番外編

チョコより甘く(バレンタインSS)

「信じられない!」


 外出先から帰宅したアリシアは、キッチンに飛び込むなり開口一番そう叫んでメアリーの硬い体に抱きついた。


「ドウシタ?」


 スケルトンのメアリーは今日もメイド業を完璧にこなしている。今は夕食の仕込みをしているのか、キッチンには洗い立ての野菜が並べられていた。その中に紛れていたマンドラゴラのレオナルドをニンジンと見間違えるのはいつものことである。ウィル・オ・ザ・ウィスプのウィルは、いい感じのトロ火で鍋をゆっくりとあたためているところだ。


「お嬢? 今日はお昼から予約していたチョコレートを取りに行く予定では?」

「取りに行ったわよ。そしたらノクスが……ノクスが色っぽい女の人とイチャイチャしてたのよーっ!」

「何ですと!? それは由々しき事態ですぞ!」

「いちゃいちゃ? ノクスさん、お姉ちゃんじゃ満足できないの?」


 さすがはウィル。悪意のない棘が鋭くアリシアの胸に突き刺さる。


「ノクスなんて、もうしらないっ。チョコもあげないんだから!」

「お嬢。でもそれは、ノクス殿のために一時間も並んで予約したチョコレートではありませんか。寒空のした凍えながらようやくゲットした限定品だというのに」


 確かにレオナルドの言うとおり、今日取りに行ったチョコレートはこの街でも知らない人はいない人気店の、しかもバレンタイン限定の品だ。二種類あって、お一人様一種類につき一個のみの購入だったので、ノクスと父セドリックの分をひとつずつ購入した。

 おいしいチョコも手に入れ、弾む足取りで帰宅していたその途中。アリシアは通りかかった路地裏の影で、ノクスと知らない女性が抱き合う姿を目撃してしまったのだ。


 あまりに衝撃的すぎて、逃げるようにその場を去ってしまった。

 ノクスとは色々あって、ようやく長年の思いを実らせたばかりだ。ノクスも同じ気持ちでいることに幸せを感じていたのに、半年も経たないうちに浮気をされるとは。


 レオナルドたちの慰めの言葉も振り払って、アリシアは足早にキッチンを後にした。彼が帰ってくる前にチョコのひとつをセドリックに渡したアリシアは、自室に戻るなり内側から鍵をかけて閉じこもってしまった。

 もうすぐ夕飯の時間だが、今はノクスと顔を合わせたくない。会ったところで、もうこのチョコレートを渡す勇気はとっくに萎んでしまった。


「やっぱり……大人っぽい方が好みなのかしら」


 ノクスと抱き合っていた女性は、体にぴったりと沿う妖艶な服を着ていた。アリシアが着たこともない、大人っぽい服装だ。マントを羽織っていたけれど、魅力的な曲線を描く体だということはパッと見たアリシアでもわかったし、ノクスと並ぶと美男美女といった感じでとても目を引いた。一瞬でも似合いの二人だと思った自分が、正直卑屈すぎて嫌になる。


「もう子供っぽい私なんて飽きちゃったんだわ。チョコレートだって、あの人からもらってるかもだし。……ううん、もしかしたらチョコよりもっと大胆な……」


 脳裏にモザイクで浮かび上がった妄想に、アリシアの顔がさぁーっと青くなる。


「いやぁぁぁっ! 破廉恥! 最低! 裏切り者! ノクスのバカーーっ!」


 買ってきたチョコレートの包装をバリバリと乱暴に破って、一粒○○円はする高級なトリュフを次から次へと口の中へ放り込んだ。なめらかな口当たりとか、濃厚なショコラの香りなど味わう余裕はかけらもない。口の中が一気にチョコチョコしくなって正直胃もたれしそうになったが、今はそれくらい気持ち悪い方が余計なことを一切考えなくてすむ。

 そうして一箱全部を平らげたアリシアは、目眩のする気持ちの悪さに嘔吐きながら、そのままベッドの上に倒れ込んで意識を手放してしまった。



 ***



「……ま。……お嬢様」

「うぅん……?」


 ぼんやりとした視界に、黒い影が見える。輪郭をうまく捉えきれないのは、部屋の中が暗いからだろうか。窓の外はすっかり日が落ちていて、薄く差し込む月明かりがベッド脇に立つノクスの姿をわずかに照らしていた。


