第六話 魔法書 ②

 未だに先程の『目潰し』が後を引いているのか頭がズキズキと痛むリュカは、ネヴの腕にしがみつきながら共に窓際のカウンター席へと向かった。


「いやー、自分以外にも効く魔法は久々に使ったもんでな。生まれつき魔法を扱えるもんでもないから一層感覚が鈍っていたようだのう」


 木製のハイスツールに座り、テーブルに肘をついて顎を手の甲に乗せながらネヴは目を細めわざとらしい笑みを浮かべた。


「──ネヴさんって意地悪?」

「何を今更。そういやおまいさんの初恋を奪ったのもおれだったのう、あの時は大変小気味が良かった」

「………」


 五年前、リュカがまだ十二の頃。二人が初めて出会った時ネヴは髪を背中辺りまで伸ばしていた。


 白銀しろがね色の流れるような髪と元々中性寄りな目鼻立ち、今も尚健在している静謐せいひつさを漂わせる雰囲気に幼いながらも目を奪われてしまったのだ。


 青少年ながらの行動力で『結婚してください』と告白したこともあった。そこで初めてリュカはネヴが当時六十越えなことと男性であることを同時に突きつけられ──初恋が呆気なく散った。


 女性にしては声が低かったようなだとか、一人称は私じゃないんだな…等の思考は浮かばなかったようだ。


「実はおれの本当の年齢を知ってるのはおまいさんと嫁さんだけなんだよ。他の連中はおれを同年代か年下に扱っておる」

「え、他の人には言ってないの?」

図書館ここに来る奴らはおまいさん以外三十をゆうに越えてる輩ばかり、そいつらにおれがどうこの姿を保ってるか教えたって大した反応はもらえんよ」


 声の震えや表情の機微から、他にも度し難い理由がその一文の裏に隠れているような感じがした。リュカはそれについてなにも言及しなかった。


「……ビックリしてる人を面白がりたいからずっとそんな見た目ってこと?」

「ま、それもあるが……なんせおれは顔が良いからずっとこのままでいたいだけだ、使えるもんは使わないとな?」


 ネヴは七十越えの人生を過ごすと共に多彩な知識に触れ続け、結果村の中でも頭一つ抜けて聡明な人物として成り上がった。


 ……それはそうと良い歳して天元突破した自己肯定感故の傲慢さを隠しきれず、挙げ句は他人を嘲笑あざけわらう為に持てる限りを尽くすネヴという男の生き様にリュカは呆れている。


 だがそれと同時に彼に敬愛を向けているというのも事実だった。かつての恋心とはまた別に。


 何故なにゆえ、自由気ままに生きる彼は大人に抑圧されて過ごすリュカとは真逆の存在だ。自分が持たざるものを持つ者として羨望の眼差しを向けている。


 別種族との共存を夢見るリュカを軽蔑したり笑ったりしない大人は、知る限りでネヴしかいないというのもまた大きな要だ。彼の『傲慢さ』はリュカの知る他の人間達のそれとは違う。


「ま、そんなことより。おまいさんは聖なる森、知っとるだろう?あの森には魔力が霧のように充満しとるんだ。最奥以外では人間だと察知も出来ないくらいだが…」


 ネヴは手を軽く叩いて遠巻きに話題を切り替える合図を送った。


 視界が閃光で歪む目まぐるしさからどうにか覚めたリュカは、彼の口から出た『聖なる森』を耳にした瞬間昨日の出来事が一気に頭の中に再度流れ込んだ。


 ──エルフと出会ったこと、彼が人間に襲われていたということ…ついでに母が聖なる森にある石を求めていることも。


 ネヴは戦後五十年未満に生まれた男としては珍しく別種族への嫌悪感も敵対心も抱いていないため、彼の叡智を借りるべく順を追って話すことにした。


 ¤ ¤ ¤


「随分と興味深いな、エルフたるものがこの地域に来るなど」

「あいつ、家族と喧嘩したからって言ってたけど…でも家出感覚でこんな所に来るかな?ここって辺境だし、エルフ達が好んで人間が占拠してる地域の近くに住むとも思えないからさ」


