社会人2年目・初夏 二人の原点の場所で
「今日から経営企画室に配属となりました、結城翔太郎です。よろしくお願いいたします」
僕は居並ぶメンバーの前で一礼した。
葉月エンタープライズの会議室。
そこで新入社員の紹介が行われた。といっても新人は僕一人だけ。高倍率を勝ち抜いて、僕はこの会社に入ることができたのだ。
まず室長が挨拶をする。
「では社長からも一言お願いします」
「うむ」
企画室チームの前に立ったのはスーツ姿の辰馬さんだった。
「今日から新入社員が入ったわけだが、もうだいぶ噂になっているようだな」
僕は事前に聞かされている。
辰馬さんは抜かりなく、社内に噂を広めていたのだ。
――今回採用したのは、私の娘をナンパから助けてくれた子だ。お礼がてら何度か話す機会があってね。
そんな具合に。
僕と辰馬さんに面識があるのはいずれバレる。採用が決まった時、先手を打っておこうと話し合った。
事実を混ぜつつ、絶妙に情報を伏せている。
だからみんな、僕と芽生がつきあっていることはもちろん知らない。
「結城くん」
「は、はい」
「私は今回、採用に一切口出しをしていない。キミの履歴書を見た時も何も言わないでおいた。つまりキミは、実力で人事部に良い人材だという確信を与えたのだ」
辰馬さんはうっすら笑った。
「コネで入社できた――などと言われないよう、結果を出してほしいね」
「ぜ、全力を尽くします。恥ずかしくない大人になります!」
「法律ではとっくに大人になっているはずだがな」
わははは、と笑いが起きて一気に空気がゆるんだ。
☆
――あの入社初日のことを、一年とちょっと経った今でも鮮明に思い出せる。
僕はバッティングセンターのマシン改革を打ち出したのを皮切りに、積極的に意見を出してきた。企画室のみんなからはからかいやすい後輩扱いされているけど、過激ないじりがないから過ごしやすい。
芽生との、念願の同棲生活も始まった。
一緒に料理をしたり、動画を見て笑ったり、毎日楽しく二人で暮らしている。
月詩さんも長野に帰ってきて、地元百貨店の社長秘書をやっている。大抜擢だったので一族を上げてお祝いしたくらいだ。
たまに芽生の実家に三人で集まり、思い出話に花を咲かせることもある。
芽生が続けている踊ってみたの撮影に関われなくなったのが残念――と月詩さんは言っていた。
それは僕も同じ。
けれど三者三様に充実した人生を送っているのは間違いない。
――のだが、ここのところ僕はずっと塞ぎ込んでいた。
オフィスのデスクで休憩のコーヒーを飲み終えると、カレンダーを見た。
六月。
もう時間がない。
社会人一年目の去年、僕たちは恋人としての同棲生活を楽しむことに決めた。
でも、今年は違う。
今日は高校時代、僕が芽生に告白した日だ。
だからプロポーズするなら今日以外ありえない。
そのために、芽生に渡す指輪も用意してある。
問題は、どんなシチュエーションで渡すか、だった。
一世一代のイベントだ。それなりの雰囲気は必要だろう。
でも、どんな風に場を整えればいいのか思いつかなかった。
企画室ではどんどんアイディアを出しているのに、プロポーズのシチュエーションだけがどうしても出てこない。
「最近なんか顔暗いよ?」と芽生にも言われている。
絵になる場所は? 時間は?
わからない。どうすればいいのか……。
☆
「ただいま……」
一時間だけ残業して、僕は芽生の待つマンションに帰ってきた。
「おかえり~……って、まだ暗い顔してるね」
「ごめん……」
「しょうがないなあ。とりあえずお風呂入ってきたら? 沸いてるよ」
「ありがとう」
僕は一日の疲れを洗い流す。
このあとどうしよう。
芽生を連れてどこかへ出かける。それは絶対だ。どこへ行く? まずはディナーか? そのあとに指輪を……どこで渡せばいい?
