フリル戦記
脱水カルボナーラ
第1話 暁に発つ、黄昏に死ぬ
宇宙の中で起こる全ての存在と事象は有限である。未来はやがて過去になり、億年光った星もいつか滅びる。全ては宇宙という唯一の無限の一環でしかない。永遠の果てに潜む神の目は、全てを絶対に捉えて逃さないが、それは何も見ていないとも言える。結局のところ、その文字通り途方もない大いなる無限の代謝によって生まれた我々が、永遠に問い続ける自身の存在の意義というものは、究極的に無意味なのである。
しかし、我々は確かに生きている。立っている大地と眼前に広がる世界を定義し感じる歓びにその心臓を震わせながら。これは宇宙の片隅で起こった無限のうちの一瞬、しかし途方もない物語。二人の少年によって起こされた、或る世界の創世記。
「おいとしお、起きろ! そろそろ起きないとヤバいぞ」
父の大声で、としおと呼ばれた少年は目を覚ました。
「うるさいな……もう少し……」
まだ夜の暗さが残っているにも関わらず叩き起こされたので、としおは不機嫌そうにもう一度布団を被った。早春の朝はまだ冷える。しかし、としおの父親であるレイジは力づくで布団を引き剥がした。
「お前、今日入学式だろ?」
レイジがにやりと笑うのと同時に、としおは真っ青になった。
「うわあ——って、まだ朝の四時じゃん! こんな時間に起こすことないだろ!」
まだほんの少ししか水平線から顔を出していない太陽を見たとしおは血走った目でレイジの顔を見た。
「これでもギリギリだぜ。学校までざっと片道五時間はかかるからな」
「ふざけんなよ! なんでこんな島で子育てしようって思ったんだよ!」
としおの悲痛な叫びはその面積五百平方メートルにも満たない、この親子だけが暮らす島に広がった。穏やかな海と、時の流れに侵食された街の骸に囲まれたここは、まさに絶海の孤島である。
「仕方ねぇだろ、安かったんだよ」
「ふざけんなよ……お陰で生まれてから今まで現実の友達いないんだけど」
「まあまあ、晴れて憧れの都会の寮暮らしなんだし。そこで作ればいいだろ」と父は言った。
「簡単に言うな!」
としおは大急ぎで支度をしながら、部屋の入り口にもたれかかっている父に吠えた。
「荷造り、昨日のうちにしておいてよかった……うわ!」
スーツケースを持ち上げようとしたとしおは、その重さで転げそうになった。これから寮に入るにあたってすでに大方荷物は送ったものの、結局ほとんど置いていけないものばかりで、としおの部屋はほぼ空になってしまっていた。
「似合ってるじゃねぇか」
いざ中学の制服を着てみると、としおの浮ついた心も引き締まったような気がしていた。
「父さんは全然似合ってないけどね」
父のスーツ姿を初めて見たとしおは、値踏みするように頭からつま先まで一通り視線を泳がせて言った。
「なんだと!?」
無精髭をそのままにしたレイジは、怒り狂った犬のように歯を剥き出しにして威嚇した。
「じゃあ何の仕事してんだよ! いつも家でゴロゴロしやがって! たまにフラフラ外に出たと思ったら怪我して帰ってきたりしてさ、どうせ木登りとかでもしてんだろ、無職!」
すっかり眠気も飛んでしまったとしおは、父に容赦無く言葉を浴びせかけた。
「お前なぁ……俺だって命かけて働いてんだぜ? ちゃんと金だって稼いでんだぞ、それなりに」
レイジは頭をかきながら目を逸らしてそう言った。
「じゃあ今すぐ給与明細見せて資産額教えろ!」
「ったく……マセたこと言いやがって。中学生にもなってないガキが言うセリフかよ」
父が頭を抱えている間に、としおはさっさと玄関口まで行って慣れない革靴に足を通してした。
「ダメ親のせいで社会的に孤立してて不安だったんだよ!」
生意気に振る舞うとしおが感じた靴の履き心地は、彼の緊張した背筋と同じくらい硬かった。
「さっきからなかなかエグいとこ突いてくるな、お前……」
父は息子の思わぬ反撃に、苦笑いをすることしか出来なかった。
親子は自分らが住む島を後にして、長い桟橋を渡った先にある、人口三十人ほどのやはり小さな島を目指した。桟橋の上で振り返ってみると、朝靄に弱々しく覆われて消え入りそうな我が家が見える。
「しばらく、帰れないんだよな」
今日に至るまで、生まれ育ったあの小さな家と、その周りの小さな島々と、いつそれらを丸呑みにするかも分からないようなどこまでも広がる海のみが、としおの世界地図を形作っていた。としお自身、画面越しでしか見たことのないような外の世界を目の当たりにすることに、戸惑いと期待の両方を抱いていたのだ。
一時間に一往復しかやってこない船に乗って、すぐ向こうに見えるまた別の島まで二人は向かった。数羽のカモメが、朝焼けに急かされるように鳴きながら頭上を飛んでいる。
