「春にサヨナラ」
9回裏、ツーアウトフルベース。スコアはこちらの3点ビハインドで、カウントは3−2のフルカウント。次の一球で試合が決まる、つまりここは正念場だ。
メジャーリーグでの初試合、開幕戦の最終回。こんな極まった場面で、まさか自分に打席が回ってくるとは思っていなかった。野球の神様はどうやら、ドラマチックな演出が好きらしい。
いいぜ神様、乗ってやる。ここで打てたらヒーロー、負ければとんでもない悪者。かつてないプレッシャーに心臓がドキドキするが、あの時のドキドキに比べればどうってことはない。
俺はバッターボックスに立ち、相手ピッチャーを見据える。剛腕で鳴らした速球派のいいピッチャーだ。
俺はホームベースをバットで軽く叩くと、さぁ来いさぁ来いと心の中で繰り返した。
どんなボールでも打ち返してやる。ハルの「おまじない」を本物だと証明する、またとない機会だ。
この心臓のドキドキは、俺にハルを思い出させてくれる。ハルを感じると、俺はいつも落ち着けるのだ。
──よし、来い。空の果てまで、かっ飛ばしてやる。
相手ピッチャーがセットポジションを取り一呼吸。次の瞬間、振りかぶらずにスライドステップで投げてきた。
いや、それは読んでたよ。俺はバットを立てて待ち構える。指から放たれたその軌道は、奇しくもあの時と同じカーブだ。
もちろん十年前のそれとは違って、ボールの速度もキレも段違いだ。さすがメジャーのボールだが、不思議と全く怖くない。いやむしろ、俺は打てると確信した。
──行けぇーっ! ナツーッ!
ボールパークの大歓声の中、はっきりとハルの声が聞こえた。やっぱり見てくれていたのか。そこにいてくれたのか。ならやっぱり、ここで打たないとカッコつかないよな。
無駄のない最短距離のスイングで、そのカーブを真芯で捉える。カツンとした硬い手応え。ダメ押しとばかりに身体でそれを押し込んだ。
打球は空高く一直線に上がる。斜め45度、理想の弾道。観客の弾ける歓声と、そしてカメラのフラッシュの嵐。どこまでも伸びそうなこの打球は、間違いなくホームランだ。
俺は飛んでいく打球を指さして、そのボールに願いを託す。
このサヨナラホームランが、空にいるハルに届きますようにと。
メジャーでの初ホームランがスタンドに刺さった瞬間。俺はヘルメットのツバを指で摘んで、アメリカの夜空を見上げる。
──頑張ってね、ナツ。
春風のような優しいあの声が、俺の耳に届いた気がした。
【終】
春にさよなら 薮坂 @yabusaka
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