第三話 不均一
──時が止まったかのようだった。二人の間に会話などなく、せせらぎとそよ風に吹かれ葉擦れを起こす木々のみが静止しているように思えた時の進みを再度実感させた。エルフの青年は目元に溜まっていた小粒の涙を拭った後、手当てを施された左腕をじっと見つめたまま下唇を軽く噛んでいる。
「…お前さ。なんでこんなとこにいるの」
沈黙を破るべくリュカが青年に問いかけても彼は口を固く閉ざしていた。
「だってここは──」
「話すことなどない」
と思ったのもつかの間、青年はリュカの言葉を遮るように鋭く吐き捨てた。この17年の人生の中今まで一度も聞いたことのない、心の底から軽蔑するような冷えきった声色は全身に悪寒を走らせる。青年はそう発声を終えた数瞬、何故か
エルフという種族は皆こういう感じなのだろうか、もしそうだとすればやはり大人の人達の評価は正しいのではないだろうか…認めたくないが、そんな思考にリュカは陥りかけていた。
「なあ」
「?」
「君こそどうしてここに?」
目線は自身の左腕に落としたまま、先程よりは多少柔らかな物言いで問いかけるもリュカはその質問に違和感を覚えていた。
──エルフたる者がここにいること自体が奇怪なものだった。エルフは確かに森と深く強い繋がりを持っていると言われているが、この森は人間が占拠──所有している地域の一部。
別にこの森も元は人間が所有しているものではなかったのだが、戦時中に人間が勝手にここを差し押さえて独占してしまった。
…何故人間はここまで縄張り意識が異常に高いのだろうか?人間以外が足を踏み入れようものなら見つかり次第武力行使で追い返されるか、抵抗しようものなら最悪殺されている…実際リュカが生まれるずっと前、戦後間もない頃には何十人ものが犠牲となったらしい。
そう、命を狙われる対象の彼が『君こそ』と尋ねている点がどこか引っかかっていた。
「…気分転換、みたいな?」
幾分か思考を巡らせた後、歯切れが悪そうにリュカはそう答える。予想外の答えだったのだろう、青年は目を見開きリュカの顔へと目線を寄せた。難解なパズルのピースとピースがかっちりとハマった様な、そんな雰囲気を纏い青年は畳み掛ける。
「君は人間だろう?」
「あ、ああ」
「さっきも人間がいたんだ、壮年の男が」
──やっぱりそういうことか、リュカは青年の左腕を見つめながらそう呟く。同族が野蛮なことをしてしまったと心底申し訳ない気持ちに陥り口を
「相変わらずだな。こんな血の気の多い種族は人間以外にいない」
「…すまん」
「何を言う?
人間の自分勝手な愚かさへの呆れとリュカという特例に出会ったことへの感情が混ざったような、どこか肩の荷が降りた軽やかな声色で青年はそう言った。
物言いから察するに、きっと何度も経験したことがあるのだろう。リュカはそう邪推し一人更なる罪悪感に駆られる。別に、彼が特段悪人なようには見えない。ただエルフというだけで彼は『人間』から命を度々狙われる身となっているのだ。
「お前んとこの人に言うのか?」
「何をだ」
「その怪我、明らかに人為的なものにしか見えないだろ。俺達人間にされたって、」
『俺達』と自分を含んだことに青年は面白味を感じたのか口元を綻ばせた。リュカは何がおかしいのかを理解していなかった。
「わざわざ争いを勃発させそうなこと言うわけないだろう。まあ、派手に転んで木の枝に切られたとでも言うよ」
「そんなのがまかり通るか…?」
「昔から怪我が絶えなかったからな、どうせ誰も気にしないさ」
先程とはうって変わって気さくにそう告げた彼に、親近感から好意を抱くのは決して難しいものではなかった。エルフという種族…人間以外の種族は皆冷徹なもの、と一時の猜疑心を内心バカにしている『人間』と同じく抱いていたのが馬鹿らしいな──リュカは心の中で一人ぼやいた。
「てかお前、なんでここにいんだよ」
「あぁ、すまん。色々あって家族と喧嘩してな、衝動的に飛び出してしまったが結局迷子になって」
「喧嘩とか迷子って…お前いくつだよ…」
「十八だ」
「えっ」
青年の立ち振舞いや言葉の節々から少なくとも丁年を越えていたとばかり思っていたリュカは、自分より一歳しか違わないという事実に思わず口から驚愕の現れが出る。
「え?マジ?」
「年齢ごときで嘘をつく訳ないだろう」
「なんか親近感湧くな」
「年齢でか?」
「俺、今年の秋に十八になるんだ」
「一歳下なのか」
「そうそう、んでさ、誕生日にはでっかいケーキ食べたくって今料理の勉強してて。クリームを泡立てんのがむずくって…」
滅多に誰かと会話する機会のないリュカは、少し打ち解けただけで旧友と近況報告をしているかのように最近の出来事や身の上話をすることがあった。
そのせいで折角築けた交流関係も『距離が近すぎる、重たい』と言われ突き放されてばかりだった。その経験を何十も積んでから出来る限り抑えてはいたが、元々話すことが好きなリュカはたまに羽目を外すことがある。
「昔クリームを泡立ててると母が腕が痛くなると良く愚痴を吐いていたな」
「そう!ボウルを冷やすとかの小技も申し訳程度でさ、泡立て方が非効率的だったのかな…」
「いずれ慣れるさ」
目の前の青年は嬉々としてリュカの話に付き合っていた。ついさっきまで『人間』に追われた挙げ句怪我もしたというのにリュカの前では警戒心を持てない。
「種族の違う者同士でもこういった他愛のない話というのは出来るんだな。片方が人間といえば尚更だ」
「あはは…でも俺は別にあの人達とは違ってむしろもっと仲良くなりたいって思ってるから」
「君のような人間が増えればこんな状況も改善出来そうだ」
「…もう百年以上だっけ、」
「いつかまたかつての栄光を取り戻してほしいものだが」
青年は物憂げな笑みを浮かべる。そこには未来への希望と、現状の不変具合からくる諦めの姿勢が半々に織り混ざっているように見えた。その表情に心を打たれたリュカは語り始める。
「俺、いつか冒険に行きたいんだ」
「冒険?随分と大きく出たな」
「それで人間もエルフも、皆がまた同じ場所で暮らせるようにしたい…だって、他の種族の皆も人間と同じようにお互いを嫌ってるんだろうから」
「まあ…一概にも言えないんだけどな。言っちゃ悪いがエルフの中で唯一嫌われているのが──」
そう言いかけると同時に青年は言葉を途切させる。リュカの目を打見して改めて『なんでもない』と内容を濁した。リュカはその返答に困惑し、心には何ともいえないもどかしさが残った。
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