うう、どうして何もまとまらないんだ。
今日を逃すなんてやってはいけないことなのに。
浴室を出てリビングへ行くと、芽生は白い半袖ブラウスにベージュのクロップドパンツを穿いていた。出かける格好だ。
「どうしたの?」
「翔太郎、あたしのワガママ聞いてほしいんだけどいいかな?」
「な、なに?」
「久しぶりに、まっさらピュアへ行きたくてさ。覚えてる?」
「もちろん。二人で密会してたコインランドリーだね」
「よかった。あそこ、綺麗なまま営業続けてるからさ、ちょっと行ってみようよ」
「なんでまた……。洗濯機はあるんだし――」
言いかけて、僕は理解した。
芽生は、僕が何で塞ぎ込んでいるのかわかっているのだ。
その答えを、自分から用意してくれた。
そうだ。
絵になる演出なんて考える必要はなかった。
僕たちには、僕たちだけが特別に思っている場所があるのだ。
「よし、行こう」
「ふふ、ありがとね」
僕が運転するインプレッサで市内を駆け抜ける。
車内に会話はなかった。
たぶん、今はしなくていい。
懐かしい上松高校が見えてくる。
五叉路を右折して、久しぶりの通りを走る。
今度は左折して少し進むと、コインランドリー・まっさらピュアが昔のままそこにあった。
駐車場に車を入れて、僕たちは店内に入る。
誰もいない。
「あたしはこっち」
芽生が手前の席に座った。僕は奥、洗濯機側。高校時代と同じように、二人で向かい合った。
「なつかし~。昔は週一で通って密会してたんだよね」
「よくやってたよなあ。あの頃の芽生は僕の憧れだった」
「ここでお父さんにバレたっけ」
「そうそう。告白を決めた日に見つかって。でも引かなかったら認めてもらえて、今があると」
「あたし、あの頃に比べて変わったかな?」
「もっと綺麗になったよ」
「性格は?」
「はしゃぎすぎなくなった」
「ふふん、落ち着きあるのが大人だからね」
「調子に乗りやすいところは昔のままかもね」
「あっ、またそういうこと言う~!」
僕たちは同時に笑う。
話しているうちに、覚悟も決まった。
「芽生、ありがとう」
「何が?」
「この場所のことを思い出させてくれて。いろいろ悩んだけど、原点の場所に戻ってくるってすごく素敵なことだよね」
「そうでしょ? あたしはお見通しだったんだからね」
芽生は得意げに胸を張る。
僕を深く理解してくれている彼女のことが、たまらなくいとおしい。
だからこそ、踏み出そう。
「芽生、お願いがあるんだ」
「聞きましょう」
僕は小さいバッグから小箱を取り出し、ふたを開ける。
そこにはイエローゴールドの指輪が入っている。
指輪を芽生の方に向けて、差し出す。
「芽生、僕と結婚してください」
すぐには、返事が来なかった。
静寂が大きく感じられた。
まるで焦らされているかのような、間。
それを破るように、芽生が息を吸う。
「はい」
僕は顔を上げた。
「結婚します」
芽生らしい、シンプルな言葉だった。
ニコッと笑った芽生が左手をテーブルの上に出した。
僕はその薬指に指輪をはめる。
「ありがとう、翔太郎」
「僕の方こそ。芽生――愛してるよ」
「あたしもだよ」
普通の人から見たらなんてことのないコインランドリー。
そこには、僕たちにしかない思い出がたくさん詰まっている。
その場所で誓い合う愛だってあるのだ。
これが僕たち――ユッキーとメイ、結城翔太郎と葉月芽生のささやかなドラマだ。
「うお~、ウエディングドレス着るの楽しみになってきた~!」
「次は結婚式か。全力で準備するぞ!」
明日からは新しいドラマが始まる。
僕たちのきらめく日々が、これからも回り続けていくことだろう。
――――――――――
本作はこれにて完結となります。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
隣の女子校の有名ギャルと、夜のコインランドリーで密会したい。 雨地草太郎 @amachi
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