第58話 願いが叶う日
イチカは驚いて目を開ける。
そして、眼の前の光景に、唖然とした。
「……うそ……」
あの獰猛な3つの尾が、すべて両断されていたのである。
「まとめて斬りたい事情があってな」
奴の策にハマってやる必要があった、とテルルはイチカの頭をそっと撫でた。
「……えっ……」
イチカが瞬きをする。
そんなイチカの視界の隅で、斬られた尾がピクッと動くのが見えた。
「あっ」
イチカが気づく。
先程と同様、切り離された尾がすぐに再生しようとしていることに。
「心配ない。もう再生はさせない」
テルルはイチカの心の中を読んだように言うと、魔物に向き直る。
「ゴロスゴロスゴロス……!」
尾を斬られた
次こそは、と。
もちろん、スコルピオトライデントはこれから自分の身に起きることを知らなかった。
「――フリアエ。本体を殺れ」
イチカは驚いて、あたりを見回した。
テルルがそう呟いただけで、周りがすっと明るくなった気がしたのだ。
「……Χαλαρώστε, γη. Βυθίστε και συλλάβετε……」
その直後、イチカの耳に澄んだ歌声のようなものが聞こえてきた。
だが、その声はすぐそばから発せられているようなのに、どこだかわからない。
――女だ。
それだけははっきりと理解できた。
この美しい声、なにより清楚な空気がテルルを愛するように包んだから。
そう理解できてしまうと、とたん小さくないヤキモチがイチカの心に湧き上がる。
しかし、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
セイレーンの歌声もきれいだと思ったが、それはさらに上を行く美しい声音だったからである。
そうか。
テルルはいつもこんなきれいな声を聞いているから、惑わされなかったんだね――。
イチカがそんなことを考えていた刹那。
「――シャアァァァ!?」
イチカもぎょっとして目を向ける。
そして我が目を疑った。
いきなり、
「――アァァァ!?」
4メートルもの巨体が、切離された尾先を残して沼に引きずり込まれる。
海中に棲んでいた魔物が溺れるというのも変だと思ったが、その足掻く様はどうみても溺れているという表現がぴったりだった。
だが、溺れただけでは終わらなかった。
「ギャアァァ――!」
ふいに大サソリが、この世のものとは思えぬ悲鳴をあげた。
バキバキという音とともに、沼の水面が緑色に染まり始める。
「ヒギャ――」
直後、水面で足掻く
悲鳴はブクブクと湧く大きな泡と変わる。
「………」
その残虐な様に、イチカは呼吸を忘れていた。
しかしさらにとんでもない魔物が、今、沼の中でそれを捕食しているのだと知った。
水面には昆虫の脚のような、節のあるそれが大サソリを沈めんと残酷なを見せていた。
なお、フリアエの〈
今回やってきたのは、セミに黒山羊の角と毛を着せたような不可思議な魔物であった。
それが
◇◆◇◆◇◆◇
〈
〈称号【神の下僕を殺した者】を手に入れました〉
〈称号【
フリアエの沼が消えると、全てが嘘だったかのように美しい砂浜が現れた。
そこには山のように積まれたお金とアイテムドロップがあった。
(サソリのやつ、随分貯め込んでいたな……)
想像以上の量だ。
これなら船一つ軽く買えるかもしれない。
それにしても、〈
沼底に連れてからゆっくり喰えばいいのに、人前でバキバキ言わせて喰うとか。
しかも最後にサソリの絶叫が聞こえたから、フリアエ、また肖像画の中に閉じ込めたんだろうな。
何はともあれ、予定通り、
これで準備は終わった。
「イチカさん、終わりました」
己はイチカの背中をポンポン、と叩いた。
抱えていた腕の拘束はとうに緩めているのだが、彼女は己の首に両腕を回したまま、沼が現れていた場所を瞬きも忘れたように見ている。
「イチカさん?」
「……あ、え?」
「約束通り倒しましたよ。
「……倒した……?」
イチカが瞬きをする。
その単語の意味が、伝わっていない感がある。
「はい。ドロップも出ていますから間違いありません」
「……ほ、ホントだ……」
イチカはまだ信じられない様子だった。
しかし、まだ己から離れる気がないらしい。
「一旦回収しておきますね。後で二人で分けましょう」
ドロップを他の魔物にさらわれてはたまらないので、ひとまずイチカごと歩いて、ドロップを懐に仕舞う。
「あ、ごめん」
そこでやっとイチカは我に返ったように、己から離れた。
「いえ、全然ですよ」
「手伝う」
「ありがとうございます」
そうやって二人で山となったドロップを懐に詰め込む。
「……テルル、すごいね。本当に倒しちゃったんだ」
せっせと入れていると、イチカが改めて隣で呟いた。
「実は用があるのはこいつではなくて、この地底にいる魔物なんですけどね」
「……え、まだいるの!?」
イチカが青ざめる。
「はい。ですがそれとは戦う必要はありません。味方みたいなものですから」
