第4話 魔導結社・フォスフォロス

「これ、引っ張れば開くの?」

としおが尋ねると、キーファは角を縦に振って頷くような仕草をした。

「重そうだけど……仕方ない」

としおは両手で丸い金属の取手を握り、扉を手前に引っ張った。扉は紙で出来ているかのように軽く、としおは自信が想像していたよりもいとも簡単に開いたため、勢いあまってしりもちをついてしまった。

「わっ」

としおが顔を上げると、扉の向こうには明るい吹き抜けの大広間があった。その遥か高く上の方には万華鏡のような虹色のガラス張りの天蓋があり、そこから太い鎖に巨大な水晶が吊るされていた。天蓋に至るまでは幾重にも建物の階層が連なっている。

 としおの居る一番下らしき階も早足で歩く人の往来が目まぐるしく、酔いそうになるほどであった。人々の中にはとしおとそう歳の変わらなそうな少年少女もいたし、更にキーファのように常識では存在しうると考えることすらできないような、悪魔とおぼしき人ならざる姿をした者も時々混ざっていた。ただでさえ人の多い空間に慣れていないとしおは、例に違わず圧倒されて、黙って座り込んだままになってしまった。

「ホラ! ぼーっとしてないでよ」

キーファはとしおの頬を前足でつついた。

「えっ……ああ、ごめん。人混みとかでっかい建物見るとつい見入っちゃうんだよ」

としおは苦笑いしながら立ち上がって、扉の外に出た。

「純粋なのはいいことだけれど、度を越して世間知らずなのも考えものだよね」

キーファがとしおの肩の上で角を振っていると、背後で何かが軋む音がした。としおが後ろを振り返ると、さっき通ったばかりの扉が跡形も無くなっていた。

「あれ!? なんで?」

扉があったはずの場所には、切り出した大きな石の積み重なっている古めかしい壁だけがあった。

「さっきまで居た灰色の部屋は、ディアボロスがキミを聖隷と戦わせるために借りた訓練部屋だったんだ。用が済んだから、無くなったんだよ」

「無くなった? 部屋がなくなるって、どういう……」

「まあ、魔法はそういうこともできるってこと。後で詳しく教えてあげるよ。ボク一人にいきなり新人の研修を押し付けるだなんて——無茶言うよね。ここじゃなんだし、どこか座って落ち着いて話をしようか。ちょうどカフェテリアが左の通路を進んで道なりにあるから、ほら。行こう」

「ええ? う、うん」

この場所が一体どこなのかも分からないとしおは、キーファに言われるがままにするほかなかった。

 キーファの案内でやって来たカフェテリアは立派な内装をしていた。高い天井は太い石の柱で支えられ、奥の壁は一面が格子窓になっていて、外にそれから雄大な森と綺麗な川が見える。日の出地区のごちゃごちゃした街並みとは全く違う荘厳な自然の風景を見て、としおは自分がだいぶ遠くにまで連れてこられてしまったのではないかと不安になった。空席は少なく、やはりこの場所もフリルやキーファのような異形の者と、多様な人間とがお互いに当たり前のように存在しあっていて、中には異形と人間とで席を共にして談笑しているのも見えた。

 としおはしばらく周りと目を合わせないように席を探して、ようやく窓際に空いているところを見つけた。キーファはとしおと向かい合うようにして、テーブルの上に落ち着いた。

「ふう……まずは座学の時間だね」

としおは大人しく頷いた。

「うん。もう訳わかんない話にも慣れてきちゃったよ。今なら全部、キーファが言ってることは本当なんだなって飲み込めると思うんだ」

としおは昨日から絶え間なく経験したあれこれを思い出して、疲れた苦笑いをした。

「慣れが早いのはいいことだよ」

キーファは前脚で角を触りながら続けた。

「ここは——ボク達悪魔とキミ達ネフィリムが手を取り合い、この星と人類の未来を守っていくための組織、“魔導結社・フォスフォロス”の本部。この星の大半のネフィリムと悪魔は、フォスフォロスの団員さ。ボクはもちろん、フリルやディアボロスも所属しているよ」

キーファが向こうの壁に飾られた、畳一枚ほどの大きさはありそうなタペストリーを角で指しながら言った。そのタペストリーには、黒い星のような大きな紋章が刻まれており、おそらくこの組織の紋章であることが窺えた。

