エンジェルorデビル? 〜天使と悪魔の争奪戦〜

桜井愛明

エンジェルorデビル? 〜天使と悪魔の争奪戦〜

「おいはな、のどかわいた」

「ムダン様、花様をこき使うなんてなにを考えているのですか!」

「それならお前が用意しろ、ちんちくりん」

「ちんちくりんじゃありません! ユリエルです!」

「同じだろ」

「同じじゃないです!」

「じゃあユリエル。名前で呼んだから用意しろ」

「いやです!」

「ちょっと! 集中できない!」


 ユリエルとムダンはぴたりと動きを止め、言い合いを止めた少女――恵比須えびすはなに視線を移す。

 花は椅子をくるりと回し、じとっと二人をにらんでいた。


「そうですよムダン様! 花様の勉強の邪魔をしてはいけません!」

「なに自分は関係ないみたいに言ってるの。ユリエルも邪魔してるからね」


 ガーンと効果音が出そうな表情のユリエルに、花は大きくため息をつく。

 ユリエルのうしろにいるムダンは、もう自分は関係ないと言わんばかりに、空中で器用にねそべって漫画を読んでいた。

 その光景を見て、花はふたたび大きなため息をついた。


 さかのぼること一ヶ月前。天使と悪魔は同じ日の同じタイミングに、突然花の部屋に現れた。


「はじめまして! 私、ユリエルと申します!」

「お前、俺の嫁になれ」


 一方はレースが散りばめられた白いワンピースに、背中には真っ白い翼が生え、頭には金色の輪が浮いている少女。

 もう一方はレザー調の服を身にまとい、背中にはカラスよりも黒い色をした翼、そして頭からはツノが生えた青年。

 二人とも空を飛んでいて、花をニコニコと見つめていた。

 ベッドに寝転んで漫画を読んでいた花は二人を見て、無言で漫画を置いて立ち上がる。


「……セールスならうちはお断りしてます」

「ま、待ってください! 話だけでも聞いてください!」

「悪質なセールスの定番のセリフじゃないですか! 帰ってください!」


 ユリエルと名乗ったかわいらしい少女は、部屋のドアを開けようとした花の腕をつかんで引き留める。

 ふりはらおうとしてもユリエルの力は強く、二人はドアの前で格闘する。


「やめてください! 警察呼びますよ!?」

「落ち着いてください! 私たちはあやしい者じゃありません!」

「それじゃダメだろちんちくりん。このムダン様が手本を見せてやる。どけ」


 二人のやりとりが終わらないと判断した青年――ムダンは「ちんちくりんじゃなくてユリエルです!」と怒るユリエルを片手でどかし、花のあごに手をそえる。

 もう片方の手で簡単に壁に追い詰められ、花は身長差から自然とムダンを見上げる形になっていた。


「こういうのは、てっとり早く終わらせるのが一番なんだよ」


 ムダンの彫刻ちょうこくのように整った顔が花に近づく。

 もしかしてこれは壁ドンではないかと、花は自分が今置かれている状況をようやく理解した。

 漫画で何度も見たシチュエーションで、たまにクラスメイトとふざけてやっていたが、まさか自分が壁ドンをされる日が来るなんてと花はとまどう。

 ムダンの背後で、ユリエルがあれこれ騒ぎながら引きはがそうとしているため、少女漫画のようなムードは一切なかったが。

 ユリエルを気にせず、ムダンはさらに花へ顔を近づける。


「ちょっと花、騒いだら下の階の人に迷惑でしょ!」


 そのとき、花の母親が勢いよく部屋のドアを開けた。

 母親から見れば、娘が怪しい格好をした青年に壁ドンをされていて、青年のうしろには天使の格好をした少女がしがみついている。

 勘違いされるわけにはいかないと花はムダンを突き飛ばし、あわてて母親に詰め寄る。


「お母さん、これは違うの! ていうか、頭おかしいセールスの人なんか部屋に入れないでよ!」

「おい、誰が頭おかしいだよ」


 花はうしろで騒ぐユリエルとムダンを力強く指さす。

 部屋の中をじっと見つめ、花の母親は不思議そうに首をかしげた。


「あんた、なに言ってるの?」

「え?」


 花はユリエルとムダン、そして母を交互に見てもう一度「え?」とつぶやいた。


「――で、二人はそれぞれ天界と魔界から来た天使と悪魔なのね」