「平和だな……」
この辺りの海域はずっと穏やかで水深も一メートル程度で、高波や嵐など災害が起こることは全く無い。そのため定員五名の小さなボートと橋だけが唯一の交通網となっているのだ。
「どうかした?」
としおは父が進行方向と逆の方を向いて、少し険しい顔をしているのが気になった。
「いいや! 忘れ物したかなと思ったんだよ」
そう言って、レイジはすぐにいつもの胡散臭い余裕を含んだ顔に戻った。
「たくさんしてるじゃん。人生の」
としおが海の底を泳ぐ小さな魚たちを眺めながらそう言うのを聞いてボートの運転手がたまらず吹き出しているのを、レイジは悔しそうに睨んでいた。
そうしているうちに、ボートが目的地に到着した。ここはとしおが知っている限りで一番大きな島で、実際この海域で一番栄えている心臓部のような港街がある。
「久しぶりに来たけど、因幡島はやっぱテンション上がるなー!」
としおは目を輝かせてあちこち眺めている。
「今日は寄り道してる暇ねぇよ! コンビニで朝飯買ったらすぐ駅行くぞ」
はしゃぐとしおの頭を掴むと、父はそのまま彼を引っ張って進んだ。市場はその日揚がったばかりの魚介を店先に出して賑わっている。この因幡島すら週に一、二回ほどしか通えなかったとしおにとっては、この朝の活気すら憧れるような愛おしいものだった。
「ああ、そうだった!」
人混みをかき分けて走るとしお達二人に驚いて、カモメが澄んだ空へと高く飛んだ。彼らが見下ろす穏やかな海は、かろうじて形を留めている街と人々の生活の骸を、どこまでも優しく包み込んでいる。この星が一度終わって、ちょうど千五百年の月日が経った朝だった。
特急の発車までもう時間が無い。二人は急いで切符を改札機に通した。
駆け込んだ先のホームには銀色に輝く、滑らかな形をした特急の車両があった。
「急げ!」
父の後を追いかけ、としおも重い荷物を引きずりながら、息絶え絶えに乗り込んだ。
「あっぶな!」
としおが飛び乗った瞬間、発車のベルが朝を迎えた小さな島全体に鳴り響き、すぐにドアが閉じた。特急が海中の線路を走り出すのと同時に、因幡島の一番高い所にある時計台の鐘が鳴り、日の出を告げる。
ここから先は、としおの踏み込んだことのない世界が無限に広がっている。時刻は丁度午前六時。少年の新たなる門出を祝福するかのような、あまりに美しい瞬間だ。
「き、緊張する……」と、としおは言った。
「さっきは悠長に弁当選んでたくせに、今更何言ってんだお前」
レイジは因幡島名物のサーモン丼弁当をかき込みながら笑った。
「うるさい! 大体今までただの一回も遠くに連れてってくれなかったから、今必要以上に緊張してんだよ! 親なら息子に広い世界を見せてやろうとか思わなかったわけ?」
「ハハ! 耳が痛いぜ」
「都合が悪くなると笑って誤魔化す! もうその手は通用しないよ」
「まぁ、悪かったって。ちょっと遅くなっちまったけど、お前はこれから、沢山色んなものを見て、色んな奴に会うんだ——いつか、お前が会ってきた人、見てきた物について、酒飲みながら語ってもらうんだからな」
いきなり頭を撫でられた思春期のとしおは、すぐに父の無骨な手を払い退けた。
「ちょ、なんだよ急に! はぁ……緊張する気すら失せた」
「はは、反抗期だなぁ」
呆れるとしおとは対照的に、父は心から楽しそうに笑っていた。
電車は朝日に照らされて煌めく海面を滑るように、高速で進んでいる。
「うわぁ!?」
突如電車が強く揺れ、としおは向かい合って座っていた父の方に、危うく投げ出されるところだった。
「な、なんだったんだ……?」
「真っ直ぐな道なのに、変だなあ」
「線路の不具合かしらね? 脱線とかしないといいけど……」
としおは慣れないことに震えながら周りを見回していたし、他の乗客も少し騒がしくなっていたが、車両の中でも、父だけは呑気に構えていた。
「まあ、なんともねぇだろ。タバコ吸ってくるわ」
レイジはそう言ってフラフラと立ち上がると早歩きで、喫煙室のある車両の方へと行ってしまった。
「ダメ親父にも程がある!」
としおは小さく嘆いた。
レイジが向かったのは、喫煙室ではなかった。始発の上り線、全席指定の特急。この車両にまだ乗客は居ない。
「——ここだな」
レイジは辺りを見回してから、静かに窓を開けると身を乗り出し、それから凄まじい風圧をものともせずに車両の屋根の上へと飛び上がった。
屋根の上に何かが居る。揺れの原因は設備の不具合や故障ではなかったようだ。レイジは磁石で張り付いているかのように車両の上に立っている。
「しつけぇなあ、駅で見られてたのは分かってたけどよ。こんなスピードでもかじりついてんのかよ」
