になっている。それに、なーんか仕事にやる気が出ないというか、マンネリというか。不満はないし、楽しくやっているのだが。


 MC席でぺちゃんこになる。


「あら、ブッコロー流石にお疲れねえ」


 MCで相方のオカザキさんが、気遣わしげに微笑んでいた。人間なら首をコキコキいわせて肩を回したりする位には疲労が溜まっていた。俺には首がないので、なんとなーく小さな翼をパタパタさせる。


「まーねえ。俺ももう若くねーわあ」


「そうだ!私良いもの持ってるの」


 オカザキさんは私物のカバンから、手のひらサイズのパッケージをひとつ取り出した。


「これねえ、とっても疲れが取れる入浴剤!炭酸がよく効くのよ。細かい泡がシュワ〜ってしてね。有隣堂では買えないんだけど」


「買えねーのか!」


 俺はウヒャヒャと笑った。普段より力無い笑い声だったかもしれない。


「今夜はこれで、じっくり身体を温めると良いわ」


「んー、ありがと!そうするわ〜。じゃあお先でーす」


 オカザキさんは微笑んで見送ってくれた。俺はぽてぽてと歩き、スタジオを後にした。



「ただいま〜」


 玄関の明かりをつけ、控えめな声を出す。明日は休みだからフロにゆっくり浸かろう。

 簡単に夕飯を済ませた俺は、追い焚きの済んだ湯船にオカザキさんからもらった入浴剤のタブレットを放り込んだ。

 シュワシュワとささやかな音を立てて、入浴剤が溶けていく。こういうのって完全に溶かしきってから入った方が効くらしいけど、さっさと湯船に飛び込む。


「ふい〜」


 じわじわと温まり、大きく息を吐いた。


「んん?」


 シュワシュワ……プクプク……ブクブクブクブク!!!


 炭酸の入浴剤ってこんなにあぶく立つ?!入浴剤から出てくる量とは思えない勢いだ。湯船から湯が溢れ出る。


「えっ!ええっ?!!」


 ゴボボボボボボ!!!!


「うぎゃあぁあ!!ガボ、ゴボボボ……」


 湯船の湯に巻き込まれた俺は、そのまま意識を手放したのだった。



──……ッコロー、ブッコロー。起きてください。


 聞き慣れた声に呼ばれ、俺は目を開く。


「んん……?」


 転がされていた身をコロリと起こす。白っぽいもやが足元に漂う空間は明るく、暑くも寒くもない。

 キョロキョロと辺りを見回すと、そこには俺以外の人間が複数控えていた。見知った顔──有隣堂の社員たちだ。


「……」


 皆、伏目がちに静かに佇んでいる。見慣れたスーツやエプロン姿ではなく、何だかふわふわ柔らかそうなワンピースの様な……妖精か天使が着ているような服を身にまとっていた。


「えっ」


 何これ。ハロウィンには時期外れじゃね?流石の俺でも困惑なんだけど。


「目覚めましたね、ブッコロー」


 呼びかけられた声に視線を上げる。玉座に腰掛けているのは、これまたよく知る顔だった。


「オカザキさんじゃん!」


「……」


 俺はウヒャヒャと笑い声を上げた。その場に俺の声だけが無駄に響く。


「オカザキさん何その格好!コスプレ?つーかこれ何の撮影?企画聞いてないんだけど」


「……」


 返事は無く、玉座に腰掛けるオカザキさんはただ微笑んでいる。控えている社員達も静かな面持ちで、誰ひとり声を上げなかった。


「違うの……?」


 笑い声を上げるスタッフもいないし、本当にここはいつもの撮影現場ではないことが分かる。


「私は文具の女神」


「女神」


 オカザキさんの顔をした文具の女神は、慌てる俺などお構いなしに言葉を続けた。


「ブッコロー、あなたを呼んだのは他でもありません。ゆーりんちーの心をあなたに分かってもらうためです」


「ゆーりんちーの心」


 ファン心とかそういうの……ってこと?ファンからのご意見、お手紙なら普段から俺も目を通してるけど。女神はゆるりと首を横に振った。あ、心を読める系の女神なのね、ハイ。


