第3話


「自然食品の店なんかで買ったら高いらしいのに、あなたそれもったいないよ」


 もらった傍から柿の葉茶を庭に埋めていく晶子に、毎度夫は言う。初めて挨拶した日に、百合子さんのお茶を誉めた夫は、帰宅してから「若々しくてかわいらしいのにしっかりした人だね」などと珍しく女性を評するようなことを言った。そのせいもあり、益々百合子さんのお茶への感情をこじらせているわけだが、そんなことに気づこうはずもないし、気づいても何かフォローをする人ではない。


「ドクダミ茶の方が体にいいし、こちらはきちんとした会社から買っているんです。素人の手作りとは違うの」


「でもあれはさあ、苦いよ」


「あなたはいつもジュースばかり飲み過ぎよ」


 そうたしなめると、下戸で甘いもの好きの夫は気まずげにソファに寝ころんで、生まれた赤ん坊を足に乗せて飛行機遊びをする。

 息子の身長と体重は成長曲線の一番上をたどっていて、ミルク育児は間違いがないと晶子は思う。体質としても母乳の少ない方だったので、あげないでいるうちにみるみる生産は減り、乳腺炎などとは無縁だった。意思を持ってミルク育児を選んで、良かったと思っている。

 それでも共用のゴミ捨て場にミルク缶を捨てるとき、一抹の気まずさがあった。ゴミ捨て場に捨てられる缶を、百合子さんは見ているだろう。勝手に憐れまれて、また追加で柿の葉茶を贈られてはたまらない。

 そんな気持ちにさせる百合子さんへの苦手意識はありつづけたが、継母として三人の子どもを育て、義母の世話をし、看取り、本家を切り盛りする働きぶりに敬意もあった。ただ柿の葉茶だけが苦手だった。

 

 柿の葉茶が作られなくなったのは、本家の改築に伴って、庭木が全て切られたからだ。あんなに自慢にしていた柿の木を、百合子さんはあっさりと切ってしまった。

 本家の改築は、正が倒れて亡くなったことがきっかけだった。兄の正が亡くなったとき、晶子は兄妹の末っ子気分に戻っていて何も出来なかった。すでに大人になっていた子ども達と気丈な百合子さんによって、つつがなく式は進行し、晶子は言われるままに参加するだけで良かった。

 古い家もちょうど直しどきだと言うことで、庭を無くしてそこをアパートにし、百合子さんは大家になった。

 本家が自分だけの手に収まったとたんに改築して、庭も無くして、柿の葉茶も贈って来なくなるなんて、ずいぶん勝手な話だと晶子は思う。柿の葉茶が欲しいわけではもちろん無いが、約束しておしつけ続けてきたのはあちらなのである。

 大きな庭が無くなったことで、晶子の家の小さな庭に蛙や蛇や虫たちが引っ越してきた。特に玄関脇の床下換気口に住み着いたアオダイショウは、息子が怖がってしまって大変だった。


「あれをねえ、退治しようと思うんだけど」


「やめときなさいよ、毒のない蛇は殺すもんじゃないっておばあちゃんが言ってたわ」


「しかし玄関脇だからね、うっかり出くわしたミツが、蛇がひっこんでからもずっと家に入りたがらなくて大変だったんだよ」


「住まわせてあげたらそのうち居なくなるか、ミツが慣れるかするわよ」


 そうかねえ、と呟いてその場はひっこんだ夫が、後日棒を使って蛇を追い出してしまったと知ったときには、喧嘩になりかけたものだが、「蛇くらいでおかしいよ」と言われて晶子も我に返った。

 本家の庭から追い出された蛇を、分家の庭でかくまってやるのが、土地を持つ親戚間での責任のありかただと信じているが、その感覚はおそらく親戚間でしか共有できない。百合子さんにだって、蛇をかくまっていますと伝えても不思議な顔をされるだけだろう。

 伝えてみる前に、蛇は追い出されてしまったのだが。


「だから何って、あなたずいぶんアオダイショウ怖がって大変だったって話よ。一気に庭木無くしたものだから、最近まで毎年出てた大きなガマも元は本家の庭からじゃないかしら。あの人って勝手だわ。パパが亡くなったときも、なんだか張り切ってそうめん沢山ゆがいて持ってきたじゃない。あれは、うん、助かったし食べたわよ。あなたも食べてたけど。でも大量のそうめんを、はりきって茹でるところを想像したら無性に腹立っちゃってね。もうパパのお葬式って言ったらあのそうめんまで一緒に思い出されるんだから。普段は何もしてないのに、そう、だから認知症なんてなるのよ。外とか他人ばっかり見張っててさ。それがいきなりそうめんでしょ。だからねえ、高級そうめんって言っても、そうめん自体が好きじゃないからいらないのよ。お土産にお金使うことないんだから、ちゃんと貯金してるの? 旅行ばっかり行ってて。ああもう分かったから怒らないで。はい、じゃあね、そうめんはいらないからね」


 近所でまたボヤ騒ぎがあったのと、小さな地震が続いている不安から夜に息子に電話をすると、車で移動の途中だという。友達の運転で奈良に遊びに行くらしく、土産は三輪素麺でいいかと聞かれた。

 

 明日はごみの日だから、何度かごみ捨て場の見張りに行って、回収が終わったら、残された違反ごみも片づけて、ここは管理する人のいる敷地だと知らせなければならない。

 リビングから道を監視し続けていた百合子さんは帰ってこないし、本家の息子と娘も今のところは越してきそうにない。越してくるときは家主が居なくなった時だろうし、その日が遠くあってほしいのか近くあってほしいのかは、分からない。

 飲まずに処分し続けた柿の葉茶だが、そうめんなんかよりも柿の葉茶の味で百合子さんを思い出す方がまだマシだった気もして、今なら飲んであげたのにと思う。


 だからこそ、そうめんをゆがいた百合子さんを恨むし、柿の葉茶の約束を破った百合子さんは軽薄で好きじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百合子さんのお茶 髙 文緒 @tkfmio_ikura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