レイジが話しかけているのは、人間でも動物でもなさそうだ。「何か」としか言い表せない存在そのものであった。その体は黒く、輪郭の線はまるで子供の落書きのように曖昧で、靄のように不定形だ。茶色くもあり、四つ這いの姿勢に見えるが、体長は三メートルほど、さらに頭部は異常に大きく、三つ不規則に配置された目は全て塗りつぶされたように深みの無い赤だった。
レイジは首を回しながらスーツについた汚れを払った。
「聞いてんのかぁ? ま、いいか」
異形の存在は音かどうかも怪しい、説明し難い不快感を伴う声を発していた。
【ぐあぁ、あcい・? elこw*oさびしぉ】
「心配せんでも、すぐ殺してやるよ」
レイジがそう言って一歩踏み出した瞬間、また車両が少し揺れた。
【おおおぉぉいじ%+;そ*。kろぉ33】
異形がレイジをめがけて手を伸ばす。レイジの全身が不思議な光に包まれ、やがて光は弾けて消えた。彼の格好は先ほどまでのスーツ姿とは全く変貌していた。一瞬のうちに変身してしまったレイジは異形の素早い動きよりもさらに早く飛び退いた。異形のひと突きが大きな音を立て、車両の屋根を凹ませる。
「あちゃあ、怒られるぞこれは」
いつの間にどこから現れたのか、レイジの手には朝日に照らされて鈍く光る銀の槍が握られていた——。
「おーい戻ったぞ……って、なんだ。寝てるのか」
レイジは席を外して五分程で戻って来た。いつの間にかまた彼はスーツ姿に戻っている。少しだけセットした髪の毛が乱れているところ以外には、変わったところは見受けられない。
レイジは、窓にもたれかかっているとしおの顔を覗き込んだ。
「お前もとうとうこんなに大きくなったんだなあ」
喜ばしさを噛み締めつつも物憂げな笑みを浮かべる父をよそに、としおの方は穏やかに目を閉じているままだった。
『次は——東京中央。東京中央。終点です。お忘れ物の無いようご注意ください』
アナウンスの声がして、乗客たちは皆降車の準備を始めた。
「おいバカ、マジでそろそろだぞ」
「んん?」
父に肩を叩かれたとしおは、間抜けな声をあげながらようやく重い瞼を開いた。
「あっ! あれが……!」
先ほどまでは水平線に隠されていた線路の終着点が見え、直ぐにとしおの眠気は吹き飛んだ。
「——この星の首都、東京。これからお前が暮らす街だ」とレイジが言った。
海が終わり陸の始まる場所を埋め尽くす巨大な山。それは何重にも積み重なって複雑に入り組んだ街の塊。縦に七百、横に四百キロに渡って広がるこの大都市は、大小数百の区画に分けられている。この星の歴史の始点から今に至るまで栄え続ける人類の砦である。
「すごい……」
としおが窓にかじりついている間も車両は休むことなく進み続け、ついにこの巨大な都市に吸い込まれていった。
この都市の心臓を担うように、あちこちから通じる何百もの線路の終着点、東京中央駅。ここ数日間はとしおのように新しい一歩を踏み出す新入生達や新学期を迎えた学生と、それを見送る家族でごった返していた。
レイジは特急を降りるとすぐに辺りを見回し、何かを見つけるとすたすたと歩いていってしまった。
「ちょっと! 置いてかないで!」
としおは人混みに流されそうになりながら、自分の体よりも重そうなスーツケースを引きずって父を追いかけた。
「次の電車乗るぞ。まだまだ先なんだから」
レイジはそう言いながら腕時計を見て、足をさらに早めた。
「今日だけで何回乗り換えんの!」ととしおはため息をついた。
乗り継ぎの電車はとしお達が乗り込んですぐにドアを閉じた。
「はあ、間に合ったあ」
としおは汗を拭きながら、荷物を鬱陶しそうに手前へ寄せた。
やがて電車が巨大な街の塊から抜け出し、海の方向に伸びる鉄橋に差し掛かった。下の方には発着する貨物船が小さく海の上に浮かんでいるのが見える。そして正面の線路の先にはすっかり昇った太陽を背に、としおの育った島のそれとは全く規模の違う大きな島が佇んでいた。
“教育特別区 日の出へようこそ”
“学割 新生活応援プラン”
“学生寮のご相談は卜部不動産へ”
電車に乗っている学生達を歓迎するような看板や若者をターゲットにしたさまざまな看板と立体映像の広告がごちゃごちゃと並び、その島まで伸びる真っ直ぐな線路を賑やかしている。
「えーと……『政府の指定した教育特別区・日の出。公立、私立の小中高大併せて五百を超える教育機関が存在している人工島で、青少年の健全な育成を目的として設立された。東京本土に点在している学校よりも、学生達同士の交流などが盛んな傾向にあり、新世代によるスポーツ・芸術・文化の発信地としても重要な立ち位置にある』——。わかんないけど、何でわざわざ島にしたんだろう?」