「あなたには少しの間、ゆーりんちーとして暮らしてもらいます」


 女神が手にしている杖の宝玉が輝き出した。


「な、何?!」


「有」ロゴの入った宝玉が眩しくて、俺は目を細めた。女神は杖で、床をカン、と鳴らした。


「ゆーりんちーの心を理解した時、あなたは更に成長するでしょう」


 俺の足元の床がフッと消え、俺は真っ逆さまに落ちていく。


「うそだろぉーーーー?!」


我が家に有隣堂のYouTubeがおすすめされるようになったのは、つい先日のことだ。

 妻が美容院ついでに学生時代の友人とお茶をすることになった、とある土曜日のことだった。


「じゃあ、夕方には帰るから。ゆうりのことお願い」


「いってらっしゃい。楽しんでね」


 妻を見送った僕はリビングに戻る。娘のゆうりはテレビでYouTubeを観ていた。幼児向けの動画はそれなりに充実しているので、妻や僕が家事をする間に娘に観せている。

その日、僕は娘と自宅でゆっくりすることにしていた。娘がリビングで遊んでくれている間に、本を読むつもりだ。お気に入りの作家の新刊を買い込んだ割に、なかなか読み進められていなかった。

 クラフト紙に緑のプリントがされているカバーは、書店オリジナルのものだ。僕にはお気に入りの書店がある。

 有隣堂──神奈川県民なら誰もが知っていて、何なら全国規模の知名度と誤解するくらいには馴染みの書店だ。

 僕の地元にも有隣堂の店舗があって、大学を卒業するまでの二十年近くの間通いつめていた。週刊の漫画雑誌や、消しゴム、シャープペンの芯……身の回りの書籍や文具類は全部有隣堂で買っていた。

 社会人になり十数年。結婚して娘を持つ父親になった僕は、新居を構えた街にも有隣堂があると知って心強さを感じていた。昔馴染みの誰かが近くにいてくれるような、そんな、安心感だった。

 さて僕が書斎から本を持ってリビングに戻ると、娘はソファに座ってYouTubeを観ていた。我が家のテレビはもはや「映像系のサブスクか、YouTubeを観るもの」になっている。

 娘は熱心に動画を観ている。僕も隣にかけ、「何観てるの?」と声をかけた。


「ブッコローちゃん!みてるの〜」


 娘はうれしそうに声を上げた。


「え、ブッコr……?!なに?」


「ブッコロー!ちゃん!!」


 何やら物騒なワードに聞こえてしまい、思わず聞き返す。娘はにこにこしながら画面へ視線を戻した。


 あまり可愛いとは思えない、茶色いまん丸のパペットはクチバシを持つ形状から、何かの鳥に見えた。

 変声されたボイスと、気取っていないと言えば聞こえが良いが、あまり上品とは思えない語り口から「おじさんが中の人……なのか?」と僕は思った。

 相方の女性は眼鏡をかけ、白いブラウスを見に纏ったマダムで、にこにこと愛想の良さそうな人だ。

 軽妙なやり取りが心地よくて、文具や書籍、さまざまな動画の内容がスルスルと入っていく。

 この日から、僕もすっかりゆーりんちーになってしまったのだ。


 現在進行形で妻にも布教しているが、普段YouTubeでもジャンル違いの動画を観る妻にはいまいち伝わっていない。


「ね、ブッコローちゃんの小さいぬいぐるみが再販されるんだけど。僕明日買ってくるよ!」


 僕はダイニングテーブルに置いたタブレット画面を妻に見せながら、熱く語る。妻はあいまいに頷き、微笑んでいた。


「まあ、小さいぬいぐるみなら置場にも困らないし、買っても良いけど……」


 ゆうりは今日も今日とてリビングで有隣堂のYouTubeを観ていた。動画では「クラフトパンチ」という、紙の型抜きに使う文房具の紹介をしていた。様々な形で穴を開けたり、型を抜いたりとなかなか面白い道具だと分かった。