「さっきから説明してるだろ」

「いや、季節外れのハロウィンを楽しむ愉快ゆかいな人なのかなって」

「仮装じゃねぇよ」


 花は二人の説明を半信半疑で聞いていたが、どうやら嘘をついているわけではないと理解した。というより、納得するしかなかった。

 そうでなければ変な格好をしているのも、空を飛べるのにも説明がつかなかった。


「先ほど分かったと思いますが、私たちは花様以外には見えていませんのでご安心ください!」


 ユリエルとムダンが母親に見えていなかったのなら、部屋で一人騒いでいる変な娘に思われたかもしれない。

 きっと違う意味で勘違いされたと花は頭をかかえるが、気を取り直すように大きくせきばらいをする。


「えーっと……じゃあ、まずユリエルから。私のところに来た理由をどうぞ」


 律儀りちぎに正座をしていたユリエルはぺこりとおじぎをして、花にあどけない笑顔を向ける。


「私は大天使様の使いとして、聖女様のお迎えに上がりました!」

「聖女?」

「はい! 大天使様に選ばれた人間の女の子は、天界で聖女様になれるのです!」

「へー……それで、私が聖女に選ばれたの?」

「そうです! 花様は聡明そうめいであり、可憐かれんうるわしいお姿、誰にでもお優しい慈愛じあいの精神をお持ちの方。聖女様としてこれ以上ない素質をお持ちなのです!」


 花は成績もクラスでは上の方で、見た目にも気をつかっていて、面倒見のいい性格からまわりに頼られることが多かった。

 ユリエルにこれ以上ないほどにめられ、花は次第に照れくさくなっていった。

 しかし、同時に心のどこかで冷静になっている花もいた。

 聖女という立場は少女漫画のようであこがれはあるが、自分のキャラではないなと、花はユリエルの話を聞きながらうんうんと一人で納得する。


「ですが……本当は大天使様の使いではなく、個人的に花様とお近づきになりたくて……叶うのなら実家に連れてごあいさつを……」

「ごめん。聞こえなかったからもう一回いい?」

「な、なんでもありません!」


 近くにあったクッションへずかしそうに顔をうずめるユリエルを見て、花は部活でかわいがられている後輩を思い出した。

 きっと妹がいたらこんな感じなんだろうと、ユリエルの頭をぽんぽんとなでる。

 それがユリエルをさらに赤面させていたことに、花は気がついていなかったが。


「じゃあ次はムダン。なんで私のところに来たの?」

「お前が気に入ったから」


 ユリエルと真反対のあまりにも足りない説明に、花はまゆを寄せる。


「あんたコミュニケーション下手って言われるでしょ。もう少し詳しく」

「花嫁を探しに来た」

「もうちょい」

「よくばりだな。俺はよくばりな女もきらいじゃないぞ」

「いいから早く」


 花は楽しそうにするムダンを一蹴いっしゅうする。

 その反応が面白くなかったのか、ムダンはつまらなそうな顔をして話し始める。


「魔界では悪魔の繁栄はんえいのために、悪魔以外の種族を花嫁に迎えるときがある。それにお前が選ばれた。というか俺が選んだ」

「花嫁探しって、王子様じゃないんだから……」

「王子だからな」


 突拍子もない発言に、花は目をぱちくりとさせる。

 自信満々に言うムダンが信じられず、花はとなりにいたユリエルと顔を見合わせる。


「あの悪魔、自分で王子とか言ってる……」

「ムダン様は悪魔ですから。嘘をつくのは得意なのです」

「聞こえてるぞ」


 ひそひそと話す花とユリエルにムダンは冷静にツッコむ。

 そして、ユリエルとムダンの話をひと通り聞き終わった花は二人に向き直る。


「じゃあ結論から。私は聖女にも花嫁にもならない」

「なんでですか!」

「なんでだよ」

「なんでって、当然でしょ! 部活とか勉強とかやりたいことはたくさんあるし、ていうか私まだ中学生だし!」

「聖女様は年齢関係なくなれますよ!」

「悪魔の花嫁に年齢なんか関係ねぇ」


 花の言葉に、ユリエルとムダンはすぐさま言い返す。

 この二人はなんと言えばあきらめてくれるのか。ここでうなずいてしまえば最後、人間としての人生が終わってしまうかもしれない。それだけは絶対にけなければならないと花は思考をめぐらせる。