この孤島で世界の平和を見守っていたのは、神も恐れる【Unique】の魔物、『
島に降り立った後、すぐにこちらに敬意を示してきたので、己が来ていることは奴もわかっている。
ちなみに「ご挨拶に」と申し出てきたが、その場で待てと伝えてある。
一般人のイチカを連れている手前、あんな百本腕の巨人にひざまずかれて、畏まられてはたまらない。
「それよりイチカさん。ご実家に亡くなったお母様の束ねた髪かなにか、とってありませんか」
己が訊ねると、イチカが目をぱちくりさせた。
「……え? どうしてわかるんだい」
「おそらくお父様の様子から、お父様の髪もどこかにとってあると思うんですが」
イチカは不思議そうにしながらも、頷いた。
「あるよ。どうしてか、最後の日は父さんも髪を切って出ていったんだよ」
「やはりそうでしたか」
「それがどうかしたのかい」
己は頷き、懐から取り出す。
「これをふたつ、イチカさんに差し上げますよ。髪に重ねて置くだけで効果を発揮します」
そう言って、まだ光り輝く尾先を2つ、イチカに手渡した。
先ほど斬り裂いた、
「うわっ」
それがなにかを理解し、イチカが後ずさる。
「大丈夫です。これはもう、誰かを傷つける力はありません。ただ強い【癒やし】を湛えているだけなんです」
「……【癒やし】……?」
イチカが瞬きをする。
「はい」
「どういうこと……? どうしてそんなものを、母さんや父さんの髪に……」
そこまで言って、イチカは自分で気づいたようだった。
「――えっ!? まさか」
イチカが、はっとする。
「はい、思っている通りです。やってみてください」
「……うそ、うそうそうそ!」
その顔がみるみる歓喜に染まる。
「まだ成功すると決まったわけではないですよ」
人間の世界で実際に試すのは、己も初めてのことである。
だが、もっと環境の悪い魔界でも同じことができるので、問題なくできよう。
「テルル!」
イチカが抱きついてきた。
「ありがとう! ありがとう! どうしようこんなこと!」
感謝されても、手を握られるくらいだろうと予想していたが、なんか違った。
よほど嬉しいらしい。
まあ、嬉しいか。
亡くした人が戻ってくるかもしれないんだからな。
「だから、お礼は成功してから、ですよ」
己はイチカの肩を支えるように手を添えながら言った。
説明するまでもないが、イチカの父は亡くした母を生き返らせる一大決心をして、あの日、
その時、自身の万が一のために、自分の髪も切っておいたのだろう。
「ほら、あそこに船もありました」
己は遠くの岸に接岸している船を指差す。
長年、風雨に晒された帆船は相応の姿を呈していたが、マストは折れず、力強く空へと伸びているのが遠目にもわかる。
「あっ……」
「約束通り、帰りは手伝いますよ」
「………」
イチカが、ぐすっと鼻を鳴らした。
そして、父の船を見つめたまま、潤んだ声で言った。
「あんたってひとは……」
「これでイチカさんも恋ができるようになると良いですね」
「……何言ってるのさ」
イチカは目にかかった髪を払うふりをして、目元を拭った。
「はい?」
「………」
イチカがブロンドの髪を揺らして、こちらを振り返る。
そのままこちらに腕を伸ばし、無言で抱きついてきた。
「えーと?」
わからないまま、柑橘の香りに包まれる。
……これはなんでしょう?
「ねぇ、テルル」
「はい」
「あんたのせいで、あたい、もっと壊れちゃったよ」
イチカが耳元で囁く。
その息がこそばゆい。
「……ファ?」
「ねぇ。どうしてくれるの」
イチカが、目の前から己を覗き込んだ。
そして、そのまま己の頬に、ちゅっとする。
「……い、イチカさん?」
「あたい、テルルが大好きになっちゃった」
イチカがにっこりと笑った。
「……へ?」
己は目が点になる。
いや、それはおかしい。
論理が破綻している。
まだ父すら生き返っていないのに……。
「嬉しい。これで父さんに子供を抱えさせてあげられるよ♡」
言いながら、イチカは己の顔中にキスを始めた。
お待ちください。
それはさすがに誰かさんの逆鱗に……。
◇◆◇◆◇◆◇
作者より)
ご愛顧ありがとうございました。
こんな優しい魔王はいかがでしたか?
さて、こちらを書き続ける予定でしたが、私の初期作品「明かせぬ正体」の好評ぶりが半端ないため、「気遣い魔王は~」を一旦停止し、「明かせぬ正体」の執筆に移らせていただいております。
個人的にこの作品は好きで、まだ先を書けるようプロットも準備してありますが、本業の仕事も相変わらず多忙なため、再開は未定です。
しかし執筆して10年近く経つ今、まさか人気が出るとは思いませんでした……。バズらせてくださった皆様、本当にありがとうございます。
気遣い魔王は今日も聖女の手のひらの上で踊る ポルカ@明かせぬ正体 @POLKA
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