 娘は楽しそうに観ている。


「パパー、ゆうりもパンチ欲しい!」


「クラフトパンチ?」


 動画ではオカザキさんが私物のクラフトパンチをいくつか紹介しており、なかなか興味をそそられた。ブッコローに好き勝手なことを言われても、ニコニコと商品の話をするオカザキさんのマイペースぶりは観ていて心地よいテンポだった。


「ゆうちゃんはクラフトパンチで何をしたい?」


「いろがみにね、かたちのあなをね、あける〜!それでねえ、おてがみかくの」


 僕は娘がどうしたいのかをきいてみた。娘は僕の母(ばーば)や友だちに時々手紙を書いて送っている。娘なりに考えがあってのことなのだ。


 妻から追求を受けた際、理由を述べるに当たって十分だと僕は考えた。(妻曰く、僕は娘にかなり甘いそうだ)


 妻は僕の考えなどお見通しらしく、小さくため息を吐いて、苦笑している。


「わかった。じゃあ、明日パパが買ってくるね!」


「ゆうりもいっしょいきたい〜」


「ゆうちゃんは明日プールのおけいことかあるからね。また今度一緒に行こう」


 妻が慌てて娘をたしなめる。僕はちょっと睨まれたのが分かったので、大人しくコーヒーを啜った。


「んー。わかった」


 それにしても、娘が文房具に興味を持つとは……。

 僕は文具マニアという程ではないが、自分が使う筆記具やノートには少しばかりこだわりがあるタイプだ。中学生の頃に買ったぺんてるの「スマッシュ」というシャープペンは未だに現役だし、ライフの「ノーブルノート」には読書や映画の感想を書きつけている。愛用の万年筆は父から譲り受けたPILOTの「カスタム」のSFだ。

 結婚する何年か前に妻と立ち寄った文房具売場で「キミはなかなかの文具オタクなんだねぇ」と言われたことを思い出す。

 この調子なら、娘も立派な文具オタクになりそうだ。



「いらっしゃいませ」


 店員の朗らかな声を背に、僕は急ぎ足で売場を進んだ。目当ての品は決まっている。展開場所も事前にTwitterで告知されていたから、僕の足取りに迷いはない。

 緑色の書籍が積み上げられたレジ前の拡販台。そこに併売されている関連商品の中に、僕が探している品があった。丸い大きな陳列カゴにごろごろと積まれている。


「ブッコロー・ボールチェーン付きぬいぐるみ」


 うつろで生気のない目をしたミミズクのぬいぐるみに、ボールチェーンが付いている。この、なんとも言えないシュールな見てくれのミミズクが、僕の愛する「R.B.ブッコロー」だ。(三歳の娘と僕は「ブッコローちゃん」と呼んでいる。妻は合わせてくれているが、そのかわいさがいまいち理解できないとのことだ。残念である)

 

 僕は胸が熱くなった。小さなブッコローちゃんがこれでもかと店先に並んでいる。感慨深い面持ちでブッコローちゃんを見つめる僕を横目に、女性客がひとつ手に取りレジへ持ち込んでいった。

 僕もそれに倣って、娘の分と僕の分……そして妻にもと三個購入することにした。買い物カゴへ、そっと並べる。同じブッコローちゃんのはずなのに、三個とも表情が違って見える。僕なりにニコニコしているようなものを選んだ。