 いい案が思いつかずなやむ花に、ユリエルはずいっと顔を近づける。


「私は、花様が聖女様になると言うまであきらめません! なにより、花様をムダン様に渡したくありません!」

「じゃあ俺は花が花嫁になると言うまでここに居続ける。このチビに花を渡す気はない」


 それから、ユリエルとムダンは花の部屋に一方的に居候いそうろうをすることになった。

 最初は花も抵抗ていこうしていたが、一ヶ月も経てば二人がいるのもすっかりれてしまっていた。


 ユリエルは宿題を進める花の手元をのぞき込む。


「花様っ。宿題を終わらせたら、私とお茶しませんか?」

「うん。もうすぐ終わるから、そしたら用意するね」

「そいつより俺とだろ」

「はいはい。じゃあ三人でね」


 花はノートから視線を外さずに答える。

 二人きりになろうという作戦が失敗したユリエルはくずれ落ち、ムダンは花の見えないところでユリエルをあざ笑う。

 そして無事に宿題を終えた花は、冷蔵庫にあったジュースとクッキーを用意し、二人とおだやかな時間をすごしていた。


「まったく、俺様にこき使われるのを感謝してほしいな」

「ありがとうございますー光栄こうえいですー」

「未来の旦那だんなだろ。優しくしろよ」

「そんな態度の旦那、こっちからお断りなんだけど」


 花のつき放すような言い方に、ユリエルはぷぷぷと花の見えないところでムダンを笑う。

 ユリエルとムダンはばちばちと火花を散らすが花はそれに気がつかず、のんびりとクッキーを味わっていた。

 すると、部屋の外から小さく猫の鳴き声がする。


「モモ太ー。おいでー」


 花が呼びかけると、モモ太と呼ばれた猫は器用にドアを開けて部屋に入り、そのまま花の横に寝転ぶ。

 モモ太はあお向けになり、なでてほしいと言わんばかりにのどを鳴らした。


「もー、最近ずっと甘えんぼなんだから」


 花は困ったように笑いながらモモ太の腹をなで、モモ太はうれしそうに花の手にじゃれつく。

 あっという間に花とモモ太だけの空間ができあがり、ユリエルとムダンはしぶい顔をして花とモモ太がじゃれる様子を見守っていた。


「そうだモモ太。久しぶりにお風呂入れてあげる」


 花の提案に、ユリエルとムダンはどきりと体が跳ねる。

 お風呂という言葉から想像して顔を赤くする二人に気がつくことはなく、花は立ち上がってモモ太を抱きかかえる。


「モモ太はお風呂大好きだもんねー」


 甘えたように鳴くモモ太に花は笑い、くるりとふり返ってユリエルとムダンを見る。


「二人とも、ついてこないでね」


 花は念を押し、モモ太とともに部屋を出ていく。

 部屋を出るとき、モモ太がユリエルとムダンの方を見て勝ちほこったように鳴いたのを、二人は見逃さなかった。


「あいつ、絶対俺たちが見えてるだろ」

「モモ太様がうらやましいなんて、ちっとも思っていないのです……!」


   * * * * *


「花!」


 チームメイトに呼ばれ、体勢を立て直した花のバスケットシューズからキュッと音が鳴る。

 ボールを受け取った花は、ドリブルで相手チームのブロックをかわし、ゴールネットの近くからシュートを決める。

 ゴールネットにボールが入ると同時に、体育館に試合終了のホイッスルが響き渡った。


「おつかれ! やっぱり花がいつも決めてくれるよねー!」

「ありがと。今度の試合で同じようにできればいいんだけどね」


 チームメイトや相手チーム――同じ女子バスケットボール部の部員とハイタッチを交わし、花は部員と体育館の掃除を始める。

 モップがけで競争をしていると、いつのまにか体育館の入り口に人だかりができていた。


「待って、躑躅森つつじもり先輩じゃん!」


 人だかりの中心にいる人物に気がついた部員の一人が、うれしそうに声を上げる。

 躑躅森つつじもり優羽ゆう

 花の一学年上に転入してきた男子生徒で、優羽の転入は花の耳にも届くほど話題になっていた。

