怪獣と蝶々結び

名瀬口にぼし

第1話 魔法よりも魔法みたいな

「さっきはごめん」


 二人一組で行われた魔法の実技試験が終わった、ある秋の日の午後。


「のどの途中まではほとんど言いかけてたんだけど、でもそこで呪文をど忘れしちゃって。リツさんの方は完璧だったのに、失敗しちゃった」


 私が一緒に試験を受けた相手である男子学生・アヤトは、校舎裏の木立の陰で私の前に立ち、甘く綺麗な顔に申し訳なさそうな表情を浮かべて謝る。


 秋の深まる空気の中で、二人の周囲の木々はしっとりと静かに色づき落葉していた。

 しかし「ごめん」に続く言葉が謝罪ではなく適当な弁解でしかなかったので、私は情緒的な雰囲気に流されることなく、アヤトを許す気のないまま睨みつけた。


「そういう言い訳は、ちゃんと私との自主練習に付き合ってから言ってほしんだけど。あんたが失敗に終わるのは、今回に限った話じゃないんだからさあ」


 そう吐き捨てるように言って、私は腕を組んでアヤトの胸倉に掴みかかりたい衝動を堪える。


 アヤトは私にとってはただの腑抜けた男であるが、この学校の学内で最も美形であることは間違いない男だ。

 陽にあたると琥珀色に明るく輝く瞳を縁取る長いまつ毛に、さらさらとくせのない銀色の髪。肌はどの女子よりも白く透き通っていて、鼻も輪郭も完璧に整っていて美しい。


 そんなアヤトの細身で背の高い姿には、この国立魔法学校の男女共用の制服である金の撚糸の飾りのついた真っ黒なローブがよく似合っていた。

 そしてさらにアヤトはそのローブに合わせる靴やシャツなどを選ぶセンスもやたらよいため、より一層見た目は素敵になる。


 しかしローブを着た外見がどんなに格好良かったとしても、アヤトは魔法使い見習いとしてはぽんこつで非常に能力が低かった。

 だから私がアヤトと受けた火の精を呼ぶ二重唱の呪文の試験は、アヤトがほとんど呪文を覚えていなかったことで、試験官の先生も苦笑するほどの大失敗に終わったのだ。


「僕のせいでリツさんも悪い成績になっちゃって、本当にごめん。でも僕は学年一位のリツさんみたいに優秀じゃないから、そんなには頑張れないよ」


 苛立ちを隠さない私に、アヤトは手を合わせて謝罪を重ねつつも妙に堂々とした態度で弱音を言う。

 国立魔法学校の学生は基本的には貴族や王族など格式のある家の子女であり、たいていは体面を大切にするようにしつけられているのであるが、アヤトは例外で劣等生扱いされることを恥じてはいないようだった。


 確かに私は、このココノエ国を怪獣から守る護衛軍を率いる魔導将軍を祖父に持つ才気溢れる魔女見習いとして、入学してから今日まで常に主席の成績を修めている。

 私はただ長い黒髪だけが特徴の地味な顔の人間で、アヤトのように美しい外見には生まれなかったが、魔法の才能は十分すぎるほどに与えられてはいた。


 だが一方で私には才能に甘えず日々努力しているからこそ主席なのだという自負もあったので、私はアヤトの主張を認めずに怒鳴りつけた。


「そんなにっていうか、あんたの場合はほぼまったく頑張ってないでしょうが!」


 アヤトができる限りの努力をしてそれでも失敗してしまったのなら、私もアヤトに優しい言葉をかけただろう。


 だが私はアヤトが自分の実力不足を埋めるために何か行動しているところを見たことはないし、そうした取り組みをした形跡を感じたこともない。

 一緒に試験を受ける者として自主的な練習の約束をしてもアヤトは寝過ごしサボり続けてきたのだから、同情の余地は見当たらなかった。


「あんたがどんなろくでもない人生を歩もうが私の知ったことじゃないけど、将来のある私の邪魔はしないでおいてよね」


 気付けば、私は叱咤激励を通り越して、実際の気持ち以上にきつい言葉でアヤトを責めていた。

 さすがに言い過ぎてしまったかもしれないと、私は一旦叱るのをやめてアヤトの様子を見た。


 紅葉した木々の葉が作る淡い影の下、アヤトは黙ったまま、綺麗な琥珀色の瞳で私を見つめていた。何も言わなければ、その表情は殊勝なものに見える。


 しかしアヤトの態度が神妙に見えたのはほんの数秒のことで、彼はまたすぐに軽く重みのない言葉しか言わない口を開いた。


「あの、じゃあ僕が悪かったお詫びをリツさんにしたいから、今日の放課後、僕に付き合ってもらってもいい?」


 まるでこれから恋でも始めるみたいに、アヤトは私に澄んだ声で話しかける。


「はあ? お詫び?」


 そのあまりに望んでいたものとは違う反省の姿勢に、私は思わず素っとん狂な声で聞き返した。


 アヤトは怒りを隠さない私に気を遣っているようだったが、その気遣いは絶望的に方向がずれていたし、この期に及んでまだ謝罪で許してもらえると思っているあたりが図々しかった。