 そして、文房具売場へ行くと品出しをしていたスタッフさんに声をかけた。


「すみません、先日おたくの動画で観たんですけど……」


 スタッフさんは大学ノートを棚に補充していた。手早く棚下のストックへ束ノートをしまうと、僕の正面に来てくれた。微笑んでくれたのがマスク越しにも分かる。


「ありがとうございます!お探しはどちらでしょうか」


「ええと、クラフトパンチです」


 スタッフさんは微笑んで「こちらでございます」とキビキビとした足取りで目当ての棚前まで案内してくれた。


「お探しのクラフトパンチでございます」


「ありがとうございます」


「あら、お客様!今日はブッコローもお求めですね」


 スタッフさんはカゴに入ったブッコローちゃんを見ていた。少し照れ臭いが、ここは隠しても仕方ない。僕はブッコローちゃんと有隣堂のファンなのだ。


「そうなんですよ。娘と僕が大ファンなもので」


 スタッフさんはマスク越しにも分かる笑顔で頷いてくれた。


「まあ、ご家族で!ありがとうございます」


「クラフトパンチも、娘が欲しがりまして」


 棚を見るとクラフトパンチは大小だけでなく、形も様々だった。きっちり並んでいるパンチはかわいらしい。


──これは、なかなか「沼」なのかもしれないぞ。


 娘も僕に似て収集癖の片鱗を見せてきている。僕は大きめの星とハート、小いクマの形をしたものを選んだ。今後、沼の民になった娘と通うことになりそうだ。


「お嬢さま、きっと喜んでくださいますよ」


「これはまた買いに来ることになりそうです」


 うふふ、とスタッフさんが笑ってくれた。


「今度はご家族でいらしてくださいね!お待ちしております」


「ありがとうございます」


──素敵な接客を受けると、うれしくなるなあ。


 文具売場から離れた僕は、文芸書やコミックの新刊を見繕い、レジに向かった。数人並んでいるが、ピークタイムを外して来ていたので、そこまで待たずに済みそうだ。

 僕はレジ前に並んでいる菓子類に目を留めた。ブッコローちゃん以外に、僕が狙っている品が……あった!

 「やみつきしみかりせん」のパッケージを手に取る。

 いつも品薄だから、あればラッキーくらいに思っている僕だ。今日はなかなか幸運な日なのかもしれない。パッケージをひとつカゴに入れる。

 ──山形県にある「さがえ屋」発のしみかりせんは、甘辛い醤油味のたれを染み込ませた濡れ煎餅をじっくり乾燥させて作られるそうだ。カリカリとした食感で、これが美味い。正直な所、歯の治療中ならおすすめできない。詰物がやられそうになる位には、かたいのだ。我が家では、娘は虫歯ひとつない自慢の乳歯でバリバリと食べているが、僕は緑茶を片手にちびちび食べている。

 東北エリアの一部では直売店があるらしいが、僕は有隣堂でしか買ったことがない。僕以外にもしみかりせん目当てと思しき女性が個数制限を確認していた。

 

 レジのスタッフさんは「こちらへどうぞ!」とハキハキとした声で僕を呼び、対応をしてくれた。会計を済ませ、手持ちのエコバッグに本日の戦利品であるクラフトパンチや煎餅、ブッコローちゃんをしまう。


「娘と僕が大ファンなんですよ」


 問われた訳でもないのだが、僕はファン心を伝えてしまった。

 スタッフさんはにこにこ微笑んで「ありがとうございます!これからも応援してくださると嬉しいですっ」と淀みなく返事をしてくれる。

 僕はエコバッグを肩に掛け、颯爽と店を後にした。

 家で待つ我が子にブッコローちゃんを渡したい。娘の笑顔を思い、足早にバス停へ向かったのだった。



 さて、ブッコローちゃんのぬいぐるみを三つ購入した訳なのだが。


「みんなおかおがちがうから、えらべなーい〜」


 と娘が言い出し、三つ抱きしめている。僕は焦りまくってしまった。な、何て欲張りなんだ……!

 妻に助けを求めるも、あっはっは!と笑っている。


「ママの分はゆうちゃんにあげるから、ふたつで我慢したら?パパ泣きそうだよ〜」


 娘はくり、と顔を僕に向けた。


「パパ、ブッコローちゃんほしい?」


 フフン、と悪い顔をしている。な、何て小悪魔なんだ……!!かわいいぞ!


