第三話 ハル

 黒っぽい、ゴツゴツとした桜の幹をそっとでると、俺は桜に背を向けた。

 少しだけ離れた場所に少年がいたので、ドキッとして立ち止まる。


 ハル、だよな?


 さらさらな黒髪。大きな瞳がこちらを見ている。緑色の服を着て、その上に、夏の太陽みたいなオレンジ色のパーカーを羽織ってる。ズボンは茶色だ。

 ここで会うとは思わなかった。なんでここにいるんだろ? ばあちゃんが教えた?


「――ナツッ! 覚えててくれたんだなっ! しるしのこと。……もう、忘れてるのかと思った」


 ハルがうれしそうな顔をした後、迷子の子どもみたいな顔になったので、胸の辺りがざわざわして、「忘れるわけないだろっ! ここに来る勇気がなかっただけだっ!」と叫ぶ。


 勇気がないとか、恥ずかしい奴だなって思うけど、言ってしまったことはしょうがない。


「なんで勇気がいるの? この場所、好きだったよね!? オレがいるかもしれないからっ!? オレのこと、嫌いなのっ!?」


 ハルの顔がつらそうだ。胸が苦しい。


 ――その時、強い風が吹いた。


 目を閉じ、開く。胸に手を当てて、深呼吸をした俺は、ハルに視線を向ける。


「――忘れようと思ったんだ! この町のことも、山のことも、ハルのことも、全部っ! でも、無理だったっ! 春が近づくと、この木とお前の夢を見るし、それ以外でも、夢にお前が出てくるしっ! 嫌いになりたかった。お前のことも、この町のことも、でも好きでっ!」


「――好きならなんでっ、逃げたんだよっ! なんでっ、もどってこねーんだよっ! ずっと待ってたのにっ! オレがなんかして、ナツを傷つけたんだったら、謝ろうと思って。でもわからなくて。ナツのお母さんや、ナツのばあちゃんにも聞いたけど、ナツが話してくれないからわからないって言っててっ……。オレはっ、いつかお前にまた会えるって信じてっ、ずっと待ってたんだっ!! そしたらナツのばあちゃんがっ、ナツがイギリスに行くことになったって言って。オレ、ショックで。そんなオレを見て、お前のばあちゃん、どうにかしてナツをこっちに来させるって言ってくれたんだっ! それで今日っ、ナツのばあちゃん家で、待ってたんだっ!!」


「待ってた? ……じゃあ、俺が駅から電話した時、家にいたのか?」


「――いたっ! それでっ、ナツのばあちゃんと一緒に、ナツが家の前を通ったのを二階から見てたんだっ!」


「フード、かぶってたのに……」


「雨が降ってないのに、フードかぶる奴なんかいねーよ」


「…………」


 俺が何も言えないでいると、ハルが大きな足音を立てながら近づいてきて、目の前で足を止めた。

 至近距離で見つめ合うと、胸がすごいドキドキする。身体が熱い。緊張する。泣きそうだ。逃げたい。どこに? もう無理だ。


 俺は逃げることをあきらめて、「ごめん」と、頭を下げて謝った。


「ごめんって、なに?」

 強張った表情でたずねるハルを見て、俺は身体が震えるのを感じた。


「……昔、転校するまで無視したり、避けてたこと。俺、ハルが告白されるのがショックで……教室から走って出た後、ここに来たんだ。それで……お前のことが好きだって気づいた。ハルは俺の親友で、特別な相手だって思ってたんだけど、ハルを誰にも渡したくないぐらい好きで。これは恋なんだって気づいて、どうしたらいいか分からなかった。……きもいよな。ごめんな」


 しゃべってたら、涙が出てきた。頬を伝う、生ぬるい涙を感じる。

 もういいんだ。フラれてしまえ。そして、いっぱい泣いて、引っ越そう。イギリスに――。


「バカヤローっ!」

 すぐそばで怒鳴られて、ビクッとしたら抱きしめられた。強く。


「自分のことをきもいとか言うな。自分に失礼だろっ! 親友のオレにも失礼だっ! オレの親友はきもい奴なんかじゃねー!! オレはそんなこと思わねーし、言ってねー!! 勝手にオレの気持ち、決めんじゃねーよ!! オレはっ、恋愛とかそういうの、まだわかんねーけどっ、それでもお前のこと、大事なんだっ! 親友じゃー不満かもしれねーけど、オレにとっては一番仲がいいのが親友で、今でもお前が一番好きなんだっ!! 親友はお前だけなんだっ! できればずっと、じいさんになっても、お前と仲よくしたいんだっ! 悪いかっ!?」


「分かったっ! 分かったからっ、耳元で大声出さないでっ! それと、身体痛い……」

「あっ、悪い……」


 ハルから離れた俺は、呼吸を整えた後、彼に目を向け、微笑んだ。


「ありがとう。ハル」

 

好きだ。どれだけれさせるつもりなのだろう。


「帰ろうぜ。ナツのじいちゃんとばあちゃんが待ってる」

「……うん」


 コクリとうなずき、歩き出す。

 ハルと共に歩きながら、昔もこんな風に一緒に歩いたなって思い出して、じわじわと感動する自分がいたのだった。


 連絡先を交換してから、二人でばあちゃん家に帰ると、じいちゃんとばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。

 そして、ハルも一緒にお茶したり、夕食を食べたりした。


 ばあちゃんがここに住めばいいってうるさいけど、イギリス行きは決まってる。

 でも、またここに来るから。待っててくれよな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春にさよなら 桜庭ミオ @sakuranoiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