 少女漫画から出てきたようなスタイルで、頭もよく成績はあっという間に学年トップ。

 スポーツも万能であらゆる部活から勧誘を受け、転入して一週間も経たずにファンクラブが結成されるなど、まさに完璧と言ってもいい人物だった。

 そんな優羽は、体育館の入り口でファンであろう女子生徒たちに囲まれていた。


「どうしたんだろ、彼女のお迎えとか?」

「でも先輩って、たしか彼女いないよね」


 花のうしろで部員たちが小声で話していると、優羽が花たちの方に向かって歩いてきていた。

 部員が期待したように盛り上がるなか、優羽は花の目の前で立ち止まる。


「恵比須花さん、だよね?」

「はい、そうですけど……」

「僕と、付き合ってくれませんか?」


 優羽の言葉を聞いて、まわりから悲鳴にも近い声が上がる。

 突然の告白に固まる花に、優羽はまわりにバラが咲きそうな笑顔で話を続ける。


「実はずっと部活をがんばってる姿を見ていてね。それから恵比須さんが気になってたんだ」

「え、えっと……」


 花の頭はすでにパンクしていて、今起きていることへの理解が追いついていなかった。

 まさかあの優羽が、自分をずっと見ていたなんて。


「週末、僕とデートしてよ。そこで返事をもらえないかな?」


 体育館にいる全員から注目された空気の中で断れるはずもなく、花はこくこくとうなずいた。

 花に連絡先を渡すと、優羽は女子生徒に囲まれながら体育館を出て行った。


「ちょっと花! どういうこと!?」

「躑躅森先輩といつ仲よくなってたの!?」

「先輩とデートってうらやましすぎ!」


 放心状態の花に、部員や体育館にいた女子バレー部までもが花に詰め寄る。

 そのあとはなにも手につかず、花は受け取った連絡先をぼうぜんと見つめながら帰宅した。


「花ぁ。今の顔ブスだぞいっっって!」

「なにを言ってるんですか! 花様はどんな表情も素敵です!」

「おいちんちくりんテメェ。俺様をなぐるなんていい度胸どきょうしてるじゃねぇか」

「ユリエルです。ムダン様こそ、花様を侮辱ぶじょくするなんていい度胸をされていますね」


 その夜、花の部屋ではユリエルとムダンの言い合いがいつものように始まった。

 だが、違和感を覚えた二人は言い合いをやめて花に視線を移す。

 いつもならすぐ止めに入るはずの花は、ベッドの上でスマホをながめてそわそわとしていた。

 それを不思議に思ったユリエルが花の横にちょこんと座る。


「花様、なにかあったのですか? 悩みがあればこのユリエルに相談してください」


 ユリエルは心配そうに花の顔をのぞき込む。

 ムダンも口には出していないが、ユリエルと同様に心配しているのが花に伝わった。

 花はスマホを置いて、もじもじしながら二人を見る。


「その、おどろかないでね?」

「はい! なんでも言ってください!」

「実はね……学校で先輩に付き合いませんかって言われたの」


 ユリエルは言葉を失い、その場にビターンと勢いよく倒れ込んだ。

 花より早くムダンがユリエルを助け起こし、花にけわしい表情で問いかける。


「花はなんて答えたんだ」

「えっと、まだ保留というか……」

「今すぐ断れ」

「返事は今度会ったときにって言われてるし……」

「断れ」


 ムダンは置いてあったスマホを手に取るが、花は急いでスマホを取り返す。


「どんな奴か知らねぇが、いきなり付き合えなんて常識を疑うぞ」

「先輩も、初対面で嫁になれって言う奴にだけは言われたくないと思う」


 花は恥ずかしさを隠すようにせきばらいをして、倒れたままのユリエルとムダンに言う。


「とにかく、先輩とは週末に……デ、デートの予定があるの! そこでちゃんと返事はするから、二人とも変なことしないでよね!」


 花のとどめの一言に、ユリエルとムダンのライフはゼロになった。

