第42話 友人との別れ

 急いで村に帰った、草世と真珠。吾平が暴れ回っていると聞いたが、村は奇妙な静けさに包まれていた。

 真珠が耳を澄まして、人の気配を探る。


「川のほうに、たくさん、人がいる!」

「よし、行ってみよう!」


 走って行ってみると、川の土手にたくさんの村人たちが集まっていた。

 今夜は満月だが、霧がかっている。明るく柔らかい、月の光。霞む春の夜は幻想的で、ひっそりと佇む村人たちの姿は、あの世から迷いでたもののようだった。

 しかし、近づいた草世をぎょろりと睨んだ村人たちの怒り顔が、幻想を吹き飛ばす。鋭く問う声が現実を突きつけた。


「先生。あの女はどこにいる?」

「…………」


 名前をだされなくても、真珠のことを指しているのだとわかる。

 真珠は三歳ぐらいの女児になっている。草世は親戚の子供だと誤魔化すつもりだが、万が一に備えて、真珠を後ろに押しやって背中で隠す。

 

「いない。帰った」

「本当か? 嘘をついたら、ただじゃすまさんからな!! あの女が来てから、みんながおかしくなった! 俺たちは誰も、あの女と先生が夫婦になることを望んじゃいない! それなのに祝言をあげさせてやろうなどと、狐か狸に化かされたとしか思えん!!」


 青年団の若者が声を荒げ、村人たちも口々に非難し始めた。中には、真珠を追いかけて捕まえてやると息巻く者もいる。


(真珠は帰ったと言っているのに……。なんでここまで激しく怒るんだ?)


 草世はふと、村人たちの奥に荷車が二台、止まっているのに気づいた。かかっているゴザの下から人の足がはみだしている。

 草世の視線に気づいた青年団の若者が、目を剣呑にぎらつかせた。


「村長と吾平が死んだ」

「え……」

「吾平が突然、暴れてな。体の中で虫が暴れていると騒いだ挙句、ケタケタと笑いだした。愚かな人間どもを成敗してやると、殴りかかってきてな。止めに入った村長と揉み合っているうちに、二人して川に落ちて……死んだ」

「なぁ、先生」


 荷車の横に突っ立っていた村長の息子が、幽霊のようにひっそりと顔を上げた。


「吾平は乱暴者だが、いつだって、名指しで喧嘩を挑んできた。なのに、見境なしに殴りかかってくるっておかしくないか? ……父が、言っていた。直志は悪いものに取り憑かれてしまったと。吾平もそうなんじゃないか?」


 村長の息子は悲しみを吐き出すように、「ははっ!」と乾いた笑い声をあげた。


「あの女も奇妙だったが、先生が村に来てから、悪いことばかり起こる。丹地風呂屋が落ちぶれ、風呂屋の夫婦が死に、直志は村からいなくなり、父と吾平が死んだ。こんなこと言いたくない。だけどさ……先生は疫病神だ。都から悪いものを連れてきたんだ……」


 草世は言い返すことはせず、明るい月の光が照らす、死人の生足を見た。

 村長の息子は、父親を尊敬していた。大切な人を亡くした悲しみとやるせない憤りを草世にぶつけることで、なんとか自分を保っているのだ。

 草世の背中に隠れている真珠の手が、草世の着物をぎゅっと握った。

 ──大丈夫。わたしが、そばにいる。

 声にしない想いが、草世に伝わる。


「僕は疫病神ではない。だけど、僕が来てから不幸なことが続いているのは事実です。……村を出ます。今までお世話になりました」


 草世は深々と頭を下げた。引き止める者は誰もいなかった。



 家に戻り、荷物をまとめる。夜が明けてから出発したいところだが、真珠を匿っているのでは、と疑う村人が押し入ってきたら面倒なことになる。

 必要最低限の荷物を持って、家を出る。

 春の夜は肌寒い。冷ややかな風に、草世はくしゃみをした。


「真珠。寒くないかい?」

「わたしは、大丈夫。草世、くしゃみした。寒い?」

「平気だ」


 真珠が草世の手を握った。女児になった真珠の手は、小さい。その手の愛らしさと温もりに、草世は緊張していた心が解けるのを感じた。


「小さくなって良かったな。村人たちに気づかれなかった」

「うん」


 村境まで来たとき。松の木の下に鎮座しているお地蔵様の前に、春子が立っていた。

 草世は、(そういえば、川の土手に春子さんの姿がなかった……)と思い返す。

 春子は二人に気づくと、軽く頭を下げた。いつもの強気さは鳴りをひそめ、もの寂しそうな目で草世を見上げた。声も寂しさに満ちている。


「村の人たちが、先生を追い出すと息巻いていました。先生は気遣いをする人だから、きっと村を出るだろうと思って、ここで待っていました」

「そうでしたか。でも僕は、自分から村を出ると言いました。どのみち、床支村に長くいるつもりはありませんでしたから」

「真珠ちゃんは?」


 草世は隣にいる真珠を見下ろした。本当のことを話していいものかためらっていると、真珠がパッと明るく笑った。


「わたし、真珠だよ!」

「え? 本当に?」

「うん! 小さくなった」

「……あぁ、そうね。真珠ちゃんは狐だものね。いろんな姿に変えられるのね」


 春子は真珠が狐であることを受け入れたらしい。納得した顔で微笑んだ。それから、寂寥感ある面持ちで瞳を伏せた。


「嘘をついて、お茶を飲ませてごめんなさい。許してなんて、甘えたことを言うつもりはないわ。私、ひどいことをした。最低だった……」

「許す。春子ちゃんのこと、許すよ。だって、友達だもん!」

「真珠ちゃん……。私のこと、友達だって思ってくれるの?」

「うん! 今までもこれからも、ずっと友達!」


 三歳児になった真珠は、丸顔におかっぱ頭。その姿で無邪気に笑うと、大変に愛らしい。

 春子は感極まったように顔を歪めると、静かに涙をこぼした。


「ありがとう。ごめんなさい、私、ごめんなさい……」


 春子は鼻を啜ると、手に持っていた風呂敷を真珠に差しだした。風呂敷で包んでいるのは、重箱。


「先生から真珠ちゃんはおいなりさんが好きだと聞いていたから、急いで作ったの。食べて」

「うわぁーい! 嬉しい!!」

「それと、これ。旅の安全と健康を祈るお守り」

「ありがとう! 大切にする!」


 真珠は春子からお守りをもらうと、大事そうに懐にしまった。

 真珠と春子は抱き合い、別れを惜しむ。

 真珠にとって春子は、初めてできた友達。そして春子にとっても実は、真珠が初めての心許せる友達。


「わたしね、ひらがな、書けるようになった。手紙、書くね!」

「ありがとう。住所を教えてね。お返事を書くから」


 真珠は小さな手を精一杯大きく振って、春子に別れを告げる。春子も手を振り、涙ながらに二人を見送った。




 


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