ツツジの花

西しまこ

第1話

 明日は雨が降るらしい。通勤用の雨靴を出しておこう。

 会社からの帰り道、ツツジの、紫がかったピンク色が目に入った。ツツジはまだ咲き始めで、せっかちな花が一つ二つ咲いているくらいだった。

 ふいに蘇る、情景。


 幼いころ、雨が降る日曜日は、父と傘をさして長靴をはいて、散歩をした。そうして、ツツジの花をとって集めたりした。わたしは雨が好きで、長靴が好きな女の子だった。長靴が雨水を湛えた道路を踏む感触が好きだったのだ。それから、傘。傘に打つ雨の音が好きだった。音楽のようだと思っていた。雨の音を聞きながら、ちゃぷちゃぷという音をさせて歩く。それだけでなんとも言えず楽しかった。母は「雨の日に散歩に行くなんて」と眉をひそめたが、父はいつでも嬉しそうに、いっしょに行ってくれた。雨の日の散歩に。幼いころ、そんな父が好きだった。


 大人になって、雨の日に歩くのは好きではなくなってしまった。冷たいし濡れるし、不快だ。雨靴は仕方がなくはくだけ。かつて、嬉しくはいていたあの気持ちはどこにもない。

 同時に、いつのころからか、父を疎ましく思うようになっていた。

 ……ほんとうに、いつからだろう?

 女は大学に行かなくていいと言われたとき? 就職して一生懸命働いていたら、それを否定されたとき? いつ結婚するんだとしつこく言われたとき?


 分からない。

 分からないけれど、あんなに好きだった父のことが嫌いになっていた。

 わたしは足をとめて、道路沿いに咲いているツツジの花を一つとった。――ほんとうはこんなこと、してはいけないのだけど。


 ツツジのにおいを嗅ぐ。

 父の手のひらのにおいがしたような気がした。雨の日、雨の中でツツジをとってくれた。庭に咲き乱れた、紫がかったピンクのラッパの花。雨のにおいがした。同時に、父の手のひらのにおいもした。

 いまなら、分かる。

 ただ、心配してくれていただけだと。


 わたしは鞄からビニール袋を取り出し、ツツジの花をそっと入れた。つぶれないように。家に帰ったら、お皿に水をはって浮かべよう。幼いころ、父がしてくれたように。


 わたしは家に向かう。一人暮らしの部屋に。

 一人はさみしいから結婚した方がいいと、父は言った。そうだね。一人はさみしい。だけど、二人だってさみしいことがあるんだよ。

 そうやって、ちゃんと話せばよかったと、思った。

 家に帰ったら、ツツジの花を水に浮かべて、それから実家に電話をしよう。父の携帯番号は消してしまって分からないから。

 なんて言おう? 久しぶり、元気?


 お父さん、覚えてる? 小さいころ、雨の日に散歩したよね。

 ツツジの花、きれいだったね。覚えているよ。



   了



一話完結です。

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