「そりゃあ……。僕もブッコローちゃんのぬいぐるみ欲しいよ」


 自ら買いに行く位だ。というか、僕が買ってきたんだけど……?という言葉はこの時思い付かなかった。

 娘はうんうん、とうなずき三つ並べたブッコローちゃんから一つ選んだ。


「じゃあね、いちばんしっかりものなブッコローちゃんをあげまーす!」


 僕の手の上にポンとブッコローちゃんを置き、娘は得意げだ。かわいいぞ!


「ねえ、ねえー!パパ、クラフトパンチは〜?!」


 僕の腕をゆさゆさしながら娘が大声を出す。おっきい声出せて元気な娘がかわいい!


「たくさんあったから、少し選んできたよ」


 大きめの星とハート、小いクマの形をしたクラフトパンチをテーブルに出してやる。娘はきゃああ!とはしゃいだ。


「パパありがとう!だいすき!」


 だいすき頂きました!ありがとうございます!にまにまする僕に妻が苦笑している。娘は僕からクラフトパンチを受け取ると、さっそく色画用紙に穴をあけようとした。少しの間苦戦していた娘が僕を呼ぶ。


「パパ〜!できなーいー〜」


「ええ?どれどれ……。む、これ結構固いな」


 ガチン、と固い音を立ててパンチが紙に穴をあけた。星の形に穴があいた紙を見て、娘はご満悦だ。


「わー!パパじょうず!ね、こっちもやって。おほしさまとハートをじゅんばんこにして!」


「はいはい」


 僕は娘に言われるまま、ひたすら紙に穴をあけ続けた。最初は固かったパンチも、徐々に使いやすくなってきた。よしよし。

 僕は腱鞘炎になりかけながら、娘の気がすむまで工作を手伝ったのだった。


「ゆうちゃん、お手紙作るって言ってたけど誰に書くの?」


「ブッコローちゃん!!」


 娘は得意げにハガキサイズの紙に描いたブッコローちゃんを見せてくれた。ブッコローちゃんと手をつないでいるお姫さまもいる。


「このお姫さまは誰?」


「えー?!わかんないの?ゆうりだよ!」


 お姫さまなんだね〜!かわいいぞ!

 僕はうんうん、とうなずいた。娘は先程僕が穴をあけ続けた色画用紙に、ハガキを貼り付けた。額縁に収めたような仕上がりだ。星とハートのモチーフが交互に並んでいて、なかなか良い。かなり良い。

 はわ、娘の美的センスが素晴らしくてどうしよう……!僕はスマホで娘と作品の写真を撮る。妻は笑いながら僕たちを見守っていた。


「ねえ!せっかくだから、ちゃんと有隣堂に送ったら?」


 妻の提案に、僕も大賛成でいそいそと送り先を調べる。有隣堂のホームページを見るに、ファンレターの送り先は店舗ではなく本社で良さそうだ。

 僕はデスクから角3サイズの封筒を引っ張り出してきた。ついでに一筆箋も。せっかくだし、僕も手紙を書こう。


「パパもブッコローちゃんにおてがみかくの?」


「ん?そうだね。『家族で楽しく拝見しております』……と」


 正直なところ、もっとあれこれ書きたい気持ちがあった。だが、今回は娘渾身のファンレターが主役なのだ。僕のファン心はお店の人に直接伝えているから良しとする。


「パパー!ブッコローちゃん、おてがみよんでくれるかな」


 大きな封筒に宛名を書く僕に、娘がそわそわと声をかけてくる。


「もちろん、読んでくれるよ!ゆうちゃんのお手紙は本当に素敵なんだし」


「うん!!」


 娘は二つのブッコローちゃんを手でいじりながら、元気いっぱいに笑った。

 きっと本社の人が見て、広報の人も見て、やがてブッコローちゃんまで届くのかな、と思うと感慨深い。


「おへんじくるかな」


「うーん、ブッコローちゃんはお仕事が忙しいから、ちょっと難しいかも……?」


「だよねえ〜!にんきものだし!」


 娘はうんうんとうなずいて、でも満足げに笑っている。

 ご多忙のブッコローちゃんに理解を示す娘、本当に良い子だなーーー〜。

 目を潤ませる僕に妻は半笑いだった。




 ガボ、ゴボボボボボボ……!!