 その夜は部屋のすみで丸くなるユリエルと、珍しくユリエルをなぐさめるムダンの姿があった。


   * * * * *


「恵比須さん」


 次の日の休み時間、優羽は花のクラスにやってきた。

 きゃあきゃあと盛り上がるクラスメイトを横目で見ながら、花は優羽の元に向かう。


「えっと……なにか用事ですか?」

「昼休み、空いてるかな?」


 それは誰でもなく、花に対する問いかけだった。

 部活の集まりや呼び出しなどはなかったため、断る理由もないと花は小さくうなずいた。


「今度のデート、すごく楽しみにしてるんだ」


 そして昼休み、花と優羽は中庭のベンチで他愛たあいもない会話を楽しんでいた。

 通りすぎる生徒の視線を痛いほど感じて、花はあまり集中できていなかったが。


「今日の恵比須さん、いい香りするね」

「え、あ、えっと……昨日新しいシャンプー使ったから、ですかね」

「恵比須さんは身だしなみにも気をつかってるんだね」


 その笑顔を見て、花は優羽が裏で王子と呼ばれていることに心の中で納得した。

 自称王子のムダンよりよっぽど王子らしいと、優羽につられて花も笑顔になっていた。


「いたっ」

「ど、どうしました?」

「なにか飛んできた……?」


 頭をさする優羽の足元に、花はくしゃくしゃに丸まった紙が落ちているのを見つける。

 紙を広げると、そこには《バーカ》と書かれていた。

 優羽に見られないよう急いで紙を丸め、誰がこんなくだらないイタズラをしたのかと花はあたりを見渡した。

 すると上空にユリエルとムダンの姿を見つけ、花は思わずベンチから立ち上がる。


「ユリッ、ムッ……!」


 ユリエルはあわてていたが、ムダンは余裕の表情で花と優羽を見下ろしていた。

 そのとき、花はすぐにムダンが犯人だと分かった。

 だが、ユリエルとムダンは花にしか見えていない。ここで二人を呼んだら優羽やほかの生徒に変な人だと思われてしまう。

 二人へ怒りをぶつける代わりに、花は紙をさらにぐしゃぐしゃと丸めた。


「どうしたの?」

「い、いえ、なんでもないです! それより先輩、ケガはないですか!?」

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


 どこまでも優しい優羽に、花は二人への怒りがさらにつのっていった。

 放課後。花は部活がなかったため急いで家に帰る。

 すぐさま部屋に向かうと、ムダンはいつものようにくつろいでいたが、ユリエルは花の姿を見てわたわたとあわて始めた。


「二人とも、学校にはついてこないでって前に言ってたよね!?」

「すみません、その、花様に告白をした方が気になってしまって……!」

「あれをやったのはムダンだろうけど、止めなかったユリエルも同罪!」


 ユリエルは必死に頭を下げるが、ムダンは反省するそぶりを一切見せていなかった。


「今度のデートには絶対、絶対絶対ぜっっったいついてこないでね! ついてきたのが分かったら家から追い出すから!」

「花以外には見えてないんだから別にいいだろ」

「そういうことじゃないの!」


 かばんを投げ捨てるように置き、花はずんずんと部屋を出ていく。

 今なにを言っても火に油を注ぐだけだと理解したユリエルは、その場でがっくりと落ち込む。


「花様を怒らせてしまいました……ユリエルは天界に帰ります……」

「そしたら俺が花を魔界に連れていくからな」

「それはダメです!」

「なんなんだよ」


 ユリエルはムダンと言い合う元気もなくなったのか、ひざを抱えて丸くなる。


「……花様に、謝らなければいけないですね」

「どうせすぐに機嫌きげんよくなるだろ」


 そう言うムダンだったが、花の怒りはまったくおさまらなかった。

 結局、デート当日まで花とユリエルたちは一度も会話をすることはなかった。


   * * * * *


