悪役令嬢の始動、そして……

あれから幾度となく彼と寝食を共にし、様々なことを語り確信を得た。

イスファンは信用に値する男だ。


燃えた執務室周辺の建て直しも終わり、木材の新旧の違いはあれども以前と同じ見栄えの屋敷が戻ってきた。

ただ、一点。私は立て直すにあたって執務室だけは構造を変えた。

まず、ひとつ。

廊下から入った部屋は、執務室という名のただの真っ白で四角な箱にした。施行者が、本当にこんなもので良いのかと何度も確認してきたが、この不気味なほど何もない部屋で良いのだ。そのド真ん中に焼け残った黒光りの金庫を置けば、入ることすら躊躇わせる異質な空間となる。

そして、もうひとつ。

白い部屋からのみ行ける本来の執務室。こちらには、書斎机や本棚など執務室としてあるべきものを全て整えた。この隠し部屋こそが、今後の密談の場となっていく。


そして、その秘密の部屋で、さっそく密談が行われていた。

イスファンの座るソファの肘掛けに、背を向けて腰を下ろす。


「それで、リエリア。君は、ご両親は事故死じゃないと確信してるんだな?」

「当然よ。明らかに不自然な点が多すぎるもの」


いつの間にか名前の呼び方も変わり、互いに素で話すようになっていた。彼は私のことを『あなた』ではなく『君』と呼ぶようになったし、自分のことを『私』ではなく『俺』と呼ぶようになった。些細な変化だが、彼との距離を縮んだ気がして妙に嬉しかった。


「お父様とお母様は、誰かに殺されたの」


私は、マルニードにも話していなかった、両親は事故死ではなく他殺であることを、この時はじめて他人に明かした。

両親の遺体にあった傷や、金庫を抱いて亡くなっていたこと。普段であれば寝室に入っていた時間なのに、なぜか二人揃って執務室にいたこと――私が知る全ての情報を話した。


「じゃあ復讐ってのは、ご両親を殺した犯人を見つけて……同じ目にでも遭わせようってことか?」


イスファンの表情が曇った。彼が一瞬口ごもった意味は充分に理解できる。私が犯人を殺すつもりなのかと懸念しているのだろう。


「……分からない。そこまではまだ考えてないの。犯人を目の前にして、自分にどんな感情が湧くかも分からないし……何より犯人の見当すらも付かない状態では、その先だなんて考えられないってのもあるわ。でも……何年、何十年かかろうと絶対に探し出して、罪を償わせてやるつもりよ」


本心だった。

今はまだ、この怒りと憎しみをぶつける所在が分からず、ぶつけ方も想像できないのだ。とりあえず、犯人を見つけ出す。

今、私を突き動かしている欲求は、それ一点のみだ。

彼は、少し安堵したように眉を開いていた。


「であれば、そうだな……まずは犯人を捜し出して……せめて目星を付けてからだな。そいつをどうするかを決めるのは。何か考えは?」


私は部屋に籠もっていた時に書き上げた『遺言状』を彼に見せた。

受け取った彼は、『遺言状』という文字に一瞬目をみはっていたが、中身を読んで「なるほど」とポソリと呟いた。


「犯人はシュビラウツ家の資産を欲しがっているわ。その資産が一部なのか全部なのかは分からないけど」

「だから、資産を譲渡するような状況になれば、間違いなく現れるってわけか」

「ええ。事実、すでに求婚の手紙がうんざりするくらい届いているもの。あれだけシュビラウツを毛嫌いしていたのに、財が手に入るってなると皆、あっという間に掌を返すのね」


つくづく、この国の貴族は性根が腐っていると思う


「しかし、遺言を使うだなんてよく思いついたもんだ。まだまだ死とはほど遠い十七の少女が」

「私の婚約者の座を賭けて……ってだけじゃ、まだノイズが多すぎるもの。諾否が権力に左右されすぎる。資産を手に入れられる可能性を全ての者に平等に与えるには、遺言状この方法しかないのよ」