「フォ、フォロフォロフ……」

としおは聞きなれない言葉に混乱した。

「名前は仰々しいけど、人類統一機構政府が秘密裏に運営している、れっきとした公的機関だよ。社会に蔓延る事件や災害のうち、一般の警察じゃ対処できない超常的な部分——すなわち聖隷とか魔法のことだね。それらを一手に引き受けて裏から地球を守る組織ってわけ」

「なるほど、漫画とかでよくある系の……」ととしおは言った。

「で、今日そのフォスフォロスの本部にキミが連れてこられたのは、他でもない。キミを団員として迎え入れるためさ」

としおは肩をすくめて顔を上げた。

「ち、ちょっと待ってよ!? 本当に僕、魔法とかについて何もわからないし、僕が入っても迷惑じゃない?」

「何もわからないからこそ、さ。この組織はただ人類を守るための軍隊として存在してるんじゃないんだ。戦いの運命を背負うネフィリムがネフィリム同士や悪魔と助け合うための、セーフティネットとしての側面もあるんだよ。としおは今のところ他に頼れる大人もいないみたいだしね」

「なるほどなあ……」

としおは腕を組んで下を向いた。この組織に入ってしまっては、もう後戻りはできなくなってしまう。

「ディアボロスはともかく、少なくともボクとフリルは本心からキミの力になりたいと思っているよ。キミはネフィリムの自覚がなく、本当に昨日まで何も知らないただの少年だったんだから。助けるためには、ボク達と同じ組織に所属してくれる方が色々と都合がいいのさ」

先ほど自分のために戦って血まみれになったフリルの姿を思い出して、としおの胸にまた罪悪感が湧き起こった。

「うん……」ととしおは判然としない様子で言った。

「さっき確認した通り、キミはやはり魔法が使える状態。つまり原初の悪魔との血の契約が有効になっていることになる。昨日も説明したけど、今のキミは聖隷と戦わなければ……」

としおは神妙な顔をして、言葉を詰まらせているキーファの代わりに言った。

「死ぬんだよね。戦っても死ぬかもしれないのに、戦わなくても、制裁? っていうのが来たらいつか死んじゃうんだろ」

キーファは少し気まずそうにとしおの顔を見た。

「う、うん。その通り。覚醒して魔法が使える状態になったネフィリムが、この世界を維持しているルールから“人類を聖隷から守る意思がない”と判断されてから66時間が経過した場合、制裁として魂を刈り取られて死ぬ。このルールは今の世界を構成する条件の一つのようなものだから、ボク達悪魔の力でも解決出来ない。だから尚更、団員の能力に合わせた任務を定期的に与えてくれるフォスフォロスのような組織に入るのは、回り回って自分の命を守ることに繋がる」

「ただ生きることも制限されるなんて……先祖だかなんだか知らないけど……」

としおはこの時、パプリカ頭の聖隷に殺されかけた時の、あの毒に体が蝕まれていく悍ましい感覚を思い出して顔を暗くした。

「戦わないでいい方法ももちろんあるよ」

「抜け道?」

としおは絶望の中に一筋の光を見出したような顔をした。

「うん。屁理屈みたいだけど、さっき“人類を守る意思がないと判断された場合”って言ったよね。この“人類を守る”っていうのは、戦って聖隷を狩ることのみを指してるわけじゃないんだ。しかるべき儀式を執り行って、魔法を使う権利を放棄するという意思を世界に示しさえすれば、非戦闘員として制裁を逃れることもできる」

「非戦闘員……」

「例えばあそこでコーヒーを作っているのは、儀式を行ってフォスフォロスの非戦闘員となったネフィリムだ。ほかにも事務だったり土木だったり、医療だったり——色々な分野の職種で非戦闘員達が活躍しているよ。フォスフォロスの一員として働くこと自体が、立派な“人類を守る”行為なんだよ」

「な、なるほど……」

「もちろん、としおと同じくらいの歳で非戦闘員になる選択をする子も大勢いるよ。これ以上はややこしくなるから端的に言うけど、とにかくうちの非戦闘員が制裁によって命を落としたケースは一つもないのさ」