端末に表示されている文章をそのまま読み上げながら、としおはどこか恨めしそうにさえ見えるなんとも言えぬ表情で、遠ざかっていく東京の方を向いた。
「わかんねぇけど、土地代とか色々あんだろ」
零士は欠伸をしながら、ネクタイを鬱陶しそうにいじっていた。
『日の出。日の出。終点です。気をつけて、行ってらっしゃいませ』
鉄橋を渡り切ると、電車はすぐに駅に着いた。
「ふう。ギリ間に合いそうだな。じゃあ次!」
レイジはとしおの方を振り返りもせず、またさっさと歩き始めた。
「ねえ、まだあ!? ちょっと、荷物運んでよ!」
としおは不満を露わにしながら父を追いかけた。
駅の一番下の階まで降り、最後に乗る電車の乗り場に着いた。
「あと少しで……学校……」
としおは消え入りそうな声で言った。
随分と小さな二両編成の列車の中は、としおと同じ制服の生徒たちとその保護者ですしづめになっている。車内の中で押し潰されそうになりながらもとしおは身をよじらせて、初めて見る日の出地区の景色を目に焼き付けようと必死だ。
『次は、国立第七学園前。第七学園前。その次は、日の出海浜公園に停まります』
「着いた……! ここが……」
入学が決まってから数ヶ月。パンフレット越しにしか見たことのなかった大きな校舎が、電車を降りた自分の前に存在していることにとしおは感動した。
「おいおい、ぼーっとしてねぇでほら、写真撮ってやるから来いや」
レイジは入学式の看板の前で、端末を構えた。
「い、いいよ……そんなの……」
としおは顔を赤くして小さい声でそう言ったが、結局すぐに根負けして父に写真を撮られた。
「いやあしかし、お前が中学生かあ?」
「マジで恥ずかしいから、やめて。入学式遅れるからもう行こうよ」
先ほどまでこの記念すべき日の全てを大切そうに噛み締めていたとしおであったが、肝心の校門に入る最初の一歩は照れ隠しの早歩きで終わってしまった。
学生証を受け取って荷物も預け、全ての手続きは済んだ。そしていよいよとしおは父としばらくの別れを告げる時を迎えた。
「……じゃあ、この辺で」
入学式を終えた後生徒はそのまま学内の案内に移り、その日から寮に入らねばならない。周りは別れを惜しんでいる沢山の新入生の親子がいて、寂しさの混じった笑顔で話している。としおも例外ではなく、旅立つ息子としてどういう顔を父に向けていいのか、分からなかった。
「いった!?」
小さくなったとしおの背中を、零士は強く叩いて激励した。そのはずみでとしおは危うく転びそうになった。
「何すんだよ!」
としおが振り返って父親を睨むと、レイジは大きく口を開けて笑っていた。
「ハハハ! それだけ元気なら大丈夫だろ。行って来い」
レイジは仕事をしているのかすら分からない胡散臭い男であったが、としおはこの父親が好きだった。彼は稀に父として、としおに対して強く叱りつけたり教えを説くこともあったし、また絶海の孤島の暮らしでも全く寂しさを感じさせないほどに、賑やかな生活を共にした悪友でもあった。
「ったく……はいはい、それじゃあしばらくの間、行ってきます! また夏休みにでも!」
「おう!」
叩かれた背中の感覚が消えないうちに、振り返らずに入学式の会場の入り口の方へ走っていく息子の姿を、レイジは寂しそうに笑いながら見送った。
「参ったな、もう二度と会えねぇかもしれねぇのに」
レイジは式を見ることなく、何故かすぐに学校を後にしてしまった。彼は大きな堤防の先端に立って果てなく広がる水平線と、押し寄せる波がテトラポッドにぶつかって崩れるのを眺めている。
レイジはしばらくそうしてから、煙草を咥えて火をつけた。カモメの声が周りで聞こえ、それから向こうの方で船の汽笛が鳴っている。彼は今日撮った息子の笑顔の写真を見返して、微かに微笑んだ。
「じゃあな。元気でやれよ」
レイジはそう呟いてから、自分の携帯端末を海に放り捨てた。
巨大なホールの中は、今年この学園に入学する予定の八百を超す生徒達とその保護者、在校生の代表、職員や誘導係などで騒がしい。としおは渡された書類の通り割り当てられた場所へ座った。
『まもなく、第百六十八回入学式を開会いたします。今しばらくお待ちください』
アナウンスがそう言っても、新入生たちはそれぞれ新しく出会った友人たちと喋るのに夢中で黙る気配がない。しかし、としおはあまりに緊張していて、辺りの様子を伺っては目線を落とすばかりだった。
「ねえ」
一人でそわそわしていた所、いきなり左肩をつつかれた。
「は、はい!?」
としおは飛び上がって素っ頓狂な声を出した。
「ははは、ビビりすぎだろ! お前もQ組だよね。よろしく」