 ネヴは顎を手の甲に乗せたまままぶたを閉じ、思考を巡らせる身振りを挟む。そしてやけに自信満々に微笑を湛え、こう答えた。


「知らん」

「………あのさぁ」

「知らんもんは知らん。お前─おまいさんはおれを全知全能かなんかと勘違いしておるのか?」

「そういう訳じゃないけどさー…それっぽい理由思い付かないの?」

「……そうだの」


 またもや目を伏せながら重くため息をついたネヴをリュカはじっと見つめていた。


「無意識的に、聖なる森の魔力に引き寄せられたのかもしれんな」

「魔力に…?」

「おれら人間は今も昔も、魔力を感知することも、身体しんたいに蓄えることも、ましてやそれを扱うことも出来んから今の世代にはわからんだろうが──」


 ネヴは一瞬言葉を詰まらせるも、握った拳で口元を隠しながら喉払いをした後再開した。


彼奴エルフらは違う。ていうか人間が異例なだけでな、本来魔力は自然が生み出したものなんだ。それを感知し、恩恵を受けられるのは当たり前なんだ」


『──じゃあ、なんでネヴさんは魔法を扱えているんだろう?』


 心の中でそう念じていたつもりが、その疑問はリュカの口をついて出ていたらしい。ハッと口元に手を添えるリュカを見ながら、その問いに答えるようにネヴは上着の懐中から再度本を取り出す。


「……この魔法書──かつては『エフェメラル•ノート』と呼ばれていたこの本のおかげだ。製作方法も保存の仕方も相まって、人間が所持してるものとなると今や二桁も残っておらんだろうな」

「えふぇめ……?」

「言いづらいだろう、魔法書でいい。どうせ本当の呼び方なぞ誰も覚えとらん」

「それで、その本でどうやって?」

「ざっくりいえば、この本に貯まった魔力をひっぱり出して……って感じかのう。まあそれはそうとして、さっきの話の続きだが──」


 魔法書と名称付けられた本がまた懐中に仕舞われるのを阻止するべく、リュカは咄嗟に無茶振りを声にあげた。


「……俺も魔法使ってみたい!」


 ネヴは呆気にとられ『なぜ?』と問おうとしたかったが、リュカの瞳の奥には衝動的な好奇心以外の志が揺れていると見定め、渋々魔法書を手渡した。


 リュカは表紙を改めて見下ろすと、装飾された円の内側に彫られた六芒星が微かに光を放っているということに気付く。円の輪郭をなんとなくなぞってみると、指先が仄かに暖かみを感じた。


「これが魔力?なんだかちょっとだけあったかい」

「なんだ、さっきまで魔法なんて存在しないと豪語していた割にもう魔力の感覚を掴めておるのか。ほれ、立て。後は一人で頑張ってくれ」


『後は一人で』と突き放され頭が一瞬真っ白になる。ネヴは頬杖をつきながら冗談ではないと言わんばかりに首を少しかしげた。


「……え?ネヴさん?」

「コツを教えられる程魔法は定型化されとらんよ、人間の間ではな。ま、魔力をどうにかかき集めてみろ」

「……えぇ」


 リュカはハイスツールから降り、指人形纏わりつく暖かみに違和感を覚えながら六芒星をなぞった。指を滑らす度に得も知れないが、指のすぐ真後ろを追尾すると同時に熱を更に高めている。


「なんか……更に熱くなってきた」

「良い感じじゃないか?魔力が集まっとるんだろう」


 始点に戻るといつしか六芒星はか細い光を放っていた。リュカの心臓は理由もなしに鼓動を早めていく。未知への恐怖、期待──願望が、脳に響き渡り、それは早鐘を打ち続ける。


 すると突如、本がひとりでに開こうとしているのか、表紙が紐で引っ張りあげられているかの様に小さく開閉を繰り返す。


「な、なに……!?」

「落ち着け、指先の魔力を放さんようにすればいい」

「わかんないって───」


 指先が静電気に討たれた感覚に怯んだ刹那、そこを爆心地に魔力が全身へと周り、たった一瞬だが感電を彷彿とさせる痛みが走る。


 リュカは思わず魔法書を手放してしまい、角を一度強く打った後床に着地した本はその一瞬で空気に溶けるように光を失った。


「…いった……なに…?電気……?」


 反動で後ろに体重を持っていかれ尻餅をついたリュカは、バクバクと音を立てて響く心臓と嫌な汗を滴らせながら、未だに麻痺の感覚が離れない手のひらと床に落ちた魔法書を交互に見ている。


 「暴発か」


 目の前で何が起こったかをどうにか脳内で処理しようと頭を働かせるリュカとは引き換えに、ネヴは表情一つ変えず頬杖をつきながら平坦な声色で一言呟いた。






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