キーファはカウンターで愛想よく注文を承り、コーヒーのカップを渡している店員の方を見た。

 絶望的な死の運命を悟っていたとしおに、今度はいきなり大きな希望が見え始めて、としおは逆に不安になった。

「なんか、随分と都合いいような気もするけど……」

「そもそも原初の悪魔だって、人類を助けたくてキミ達の祖先と契約を交わしたんだろうし、そこまでの負担を強いたかったわけじゃないはずだからね。むしろ、産まれただけで死と隣り合わせ、戦いに明け暮れる日々が待っているなんて、そんなの都合が悪すぎるだろう」

他ならぬ悪魔のキーファに言われたとしおは、憑き物が落ちたように表情を柔らかくした。

「そっか……戦わなくてもいいんだ」

キーファはまっすぐとしおの方を向いた。

「改めて、山田としお。キミには選択肢がある。フォスフォロスの非戦闘員として組織を支えるか、戦闘員として聖隷と対峙するか。どちらか選んで。多分ディアボロスは非戦闘員になることを許してくれないと思うけど……そうなったら、ボクとフリルがどうにかするよ。ボクたちはキミの選択を尊重するし、キミの父親や生い立ちのことも、調べたいなら協力を惜しまないよ」

としおは感極まって涙が出そうになった。

「なんで……なんで……」

「どうしたの?」とキーファが尋ねた。

「なんでそこまでしてくれるんだよ。キーファにもフリルさんにも、僕は酷いことを言ったじゃないか」

キーファは得意げに角をかかげた。

「それは、キミが他ならぬ放っておけない友人だからさ」

「そう……ありがとう」

としおはこれまで誰とも関わらずに島で一人だった。奇妙な姿をしていようと、自分のことを気にかけてくれる優しい友がいるのは、父と過ごした日々さえも疑わなければならなくなってしまったとしおにとって、大きな救いだった。

「——今までのは友人としてのボクの意見だ。フォスフォロスの使者として、人類全体の利益を考慮した意見も言わせてもらうね。無論、キミの選択は尊重されるべきだ。ただし、キミには多くの人を死や不幸から救うことが出来る才能がある。それも本当だ」

「……!」

 入学式の前日の夜に父とした会話が、としおの脳裏をよぎった。あの日も孤島の夜は寂しすぎるほどに静かで、柔らかい波の音だけが小さな家の食卓に響いていた。

「僕、一人でやっていけるかな」

入学式の前夜、としおは柄にもなく父に弱音を吐いた。レイジもそれを茶化すことなく、そんな悩みを打ち明けてくる息子を愛おしそうに見つめた。

「ははは、不安かぁ。大丈夫だよ。お前ももう十分大きくなった。これまで狭い島に縛りつけちまった俺が悪かったな。本当はもっと早くから行かせてやればよかったんだが……」

「そういうことじゃないよ! ただ、僕は何も知らないから。外のこと」

父が申し訳なさそうに謝ってくるので、自分の方もばつが悪くなって声を張りあげた。

「お前はもう、一人で立って歩ける。それだけで十分だ。お前は何にでもなれる。何も不安に感じることなんてないぜ。自分も周りもまっすぐに信じていいんだ。あとは勝手にうまくいくさ。だって俺の息子だからな!」