声をかけてくれた少年は、小動物のように震えるとしおを見てずっと笑っている。彼は燃えるような光が瞳に宿っているのが印象的な少年で、窮屈そうに制服を着ているところはとしおと同じだった。
「よ、よろしく……」
としおはか細い声で、なんとか左側へ笑顔を向けた。
「俺、吉田な、吉田龍二」
左の少年は吉田と名乗り、そして彼の手は獲物を狙う猛獣の口のようにとしおの手を掴んだ。
「僕は山田——山田としお!」
としおは妙に強いアクセントをつけて名前を言い返した。
「さっきから緊張しすぎじゃないか?」
吉田が悪戯っぽく笑うのに、どことなく父の面影を感じて、としおの強張った顔もようやく少し解れた。
「仕方ないだろ! 同い年の人と話すなんてほぼ初めてなんだ」ととしおは言った。
「え? 嘘だろ」
吉田は突然つまらない冗談でも言われたくらいに目を丸くした。
「嘘じゃないよ! こっちは十二年ずっと、他に誰も住んでないちっさい島育ち! ずっと父さんと二人で……田舎者だから緊張してんだよ」
としおがそう言うと、吉田は苦笑いした。
「お前、そういうキャラでいくつもりなら、多分辞めたほうがいいぞ……」
「マジだってば!」
としおは切実に訴えた。
「想像つかねーな。他に誰も住んでない島って、小学校とかどうすんの?」
「だいたい通信課程で済ませちゃうんだよ。僕らみたいな東京から遠いとこに住んでる人は」
としおは故郷の島になんとも言えない思いを馳せながらそう言った。吉田もようやく信じる気になったようだ。
「なるほど。その手があったか! 島育ちってことは、家が漁師とかやってんの?」
吉田のとても当たり前な質問に、としおは気まずい笑みを浮かべることしか出来なかった。
「あー、イヤ。違くて……っていうか働いてるかも分かんなくて。ハハハ」
としおの声色には複雑な父への想いが濃く現れていた。
「なんかそれは……マジでやばい人じゃねぇか……」
吉田は、初めて触れる奇妙な家庭環境の話。
「それでさ、吉田って、なんか父さんに似てるんだよね」
としおは、先ほどから感じていた吉田への奇妙な親近感の正体を伝えた。
「それ、褒めてないよな?」
吉田はその真意を汲み取り、顔をしかめた。
「……ふふっ」ととしおは笑った。
「やっぱり!」
吉田がとしおの肩を叩こうとした瞬間に照明が消え、それからしばらくして正面の方にスポットライトが点いた。うるさかった広いホールが少しずつ静かになっていく。
『まもなく、式典を開始いたします』とアナウンスがあった。
「あ、やべ」
としおと吉田はふざけ合うのをやめて、周りの生徒たちと同じようにかしこまって座り直した。
入学式は問題なく進んでいたが、主役は新入生ではなく自分だと言わんばかりの、異様に目立つ白と黒の縞模様のスーツを着た奇怪な雰囲気を纏う大男が壇上に上がった瞬間、会場の雰囲気は一変した。男の銀色の重たそうなピアスが光る尖った耳と、爛々と金に光る開ききった目玉が奥のスクリーンに大きく映し出された。
『新入生、それから保護者の皆様。ご入学おめでとうございます。本校を代表してご挨拶を申し上げます。都立第七綜合学園校学長、アルセーヌと申します』
奇妙な学長は深々とお辞儀をしてから顔を上げると、口角を裂くようにして笑みを浮かべた。
『——近年、世界的に異常な出生率の減少が取り沙汰されています。縁起の悪いことに、皆さん方が“最後の世代”だなんて呼ばれているほどに。しかし本日こうしてお会いし、大災害を乗り越え今日まで発展してきた人類の次なる千年の担い手となるのが、皆さんであると私は確信いたしました。そんなダイヤの原石、金の卵である皆さんのため、我々は全力をもって快適かつ安全、そして意義深い学園生活を提供する努力と、支援を惜しみません。
同じ制服に袖を通す良き友、良き好敵手と共に、どうかのびのびと楽しんで成長してください。我々教員一同はそのための支援を惜しみません。改めて、ご入学、おめでとうございます』
胡散臭い見た目からは想像もつかないような、むしろその風貌に眉をひそめた全ての人々への裏切りとも言えるほどに落ち着き払って、学長は立派に式辞を述べた。
学長が拍手を浴びながら退場するとすぐ、司会が式典の終了を告げた。
『以上をもちまして、第百六十八回第七綜合学園入学式を終了いたします。保護者の皆様は順次ご案内いたしますので、しばらくその場でお待ちください。新入生の皆さんは、各クラスの担任に従って退場してください』
ホールの照明が戻った。新入生達の緊張は一気に解けたようで、それぞれ新しい友人たちと話したり、欠伸をしたりしていた。
「学長、ヤバそうな見た目してたのに、 めっちゃ無難だったな……」
「なんだったんだ……」
昼食と施設の案内、それから入寮式があってから、ようやくとしお達はそれぞれの部屋に行くように伝えられた。
