シンプルイズホットケーキ

 休日の朝、ぼんやりとした意識を目覚めさせるために、私は瞬きを繰り返した。カーテンの隙間から入り込む日差しの強さに、朝という時間を通り越して昼になっていてもおかしくない。

 大きな欠伸をこぼしながら、私は枕元に置かれた携帯電話に手を伸ばす。液晶の示している時間は、十時十三分。朝でもなければ昼でもない。平日にこの時間に起きたら、絶対に悲鳴を上げてもおかしくなかった。

 けれど今日は平日は平日でも、祝日で会社は休みだった。祝祭日が休みなことに喜びつつ、私はもう一度ベッドへと倒れ込もうとした。一人暮らしなので誰かに叱られることもなく、堂々と寝坊をしても問題ない。健康とかそんなのはどうでもいい、私はとにかくまだ寝たい。

「寝たいんだけどなぁ」

 重苦しい声と共に、私は本音を漏らす。

 正直、まだ寝たい。理由は単純だった、眠いから。

 けれどどんなに寝ていたとしても、人の三大欲求から逃れることができなかった――体が空腹を訴えているからだ。

 さっきから腹から輪唱を奏でるようにぐーぐーと音が鳴っている、一人でいるとよりよく聞こえる。この場に家族がいれば、絶対に馬鹿にされるのは間違いなかった。

 仕方ない、と私は空腹と同様にまだ眠いと告げている体を起き上がらせた。少し肌寒くなった秋先の室内はひんやりとしている。しかもシャツとハーフパンツという格好だから、より体が冷えてくる。なので常に部屋着として使用できるパーカーを用意してある。頭から被るように着込んで、パーカーのフードも忘れない。これは唐突な宅配業者の来訪対策だ。薄暗い部屋の電気を点けて、カーテンは開けなかった。マンションの六階とはいえ、外から見えてもいい格好でもないから。

 一度思いきり体を伸ばしてから、私は台所へと足を向ける。迷うことなく冷凍庫を開けて、凍らせてある丸い物体を二つ取り出した。しっかりとラップで包まれている物体を取り出して、作業台の上に洗って自然乾燥したままの白い皿に乗せる。

 冷凍されていてもわかる、きつね色に焼かれたホットケーキだった。休みの日に作り置きをしていて、作るのが面倒くさい時に食べることが多い。

 主に平日の朝とか、休日の食事、小腹が空いたときに食べることが多いので、食べる頻度はそこそこ高めかもしれない。

 ホットケーキの他にもご飯とかも冷凍してある。一人暮らしですぐに食べられるものを冷凍すると便利とは聞いてたけど、本当にその通りだと思う。レンジで解凍すれば温かいご飯が食べられる、炊き立てじゃないと嫌だとかは思わない。

 ただホットケーキはレンジで温めると、べたっとした仕上がりになるので、私はトースターで温めることが多い。友人には朝から面倒くさくない? と尋ねられたことはあるけど、温めている間に身支度を整えられるので、私はそこまで面倒とは感じない。

 むしろホットケーキを焼いて、冷めるまで待って冷凍するほうが面倒だと思う。

 でも結局のところ、作らないとお金がかかってしまう。家になにもないとふらふらとコンビニに行って買ったりするし、外食も自然と増えるし。経済的にも作らざるを得ない。

 そんなことを考えながら、トースターの中からトレイを取り出して、その上にホットケーキを二枚並べる。トレイからはみ出さないぎりぎりの大きさで作ってあるので、ホットケーキの端は焦げにくい。

 トースターのダイヤルを回すと、中が赤い色に染まっていく。さあ、ここからが勝負だ。

 私は小さめのホーローのやかんでお湯を沸かして、たっぷりと飲むための大きなマグカップを用意した。少し重めのマグカップはカーキ色で、絵柄もないシンプルなものだった。五年前に友人が誕生日に贈ってくれてから、一度もひび割れることもない。丁寧に扱っているわけでもなくて、落とすこともあるのに、その度にごとん、という重い音を響かせても割れない。

 その中にインスタントコーヒーの粉を適当にいれる。今日は牛乳で割りたいので、粉は気持ち多めに。

 そうしている間にちん、とトースターが軽快な音を響かせた。すぐに二枚重ねにして皿に盛り付けて、冷蔵庫からすでに切って常備してあるバターを乗せた。すると熱でバターが溶け出して、ほかほかのホットケーキの表面に吸い込まれていく。

 その様子を眺めていたいけど、やかんは音をたてながら白い蒸気を吹き出している。急いでお湯をマグカップに注ぎ、かき混ぜてから冷たい牛乳を注ぎ入れる。こうすることで温(ぬる)めのカフェオレが出来上がる、あつあつだとすぐに飲めないのでこうして作ることが多い。

 カフェオレとホットケーキが揃ったので、適当なプラスチックのトレイに乗せる。これにフォークとナイフ、それに少し高級な蜂蜜を用意すれば、贅沢な朝食セットのできあがり!

 ちなみに今日はシンプルにしているけど、時と場合によってはサラダとかソーセージ、ハムを添えることもある。ホットケーキって万能選手だと思う。クレープも甘いのでもしょっぱいのでもいけるなぁ。

 ……お腹が空きすぎて違うことを考え始めてる。

 私がやるべきことは、目の前のホットケーキと向き合うことだ。急いで食事をするソファーへと向かって、目の前に置いてある木目が気に入って購入した長方形のテーブルの上にトレイを着地させる。

 すでにバターは溶けきって、ホットケーキに円の形を作り出していた。その上に琥珀色の蜂蜜を垂らすと、電気の光を吸い込んできらきらと輝き始める。これだけでもとても美味しそうだった。

 けれど、食事の本番はこれから。

 私はフォークとナイフを握って、ホットケーキを一口サイズに切った。厚さはあまりないホットケーキでも、バターと蜂蜜が揃えばご馳走に早変わりする。蜂蜜が垂れてしまわないうちに口にいれると、ほんのりと甘いホットケーキの生地と凝縮された甘い蜂蜜の味が広がった。

 これこれ、これが美味しい。

 ホットケーキだけだとそんなに甘くないのに、蜂蜜が加わるととても甘い世界になる。その世界に、ノンシュガーのカフェオレを投入する。するとほろ苦い味も、甘い世界の仲間入りをする。だからといって蜂蜜の味になるわけでもない、牛乳のまろやかさとコーヒーの苦味をしっかりと感じる。

 甘くて苦くてまろやか。三つの味が揃うと、こんなにも贅沢になるんだよね。

 今日は休日だけど、平日に食べると朝から幸せに浸ることができる。それだけで一日が頑張れてしまうから不思議だ。

 普段はテレビで音を流しているのに、今日は私の食事の音しかしない。ナイフでホットケーキを切り分ける音、カフェオレを飲む音、その美味しさにほっと息を吐く音。

 住宅街にあるマンションだから、静かに過ごすことができているのかもしれない。

 癒されるような空間に浸りながら食べ続けていると、ようやくホットケーキのバターが染み込んだ部分にたどり着いた。これも切り分けて口に運ぶ、するとバターのしょっぱさが味のアクセントに加わった。三つが四つの味になって、自然と食事をする手が早くなる。

 シンプルだけどシンプルな味がいい。

 SNSとかに上がってる写真みたいに、盛りだくさんでもないし迫力があるわけでもない。

 でもこうした日常的なシンプルな食事が、安心して美味しく食べ続けることができる。

 そのありがたさを噛み締めながら、私は残りのホットケーキをゆっくりと味わい続けたのだった。

 



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