幽霊適正規格

志村麦穂

幽霊適正規格

「残念ですが、そちらの……お母様でしたか、の憑依思念は、幽霊とは認められません。ですので、私共の方では霊障災害としての認可を降ろすことはできません。つまり、霊災補償は致しかねます」

 私はアクリルボード製のパーテーションについた小窓から、ほんのA4二枚の書類を差し戻す。掠れたインクで殴り書きされた書類の字は汚く、申請者の男性はいかにも金に困った貧困者といった風体だった。

「そ、そんなはずねぇでしょう? ちゃんと幽霊の範囲は満たしているはずだ」

「……まず、第二項の主な霊障被害の提示に関してですが、添付されたデータの形式が指定と異なるので受理できません。また、霊障内容につきましても相互主観的な認知性の欠落がありまして、内容のみですと幻覚症状、妄想性障害に各当致します。平たく申し上げますと、お母様の幽霊に憑りつかれているのではなく、相沢さまご自身の脳や精神に問題があると疑われます。つきましては、私ども霊災補償窓口ではなく、適切な医療機関を受診されることを――」

 ここまでの口上を聞いて、申請者の男性は書類を握りつぶして立ち去った。去り際に、いくつもの悪態を吐きかけて。私は唾の付着したパーテーションを、除菌シートで丁寧に拭って窓口に座り直す。対応完了の合図をエンターキーで送り、次の受付番号を表示する。

「お次の方どうぞ~」

 ずれたアームガードを直し、次なる申請者を追い返すべく向かい合った。


 幽霊は存在するか。

 その問いに答えが出されたのは、皮肉にも技術が発展して、疑似的な幽霊を造り出せるようになってからだった。

 五感的情報を発信し、相互主観による認知性があり、物理的実体を持たず、ローカルハードウェアおよび仮想空間上にデジタルデータを持たないもの。なおかつ発生原因が特定されていないものに限る。政府はこれを幽霊――霊障災害と名付け、災害補償を行うことを発表した。

 それもこれも、数年前に大規模な原因不明の災害が発生したことが発端だった。MRを利用した仮想世界、現実世界にまたがったテロではないかと噂されている。幽霊云々というのはその災害によって現在の科学では説明不能な心霊現象が多数発生したことと、政府の隠蔽工作が重なった結果ともいえる。実際のところ、あれの正体が本物の幽霊であったのかは単なるいち役場の職員に過ぎない私には知るべくもない。しかし、大抵大きな事件のしわ寄せというのは末端にやってくる。

 斯様な経緯を経て設立された霊災補償窓口であったが、設置されたのは形だけで、その実上からの命令は認可を出すなというものだった。大々的に被害を補償すると発表したのは民衆へのアピールに過ぎず、金を払う気はないといういつものやり口。申請を弾くために、あえて幽霊の規格を法令によって定めたのだ。

 法令には解釈の幅があり、その判断は窓口の職員に一任されている。そして命令は認可を出すな。

 公的に幽霊の存在を肯定していながら、法令は幽霊の存在を否定している。

 その在り方はこれまでの幽霊を否定してきたやり方と何ら変わらないものだった。役所の職員の仕事が、格段に増加したことを除けば。かくして私は、日々窓口にて幽霊が存在しないことを証明し続ける業務に就いたのだった。


 幽霊か否かを仕分けるポイントは、主にみっつの点に絞られる。

 ひとつには幻覚、妄想といった申請者本人の脳精神的な問題との区別。ふたつ目はARやMRといった仮想データとの区別。みっつ目は物理的な発生原因、トリックとの区別。

 大抵はふたつ目までで追い返すことができる。しかし、あらゆる審査を乗り越えて、みっつ目の区別にまで到達したとき、職員の手間は飛躍的に増加する。なにせ、最終判断を下すために実地調査をしなければならなくなるからだ。役所の職員は科学者や探偵じゃない。心霊トリックを打ち破れるかは怪しいところである。とはいえ、役所ならではのとっておきが残されているから、大抵の問題は窓口の煩雑さという段階で抑えられていた。

