二日酔いの朝のおかゆ
春先の朝、私は季節外れの土鍋をコンロの上に着地させていた。あと用意したのは、ラップに包んだ冷凍用のご飯。茶碗一杯分のサイズで、それを電子レンジにいれて解凍する。まだ肌寒い台所で電子レンジの回転する音を聞きながら、私は常に置きっぱなしになっているコップに水を注いで一気に飲み干した。
ああ、酒を飲みすぎた体に水が染み渡る。
夫婦ともに土日休みで、金曜日の夜は酒を飲むことが多くて、昨日は羽目を外しすぎてしまった。今にもゴミ箱から飛び出しそうな缶ビールや缶酎ハイが、昨日の酒量を物語る。
お互いに仕事で嫌なことがあって、愚痴りながら飲んでしまったのが敗因だと思う。
それでも早めに寝たので、朝九時に起きることはできたけど、隣で寝ていた旦那はまだ熟睡している。起きる気配がなかったので、私だけ台所に移動してきたのだ。
少し頭が痛いのは、明らかに二日酔いだった。しかも胃が重苦しい感じもする。サラダも食べたけど、揚げ物とか濃い味のおかずとかで酒を飲み続けたから、胃腸の調子が悪くなってもおかしくない。
でも、お腹は空いている。
これは問題だ、と思い付いた朝食はおかゆだった。調子が悪いときはこれに限る。雑炊とかでもいいけど、今日はおかゆを手軽に作る。
電子レンジが音をたてたと同時に、私は熱くなったご飯玉を取り出した。熱いので手早く作業台に置いて、ラップをめくっていく。するとほわっと湯気が立ち上って、まだ冷えている掌に触れた。温かくて心地よい、一瞬眠気が襲ってきたけれど、ここで意識を失うわけにもいかない。
解凍したばかりの米は炊き立てほどではないけど、艶があってとても美味しそうだ。普段から大量に炊いて小分けしていたご飯は、食事を作る気力のない日の救世主のようなものだった。
それから土鍋に水を注いで、その中に解凍されたばかりのご飯を投入する。米が水を吸って、花が咲くように広がっていく。けれどその様子を眺めることなく、私は火を点けて手近にあったしゃもじで軽く米をかき混ぜた。固まりにならないようにほぐすのが大事だけど、混ぜすぎないようにする。
これで沸騰してのんびりと煮込めば、簡単におかゆが完成する。さすがに生の米から作ることはしない、時間がかかりすぎてしまうから。
その間に私はおかゆのトッピングを用意する、冷蔵庫の中にあるもので賄えばいい。そんなに量を食べられるわけでもないので、なるべく食べやすいものを中心に選んでいく。
お弁当用に常備している、大きめの酸っぱすぎる梅干しがあったので、それを長皿に乗せてしまう。それから瓶に入った海苔の佃煮、これもスプーンですくって皿に乗せる。それから塩昆布に、昨日サラダで使ったしらすも使ってしまう。それを二人分作っておく。
横並びに盛り付けると、なんとも豪勢な朝食セットに見えなくもない。本当はおかゆに直接調味料を入れて味付けをして、大きめのお椀に盛り付ければ簡単だし、洗いものも少なくすむ。
なんとなく、気分的に盛り付けたかっただけだった。疲れているのに手間をかけたくなる衝動と似ている。
一皿はラップをかけて、冷蔵庫へと閉まっておく。旦那が起きたときにすぐに出せるように。
鍋の中の米はふつふつと泡を吹かせているので、焦げ付かないように私はしゃもじで粥になろうとしている米をかき混ぜた。水が大分減ったせいか、とろりとしている。
もう少し水が多いほうが、二日酔いになっているであろう旦那には食べやすいかな。
酒が弱いのに、明らかに私より飲んでいたから、目覚めと共に恐ろしい二日酔いの頭痛が襲うに違いない。それだけ職場でストレスを抱えてきたことがわかる。体にはよくないかもしれないけど、たまにはいいのではないかと私は思うのだ。毎日だったら絶対に止めるけどね。
それから鍋を眺めて数分、ほどよく水分が増えてきた粥の仕上がりを確認する。
とろみもある、でも水分も十分残っている。これなら食べやすそうだ。
これまた用意しておいた陶磁の椀に粥を注いで、普段から使用しているトレイに乗せて食卓へと運ぶ。四人がけのテーブルの端に、出来上がったばかりのお粥とトッピングを並べた。あとは箸と蓮華ではなく使い慣れた木製のスプーン、飲み物は冷えた麦茶を用意。出来立てのお粥が熱すぎる場合があるので、冷たい飲み物は欠かせない。胃腸には優しくないかもしれないけど、口の中の火傷のほうが辛い。