根拠も何もない雑な激励だったが、その夜としおは確かに父のそんな言葉に救われた。父のしつこい笑顔が、今では懐かしい。

「何にでもなれるとか、勝手にうまくいくとか、よくそんな無責任なこと言えるよな」

俯いていたとしおは両手を握って、それからキーファの方をまっすぐ見つめた。窓の光がとしおの顔を照らしている。キーファはとしおの面持ちを見て、思わず息を漏らした。

「決めたよ。僕、聖隷と戦う」

キーファは硬そうな体を大きく震わせた。

「それ、本気かい!?」

「うん。沢山の人を助けて、自分のことについての手がかりだって見つけたい。それでいつか父さんの居場所を突き止めて会ったら……殴る!」

「本当に、いいの?」

としおは決して明るい気分ではなかったが、それでも清々しく前に進みたいと心から思っていた。

「うん——正直怖いけど。あのおっさんのことだし、僕のことをずっと話さなかったのにも、きっと何か理由があるはずだと思うんだ。だから、僕はそれを自分で確かめたい」

としおは机の上で固く拳を握った。

「それに僕だってずっと、守られっぱなしなのも嫌だ! 戦えるなら、自分で戦いたいんだ」

としおの覚悟の灯った面を見て、キーファの銀色の体が満足げに輝いた。

「——そっか。じゃあ早速だけど、色々手続きを済ませなくちゃいけないから、ついてきて!」

「えぇ!? ちょっと待ってよ!」

キーファがおもむろに羽を広げて飛び上がったので、としおは慌てて机の上のジュースを飲み干してから席を立った。

 カフェを出たとしおは、キーファの案内の通り廊下を左に曲がった。廊下の立派な石造りの窓からはやはり眩しい光が差し込んでいた。外には広大な自然とその中に埋もれた大きな建物が幾つも見える。ちょうど山肌から崖とその下に広がる光景を見下ろすように作られている窓の向こうで、飛沫で虹を作っている滝が流れ、その右には城郭のような大樹が根差していた。それはまさしく、絵画に描かれた楽園さながらの眺めであった。

「本部って言ってたけど、ここって一体どこなの? 海も見えないってことは、だいぶ遠くに来ちゃったってことだよね」

キーファがとしおの肩の上で答えた。

「そっか、それについても教えてあげないとね。ここはボク達フォスフォロスの心臓部、通称“吊り庭”。各地域の支部をとりまとめる本部の他に、聖隷や魔法による怪我人や呪詛の被害に遭った人を収容・保護する施設に、ネフィリムの教育施設や居住区等のあらゆる機関が集約されているんだ。キミからしたら知らない都市に来たように見えるけど一応、東京日の出地区の地下……っていうことになってて——」

「ことになってる?」

「うん。吊り庭は東京の地下に物理的に存在しているわけじゃない。キミたちが普段暮らしている世界とはズレた次元に存在する、魔力で形成された空間。いわゆる結界術の類だね」

「ふ、ふうん……」

理解することはできなかったが、としおはとりあえず頷いた。

「さっきキミが戦った聖隷を倒した時、景色がぼやぼやって揺れて、いつの間にか草原の中から部屋の中に移動してたよね? あれも結界術。物理空間と別の次元に存在し、それぞれ異なった景色や性質を持つ魔力で構成された異空間を、まとめて結界って呼ぶんだ」

「ああ、そういえばさっきもだし、昨日も公園に行ったはずがいつの間にか……」

としおはパプリカ頭と出会った気味の悪い景色を思い出し、頭痛を覚えた。

「そっか。そういえば昨日フリルも言ってた」

「もしかして、ここも一度入ったら中々出られない、みたいなことある?」

昨日から何度も理不尽な目に遭ってきたとしおは、目の前の出来事をすっかり疑わないと気が済まなくなってしまっていた。

「あ! 当たり前だけど、ここは聖隷の結界と違って出入りは簡単だから大丈夫だよ! その方法については帰るとき話すよ」

「よかった……」ととしおは胸を撫で下ろした。

「あ、ここ! このエレベーター乗って」

キーファに言われてとしおが足を止めると、窓と反対側の壁に複雑な紋様が描かれている石造りのエレベーターの扉があった。

 としおがボタンを押すと、すぐにエレベーターの扉が開いた。誰も乗っておらず、としおは遠慮せずに乗り込んだ。

「あれ、ボタン二個しかないんだけど……」

としおが押そうとした下のボタンには、エレベーターの扉と同じ紋様が刻まれている。

「とりあえず下のボタン押して!」

「う、うん」

言われるがままとしおが謎の紋様の描かれたボタンを押すと、扉はすぐに閉じてエレベーターは下に向かい始めた。

 エレベーターはかなり長い間下へ降りているようだった。着くのを待っている間、キーファはとしおの肩の上で囁いた。

「これから入団する最初の手続きだよ」

「書類書くの?」

入学手続きをしたばかりのとしおは、また煩雑な手続きをすることを思って少し憂鬱な気分になった。しかし、キーファの返事はそんなとしおの予想を見事に裏切った。

「いや、ジュース飲むの」

「は?」

としおが目を丸くするのも束の間、エレベーターが止まって扉が開いた。

 降りるとそこには大きな部屋があった。奥に立派な木の机が置いてあり、その上は分厚い本の山と、置かれた植木鉢から無秩序に伸びた大量の植物の蔓が埋め尽くしていた。天井が全く見えぬ程に高く、その空間はどこか巨大な塔の中にいるような気分にさせた。