「なあ、お前の部屋何号室? 俺五一三号室なんだけど」
吉田が配られた書類を見ながらそう言った。
「えーと——あ。同じ!」
としおは笑みを浮かべながら、吉田に自分の部屋番号を見せた。
「まじ!? よろしく! じゃもう行こうぜ。疲れたし一旦休みたいわ」
吉田は笑ってそう言った。
寮の設備は豪華で、浴室とトイレと洗濯機が各部屋に備え付けられ、家具も充実していた。
「家じゃん!」と吉田は叫んだ。
「これから六年間、僕たちの家だよ!」
としおは高揚感を隠しきれていない様子でそう言った。
吉田はレイジと違って案外整頓が上手で、すぐに自分ととしおの分の大量の荷解きを終わらせて部屋を片付けてしまった。
「こういうのはな、後回しにしちゃダメなんだよ」と吉田は得意げに言っていた。
としおは吉田と打ち解けていく間で朝までの緊張が嘘のように消えていき、これから始まる新しい生活が楽しみで仕方なくなった。食事と入浴もさっさと済ませ、二人はようやく長い一日を終えようとしている。
「はあ。マジで疲れたな! じゃ、俺寝るわ」
そう言った数秒後には、吉田のベッドから寝息が聞こえてきた。
「ルームメイト、こいつでよかった」
としおは父親に連絡することも忘れ、ベッドの中で微睡みながらそんなことを考えていた。
翌日から早速授業が始まった。本日の最後の科目は世界史だ。
「『天使の慟哭』と呼ばれる突如この星に起こった破滅的な豪雨と洪水による大災害は、陸地のほとんどを飲み込み、また数多の命を奪った。今も各地の海には大災害以前の建物の残骸が佇み、戻らない主人を待ち続けている」
先生が仰々しく教科書の序文を読み上げているのを、としおは欠伸しながら聞いていた。この人類を襲った大災害の話は、誰しも小さい頃から嫌というほど聞かされる。先生は前方の電子ボードにこの星を表す大きな円と、その周りを囲うように棒人間を書き殴りながら続けた。
「奇跡的に生き残ったわずかな人類たちは、国という概念を廃した。世界唯一の政府として人類統一機構を立ち上げ、この星は真の意味で一つの共同体となった——以上の通り、歴史の授業では大災害からの復興と、旧文明についても学習していく。今を生きる人間として、自分がどこからやってきたのかを知る、楽しそうだろう?」
楽しそうなのは先生だけで、としおら生徒たちは呆れているようにすら見える気の抜けた顔で天井を眺めていた。
「お前ら……今は過去があって初めて今になるんだぞ。お前たちの親御さんがいなかったら、お前らは生まれてないだろ? 歴史は、俺たちが今生きている奇跡を噛み締めるために生まれた学問だ。だから、もう少し真面目に受けてくれ……有名なので言えば、今我々が使っているスマートフォンも旧文明から使われていたもので——」
静まり返った教室で一人熱弁するのが居た堪れなくなり、先生は教卓に両腕をついて項垂れながら解説をどうにか続けた。
「親御さん……父さん、母さん。母さん」
としおは窓の向こうにどこまでも続く海を眺めながら、小さく口の中で呟いた。夢の中で何度か声を聞いたことがある。しかし、彼にはそれ以外に一切の記憶も、写真や母子手帳などの記録もない。
ようやく授業も終わり、としおと吉田は溜め込んだ眠気と共に校舎を後にした。
「そういや、としおはまだ部活決めてないんだっけ?」と吉田がとしおに尋ねた。
「うん」
吉田はとしおが頷いたのを待ち構えていたように、目を輝かせた。
「じゃあさ、サッカー部の体験来いよ!」
「パス!」
としおはそう即答した。
「サッカーだけに……じゃなくて! なぁ、頼むよ。絶対楽しいって!」
「サッカーやったことないもん! 今日は行ってみたかったとこに行くつもりだし」
としおは右の手のひらで、顔に押し付けられたサッカーボールを抑えた。
「行ってみたいとこって、どこだよ?」
「ふふふ、学校の隣の駅の海浜公園!」
島からほとんど出たことのなかったとしおは、毎日のように外の世界をネットで調べることで何とか憧れを制御してきた。そしてついに外に飛び出した今、彼は夢でしか行けなかった名所に名店、ただの路地まで——とにかくこの都市の全てを見て回りたくてたまらないのだ。
「ええ? いつでも行けんだろあんなとこ」と吉田は不思議そうに言った。
「言ってみたいんだからいいだろ! そういうことだから、じゃあまた夜に寮で」
としおはそう言い残すと、なんとしてもサッカーをやらせようとする吉田を振り切って学校を出た。
としおは海浜公園の停留所を降りた。太平洋が無辺に広がり、電車が浅瀬に敷かれた線路の上を忙しなく走るのが手前に、怒ったように汽笛を鳴らしながら船が行き交うのが奥に見えた。