「お次の方、どうぞ~」

 定時も迫り、窓口業務も終わりが見えてきた。時間的に本日最後となる何十人目かの、国から金を無心しようとする申請者を呼び込んだ。

『あの……心霊現象の認定って、こちらであっていますよね』

 私はその声に思わず、周囲を見回した。聞こえなかったのではない。発生源が特定できなかったからだ。申請者は正面に立っているにも関わらず、私の背後か、遠くの方から呼びかけられたのか、耳元で囁かれたのか判別できなかった。隣の席で応対していた同僚が、肌寒さに身を震わせていた。役所の冷房は節電の影響で常に28度設定、おまけに効きが悪くじっとりと汗すらかくほどだったというのに。

「はい、霊障災害補償の申請ですね。どうぞ、お座りください」

『いいえ、幽霊を認めて欲しいんです』

 会話に僅かな噛み合わなさを感じたものの、努めて事務的な笑みで質問を続ける。役所には老若男女、様々な人が訪れる。呂律の怪しいお年寄りやただ苦情を吐き出しに来た人まで、窓口は接客業だと思わないとやってられない。事務的で冷静な、素早い対応を心がける。

「本日は必要事項を記入した審査書類はお持ちですか?」

『これで認めてもらえますか』

 座る様子のない申請者。バックなどの入れ物はなく、両手は空いて下げられたまま。明らかに書類を持ってきている気配はない。今日のところは申請書類を渡して帰ってもらおう、そう考えた時だった。瞬きの隙に、何も無かったパーテーションの小窓に二枚の書類が置かれていた。

 私は驚き、改めて申請者の方を見やった。そこで事務処理用窓口機械に徹することができなかったことを深く後悔した。

 申請者はおそらく男性。おそらく、という枕詞がつくのは、体型のみの判断で顔では判断できないからだ。申請者の頸は直角を越えて、天井を仰ぎ見るように後ろ側へ折れ曲がっている。関節の限界を無視して、皮一枚でフードのようにぶら下がっていた。

 つい今しがた、表で車に轢かれて死んできたばかり。というのが、目の前の申請者への印象だった。

 誰の頭にも分かりやす過ぎる幽霊がやってきたものだ。しかし、私の驚きと混乱も一周回って、身に染みついた事務的な対応を無意識的に継続させることに成功した。あくまで申請者が正攻法で来るのならば、こちらも役所として対応するのがベスト、という判断は間違ってないように思える。

 書類ちらりと見やるが、そこには何も記されていない空欄の続く紙があるだけだった。

「あの、記入がなされていないのですが」

 私が口にした途端、紛うことなき怪現象が起こった。

 私の手がペンを握り、なにかに憑りつかれたように動き出したのだ。無論、私の意志とは関係なく、私が知りもしない情報を書類に書き連ねていく。自動筆記と呼ばれる心霊現象が、目の前で起こっていた。

 氏名は戸方明彦、享年38歳男性。霊障本人。

 次々と埋められる記入欄を前にして、私は自分の業務の煩雑さが増していくのを実感していた。簡単に追い返すことはできそうにない。実地調査に自ら赴かなくてよいのは幸いだが、あからさまな心霊現象相手に幽霊適格判定を覆さなければならないのだ。

『私は――幽霊ですか。ミトメ、認めてテください、認めてくれぇ』

 あまり時間はかけられないかもしれない。申請者こと、戸方明彦氏の様子が変化してきている。口調がノイズ混じりのラジオのようになり、心なしか室内の気温もさらに下がった気がする。

 私は書き終わった書類を裏返し、役所職員のチェック欄に目を走らせる。幽霊として認められるか、ひとつひとつ障例と照らし合わせてチェックする必要がある。

 まずは申請者もしくは被災者に脳、精神的な異常がないか。健康保険証の番号から個人の既往歴、面談による所見で判断するのだが、申請者本人が死亡しているため項目自体が意味をなさない。こんなの例外中の例外だ。一応、パソコンから問い合わせてみたところ、事故死という記載のほかに目立った病歴はみられない。迷いながらもチェックを入れ、備考欄に「霊障は申請者本人」と書き入れる。

 ふたつ目の項目は幻、妄想との区別。言い換えれば相互主観的認知性の有無。これを確認するのは簡単だ。

「お仕事中すいません。ひとつ、ご協力いただいてもよろしいですか?」

 私は隣席の同僚に声を掛ける。

「あなたにも彼が見えますか?」

「よく平気で応対できるな、お前」

 同僚の視線は戸方氏との接触を避けるべく、なるだけ視線を向けないように顔を背けている。どうやら、彼の存在はしっかりと認識できているようだ。

「むしろ、平気じゃないからこそ、出来ているんだと思います」

 頸を伸ばして、待合のソファの方をみると恐怖で固まった女性や、偶然通り掛かって眼鏡を拭き直す職員が見受けられた。間違いなく不特定多数の人間に認知されており、個人の妄想ではないことがわかる。また、通り掛かりの職員や偶然やってきた市民にも見えていることから集団幻覚でもないことが伺える。相互主観的認知性アリ、チェック。

 三つめはさらに簡単で、確認の必要もない。対象が仮想データでないこと。ARやMRなどのデジタルデータの類いではないことの確認だ。当役所では未だに電脳化が進んでおらず、職員たちもスマートコンタクト等を使って業務にあたる者はいないし、私も装着していない。よって、デジタルデータではない、チェック。

 四つ目は私の心理的に抵抗がある。実体を持たないことの確認をしなければならない。幽霊を直接触ろうとしても大丈夫なものだろうか。もちろん、触れたら実体があることになるので、規格的には幽霊とはいえなくなるのだが。

 なにかないかと書類をひっくり返していると、ひとつ考えがひらめいた。

 小窓から書類の一枚を差し、胸元からボールペンを抜き取る。

「この欄は直筆の署名をお願いします」

 それは先ほど私が自動筆記によって戸方氏の署名を書いた部分だった。それを二重線で消し、訂正印を押した上で、書類不備として直筆署名を求める。筆記用のボールペンを手渡す際に、ペン先で実体を突いて確認できると踏んだのだ。

 私の狙い通り、指先を伸ばしてきた戸方氏の手にボールペンを触れさせようとすると、そのまますり抜けて机の上に落ちた。ボールペンに触れられないのに、どうやって直筆署名するのかなと観察していたら、ポルターガイスト現象よろしく触れているように見せかけて、わずかに浮遊させてペンを動かしていた。

 直筆なのか怪しい所ではあるが、ともかく実体がないことは確認できた。チェック。

 次々と項目をチェックしていって、ついには最終項目。霊障の発生原因が物理、化学によらず、原因不明であるとされるもの。役所があの手この手でいちゃもんをつけて押し返す為の、いわゆる最終防衛ラインである。

 しかし、どうだ。戸方氏の姿をみてわかることは、圧倒的に説明不能だということだ。自動筆記、ポルターガイスト、気温変化、エトセトラ。不特定多数の人間に認識され、実体を持たず、死亡が確定している故人である。圧倒的に幽霊だった。

 実をいうと私はホラーが苦手で、心霊現象などもってのほかだった。

 大変遺憾で認めたくはないことだが、戸方氏は国の定めた幽霊適正規格に適う、正真正銘の幽霊らしかった。

 私は渋々チェックボックスに最後の印をつけた。

 こうなった以上、役所は戸方氏に霊災補償をして補償金を払わねばならないのだが。奥の方で仕事をしている上司を振り返って確認する。上司は首を振って、手元で小さく人差し指をクロスさせている。上からの指示は変らない。つまりはそういうことだ。

 私は再び書類を上から下まで目を通して、書類を戸方氏に返却する。

 そして、今日も何度となく口にした台詞を告げる。

「残念ですが、戸方明彦さんは幽霊と認められません。書類不備ですので、受理致しかねます。霊障の症例に関しましては、別途専用ホームページの投稿フォームから適当なファイル形式で事前に送ってください」

 呪文を唱え終えた後、薄く事務的に微笑む。

「本日の窓口業務は終了になります」

 役所の最終手段。書類不備による不受理。

 これを言われれば、誰であろうと帰らざるを得ない。

 ああ、よかった。本日も役所は幽霊の実在を認めることはなかった。これで今夜も安心して眠ることができる。

 やはり、幽霊など存在しないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽霊適正規格 志村麦穂 @baku-shimura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