「先輩、お待たせしました」

「ううん、僕も今来たところだから大丈夫だよ」


 優羽とのデート当日。

 花が待ち合わせ場所に向かうと、そこにはすでに優羽がいた。


「恵比須さん、そのワンピースすごく似合ってるね」

「ありがとうございます。先輩と出かけるからオシャレしなきゃと思って……」


 優羽の横を歩くのに、いつものカジュアルな服装では似合わないと、花はクローゼットの中を探して見つけたワンピースを着ていた。

 ショッピングをする予定だったため、花と優羽は近くのショッピングモールに向かう。


「そうだ。これから花ちゃんって呼んでもいいかな?」

「え!? い、いいですけど……」

「ありがとう。花ちゃん」


 自分が知らなかっただけで、実は優羽はこんなに積極的だったのかと花はどきりとする。

 だがこのくらいで浮かれてはいけないと言い聞かせ、花はショッピングを楽しもうと心に決めた。


「花ちゃん、その帽子似合ってるよ」

「先輩も、こっちの服とか似合うと思います」


 新作アイテムやお互いに似合いそうな服を見てから、二人は日の当たるテラス席でクレープを食べて休憩きゅうけいする。


「花ちゃん、ここついてるよ」


 優羽は花の口元にふれ、花はあわてて口元のクリームをぬぐう。

 楽しそうに笑う優羽は本物の王子様のようで、花は思わず顔を赤くした。


「……むぅ、お二人はいい感じですね」

「あいつ、人前でよくあんなことできるな」


 花たちから少し離れた上空では、ユリエルとムダンがデートの様子を見守っていた。


「で、ちびっこはなんでついてきたんだよ」

「ユリエルです! ムダン様がなにかしないか見張っているのです! 決してあの方が花様とデートできるのがうらやましくて見にきたなんて、ちっとも思っていないのです!」

「全部口に出てるぞ」


 謝るタイミングをことごとく逃していた二人は、デートが終わってから謝ろうと話し合い今にいたる。

 デートを楽しむ二人はどこかいい雰囲気で、ユリエルとムダンは花を見守りつつも、どこかもやもやとした気分だった。


「あいつ、気に入らねぇな」

「かわいらしい花様が見られるのはうれしいですが、ムダン様と同じ考えです」


 そして夕方になり、花と優羽は人気ひとけのない公園に来ていた。

 遊具やベンチもオレンジ色に染まっていて、家族連れや子どもたちはすでに帰っているのか、公園には二人以外に誰もいなかった。


「今日はありがとうございました」

「こちらこそありがとう。とっても楽しかったよ」


 わざわざ公園に来たということは、優羽は告白の返事を待っているのだろう。

 そう理解した花は、ワンピースをぎゅっとにぎりしめる。


――あれだけ練習したんだから、ちゃんと伝えなきゃ。


「あの、この前の返事なんですけど……」

「うん」

「……すみません、先輩とは付き合えません」


 うつむいたまま花はぽつりと言う。

 ユリエルとムダンは花に見えないところで、無言でガッツポーズをしてよろこんでいた。

 花は気まずさから優羽の顔を見られなかったが、気持ちは最後まで伝えようと続ける。


「先輩の気持ちはうれしいんですけど、私まだ部活とかやりたいことがいっぱいあって……。あと、先輩には私じゃなくて、もっと素敵な人がいると思います」


 それは花の本心から出た言葉だった。

 少し一方的だったかもしれないとおそるおそる顔を上げると、優羽はニコリと笑っていて、花はほっと胸をなでおろす。


「それ、本気で言ってる?」

「え……?」


 突然、優羽は花の手をつかんで引き寄せた。

 はなれようとしても優羽の力は強く、花は逃げようと優羽の腕の中であばれる。


「ちょ、ちょっと先輩!」


 いくら叫んでも優羽は離さず、花にだんだんと恐怖心がつのっていった。

 助けを呼びたくても、まわりには誰もいない。


――助けて、ユリエル、ムダン……!


