生きてさえいれば

「え」

 思わず、声が出た。通勤途中の電車の中、暇つぶしに見ていたツイッターのタイムラインにそれは流れてきた。

 推しが、亡くなった。

 面倒くさい仕事のために早起きをした頭は、正直回っていなかった。だけどそのニュースだけは、しっかりと私の中に入ってきた。

 アイドルに興味を持ったのは、大学生になってから。高校生までは卑屈すぎて、そのキラキラした世界を見ると劣等感に襲われてしまいそうで、意図的に見ないようにしていた。大学に入っていい意味で自分が変わっていったとき、ようやく見れたその世界は、やっぱり輝いていて、思っていたよりもたくさんの幸せと夢を私に与えてくれた。

初めて、その世界を好きになれたきっかけの人。それが突然、いなくなった。

 受け入れがたいその事実は重く私の胸にのしかかり、しかしそんな一大事より、今から仕事に行かなければならない社会人という立ち位置は、私に悲しむ暇すら与えてくれなかった。職場の最寄り駅について、人という波にのまれながら外へ吐き出される。私には、嗚咽すらも許さないくせに。

 ぼんやりとする頭をよそに、足はしっかりと動いていた。


 何の感情もなくひたすらにパソコンに向かっていれば、定時まであっという間だった。仕事を終え、仕事帰りの人達にもまれながら電車に乗り、最寄り駅まで四駅分。携帯を見ることもせず、ぼうっと窓の外を眺めた。そうして気づけば、最寄り駅のホームに降り立っていた。

 ここで立ち止まっていてもどうしようもないので、のっそりと帰路につく。途中でコンビニに寄って、夜ご飯とお酒を買う。レジに行く途中に、スイーツコーナーが目に入った。

「…シュークリーム、好きだったな」

 誰に言うわけでも無いつぶやきが、店内に消えた。ホイップがたっぷり入ったシュークリームをそっと手に取って、かごに入れた。

 家に誰かが待ってくれているわけでもないので、ただいまなんて言わない。帰ってこない言葉を言ったって、虚しさが広がるだけだから。

 買ったご飯を温めて、テーブルに並べる。お酒を開けて、小さな声で「かんぱい」と言った。まずは喉を潤わせるために、檸檬チューハイをぐびり。アルコールが、私の体の中に入っていくのを感じる。缶を置いて、割り箸を手に取る。ぱきっと割れたそれは、真ん中の割れ目から綺麗に二つになった。

 お米を一口。美味しい。

おかずの唐揚げも、噛み切ることなく口の中に詰める。美味しい。

 ご飯を口に運ぶたびに頭によぎるのは、口いっぱいに食べ物を詰め込み、幸せそうに笑う推しの姿だった。さっきまで無感情だったはずなのに、一口一口を噛みしめるたびに、あの、見る人みんなを笑顔にするような姿を思い出して、ぼろぼろと目から涙がこぼれていく。


 ねえ、あなたが生きていたその場所は、私が思い描いているより醜く辛かった?

 綺麗な場所で、綺麗なところだけを見せ続けるのは、どんなに苦しかった?


 空に飛んで行ってしまったその人を思えば思うほど、涙は止まらなかった。それでも私は、ご飯を食べる手を止めたりしなかった。だってあの子が、いつか言っていたんだ。

「ちゃんとご飯を食べて、しっかり寝て、ただ、生きていてください。それだけでいい。それだけが、自分を救ってくれるから」

 そう、あの子はファンの私たちに言ってくれたんだ。だから、ちゃんと食べる。食べ終わったら、お風呂にゆっくり入って、ベッドでしっかりと寝るんだ。生きるために、生き続けるために。

 あの時救われると言っていた『自分』は、私たちのことを指していたのかな? それともあなたのことだったのかな。今はもう、確かめるすべもないけど。でも、貴方も私たちの存在に救われていたなら、これ以上の幸せはないな。

 ご飯を食べ終えて、シュークリームの袋を開ける。ふんわりと甘い香りが鼻をくすぐった。一口かぶりつくと、ホイップクリームが口の中いっぱいに広がって、疲れた体にその甘さが染み渡った。少し収まっていた涙が、再びぼろぼろと溢れる。

 あの子がいなくなった実感は、まだない。でも、もう生きているあなたを見ることはない。 私があなたに会うには、過去の映像や写真を眺めるしか方法がない。それでも。


 今あなたがいる場所が、生きている時よりも暖かい場所でありますように。

 いつまでも笑って、幸せでいられる場所でありますように。


 それだけを想いながら、あの子の大好物を味わう。

あなたがたとえどんなに遠く離れた場所に行っても、その場所で、私の大好きな顔で笑ってくれているなら、それでいい。それだけがいい。

それだけが、私を救い、生かし続ける。

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一話完結 過去作品 寧々子 @kyabeko

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