 だが私が不信に思っていることがまったくわかっていないらしいアヤトは、やはり噛み合わない反応を見せる。


「もしかして、もう予定があったかな」

「いや、別に時間は空いてるけど」


 残念そうに尋ねるアヤトに、調子を狂わされた私はつい正直に答えてしまった。


「じゃあ、決まりだね。授業終わったら、西門で待ち合わせで」


 そしてアヤトはほっとした顔で勝手に微笑み、次の授業がある校舎の方へと去って行く。


 私は釈然としないまま、降り積もった落ち葉の上に立ち一人残される。


 どうやら私は気に入らない男に試験を台無しにされた上に、放課後もその男に時間を割かなきゃいけないらしかった。


 正直、勘弁してほしい。


 だけど彼なりの誠意が果てしなくどうでもいいものだとしても、私はそれを無視できるほど冷たい人間にはなれなかった。


 ◆


「リツさん。ほら、こっちこっち」


 人混みの中、ローブの制服姿がやたら見目良く目立つアヤトが私を手招きする。


「いちいち大声で名前を呼ばないでよ。鬱陶しいな」


 私は嫌々仕方がなく、アヤトと一緒に学校の近くの商店街を歩いていた。

 校外での魔法の使用は認められていないため、魔法学校の学生も学校の敷地の外に出れば制服を着ているだけのただの人だ。


「せっかくのお出かけなんだから、いいじゃん。ね、リツさん」


 いたずらっぽい表情でこっちを見て、アヤトがわざとらしく私の名前を呼ぶ。


 二人の通っている国立魔法学校は水上交通の要である運河の拠点として古くから栄えている地方都市にあり、周囲には歴史のある商業地区が広がっている。

 そのため運河沿いに並ぶ倉庫と同じ赤いレンガ造りの商店街には、木材から紳士靴まで、ありとあらゆる商品を扱う店が立ち並んでいた。


 少し肌寒い秋晴れの空の下、道行く人は冬を迎えるための買い物を楽しんでいる。


 アヤトはその混み合った街路を慣れた足どりで進みながら、仏頂面の私に微笑みかけた。


「学校の外にいるんだから、リツさんももっと肩の力抜いてもいいんだよ?」


「逆に私はあんたに、学校の中でも外でも緊張感を持ってほしいけどね」


 なぜいつも失敗しかしていないこの男にあれこれ言われているのだろうと思いながら、私は軽く皮肉を言う。


 しかしアヤトは私の言葉を聞いてはいないのか、今度は道沿いに建つ菓子屋の看板を指さしながら何やら熱心にこの秋の限定商品について話し始めていた。


 お詫びに付き合っているはずなのに、謝る側の方が楽しげなのが不思議だ。


 やがてアヤトと私は女性向けの服や小物を扱う店の集まった通りに入り、華やかな冬服の並んだショーウィンドーをいくつか通り過ぎたところでアヤトは足を止めた。


「僕がリツさんを連れてきたかったのは、このお店だよ」


 そう言ってアヤトが私を案内したのは、アクセサリーや髪飾りなどを扱う一件のある雑貨屋だった。

 金属細工の筆記体で店名が書かれた看板は落ち着いた雰囲気で、焦げ茶を基調にした店構えは大人っぽい。しかし店頭に置かれたネックレスの値札は、学生にも手が届かないわけでもない値段であるようだ。


