第五話 魔法書 ①

 昨晩リュカは結局なにも食べなかった。母に理不尽に怒鳴り付けられ姉について非難され……日常茶飯事だとはいえ、昨日はあのエルフの青年と出会って高機嫌だったところに水を差されれば苛立たしくもなる。


 ──翌朝、時刻は丁度六時半。家族全員がまだ眠っている間に自室にて着替えを終えたリュカは重い目を擦りながらキッチンへと向かい、果物カゴからりんごを掠め取りそれを一口かじった。


 腰窓から差す朝の日差しを浴び、未だに夢うつつな頭を起こしてから外出の準備を進める。リュカは出来る限り家族と過ごす時間を避けるべく、早朝から家を空けることが多い。


 幸いにも不在を気にする人は誰一人として居ない。だがその事実がリュカにとって都合の良いものでもあると同時に、自分がいなくても別に誰も悲しまないということの再確認ともなるのが虚しくもあった。


 その事実をどうにか噛み締めてもやはり心に来るものがある。頭の中に黒い靄がかかり始める前にリュカはウエストポーチを腰に下げ早々に家を出た。


 ¤ ¤ ¤


 といってもこんな朝早くに居るわけがない、とリュカは寄り道をすることにした。行く宛もなく辺りをさ迷っていたが、自宅から歩いて十五分程に個人経営の図書館があることを思い出したリュカはそこへと足を進めて行く。


 図書館といっても少し広めな古い一軒家の一階を改装した、どちらかと言えば図書室と呼称した方が適当な場所だ。客足もそこまで多いわけではない為気楽に向かうことが出来るということで、昔はリュカも良く訪れていた。


「爺さーん?」


 リュカは引戸を開けながらこの図書館を一人で管理している司書に呼び掛ける。


 図書館とはいえ元は一軒家ということで、土足で上がらないようにといった内容のポスターの下には靴箱がある。その横にはいくつものサイズのスリッパが用意されていた。


 リュカは靴を脱ぎそれを靴箱の一段に差し込んでからスリッパに履き替える。返答は未だ届いていないものの、鍵が開いている為司書はもう起きているだろうと前提を掲げ足を踏み入れた。


 内装は良くも悪くも一軒家をどうにかやりくりして図書館に改装した様にしか見えない。


 キッチンは撤去されており、それ以外もリビングやダイニングのような部屋を隔てる壁は改装するにあたりほぼ全て解体されていた。


 頭上二メートル強と天井の高さも相まって開放感がある場所だ。等間隔で取り付けられたダウンライトは読書の弊害とならないよう出力を控えめに調節され、だいだい色の光を発している。


 壁際や何列にも渡りそれぞれ別ジャンルの本が収納された本棚が並んでいる。窓際にはカウンターテーブルもあるということで、個人経営とはいえ物足りないという程ではない。


 むしろ、村の中心に建てられた公営の図書館は広々としている分人流も激しいためここを好んで訪れる人がいるくらいだ。


 だがリュカがまだ十四の頃に何故か図書カードを会員証と兼ねた会員制となってしまい、新規の客を一切受け入れない体制へと変わってしまった。


「今向かうよー」


 リュカが『爺さん』と親しみを込めて呼び掛けた人物は悠々閑々ゆうゆうかんかんに返答を返し、一連の鎖で隔てられた二階への階段から姿を表す。


「誰かと思えばおまいさんか、リュカ」

「お久しぶりです!」

「三ヶ月くらいか、しばし見かけぬ内に随分と大きくなったの」

「爺さんは…あれ、髪切った? それ以外はずっと前から変わんないね」

「そりゃそうだ、なんせ五十年前からこのまんまでな」


『爺さん』は、不自然なまでに若々しく見える。リュカの何歳か上の兄と紹介されても違和感がない彼の肉体は引き締まっており長身だ。そこに耄碌もうろくの影は見えない。


 だが彼は齢七十を越える男として申し訳程度にしわが目元に薄く引かれている。


 それでも尚顔立ちは若々しく華やかで、さながら三十を越えない壮年と呼んでも違和感がないだろう。少しでも大人びた印象を抱かせるべく、度の入っていない丸眼鏡をつけている。


 全体へ白が進行しきったミディアムショートの髪と前髪から覗く胡桃くるみ色の目は、その外見と合わさり更なる見目良みめよさを彼の周りに纏わせている。


 実年齢なりに老人のような物言いを心掛けているようだがその風姿ふうしと絶妙に噛み合っていない。その口調も不安定なもので、時折外見と年齢が正比例していた時期の若気の至りと傲慢さが垣間見える。


「なあ爺さん、魔法でその見た目になってるってのが本当なら見せてよ。どうせ嘘だろうけど」


 爺さんがリュカに何故姿が若かりし頃のままな理由を語った時も、出生やらなんやらの秘密を隠す為にでっち上げだと耳を貸していなかった。


 それには『が魔法を使える訳がない』という先入観の一つが影響していた。だが人間が扱う魔法には逆に興味を惹かれている訳で、ある種矛盾していると小突かれることもしばしば。


「なにかと言えばそんなことか。嫌やの」

「えーっ……なんで」

「おまいさんはおれを見ても未だに魔法を信じていなかっただろう、どういう風の吹き回しだ?」

「……だって本当は遺伝とか突然変異とか、そういうのでしょ?俺達はどうやったって魔法使えねーだろ」


 爺さんは眼鏡の位置を調節しながら声を挙げて笑った。鎖を外しリュカの元へ改めて歩むと、着用しているテーラードジャケットの裏面を探りはじめた。


 あったあったと一声付きながら引っ張り挙げたのは、文庫本程の大きさをした本。だがその大きさの本にしては珍しく茶色いハードカバーがついており、表紙には白い六芒星の意匠いしょうの凝らされた円形の模様がある。


 さながらそれはリュカが昔読んだ古本に記されていた『魔法陣』のようだ。


「…それって?」

「ま、


 片手に納められた本は一人でに開き、パラパラと紙が捲られていく。ある一点で止まると水色の光が本を纏い始めた。


 ──すると突如その光が白を帯び、一瞬にして図書館の一室を覆う程の眩さを放った。


「うわっ─────」


 辺り一面に広がる閃光はリュカの視界を完全に真っ白にした。反射的にまぶたを閉じて両手で覆うも完全には塞ぎきれず。


 暫しの間輝きは保たれたものの次第に弱まっていき、いずれ本は完全に光を失った。


「…これが目潰しの『魔法』…の一種だけどな。さぞ眩しかろう?」

「う…まだ目が痛い…」

「それと、おれにはちゃんと『ネヴ』って名前があるんだからそう呼びなさんな。何度言ったものか」


 爺さん──ネヴはそっと本を閉じ、懐中に再度潜り込ませながら微笑む。


「……人間…人間も、魔法が使えるんだ……」


 鳩が豆鉄砲を食らったような表情で唖然としながら、心の内に秘めた胸騒ぎを抑えきれずリュカはそう呟いた。






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