「グウェーーーッ!!ゲッホォーー!ホォー〜!」


 ザバー!と風呂釜から飛び出し、勢いのままビタンとタイルに倒れ込んだ俺は、この世の終わりかという位咳き込んだ。

 風呂で溺死しかけるとか、マジで勘弁なんだけど?!俺はまだ死にたくねえ!


 ゆっくり湯船に浸かってリラックスするつもりが……!足を滑らせるなんて、完全に自分の不注意だ。俺のチャームポイントの一つである短くてちっちゃい足は、人間用の風呂釜には適していないのだ。


「はぁー。どっと疲れた……!もう寝よ……」


 風呂から上がった俺は、全身にドライヤーを当ててフワッフワにすると、晩酌もせず布団の中へ潜り込んだのだった。



「はよざいま〜す」


 この日は撮影の前に本社で企画会議がある。背伸びをして会議室のドアを開けた俺に、資料を整理していた社員の一人が声を掛けてきた。


「ブッコロー!今月のお手紙が集まったのでお渡ししますね」


「お、ファンレ?!ありがとー。……んん?」


 その社員が身につけているのはオフィスカジュアルのはずだが、一瞬ふわふわしたワンピースを着た姿がよぎった。エルフ?天使?何かそんなのだった。


「どうかしましたか?」


 ぱちくりと瞬きをする。


「え?大丈夫!なんでもないよー。ファンレ頂戴しまーす」


 受け取ったボックスファイルを頭上に担いで、ぽてぽてと自席に運んだ。

 会議が始まるまでの間、ボックスファイルに詰まったファンレターに目を通す。俺のファンはありがたいことに、ちびっ子からご年配まで幅広い層がいて、読んでいてなかなか興味深いのだ。

 ひときわ大きな茶封筒を手に取る。


「B5くらいあるな」


 中から出てきたのは、緑色の色画用紙に貼られたイラストだった。俺と、俺の羽色に合わせたオレンジと緑色のドレスを着たお姫さまの絵が描かれている。二人ともニコニコと笑っている絵だった。キラキラのシールもたくさん貼ってある。

 色画用紙はクラフトパンチで型抜きしてあって、額縁に入れたように見える。


「ブシコロ〜ちやん、と ゆラり」


 大きく書いてある。クーピーのような色鉛筆でせっせと描いたのだろう。小さな子が一生懸命作った姿が目に浮かんだ。

 そして、一筆箋には親御さんからも応援の手紙が書かれていた。


「ブッコローちゃんと、有隣堂のみなさま

いつも家族で楽しく拝見しております。

娘のゆうりがクラフトパンチを使って、今回のお手紙をかわいくしました。

ブッコローちゃんと、有隣堂をこれからも応援しております」


 一筆箋に綴られているのは、字からして送り主の少女の父親だろう。

 優しげなひょろっとした後姿。ぬいぐるみを嬉しそうにいじっていた。会ったこともないはずなのに、俺は彼らをよく知っている。

 常日頃から有隣堂に親しみ、俺を応援してくれている。


「……う」


 視界が滲んだ。鼻がツーンとしてくる。


「うぇえん」


 俺は普段人前で泣いたりしないんだけど、今日はいつにも増して感激してしまった。

 

「俺、ゆーりんちーに愛されてるーーーーー〜!!!」


 ブッコローがファンレターで感激して、泣いている。マジ泣きだ。会議室に集まり始めていた社員たちは一人を除いて困惑していた。

 えーんえーんと泣き続けるブッコローの丸い後頭部をフワフワなでてやっているのは、オカザキさんだ。


「ブッコローも、ゆーりんちーの心が分かるようになったのねえ」


 ブッコローの涙を近沢レースのハンカチで拭ってやりながら、女神は満足げに頷くのだった。

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ブッコロー、ゆーりんちーの心を知る 弥栄 @yasaka434

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