「こんにちは」


 まずアヤトが挨拶をして入店して、私が続く。店の奥の方からは店員の女性の挨拶がいらっしゃいませと響いたが、裏方の仕事が忙しいのかすぐには姿を見せなかった。

 思ったよりも広い店内は外観と同じように大人びた色合いの内装で、並ぶ商品もすっきりしたデザインのものが多い。


「まあ、素敵な店なんじゃないの」


 私は棚一面に並ぶ、上品な細工の指輪やイヤリングを見て言った。

 なぜ男であるアヤトが女性向けの服飾に詳しいのかはわからないが、店を選ぶセンスが悪くはないことはファッションに興味がない私にもわかった。


「ね、可愛い店でしょ? やっぱり買うなら学校でも使えるものがいいかな。髪飾りとか」


 アヤトはゆっくりと品物を見ながら、しかし迷うことなく、髪飾りが並ぶ棚の方へと移っていく。


「私は別に、何も欲しいとは言ってないんだけど」


 文句を言いながらも、私も渋々アヤトについて行く。


 ちょうど店内の角に位置する髪飾りの棚に前につくと、そこには植物の葉を模した金属の飾りのついたバレッタや、シックな色合いのサテン地のカチューシャなど、派手すぎず使いやすそうな商品が取り揃えられていた。


「リツさんには、多分、これなんかが似合うと思うんだよね」


 そしてアヤトは棚に並ぶ髪飾りのうちの一つを手に取って、その白く長い指でそっと私の前髪にふれた。


「は……?」


 それはとても自然に、いともさりげないことのように行われたので、私はアヤトのその手を払いのけることができなかった。


 知らないうちにとても近い距離に立っていたアヤトは、私の前髪に何かをつけて指で撫でて整える。

 私はアヤトの無駄に端整な顔がすぐ目の前にあるのがくすぐったい気がして、一瞬だけ目を閉じてしまった。


「うん。やっぱり、リツさんの黒髪には青色が映える」


 飾りをつけ終えると、アヤトは満足そうに試着の確認用として店に置いてあった手鏡を手にして、私に見せた。


 私は薄目を開けていたのをやめて、その鏡を覗き込む。


「ん……確かに、悪くはないかな。色合いがいい感じだし」


 私の前髪に留められていたのは瑠璃色と銀色のビーズをあしらったリボン付のヘアピンで、二色のコントラストが制服の黒地とも相性が良い品物だった。


 多分、これは地味な私にも比較的似合っているものなんだろう。


 私がヘアピンそのものは褒めると、アヤトはまるで自分も認めてもらったみたいに、嬉しそうに笑った。


「気に入ってもらえたなら、これは僕が買ってリツさんにプレゼントするよ。リツさんは普通にしててもすごく綺麗だから、何が似合うのかいつも楽しく考えてたんだ」


 どうやらこのヘアピンが、呪文の二重詠唱の試験で失敗して私に迷惑をかけたアヤトの、お詫びであるらしかった。


 多分アヤトは、魔法と努力の才能はまったくないが、人を美しく見せる才能はあるのだろう。

 アヤトは地味な私を綺麗だと褒めて、そしてちょうど私の長い黒髪を引き立てる髪飾りを選んでくれた。

 それは一応は、感謝すべきことだと思う。


 だけどやはり本音を言うと、こんな髪飾りやアクセサリーに詳しくなっている暇があるのなら、試験で大失敗しないように少しは練習しておいてほしかった。


「試験勉強よりもわざわざ私のことを考えてくれてたみたいで、本当にありがとう」


 私は皮肉や嫌味を込めつつも、お礼を言った。


 もちろんアヤトは私の意図には気づかないまま、楽しそうに別の商品に手を伸ばす。


「うん、どういたしまして。で、今日はお金がなくて買えないんだけど、その青いヘアピンに合わせるなら、このネックレスがおすすめでね……」


 アヤトのおしゃれについての講義は、それからしばらく続いた。


 ◆


 雑貨屋の次は、入店待ちの行列があるお洒落なカフェにも案内された。

 白い壁にパステル調の可愛らしい蜂蜜とクマの絵が描かれた、入店前から口の中が甘くなりそうな外装の店だ。


「なんでカステラごときに、一時間も待たなきゃいけないの」


「リツさん。このカフェのカステラは、焼きたてのふわふわで食べれるカステラなんだよ」


 なかなか進まない列に悪態をつくと、アヤトがどうにもずれた答えでなだめてくる。

 アヤトの頭の中こそ、そのカステラよりもふわふわしているんじゃないだろうか。


 焼き立てのふわふわが食べたいなら家でほどよく焼けたトーストでも食べればいい。そう言おうとしたところで、アヤトがメニュー表を私に差し出す。


「キャラメルとはちみつとホイップと。どの味がリツさんは好きかな」


 可愛らしいイラストで描かれた様々なカステラは、値段はそれほど可愛らしくないからきっと割り勘になるのだろう。


 こうして私は、寮の門限を迎えるまでアヤトに付き合うはめになった。

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