 塔の丸い壁面は全てが棚になっていて、それに沿うように螺旋状の廊下が上の方へ伸びていた。

「何、ここ……」

としおはおそるおそるエレベーターの外へ出た。何より驚いたのは、壁面の棚を満たすように並べられている瓶の中身である。一つ一つに札のつけられた瓶には、大小様々な人の心臓が詰められていた。奇妙なことにそれら全てが生きているように脈打っていて、更に様々な植物が寄生するように根差し、とりどりの花を咲かせていた。としおはその異様な光景に足をすくませた。

「キーファ、これって聖隷の……」

すると、キーファのものではない何者かの声が左の方から聞こえてきた。

「やっと来たか」

「えっと……?」

としおが向いた先には、えらの無く尖った輪郭を持った吊り目で、その頭にディアボロスと同じように一対の角を生やした女性が立っていた。

「私はアマイモン。大地と植物を司る悪魔だよ」

としおは彼女の名前を上手く聞き取れなかった。

「え、甘い……辛い……?」

「違うよ! アマイモン! 超偉い方だよ!」

キーファは焦って否定した。

「え!? ちょっと! 早く言ってよ!」

「ひよっこの僕なんかより比べ物にならないくらい歳上で、強大な力を持ってる悪魔なんだ……」

小声で焦るとしおの肩の上で、キーファはため息をついた。

「そういえば、悪魔ってどうせ百歳とかでも若者扱いなんだろうけど、キーファって今いくつなの?」

「ボク? 十九歳だよ」

「大学生かよ!」

キーファととしおのやり取りを、アマイモンは冷ややかに遮った。

「——あのさ、喋ってもいい?」

「あ、すみません……」

としおとキーファはうなだれてアマイモンの言葉を待った。アマイモンは毒々しく胡乱な紫色の瞳を、手に持っていた書類に向けて話し始めた。

「トシヲ・ヤマダだね。日の出地区支部長から一通り話は聞いてるよ。書類も貰った。今から入団の手続きをする。念のため本人確認するから学生証見して」

「は、はい……」

アマイモンが差し出した左手に、としおは学生証を置いた。

「はい。確認しました。キノコ女——ディアボロスが諸々済ませてるのでこれ以上の手続きの必要はありません」

アマイモンはぼそぼそと喋りながらとしおに学生証を返した。

「——じゃ、さっさとこれ飲んで」

アマイモンはいつの間に手に取ったのか、鮮やかな紅色の液体が入っているグラスをとしおに差し出した。

「え、いきなりなんですか……」

気味の悪い空間で得体の知れない飲み物を渡され、としおは段々と疲れてきた。

「このスムージーには私の魔力が込められている。それを飲んだら心臓に花が咲く。あんな感じで」

アマイモンは棚に並ぶ心臓たちを指差してそう言った。

「は!?」

狼狽えるとしおをじれったそうに見ながら、アマイモンはとしおの顔にスムージーを少し近づけた。

「毒とかじゃないし、痛みとかないし、あと超美味しいから安心して。早く飲みなさい。長年の研究によって開発した、最良の方法なんだから」

「え、えぇ……」

アマイモンから放たれる異質な存在感に気圧されて、としおはグラスを受け取った。それから彼はおそるおそるストローに口をつけた。

「——ウッマ! 何これ」

ひとたび啜った瞬間、としおの口には華やかな香りを纏った瑞々しい果実の食感と、後を引く穏やかな酸味と濃厚な甘味が広がった。としおは結局我を忘れ、数秒でそれを全部飲み干してしまった。