「夜……?」

「そうですよ。夕食も食べずに部屋に閉じこもって、一体あなたは何をしているんですか」

「部屋……。そう……そうよ、なんでノクスがここにいるの? 私、部屋に鍵をかけたはずだわ」

「あれくらいで私をどうこうできると思っているのなら心外です」


 ベッドに座ったノクスから距離を取ろうとして、そこでアリシアは自分の体がひどく怠いことに気がついた。横になっているのに視界がふらふらする。起き上がろうにも体に力が入らず、アリシアは再びぽふんっとベッドに逆戻りしてしまった。


「あれ……何か、おかしい?」

「そうでしょうね」


 呆れたようにため息をついたノクスが、銀縁眼鏡のブリッジをあげて冷めたまなざしでアリシアを見下ろした。


「リキュール入りのチョコレートを一箱も平らげればそうなります。ましてやお嬢様はただでさえお酒に弱いのですから」

「お酒、入り? うそ……。私、お父様のチョコと間違えちゃった?」

「ちゃんと確かめずにやけ食いするからこうなるのです」

「そんなの、しらないっ。元々はノクスのせいだもん……」


 酒が回っているからなのか、アリシアの口調はまるで子供の駄々のようだ。見知らぬ女性との密会に怒っているはずなのに、ここにいるノクスに甘えてしまいたい。そんな相反する感情を、惜しげもなくさらしてしまう。

 正常な判断ができていないことは理解しているのに、ノクスに見つめられるだけでアリシアの胸はあまいときめきに満たされていく。何だかんだ言って、アリシアはノクスから離れられないのだ。


 拗ねたようにベッドに寝転んだまま体を丸めると、背中越しにノクスがふっと淡く笑う気配がした。


「何を勘違いしたかは知りませんが、あの女性とは何の関係もありませんよ」

「……っ、でも! 路地裏で親密にしてたもの! それに悔しいけど……すごく……お似合いだったし」

「本気で言っていますか?」


 やわらかい気配が一瞬にして冷たいものに変わった。そのあまりの急変に震えた肩を掴まれて、体を仰向けに倒される。両手首を上から押さえつけられて、身動きのできないアリシアを冷ややかなネイビーブルーが見下ろしていた。


「え……っと……ノクス?」

「私にお嬢様以外は必要ありません」


 まっすぐにぶつけられるノクスの思いに、アリシアの胸の奥がじんと痺れる。


「それに私は具合の悪い女性を介抱していただけです。それくらいで不安に思われるのなら……もう疑う余地もないほどお嬢様に教え込むしか方法はありませんが、それでもよろしいですか?」


 アリシアの体を押さえつけたまま、ノクスが眼鏡を外した左手で器用に執事服のタイを緩める。その仕草がやけに煽情的で、まるで見てはいけないものを目にした気分だ。慌てて逸らした顔をその左手で正面に戻されて、アリシアはもうノクスのネイビーブルーから完全に逃げ場を失った。


「ちょ……っと、待って。メ、メアリーたちがご飯呼びに来るかもっ」

「部屋に鍵をかけたのはお嬢様でしょう?」

「ノクスはどこから入ってきたのよ!」

「お忘れですか? 私はダンピールですよ。血を求めて部屋に忍び込むなど造作もありません。もっとも私が好むのは……あまい薔薇の花ですが」


 しゅるりと胸元のリボンをほどかれ、わずかに露出した首筋をノクスの細い指先がゆっくりとなぞっていく。その感触がくすぐったくて、思わず目を閉じた隙に唇を奪われた。


「お嬢様からのチョコレート、大事に味わわせていただきます」


 反論もさせてもらえないまま、二度目のくちづけにアリシアの意識は再びくらくらと酩酊してしまう。


 まるで強い酒に酔っているかのようだ。

 飽くことなく繰り返される深いくちづけを必死に受け止めながら、アリシアは濃厚なチョコレートの香るあまい夜にどこまでも溺れていくのだった。



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おてんば令嬢のワケありゴーストハント~ダンピールの花嫁は毒舌執事に逆らえない~ 紫月音湖*竜騎士様~コミカライズ進行中 @lastmoon

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