第四話 夢寐

 さて、と一声上げてエルフの青年は立ち上がる。左腕を動かさずに地べたから腰を上げるのに少し苦戦している様だった。


「俺はそろそろ帰るよ」

「腕、痛くないか?」

「もう大丈夫」

「そっか。じゃ、またな」

「…君は本当に興味深い奴だ」


『またな』と、まるでまた会えるかのように別れの挨拶を交わすリュカに青年は柔らかな声色でそう言い残し、木々の奥へと姿を消した。


 彼の声遣いは楽観的な思考に対する嘲笑と、そんなリュカを馬鹿にする傍ら同じく再会への期待が込められたものだった。


 種族関係なしにまともに誰かと会話が出来たのが久しかったもので、リュカは出来ればまた彼と会いたい…そう願っていたのだ。


 木々の作り出す暗闇に青年が覆われ見えなくなった後、その場に座ったまま川の流れる音に耳を傾ける。


 決して荒々しくもないが…だからと言って物足りないという程微少でもなく、丁度脳内に響き渡る程の心地よさ。つむじから足の先までその感覚が浸りきったリュカはいずれ眠りに落ちた。


 ¤ ¤ ¤


 ──リュカはいつしか見知らぬ土地に立っていた。空は蒼よりも青く雲一つ見当たらない。其処彼処そこかしこには人が通れる程に太いガラス張りのチューブ…例えるとするならハムスターが通るパイプのような通路が何重にも交差する横断歩道橋を形作っていた。


 見渡す限り鳥の濡れ羽のように黒一色の窓一つついていない高層の建造物がそびえ立っており、交差点や車道の上には信号機と数々の道路名や交通情報、速度制限を写す液晶のモニターが点灯を繰り返しながら自立して空中に浮いている。


 電灯代わりだろうか、歩道の横にはサッカーボール並みの大きさをした光を放つオーブのようなものが一定の感覚で浮遊しているのも目に止まった。


 魔法と近未来科学が高水準で合併している、といった印象だ。彼の住まう村よりも圧倒的に技術的に進歩したまるで想像上のような場所に突如として送り込まれたリュカは、いまいち掴めない状況に対する緊張と前代未聞の文明に好奇心を同時に抱いていた。


 だがどうも何か、どう形容すべきかわからない──"何か"が心の中で引っ掛かっていた。


 その違和感が確信と変わったのには五分もかからなかった。どれだけ歩き続けても辺りを見渡しても、そこに生気はなかった。自動車は今まで一台も通らず、動物も『生きている誰か』もリュカの目には一人たりとも写らなかった。


 澄みきった青空も今の命を感じさせない情景と並べると無機質で、さながら作り物の様な色合いに思える。


「…誰もいない?」


 そう口ずさんだ刹那、唐突目眩が彼に襲い掛かる。頭を全方面から強く押されるような感覚に抗えないまま地面に突っ伏し、濃霧が掛かったように白く濁っていく視界の中リュカは抵抗する余力を捨てまぶたを閉じた。


 ¤ ¤ ¤


 ──目を覚ますと空はとっくにだいだいが浸透していた。木に寄りかかった状態で長時間の眠りに落ちたせいか身体中に痛みが走る。


先程見た光景は全て夢だったのであろうが、それにしては嫌に生々しく実際にああいう場所があるのかもしれないという感覚に陥らせるものだった。


 帰路に着きながらも夢の内容を忘れないようにと脳内で反芻はんすうを繰り返す。だがその度夢の記憶の一部が欠けていくような感覚が少しばかりか癪に触った。


 いずれリュカには『知らない街について不思議な夢を見た』という記憶のみが残った。


¤ ¤ ¤


 「…ただいま」


 玄関のドアを開いた音とリュカの声が家に響く。返答はなかった。母はリビングで茶色い布張りソファにだらしなく横になりながらブラウン管テレビを見下ろしていた。


 「リュカ、どこに行っていたの」

 「聖なる森だよ」


 リュカの方向を見ず不機嫌そうに尋ねた母にリュカがそう答えた途端、先程までの体たらくが嘘のようにその場から飛び上がり、リュカの前へと早歩きする。彼の肩を両手でがっしりと掴み、母はその勢いに任せて口を動かした。


 「は!?は持ってきたの!?」

 「…ごめん」


 それは彼女の求めていた返答ではなかった。数瞬沈黙した後口から大きく息を吸い、そして掴んだ肩を強く何度も揺らした。


 「…ッ、アンタねぇ!私がどれだけ苦労したと思ってるのよ!どうして私が欲しがるって知らずに戻ってきたの!」

 「やめて──」

 「どうしてそんな子に育ったの!私がまともに外に行けないからって見せしめでやったの!?あんたのせいでお姉ちゃんは今もああだってのにさ!」


 リュカの母は感情に任せリュカを捲し立てる。その威圧と止めどない怒りを向けられリュカは黙りこくってしまった。


 こうなれば彼女を止められるものは誰もいないとリュカは察し行き場のない感情を無言で全て受け止める。


 いずれ息をあげた母はリュカの目を睨み付け無造作に肩を離す。唐突に突き放されたリュカはバランスを崩し後ろに倒れそうになったが、片足を後ろに下げ持ちこたえた。


 「…夕飯は冷蔵庫の中だから暖めて食べな」


 そう吐き捨て母は寝室へと向かった。取り残されたリュカは元々母がいたソファに力なく座り、今日の昼に起きた出来事を思い返して心を落ち着かせた。


 「…そういや名前、教えてもらってなかった…」


 リュカは片足をソファの座面にあげ、額を膝に落としながら呟いた。明日──いや、また会えるまで森に行こう。


 その時は色んな話をするんだ、今日見た夢の話や将来成し遂げたいこと、聖なる森の話…話題は尽きない。後は彼に会うだけだ。リュカはそう心の中で整理しいつかの日を待ち望んだ。









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