〈5〉



「美羽先輩、どうかしましたか?」



「なんだか……。向こうに黒いものが動いた気がして」



 こんな変な感覚、今日これで三回目だ。


 そしてなぜか息苦しくなって、ぼやけた視界に黒い影がゆらゆらと漂うのが視えた。


 なんだか怖い。それが少しずつこっちに向かってくるような気がして。



「美羽先輩」


 いつもより低めの声で猫賀御くんが言った。


「もっと俺に寄りかかってください。そしたらアレは近寄ってこない」



 ───えっ!?



「少しの我慢です。怯える心に隙ができるのを奴らは待っているんだ」



 猫賀御くんは私の肩に腕を回し、そのままゆっくりと抱き寄せた。



「先輩の気配をもっと隠すためにはこのくらい密着していた方がいい」



「かくす?」



「そうです、俺の気配の中に。じゃないと先輩ずっと狙われたままですよ。護りの力が弱まってるせいで」



 護りの力ってまさか〈つの〉?


 鬼目家の秘密、まさか猫賀御くんが知ってる⁉



「せっかく二人きりになれる場所を作ったのに。あんなものに邪魔されるとは」



「猫賀御くんもアレが見えてるの?」



 間近に見上げた猫賀御くんの眼差しは、確かに何かを見据えている。



「もうしばらく余裕があると思ったんだけどな、先輩の防御力。でも弱まっている原因を考えると、俺も無関係じゃないのかな……」



 私に視線を向けながら喋る猫賀御くんの表情が変化した。


 緊張から少しずつ、それはとても柔らかく優しく。



「でも美羽先輩は俺が守ります。先輩の中にある大切なものも全部ね」



 微笑して細められた瞳に、私はドキリとした。



 それからしばらく、私は猫賀御くんに肩を抱かれたまま縮まっていた。



 すると不思議なことに黒い影はだんだんに消えていった。



「消えたのわかります?」



 私は頷くのが精一杯だった。



「もう大丈夫です、って言いたいとこだけど。先輩が一人になったときを狙って、きっとまた現れますね」



「ぁの、猫賀御くん」



 いろいろ聞きたいのに。


 思考が混乱していて、言葉がスラスラと口から出てこない。



「猫賀御くんには霊感があるの?」



「霊感、と言うよりは少し違うかもしれないです」



「ぁ……あのね。私もあるの。普通の人には見えないモノが視えたりする力が」



「知ってます」



「えっ⁉」



「初めて美羽先輩を見たとき、もしかしたらって。俺と同じにそういう不思議なモノが視えてしまう力があるんじゃないかって、感じるものがあって。一目惚れは本当だけど、先輩の中にある力に惹かれたのも事実です」



「でも私、自分の中にある能力のこと、まだ詳しくなくて。よくわからないの」



「無理しなくても。先輩はそのままでいいんです。少しずつ慣れていけばいいと思うし。俺だってまだ美羽先輩に言ってないことたくさんありますよ。でも誰でもひとつくらい、そういうの抱えてたりするんじゃないかな。……でも美羽先輩には俺の秘密、いつか話したい。聞いてくれますか?」



 私は頷いた。


 自分自身の事だって、まだわからないことばかりだけど。



「私のことも……。猫賀御くんにはいつか聞いてもらいたいと思う」



 京香さん、ごめん!


 心の中で叔母さんに謝った。



「でも先輩はなんだか隙だらけで危なっかしいから、気を付けないとダメですよ」



「え、そうかな?」



「そうですよ、ほら」



 猫賀御くんの指先が私の頬にツンと触れた。



「簡単に触れるくらいに隙だらけじゃん。俺ならいいですけど。ほかの奴にはこれから絶対に触らせたらダメですからね」



 頬に手を添えられたまま、猫賀御くんからのダメ出しに、私はこくこくと頷くのが精一杯。



 そしてその手がゆっくり離れてからも、胸のドキドキはしばらく止まりそうにない。



「ふふ。先輩、顔が真っ赤です」



「猫賀御くんのせいだよっ……」



 すっかり猫賀御くんのペースに乗せられている私は、残りのお弁当を喉に詰まらせないよう、暫し無言で食べることに集中する。



 先に食べ終わった猫賀御くんは、なんだかとてもご機嫌な様子で空を見上げていた。



「あ、先輩。ほら飛行機雲ですよ」



 ようやくお弁当を食べ終えた私に、猫賀御くんが空を指差しながら言った。



 見ると雲ひとつない真っ青な空に伸びる白線。



「わぁ。空に道ができたみたいで素敵ね」



「その発想、可愛いなぁ」



 猫賀御くんにクスッと笑われ、私はちょっと機嫌が悪い。



「先輩、怒ってる?」



「……あんまりドキドキさせないで」



「俺、遠慮しないって言いましたよね。それに二人きりになりたいからここを選んだわけだし。もっと美羽先輩とスキンシップしたいですから」



 猫賀御くんは私の肩に軽くよりかかった。



 ふわりと甘めの良い匂いがする。



 シャンプーの香りかな。



「このまま美羽先輩の横で眠りたいな。もっと甘々な気分に浸って。誰も来ないしサボっちゃいましょうか」



「そんなのダメ」



 もうすぐ予鈴がなる頃だ。



 私の言葉に、猫賀御くんは「ちぇっ」と言いながら首をすくめて笑い、寄りかかっていた姿勢を正した。



「ちっとも甘々じゃなかったですよ?」



「そんなこと……」



 ないよ、と言いかけた私の視界が突然暗くなる。


 そして猫賀御くんの顔が迫り、唇がおでこに触れたのを感じた。



「おまじないしておきました」



 おでこにキスがおまじない⁉



「魔除けになるんですよ、俺のキスは。……美羽先輩、俺のこと怖い?」



 呆然顔の私に猫賀御くんが聞いた。その瞳はどこか寂し気で、いつもと違って見えた。



「───怖くないよ。今もね、猫賀御くんがそばにいてくれてホッとしてる。……私、猫賀御くんのこと好きになってよかった」



 猫賀御くんの瞳が大きく見開いて、鼻の頭が薄っすらと赤くなった。



 ───あ、これ。猫賀御くんの照れた顔。



「いきなり不意打ち、狡いです」



 猫賀御くんがプイと横を向いて言った。



「だって私、まだ言ってなかったから。猫賀御くんが好きって。それにズルくなんてない。猫賀御くんだっていきなりおまじないのキスするくせに」



「本当はおでこじゃなくて、違うところにもっと効き目の強いキスしたいけど」



 耳元で猫賀御くんにささやかれた。



 君のほうがやっぱりズルいッ。



 私より不意打ち上級者のくせに!



 照れてた顔がすっかり消えてしまった猫賀御くんになんだか悔しくなる。



「先輩の膨れっ面も大好きです」



 猫賀御くんは立ち上がり、私に手を差し出した。



「これからたくさん、先輩と俺との秘密、増えますよ。覚悟しててくださいね」



 錆浅葱の瞳がキラリと光る。


 これからどんな未来が起こるのかわからないけれど。


 悪戯めいた君の微笑み。


 私はその笑顔に弱いんだ。


 だから悔しくても恥ずかしくても、私は差し出されたこの手を握ってしまう。



 猫賀御くんが好きだから。


 君の隣りにいたいから。



(了)



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猫賀御くんと私の秘めごと ことは りこ @hanahotaru515

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