 身動きの取れない花は、心の中で二人の名前を叫んでいた。


「花様から離れてください」


 次の瞬間、花はムダンの腕の中にいた。

 花の前にはユリエルが立っていて、十字架の形をした剣を優羽に向けていた。


「ユリエル、ムダンも……」


 まさか、二人が本当に助けに来てくれるなんて。

 ユリエルの小さいが頼もしい背中、そしてムダンに抱かれた腕のあたたかさに花はすっかり安心していた。

 だが、そこであることに気がつく。

 自分以外にユリエルとムダンの姿は見えていない。つまり、優羽にとって今の状況は怪奇現象そのものではないのか。

 あせる花の考えを察したのか、ムダンは「大丈夫だ」と花の頭を優しくなでる。


「あいつには俺たちが見えてる」

「え?」

「あの方、人間ではありません」


 ユリエルが剣をかまえて警戒けいかいしていると、優羽は黒い霧に包まれる。

 霧が晴れると、そこにはムダンと同じような服を身にまとい、黒い羽とツノを生やした青年が立っていた。


「お久しぶりです、王子」

「……アザロスか。俺の嫁に手を出すなんて、いい度胸してるな」


 アザロスと呼ばれた青年は、ムダンにうやうやしくおじぎをした。

 ムダンはその反応が気に入らなかったのか、アザロスを見て眉をひそめる。


「王、子?」


 その言葉に、花はまばたきをしてムダンを見上げる。


「……誰が?」

「俺が」

「本当に?」

「本当だ」


 それがムダンに向けられていると理解した花は、飛びはねるように驚いてムダンから距離をとる。


「だから言ってんだろ。俺は王子だって」

「あれって冗談じゃなかったの!? ユリエルは知ってた!?」

「……知りませんでした」


 ユリエルもぽかんとした表情でムダンを見つめていて、ムダンはツッコむ代わりにため息をつく。


「待って待って! それより、先輩が悪魔!?」


 新しい情報がいくつも押し寄せ、花はムダンとアザロスを交互に見ながらパニックになっていた。

 あわてている花がおかしかったのか、アザロスはくすくすと笑う。


「僕はアザロス。元々人間界へ遊びに来てたんだけど、王子が花嫁探しをしていると聞いてね。どんな子か知りたくなったんだ」

「だから花様に近づいたのですか」

「そういうこと。まさか王子だけじゃなくて、かわいらしい天使も彼女をねらっていたなんて」


 アザロスはユリエルとムダン、そして花を見て続ける。


「今日のところはあきらめるよ。ただ、油断してたら僕が花ちゃんを奪うからね」


 ユリエルとアザロスに宣戦布告をしたアザロスは、黒い翼を羽ばたかせてどこかに飛んでいく。

 アザロスがいなくなった公園は、先ほどのうるささが嘘のようにしんと静まりかえっていた。

 立ち尽くす花は、申し訳なさから二人の顔を見られなかった。

 一方的に怒ったのに、ユリエルとムダンは自分を助けてくれた。


「そ、その……ありがと……あと、この前はごめん……」

「いいのです! 花様がご無事なら! 私こそ、先日は申し訳ありませんでした!」


 花の謝罪も半分に、ユリエルは花に勢いよく抱きついた。

 二人がじゃれる光景を見ながら、ムダンは誇らしげに笑う。


「今回は俺様に感謝するんだな」

「ありがとうございます、王子に見えない王子様」


 花はニッと笑って返し、ムダンはユリエルに見えないところから花の頭を優しくなでた。


「花様、暗くなる前に帰りましょう!」


 そして三人は、今日まで話せなかった時間を取り戻すかのように、いつも以上に盛り上がりながら帰宅した。