お粥に合うトッピングに飲み物、完璧な布陣だ。
着替えをすることもなく、私は片手にスプーンを握って、粥の中へと沈めようとしてしまった。
最初の一口は熱いから、絶対に欲張ってはいけない。
これが外食で食べるお粥だと、適度な温度になっているけど、家で作る粥は出来立てが多い。わざわざ冷ますことはしない、食べながら冷ましていくのが我が家流だ。
スプーンの半分ぐらい粥をすくって、軽く息を吹きかけてから口に運ぶ。
味付けはしてないけど、十分お粥は甘くて美味しい。酒を飲みすぎた翌日の体には、とても染み渡る味わいだった。米の味だけなのに、噛み締めれば味もしっかり感じられる。飲み込めば熱さがまだ残る粥が、体の中を流れていくのがわかる。ちょっと熱いので、すかさず麦茶を口に含む。
熱かった、でも美味しい。
これを数回繰り返してから、私はようやくトッピングに手を伸ばす。まずは梅干し。しわしわのよく漬かった梅干しの種を取り除く。さらに柔らかくこねるように崩して、粒が残る梅肉が出来上がった。見るだけで唾が溢れてくるけれど、それを飲み込んでしまう。
そして粥をスプーンですくって、箸で梅肉をちょんと飾るように乗せる。白と赤のコントラストがなんとも食欲をそそる。
それではいただきます!
また唾が溢れてくる、食べてもいないのに口の中を酸っぱくさせる梅干しは凄い。
口に入れた瞬間、あまりの酸っぱさに目を閉じて顔をしかめてしまう。梅干しの通過儀礼のようなもので、しかもこの梅干しは昔ならではの製法で作られているらしく、とてつもなく酸っぱい。だからこそ炊きたてご飯に乗せても美味しい。
そして例外なく、粥にとても合っていた。ほんのりとした米の甘い味わいに、梅干しというパンチが加わるのがまた美味しい。
よし、この流れに乗ろう。次は野沢菜、細かく刻まれた葉っぱがよく漬かっていて、少しだけつまんで食べるととても塩分が強い。だからすぐに粥を食べると、塩分が薄らいでちょうどよい味に仕上がるのがいい。柔らかい粥の中に、野沢菜の歯応えがなんとも楽しい。噛めば噛むほど塩分が沁みだしてきて、その度に粥を食べ進める手が止まらない。
次は野沢菜よりも少し塩分控えめのしらす、醤油はかけないで素材の味そのままで食べても塩の味が残っている。これも粥が進む味なので、気づいたらお椀の中は空っぽになっていた。
もう少しだけ食べようかな。
旦那が食べる分の粥を残すのを忘れないように、気を付けて盛り付けていく。お椀の半分ぐらい残っていれば十分かな。
いそいそと食卓へ戻って、今度はスプーンに粥をたっぷりと乗せた。冷めてきたので問題ないはず。その上に塩昆布をちょこんと乗せて、一口で食べきらないよう注意しながら口に運ぶ。
うん、昆布のしょっぱさがまた粥に合う。粥には塩っけのあるトッピングがよく合うなぁ。
けれどこれから食べるのは、海苔の佃煮だったりする。今まで食べたトッピングの中では、塩分よりも甘さが強めの佃煮だった。どろっとした黒い佃煮を粥に乗せて、今度は一気に粥ごと食べてしまう。
磯の香りが広がって美味しい、丹念に煮込まれていて甘さもほどよくて、海苔の味に負けていない。これも米によく合うのだから、粥に合わないわけがない。
それから私は次々とトッピングを堪能しながら、あっという間に粥を食べ終えてしまっていた。
ご馳走さま、とここで満足できればよかったのだけど――。
「……物足りないな」
胃の部分をさすると、まだ空腹感があった。お粥を食べて胃腸が動き始めたせいだと思う、なにか食べたいと体が訴えかけている。
そう思っていると、寝室からがたんと大きな音がした。旦那が目を覚ましたけど、たぶん二日酔いでふらふらの不調な体をどこかにぶつけた音だと思われる。体調が不調のときの旦那の目覚めは、盛大な音をたてることが多い。
私よりも先に旦那のご飯かな。
まだ物足りなさを感じる腹をさすりながら、私は遅めの朝食の準備を始めるのだった。
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