「はい。儀式は終了。あっち見て」

アマイモンは顔色を変えることなくそう言って、塔の一番下にある棚に置かれた瓶を指差した。

 その中で蠢く心臓に、一株の植物が芽吹いて花が咲くまで、五秒と経たなかった。

「もしかして、あの心臓って……」

としおは向こうの瓶と自分の胸元を交互に見た。

「そう。君の心臓だよ。立派なユズリハの花が咲いたね」

アマイモンはとしおから空のグラスをひったくって机に置きながらら、雑に答えた。

「僕……これからどうなっちゃうんですか!」

としおが怯えて脈を早くすると、瓶の中の心臓もそれに対応するように動きを早めた。アマイモンはやかましそうにしながら、机の椅子に座った。

「無知なガキとは聞いてたけど、ここまでとは。少しくらいは私の儀式については話しておいてよ。カブトムシ」

アマイモンは長い爪でキーファを指した。

「すみません……。彼は本当に自分のことを知ったばかりなんです。こちらの世界に関しては目で見ながら学ぶ方がいいと思いまして」

キーファは少し怯えた様子だった。アマイモンは気の抜けた面持ちでため息をついた。

「出たよ。ディアボロス流の教育方針……まあいいや。まず、この魔法の瓶はただ持ち主の体内にある心臓の様子を映し出しているだけ。私が心臓を奪ったわけじゃないよ」

「よ、よかったあ」ととしおは言った。

アマイモンは長い爪を邪魔そうに扱いながら机の上のパソコンをいじり始めながら言った。

「花も物理的に咲いているわけじゃなくて、魔法でそう見えているだけだから。何故わざわざスムージーなんか飲ませて、私の魔力を植え付けるのかって話なんだけど——」

アマイモンはキーボードを慣れた手つきで打鍵しながら続けた。

「職員の安否確認とバイタルチェックのため、だね。これは流石に知っていると思うけど、基本的にお前達ネフィリムはいつ死んでもおかしくない。基本的に団員の階級に合わせた任務を割り振るように私たちが管理しているけど、不測の事態は常に起こる」

としおは黙って壁面の心臓達と、それを管理している白装束の職員達を見渡した。

「私が植え付けた魔力の花は常に宿主の体力の状況を分析し、私に送り続けている。何万もの生命の声を絶えず聞き続けるのは発狂しそうになるが、とても心地がいい——話が逸れたね。宿主の生命活動維持に異変があれば、直ちに私に知らされる。自動119番みたいなものさ」

「へえ、便利……」

としおは自分の心臓を遠くに眺め、奇妙な思いをしながら感心した。

「ここは象牙の塔と呼ばれる、全てのフォスフォロスの団員の心臓の情報が保管されている場所。異変を感知した際は直ぐに然るべき救護や増援等の手配をしてもらえるってわけなのさ」

キーファがとしおの肩の上からそう付け加えた。螺旋の廊下の上で、職員達が何か報告しあっているのが聞こえる。

「そういうことだったのか……」ととしおが言った。

「この塔に関しての話はもうおしまい。これ以上の夢と魔法の世界についてのお話は、素晴らしい先生であるディアボロスとか、そこの若造カブトムシか、それかこれから出会うだろう先輩達に聞くといいよ。私も忙しいんでね」

アマイモンは机の上にあった封筒から何かをまさぐって取り出した。

「はい。これが君の団員証。常に携帯しておくようにね。以上で手続きは終わり。帰ってよし」

「これが……!」

としおがアマイモンから受け取った団員証を見ると、フォスフォロスの紋章の横にはとしおの名前と顔写真が印刷され、その下に小さい文字で『国家公務員特別職第九種 魔導士資格証』と記されていた。


「へぇ……なんかそれっぽい。ところでこの国家公務員うんたら、って何?」

としおは団員証を指差してキーファに尋ねた。

「フォスフォロスに所属するネフィリムは皆、法律上魔導士という公務員特別職と定義されるんだ。これからキミの身分は中学生兼、魔導士ってことになるね」

「魔導士……なんかカッコいい響き!」

としおは団員証を見て目を輝かせた。

「それから名前の横に書いてあるのがキミの階級。まずは零星からのスタートだね。零から昇格を経て一人前の一ツ星、二ツ星、三ツ星、四ツ星の等級があるのさ。そして、優秀な精鋭と認められた四ツ星魔導士のさらに上、“五芒星”と呼ばれる五名の最高峰の魔導士が組織を束ねてるんだよ。ちなみに非戦闘員のネフィリムは零星として扱われるんだ」

「じゃあ僕もその一番上のゴボウ? 目指せばいいってことだね!」

無知なとしおの笑顔に釣られて、キーファも思わず笑った。

「はは。確かにそれくらい軽いノリのほうがいいかもね」

アマイモンがいよいよ辛抱ならんといった様子で、天を仰ぐように椅子にもたれかかった。

「あのさ……そろそろ帰ってくんない? ここ、一応仕事場なんだよ。それからついでに言っとくけど苦手なの。子供」

「あ、すみません……」

としおとキーファはアマイモンの気迫に震え、すぐにエレベーターのボタンを押した——。

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