   * * * * *


 月曜日。


天使あまつかゆりと申します! これからよろしくお願いします!」

阿久間あくまレイ。よろしく」


 ユリエルとムダンはそれぞれ自己紹介をしていた。

 花の学校の制服を着て、花のクラスで。


「……え?」


 朝、花はクラスメイトから転入生が二人も来ると教えてもらっていた。

 どんな人が来るのだろうと楽しみにしていたところ、教室に現れたのはユリエルとムダンだった。

 クラスメイトたちはユリエルとムダンを見てあれこれ盛り上がっていたが、それどころではない花は今の状況を理解しようと必死になっていた。

 そんな花の気持ちを知ってか知らずか、二人は花を見つけてうれしそうにしていた。


「ちょっと、ユリエルにムダ――」

「花! 転入生も気になるけど、先に先輩の話聞かせて!」

「先輩とはどうなったの!?」

「オッケーした!?」


 ホームルームが終わって花は二人に話しかけようとするが、それより早くクラスメイトが花を取り囲む。

 デートでなにがあったのか誤解のないよう説明しているうちに、休み時間は終わってしまった。

 それなら昼休みにと、花は誰もいない校舎裏に二人を連れていく。


「いろいろ聞きたいけど、まずこうなった経緯を教えて」

「花様と、もっとずっと一緒にいたくなりました!」

「俺以外が花の近くに寄らないようにな」


 なにもかもが足りていない説明に、花はそれ以上追求する代わりに大きなため息をつく。

 アザロスの一件から、二人の花に対するアプローチはさらに加速していた。

 だがそれも、アザロスから自分を守ってくれるためだと花は盛大に勘違いをしていたが。

 二人は当然のように学校にいるが、転入に関してはアザロスと同じようにきっと天使と悪魔の力でどうにかしたのだろうと、花は無理やり自分を納得させた。


「花ちゃん」


 聞き覚えのある声に花が振り返ると、そこにはアザロスがいた。


「先ぱ、アザ、えっと……」

「学校では躑躅森優羽のままでいいよ」


 あとずさる花に近づこうとするが、アザロスの目の前にムダンが立ちふさがる。


「アザロス、テメェ魔界に帰ったんじゃねぇのかよ」

「おや、王子。学校では躑躅森優羽と呼ばれていますので、お間違えのないようお願いします。それと、僕は花ちゃんをあきらめたわけではないですよ」


 アザロスはムダンの圧に負けずニコリとほほ笑む。

 二人のやりとりが聞こえていたらしいユリエルが、ぷんぷんと怒りながらムダンの横に立つ。


「ダメです! 花様をアザロス様には渡しません!」

「花は俺のもんだよ」


 ユリエルとムダン、アザロスはばちばちと火花を散らす。

 三人から離れたところできょとんとしている花を見て、アザロスは「もしかして」とつぶやく。


「お二人はまだ告白をしていない……?」

「もちろん、花様を聖女様としてお迎えしてからです」

「そりゃあ嫁にしてからだろ」

「うわぁ奥手ばっかり」


 アザロスの言葉をきっかけに三人の言い合いが始まる。

 それは、花が家で見慣れていた光景そのものだった。

 そして花は、自分を置いて盛り上がる三人をあきれながらながめていた。


「なんか、これからもっと騒がしくなりそう……」


 そこから花をめぐる新たな戦いが始まったのは、当の本人は知るよしもなかった。

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