「気持ちいいなあ。しっかし、誰もいないの? こんなに綺麗なのに勿体無い」
としおは辺りを眺めて背伸びしながら独り言をこぼした。目の前の海も足元の砂の色も、自分の育った島のものと全く変わらないように感じたが、ここはあの海域ではなくて東京の景色なのである。それだけでもとしおにとっては喜ばしい事実だった。
「あっちも行ってみよう」
防砂林の中に差し込む西日に顔を顰めながら、としおはしばらく歩き続けた。
その矢先。
「わ! ぶつかるとこだった、何だこれ、木の実?」
突如としおの鼻先に人の頭ほどの大きさで、ごつごつとした禍々しい見た目の木の実が現れた。いくらとしおが夢中になっていたとはいえ、彼が目の前のこれに寸前まで気が付かないというのはありえなかった。まるでその瞬間に木の実が自ら枝を操ってとしおの目の前に現れようとしたようだった。
陽が急ぐように水平線に消えていき、としおと木々の影はみるみるうちに溶けて伸びていく。実がなっている枝を目線で辿った先に、その木の根元に小さな名札が刺さっていた。
「へー、ビヨウタコノキ……? って言うんだ。面白い実だなあ。びっくりした」
名札にはとしおが普段使っている文字とはまったく違う、奇妙な線状の紋様が記されている。しかし、としおはそれを当たり前のように理解した。
「え? なんで読めたんだろう、こんなの、文字じゃないよね?」
としおが目を擦りながらまた正面を向いた。まだ前にはビヨウタコノキの実があったが、なんだか先ほどよりも一層禍々しく、不気味なものに見えた。としおが引き返そうとしたその時。
「ご注意ください! 私はよけられないので、あなたがよけてくださいね」
どこからか、朗らかな調子の女性の声が聞こえた。
「え!? だ、誰かいるんですか?」
としおはその声を聞くや背筋を硬くしながら、縋るように大声で尋ねた。
「ご注意。ください。あなたが、ください。よけて。ね。私は、あなたが、よけて。ご注意。私、あなた、あなた。あなたあなた。よけくださいご注意私」
その声はあまりにも支離滅裂に喋った。壊れたスピーカーで流している音声かのように、途中途中が唐突に途切れたり、全く違う声になったり、明らかに異常である。
「え、もしかしてこれ、この木の実が……」
声の主は、目の前の気味の悪い木の実だととしおは思った。喋るはずのないものだが、確かにこの声はここから聞こえているのだ。
「ご注意、ください。よけて、ください」とビヨウタコノキは繰り返した。
としおはとにかくこの場を去るべきと考えて駆け出した。
「あれっ?」
防砂林は海がよく見渡せるほどの密度で木が植えられていたはずだ。しかしとしおは今、明らかに深い森の中にいた。そしてこの森に生えている全ての木がビヨウタコノキらしく、見渡すと数えきれない程にあの実が無数にぶら下がっている。
「こ、ここ、どこだよ。どこだよ!」
木の実たちはとしおを笑うように、先ほどと同じ調子で支離滅裂なことを大声で喋り続けている。自分以外誰もいないのにどんどん騒がしくなっていく異様な空間の中、としおは立っているのがやっとなほどに混み合った雑踏の中にいるような気分にさえなった。
「とにかく、逃げないと!」
としおは目の前を塞ぐように埋め尽くす木の実を手で払い除け、走った。向こうに針の穴から差した光のように小さくだが、森の終わりらしき部分が見える。としおは大きくなったり小さくなったりする木の実の声の波に頭を痛くしながら進んだ。
「避けてくださいね。あなたが」
転びそうになった瞬間、木の実が明らかに意志を持ってとしおの左頬を殴りながらそう言った。
「何、すんだよ……!」
としおが弾みで木の幹に頭をぶつけてうずくまったのも束の間、木の実がどこまでも枝を伸ばして着いてくる。明らかにとしおをいたぶろうとしている様子だった。としおは泣きそうになりながら森の中を走った。
「はっ……」
ようやく、外に出られた。あの木の実たちは森の外までは追いかけては来なかった。としおはしばらく呼吸を整えてから前を向いた。
「は?」
としおは目の前の景色がまるで理解できなかった。緑色の雲、紫色の空、目一杯に広がっているのは海ではなく、汚い色の畑のような風景。先ほどまで居た海浜公園とは全く違う、陰鬱な絵画の中のような光景が広がっていたのだ。引き返そうにも、背後を確認すればあの喋るビヨウタコノキの森の影が視界を満たしていて逃げ場はなさそうだった。
としおは仕方なく、畑の方に進んだ。畑は近づくと肉の腐ったような匂いがし、植えられている植物はどれも異様に大きかった。
「うっ……なんだよ、ここ」
