第二話 春山の桜
よく知ってる神社が見えたので俺は立ち止まり、グレーのパーカーのフードをかぶって歩き出す。
神社の鳥居の前を緊張しながら通ったけど、誰もいない。
やがてハルの家が見えたので、うつむきながら家の前を通った。
田んぼの前を進むと、ばあちゃん家が見えてきた。
よしっ! ばあちゃんがいないっ!
スタスタと家を前を進み、山へと続く道に入った。
車が一台通れる道。坂道だったのは覚えてたんだけど、思ったよりもなだらかだ。
少し歩いた後、足を止め、パーカーのフードをぬぐ。ゆっくりと深呼吸して、歩き出す。
草木の色が濃い。匂いも濃厚で、生きてるって感じた。風が気持ちいい。
この匂いを知っている。山の匂いに抱かれた感覚。守られているような気がして、とても好きだった。
それなのに……ごめんな。ずっと来なくて。ただいま。
十五分ぐらい歩いただろうか。頂上に着いた。
小さな駐車場に、車はない。トイレと、自動販売機。
それらにちらっと視線を向けてから、俺は目的の場所に向かった。
東屋や、すべり台やブランコなんかもあるけど、俺が会いたいのは桜の木。
俺がこっちに住んでた頃は、桜に悩みを聞いてもらうことが多かった。心の中で、話しかけてただけだけど。
じいちゃんはなんか怖いし、ばあちゃんは余計なことばかり言う。ハルは……彼に言えることもあったけど、言えないこともあって――桜に話しかけてたんだ。さびしい奴だよなと、今では思う。
この公園に、桜は何本もあるんだけど、俺が好きなのは、奥の方にある桜の木だ。
どの桜も葉を茂らせているので、桜だと分かる人は少ないかもしれない。
昔好きだった桜の木は、今もあるだろうか?
すぐにあの桜だと分かるだろうか?
「――あった」
ぶわっと感情が込み上げ、涙が出た。胸が苦しくなり、右手で押さえて深呼吸をした後、そっと指で涙を拭う。
黒っぽい、ゴツゴツとした桜の幹には、白い
二つ並んだこれは、俺とハルがつけた印だ。
ハルの背丈の印が左で、俺の背丈の印は右。
最初につけたのが小二の春だから、俺の印は、小二と小三と小四――三つだけだ。
ハルの印が増えている。俺が引っ越した後も、一人でつけていたのだろう。
傘を左手に持ち替えた俺は、右手で、ハルがつけた一番上の印を触る。
背、伸びたんだな。俺より低いけど……。
そういえば……母さんとばあちゃんが、ハルが大きくなって、イケメンになったって騒いでたな。
昔は、女の子みたいで可愛いって、二人共はしゃいでたけど……。
四月になると俺達はこの場所で、身長を比べあった。
背が低いことを気にしていたハルがある日、白い油性ペンを持ってきて、大人になるまで印をつけようと言ったんだ。
『さくらにしるし? ダメだよ。おとなにバレたらしかられる。うちのじいちゃん、おこるとこわいんだから』
そう言って俺は止めたんだけど、ハルは目をギラギラさせて叫んだんだ。
『ヤダッ! ここにかくんだっ! ここにはよくくるし、ナツがすきなこの木にかけば、オレもナツもわすれないだろ? オレは、ナツにかちたいっ! おとなになるまでにもっともっとおおきくなって、せもたかくなって、オマエにかつんだ!』
負けず嫌いなハルがギャンギャンうるさかったので、毎年一緒にここに来て、印をつけることにした。
――あの時はまだ、自分の想いに気づいてなかった。
俺が、自分の気持ち――ハルが好きだと気づいたのは、小四の春。
この桜に印をつけた後だ。学校の桜が満開で、花吹雪がすごかったあの日。
俺とハルは同じクラスで、放課後、一緒に帰ろうとしていた。
うちのクラスの気が強いポニーテール女子が、キリッとした顔でこっちに来たから、ドキドキした。怖くて。