彼はたたみ直した遺言状を、弄ぶようにひらひらと宙で振っていた。


「それに、当主になったんだもの。犯人がシュビラウツの資産目当てに、いつ私を殺しに来るかも分からないわ。どちらにせよ用意していて損はないものよ」

「……そんなこと、俺がさせるものか」


肘掛けについていた手に、イスファンの手が重ねられた。そのまま力強く握り込まれる。

驚いて振り向けば、彼の真剣な眼差しと視線が絡んだ。


「……っ」

「絶対、君に危害は加えさせない。俺が守る」

「そ、れは、光栄だわ……」


一度絡んだ視線はなかなか解けず、固唾をのんだ時にゴクリと音が鳴ってしまった。緊張しているのがばればれで、たまらなく恥ずかしい。


「あの……イ、イスファン……手を……」


手が燃えるように熱いのは、握られた彼の体温のせいなのか、それとも私のせいなのか。二人しかいない部屋に流れる沈黙すら、熱を帯びはじめる。

熱気に息が上がりそうだった。


「~~ッイスファン……ねえってば……!」


顔を逸らすことができず、瞼を閉じて、これ以上体温が上がっていくのを防ごうとした。そして、いよいよもう手を振り払うしかない、と思った時、するりと重ねられていた彼の手が離れた。

ホッとしたと同時に、少し拗ねたくなった。


――言えば離すのね……。


実に理不尽なことを思っているという自覚があった。

しかし、熟れてしまった肌が、失った熱を名残惜しむようにヒヤリと寒く感じれば、まだ温かさに触れていたかったと思うのも道理では?


内心が漏れ出たかのように、つい唇を尖らせてしまう。それを見て彼は何故か笑っていた。


「まったく、可愛い小鳥さんだ。焦るつもりはなかったけど、俺は煽られてるのかな?」

「煽る……ってどういうこと?」


特に追いかけ回したりはしていないが。

首を傾げると、彼は小さく噴き出しただけで、その意味までは教えてくれなかった。

彼がクスクスと笑ったことで、先ほどまでのジリジリとした空気が、すっかり緩和された。


改めてイスファンは、手にしていた遺言状を振る。


「それで、これはいつ頃実行するつもりだ? すぐに公表したところで、犯人の決め手がない」

「これは最後の手段よ。だって、これを使う時、私は死ななくちゃいけないもの。死ねば身動きできなくなるし、その前に色々とやっておきたいもの。だからまずは、当日の目撃者がいないか探してみるわ」

「だったら、それは俺に手伝わせてほしい。君が聞いて回るより、商人もやっている俺のほうが誰に聞いて回っても不自然じゃない」

「ありがとう、イスファン」


ここまで話したのだ。彼の協力を断るという選択肢はない。

それに、彼の言うことはもっともだ。私が動き回れば、犯人に何か勘づかれる恐れがある。しかし、隣国の商人という顔を持つイスファンなら、こちらの国でいくら動こうが、誰も気に留めないだろう。


――隣国の王子の顔なんて、この国の人間が知るはずないしね。


自分も知らなかったのだし。

基本的に王族というのは、式典など行事がなければ民の前に姿を現さない。

私も、自国の王子様なんか知らないのだし。


「それと、この計画を実行するのなら、家人には話しておいたほうが良い。君ひとりでやり遂げるには、少々無理な計画だ」

「……っでも、皆をこんな復讐に巻き込むだなんて」


最悪にはならないようにはするが、それでも万が一犯人の矛がこちらに向いた時、その先が私に刺さるのならいいが、マルニードたち使用人や領民に向けられるのなら耐えられない。

いつの間にか、肘掛けに上についていた手が拳を握っていた。


フッと、イスファンが微笑む気配がした。


「復讐だなんて大胆なことを言うくせに、君は優しすぎるな」


背に流していた髪を梳かれた。


「むしろ皆、君に協力できると知ったら喜ぶと思うけどな。ここずっと、シュビラウツ家を見てきたが、主従の絆が強いと感じたよ。並の貴族家じゃこうはいかない。お互いがお互いを大切に思ってるのが伝わってきた」

「シュビラウツ領の皆は、ずっと一緒に育ってきた家族みたいなものだもの」

「普通の貴族は、使用人を家族だなんて言わないよ。この家が、どれだけの愛と優しさに満ちていたか分かるようだ。さすがはシュビラウツ家、あのカウフ様の末裔なだけはあるな」

「カウフって……うちのご先祖様を知っているの?」

「あはは! 当然さ。シュビラウツ家はロードデールでは国を救った英雄で有名だからね。俺も、幼い頃から何度父に、その偉業を聞かされてきたか……耳タコだよ」

「あら、それは悪いことをしちゃったわね」


茶目っ気たっぷりに肩をすくめた彼に、同じく冗談めかしてタコになったという耳を軽く撫でてやれば、その手を掴まれる。


「リエリア、家族に隠し事は無粋だと思わないか? それに、何も知らないほうが危険だ」


いきなり逸れていた話題が本題へと戻る。しかし、手は離されない。


「……そうね。分かった、マルニードたちにも全て伝えるわ」

「ああ、信頼できる人間は多いほうがいい。特に、遺言なんてものを使うのなら余計にだ。何も知らないまま君が消えたら、残された者たちの悲しみはいつまでも晴れない」

「彼らのことまで心配してくれるだなんて……優しいのね、イスファン」

「君のためだからだよ、リエリア」

「え……」

「俺が傍にいない時、彼らには君を守って貰わなければ困る。蠅の一匹にも触れさせぬよう……」


握られていた手はいつしか指が絡んでいた。

彼から向けられている気持ちが親切心だけでないのは、うっすらと気付いている。『愛』と名がつくものだろう。しかし、それが『友愛』なのか『情愛』なのか『親愛』なのか……それとも純粋な『愛』なのかの区別はつかない。


「イスファ――」

「君にひとつ忠告をしておいてやろう」

「忠告……?」


絡んでいた彼の指は、何度も私の指の間をなまめかしく動く。


「男には迂闊に触れるもんじゃない、リエリア」


指を強く絡められ、そのまま手を引かれた。

体勢を崩してしまい、「きゃっ」と悲鳴を漏らしながら、彼へと倒れ込む。


「結婚の意思がなくとも誰かの婚約者になるつもりなら、知っておいたほうがいい。男は、君のような美しい花が目の前に咲いていたら――」


胸にしがみつくように倒れ込んだ体勢のまま顔を上げれば、彼のいつも柔らかで温かな瞳が今は冷たさを孕んで、こちらを見下ろしていた。


「――食べたくなってしまうんだよ」

「……っっっ!」


鋭利な瞳が近付いてきて思わずギュッと目を閉じる。

もしかして、と意識が微かに震える唇へと向く。


しかし、熱さを感じたのは唇ではなく額だった。触れた感触が離れると一緒に、目を開ければ、困ったように笑うイスファンと目が合った。


「まあ……俺以外に食べさせる気はないがな」


彼になら食べられてもいい、と思ってしまったこの感情は、何という名の『愛』なのだろうか。







こうして、三年後ファルザス王国全てを騒がせる遺言状計画は始まったのだった。


ぞろぞろとシュビラウツ家の財を狙って蠅がたかってくる。

婚約者という、財に一番近い椅子をねらって。しかし、蠅の王がやってきたことで、その椅子は『ナディウス・ウィルフレッド』のものとなった。

誰もが、このまま黄金の山は王家が持っていくのだろうと諦めた。


しかし、シュビラウツ家の財――偉大なるカウフ・シュビラウツの血を濃くひいた少女は、そう簡単には手に入らない。


三年という時間をかけて、緻密に綿密巧みに張り巡らされた蜘蛛の糸。

引っ掛かり食われるのは、どの蠅だろうか。



【外伝・了】

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