右の柵の向こうに、としおの背丈の倍ほどもある南瓜が大量に植えられていた。南瓜のひだの部分が裂けるように開いて、その間から無数の血走った目が絶えず暴れるように視線を動かしている。
「ひっ」
としおと南瓜は、文字通り目が合った。目の前で起こるはずのないことが起きている。としおは殴られた左の頬の内側からかすかに、生々しい血の味がするのを感じて、今は悪夢を見ているという自己暗示すらかけることを諦めた。
笑っているトマト、牛の脚が生え、のそのそと四肢で歩く茄子。馬の脚を持ち、柵の中を走り回る胡瓜。異常な光景と奥に進むごとに強くなっていく腐臭に、としおは今にも倒れそうだった。
「なんだよ、なんなんだよ!」
農園をそうして進み続けて行くと、これまたとしおの背丈の半分ほどの大きさのある、巨大な芋が一本道を塞いでいた。しかも、芋の芽の部分に目があって、どこを見ているのか知らないが見ているだけで背筋を舐められているような不快感が巡る。たった一つの行く道を塞がれたとしおはいよいよ頭に来て、足元にあった小石を拾うと、芋の目に八つ当たりするように思い切り投げつけてしまった。
「邪魔なんだよ!」
ぶちゃ。卵を足で踏み潰したような柔らかく濡れた音がして、芋の目が一つ潰れた。目玉は白と赤の粘ついたものになり、芋の本体を下へゆっくりと伝う。としおはそれを見ていよいよ抑えていた吐き気を我慢できなくなった。
「うええええ」
喉が焼ける感覚を味わった後にとしおが再び芋の方を向くと、潰れた目の部分から急速に蔓が伸びた。そしてみるみるうちに、直径七十センチほどある大輪の白い花が咲いた。花の甘い香りは心地よいものではなく、一つ吸うたびに目と鼻の粘膜が壊されるのを感じる。胃がまた沸騰する。体中が寒くてたまらないのに、汗が止まらず、血管は広がって頭痛が酷くなった。
「あっ……」
としおはその場に臥してしまった。体中が激しく痛み、しかし痛がるほどの力も入らない。死が迫ってくるのを感じる。としおは確かに、朧げな意識の中で走馬灯を見ている。その殆どが生涯をこれまで分かち合って来た唯一の人物である父の映像で、初めて島の外で出来た友である吉田の笑顔は稀に浮かび上がってきた。
「死ぬ、死ぬ」
指先に力が入らない。目の前に誰か立っているが顔は分からない。
としおは数分後にかろうじて意識を取り戻した。しかし、意識は失ったままの方が良かったのかもしれない。としおはいつの間に蔓に体を縛られた上、十字に磔にされていた。そしてあの耐え難い苦痛はすぐにとしおの中でまた暴れ出し始め、としおは声にならない声で叫んだ。
「アレェ、まだ生きてたの?」
知らない声がする。呼吸を整えながら、としおは自分を見上げている声の主の姿をなんとか見た。としおの目線の先には、赤いパプリカの断面がスーツを着た男の体に頭としてくっついている怪物がいた。そのパプリカ頭にシールのように付いている血走った一対の目がとしおを見ている。
「うわあああああ」
痛みと理解できない存在への恐怖で、としおは震えて身を捩らせた。
「うるさいよ」
パプリカ頭がそう言うと、としおを磔にしている蔓の十字架の一部分が解けて伸び、としおの口までしっかりと塞いだ。この怪物がこの不気味な農園の主人であると、としおは直ぐに勘づいた。
「いやあ、初めてだなあ。こんなご馳走が食べられるなんてねえ。じっくり苦しんでねえ。あと二時間くらいで、死ねるから」
パプリカ頭は嬉しそうにまだ新しい制服越しからとしおの脚を撫でた。この苦痛がまだ二時間続くのなら、もう今すぐに首を刎ねて殺してほしい。としおは心の底からそう願って猿轡の中で叫んだ。
「——おや、また誰かやってきたみたいだ。やはりこのあたりまで来て良かった。豊作だ!」
パプリカ頭の怪物が何か言っていたが、としおはもう意識を保っているのがやっとで聞き取れなかった。
その数秒後にガラスが砕けるような尖った音がして、冷たい風がとしおの髪の毛を揺らした。
「ギリギリ間に合ったか」
パプリカ頭の声とは違う、芯の通ったようなはっきりした声がする。としおは半ば無意識に目をそっと開くと、前に誰かが立っているのが見えた。
「へえ。君みたいなのは初めて見たよ。悪趣味なネフィリムもいたもんだねえ」
パプリカ頭の嘲るような声を、もう一人の何者かは鼻で笑い返した。
「それはこっちのセリフだよ。雑魚は喋るな」
フリルで縁取られた円形の平たい頭、絶え間なく溶けながら形を保っている禍々しい黒い泥状の翼が生え、シャツは返り血を浴びたみたいに緑と紫の汁で汚れている。そんな姿をしたパプリカ頭とは別の怪物を、としおは走馬灯の合間に確かに目にした。
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