第二話 川沿いに浸り

 今、リュカの目に映るものは木陰に寄りかかる見知らぬ青年ただ一人。人間には見られない尖った大きな耳を認識するのは、遠くからでも決して難しいものではない。リュカは好奇心に背中を押され反射的に彼の元へ駆け足で向かった。


 周りの人々は幼い頃からリュカにこぞって人間以外の種族は悪意に満ちていると吹き込んでいた。


 だが戦後百年経った今もなお他の種族が小面憎いだけなのだろうと受け取り、それをまともに聞き入れたことがなかった。始めて見れた実物のエルフを前に、逆に心臓の高鳴りを抑えられずにいたのだ。


「なあ、大丈夫か?」


 お世辞にも川幅は広いと言えるものではなく、水に足を取られるのを加味しても歩いて十歩五弱で向こう岸につく程。


 リュカは何一つ不自由なしに川の向こうまで大股で通り抜ける。散りばめられたつぶてで不安定になった足場を軽い足取りで飛び越えた。


 エルフの青年の正面で地面に膝をつき、表情を伺いながら声を掛けた。


 青年はリュカの存在に気づくや否や警戒心を露にし、リュカを避けるよう重心を反対側へと傾けたがどうにも痛みから自由に動けないのか、息を鋭く吐きながら肩を縮こませる。


 リュカが見慣れた人間は皆暗めの髪色を持っている…少なくとも地毛では。そしてその特徴はリュカ本人にとっても例外ではなかった。癖のついた焦げ茶髪は良くも悪くも地味なもので、今目の前に佇む青年のそれと比べれば圧倒的に見劣りするものだった。


 彼はリュカが今まで一度も見たことがない程に綺麗な、夕焼けと遜色ない程に色の濃い赤毛を持っていた。所々絡まっている束もあったが少し梳かせば絹そのものになりうるだろう。


 揺れる髪の束越しに見え隠れする横顔は苦痛に悶えながらも大変美麗で、それでいてどこか幼さも残した──人外的とも呼べるかんばせだ。長いまつ毛の下、太陽でさえ見劣りする程黄金に色づく瞳はそれを更に強調している。


「……、ち…か、寄るな……」


 混濁していた意識が戻りかけているのか、エルフの青年はリュカの存在に気づけば喉の奥から掻き出した様に擦れた声で威嚇しながら力なく睨み付けた。


 左腕に右手を添えており、鋭利な何かで切り裂かれたようにざっくりと開いた若葉色の長袖は赤い液体で傷を中心に染め上げられている。


「無理に動くな、今止血するから」


 あからさまに忌避を向けられるも冷静にそう呼びかけた後リュカはその場を離れ、自分の水筒を空にし代わりに川の流水で満たした。


 直ぐ様青年の元に戻れば傷を刺激しないよう慎重に袖を捲りあげ、患部に水を注ぎ空いた片方の手でウエストポーチから包帯やガーゼ、消毒液を取り出す。


 双方の衛生面へ配慮し自身の手に消毒液を塗り込んだ。止血するべく患部にガーゼを押し当てると青年は痛烈な刺激からびくりと全身を跳ね上げた。


「……ぐ、ぁっ…クソッ…」

「…後もうちょっと」


 苛立ちと痛みからの罵声にリュカは不意を突かれる。エルフは端麗で、尊大な者──シピア村の現長老が著者の一人とされる、戦前から存在した種族の特徴や性質を固定観念を除き書き記した古本から得た先入観。


 それは青年との邂逅にて──容姿のみの情報からだが──一瞬、固く確立されていた故に彼の口からが出るとは思いもしていなかったのだ。


 だが今は目の前の怪我人に重点を置き、眉をひそめ歯を食い縛る彼を柔らかな声で宥めながらある程度出血の収まりを目視出来次第ゆっくりとガーゼの上から包帯を巻き始める。


 応急手当を終えた青年は目元に涙を薄く浮かべ、痛みから意識を遠ざけるべく放心しているようにも見える。


 リュカは呼吸を正そうとまぶたを伏せ深呼吸を繰り返している青年を不安げに見つめながら、使用した備品の余りをポーチに入れ彼の隣へと座りなおした。

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