彼女が話しかけたのはハルで。
隣のクラスの女子――
清華さんはおとなしくて、あまりしゃべらないんだけど、上品っていうか、お嬢さまみたいな雰囲気のある子で、目立ってた。
透明感のある綺麗な子だから、男子に人気があったし。
『中庭の桜の木の前で告白すると、結ばれる』
そんな言い伝えが学校にあったため、教室に残ってた子達が騒ぎ出し、ポニーテール女子が『うるさいっ! あんたたち、しずかにしなさいっ! 中庭に行くのは
ハルが、『ナツ!』と、大声で呼ぶ声が聞こえたんだけど、俺はふり返ることなく、全力で走った。
急いで学校を出た俺は、校門をくぐり、桜吹雪の中を走る。気づけば泣いてる自分がいた。その時は、なんでこんなに悲しいのか分からなかった。そうしてたどり着いたのは、
この桜の木の下で、俺は号泣した。声を上げて、わんわん泣いた。やがて泣き止み、ぽつりぽつりと話し出す。心の中でだったけど、あの頃は、この桜と気持ちが通じてるような気がしてたんだ。
好きだった。この桜の木のことも、ハルのことも。
――ここで、俺はハルのことが好きだと気づいた。
ハルに告白しようとしている女子がいると知り、俺がショックを感じたのは、ハルを誰にも渡したくなかったからだ。
そのことに気づいた俺は、大声で叫びたくなった。なんかものすごい感情が、ぶわっと出てきて、どうしたらいいのか分からなかったんだ。
ハルが好きだと自覚する前から、彼が他の女子や男子と仲良くしてるとさびしくなって泣きそうになったり、イライラしたりしてたけど、それが恋だとは知らなかった。
自分は彼の親友で、特別な関係なんだという気持ちもあったんだけど、いつか自分よりも好きな相手ができるんじゃないかという恐れの感情もあったんだ。
自分が女性なら、すぐに恋だと気づいたかもしれない。
クラスの女子達がよく、きゃっきゃとはしゃぎながら楽しそうに、BL――男同士の恋愛小説やマンガの話をしてたから、自然とそういう情報は耳に入ってたんだけど、まさか自分が恋してるなんて、思ってもみなかったんだ。
学校を出た時よりも風が強くなり、帰ろうと思った俺は歩き出した。
そして、追いかけてきたハルと出会ったんだけど、俺はどう接したらいいのか分からなくて逃げた。
翌日、家を出たらハルがいたので、彼から逃げた。
走って学校に行くと、ハルが清華さんをフッて泣かせたという噂が広がっていた。その話を聞いて安心する俺がいたんだけど、それでも彼と前みたいに話すことができなかった。
秋になり、転校するまでずっと、俺はハルを避け続けた。
悲し気な彼の顔が浮かんで、せつなさを感じた俺は、桜の枝を見上げ、「ハルに、ごめんって、伝えてくれ。あと、俺はイギリスに行く。さよならって。今までありがとうって」とつぶやき、リュックサックから、白いペンを取り出した。
これは、木でもゴムでもガラスでもプラスチックでも、濃くてはっきりとした線が書ける油性アルコール系インクを使用しているペンだ。匂いが少なくて、人や環境に配慮しているらしい。
ばあちゃん家に行くことが決まった後、百均にふらりと行ったら目について、満開の桜と、ハルの笑顔を思い出し、せつなくなった。泣きそうで。
それでもペンを買ったのは、もう一度ここに来て、さよならが言いたかったからだ。これは俺なりの、儀式みたいなもの。
「桜もありがとう。小さかった俺の話をたくさん聞いてくれて。今も、元気でここにいてくれてありがとう。長生きしてくれよな」
恥ずかしい気持ちもあったが、そう告げて、俺は自分の背丈の印を一つ増やし、白いペンをリュックサックに入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます