第43話 簪の求婚

 春子の姿が見えなくなりしばらくしてから、真珠はぽろぽろと泣きだした。


「春子ちゃんと、お別れ。寂しい。ひっく……」


 三歳児の真珠と二十四歳の草世では、歩幅が全然違う。草世は荷物を入れた風呂敷を背負い、右手に医者の黒鞄。左手は、歩く速度を合わせるために、真珠の手を握っている。

 静かな夜にふさわしい、真珠の細い泣き声。草世は言い知れぬ心持ちで、霞む夜空を見上げた。


(真珠はいつも明るく笑っている。あまりにも無邪気なものだから、物事を深く考えないのだろうと思っていた。でも、そうじゃない。柔らかくてやさしい感受性を持っている。今までも一人でこっそり、泣いていたのかもしれないな……)


 丹地風呂屋の件で、真珠を悲しませてしまったことは理解している。だが、自分が思っていた以上に、真珠は心を痛めていたのかもしれない。

 草世はそのことに思いを馳せ、愛のある言葉をかけたくなった。


「希魅さんから、真珠を妻にする気はあるかと問われ、僕はあると答えた。……その場逃れの返しじゃない。僕は真剣に、真珠とともに生きていくことを考えている。この先どんなことがあっても僕は、真珠と生きていく。真珠に喜びと幸せを与えたいと思っている」

「草世……」


 真珠の泣き声が大きくなり、大粒の涙が頬を伝う。その涙を拭うために手を顔に持っていったものだから、手にしていた道中提灯が落ちかける。

 草世は慌てて真珠の手から提灯を奪うと、道端にある石に真珠を座らせた。

 泣いている真珠の表情や雰囲気から、悲しくて泣いているのだと察せられる。

 草世は、(人間と白狐では命の長さが違う。ともに生きていくといっても、僕のほうが先に死ぬ。真珠にとっては、僕がいない時間のほうがだいぶ長い。だから、泣いているのだろう)と考えた。

 しかし真珠は、それとは違う理由で、悲しくてたまらない。

 真珠は希魅と二人になったときに、言われた。


「おまえは神様から、九尾の狐になる才能と霊力を与えられた。アホな白狐たちはそれを妬んでおるが、うちは可哀想に思えてならん。特別な才能を与えられたということは、それだけ使命が大きいということ。風呂屋の呪詛を作った者は、国民の大半を葬って、新しい国家を作ろうとしている。神はそれを望んでおらん。──真珠。おまえは、鴨橋かものはし行成ゆきなりという呪詛師と、その一味の野望を阻止しなければならん。それがおまえの使命。……草世の体に呪毒卵を入れた。真珠の体から呪毒卵を出したとき、うちが握り潰すこともできた。だが、あえてそうしなかった。なぜか、わかるか? 呪毒を消したら、呪詛師の反感を買う。人間の恨みはしつこい。使役を送ってきて、白狐族を痛めつけようとするだろう。質の落ちた今の白狐族では勝てない。呪詛師の目を草世に向けさせるために、呪毒卵を潰さなかったのだ。卑怯だと憎んでいい。これが、白狐族を守るうちのやり方や。そして、もう一つ理由がある。おまえの退路を断つためだ。愛する男を守りたかったら、戦え。少しでも弱気になったら、草世は死ぬぞ。草世とともに生きたいなら、全力で戦え」


 好きだから、一緒にいたいと思った。けれど本当は、好きだから一緒にいたいと思ってはいけなかったのだ。


 この先に待っている困難を考え、泣き止まない真珠。

 草世は真珠のおかっぱ頭をぽんぽんとやさしく叩くと、ズボンのポケットから、揺れものかんざしを取りだした。真珠の頭に挿してやろうとしたが、サラサラの髪には挿さらず、すとんと落ちてしまった。


「霊力が戻って、大きくなれるといいな」

「わたし、役に立つどころか、草世を苦しめる。ごめんなさい……」


 膝頭におでこをつけた真珠に、草世の穏やかな声が降り注ぐ。


「真珠は、月のうさぎという昔話を知っている?」

「知らない」

「お腹の空いたおじいさんのために、サルが柿を。キツネは魚をあげた。でも、うさぎは木に登れないし、魚もとれなかった。おじいさんに何もあげられない。うさぎは悩んだ末に、自分を食べてくださいと、燃え盛る焚き木に飛び込んだ。その尊さに、神様がうさぎを月にのぼらせた。だから、ほら。月を見てごらん。うさぎがいるだろう?」

「うさぎが可哀想!!」

「そうだね。僕も、そう思う」


 うさぎを想って、悲しい涙をこぼす真珠。草世は真珠の心に届くようにと願いながら、やさしく語りかける。


「うさぎは自分の肉をおじいさんに食べさせて、役に立とうとした。健気だと思う。でもね、僕は思うんだ。おじいさんのお腹がいっぱいになっても、またお腹は空く。人も動物もお腹がいっぱいのままで、ずっといることはできないんだ。必ず、お腹は空く。うさぎの死は、おじいさんの血肉になることに役立った。でも、いっときのものでしかない。だったら、生きて、おじいさんのそばにいたほうがずっといいと思うんだ。日中は楽しくおしゃべりできるし、夜はくっついて寝ると温かい。──だから真珠。僕の役に立ちたいと思うのなら、特別なことは必要ない。恩返しをするために、自分を犠牲にしないでくれ。そんなこと、僕は望んでいない。僕が望むことは、真珠がそばにいてくれること。笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら、一緒に時間を過ごしてくれること。できるかい?」

「うん、できる!!」


 大きな瞳を潤ませながら、嬉しさいっぱいに笑う真珠。

 草世はかんざしを、真珠の手のひらに乗せた。


「一緒にいよう。命ある限り、ともに生きていこう」

「うんっ!!」


 今宵は朧月夜。霞む月光が、嬉しさのあまり狐の耳と尻尾をぴょこんと出してしまった真珠を照らし、草世の笑い声を響かせる。

 草世は、背負っていた風呂敷を胸の前に持ってきて締め直した。

 草世の左手には医者の黒鞄。右手には道中提灯。背中におんぶしているのは、たくさん泣いて疲れてしまった真珠。


「都に行く前に、室生を訪ねようと思う。学生時代の友人で、霊感があるんだ。全国各地で怪異が起きていると手紙がきたのを思い出した。もしかしたら、鴨橋かものはし行成ゆきなりが関わっているのかもしれない」


 草世の話は、眠ってしまった真珠には届かない。真珠の右手には、揺れもの簪がしっかりと握られている。簪についた花が、ゆらゆらと揺れている。

 柔らかく霞んだ月明かりは、草世と草世におんぶされている真珠の影を地面に落とす。しかし、草世の影の中でもぞもぞと動いている卵までは映すことはなかった。



 白狐族の女の子が医者の家を訪ね、人間の男に恋をした。それは、小さな恋の始まりにすぎなかった。

 けれど運命は、国の命運を変える強い愛へと二人を導いていく。

 二人が力を合わせて呪詛師を倒し、国を守ることができたのは、この朧月夜から数年後のお話——。




 ✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。おしまい✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。

 


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白狐の嫁入り〜禁断なる婚姻を最愛のあなたと〜 遊井そわ香 @mika25

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