第27話 星のありか


 気がつくと暦が変わっている。


 六月になり、本格的な夏がやってきた。


 地球温暖化はいちじるしく、昼間の暑さは猛暑の域すら越えてきそうな勢いで、自然とみんなで遊びに行くことも減った。だからといって距離が出来たわけでもなく、昼休みに部室で弁当を囲むことはもう通例になったし、サッカー部との兼部という形で文芸部に復帰した那瀬さんは会うたび話しかけてくれるし、柚月ちゃんとは頼んでもないのに秘蔵コレクションという名の暮永さんの盗撮写真が時たま送られてくるくらいの仲にはなった。


 ただ部長であるところの暮永さんとは「墓参り」以来、なんだかぎくしゃくしていてちゃんと話せていない。昼休みには毎度顔を合わせているんだけど、僕が話しかけると決まってつんとそっぽを向かれてしまう。なんでも僕が無断で寝顔を撮ったことに関してお怒りらしい。女の子を盗撮するなんて言語道断よ、とすごい形相で叱られたのは記憶に新しい。


 そんなこんなで気まずい距離感のまま時間だけが過ぎていって、そろそろ仲直りしてくださいと那瀬さんに非難の眼差しを向けられるようになった頃、ひさしぶりに暮永さんからメッセージが届いた。


『十時頃、校門前に来れる?』


 スマホに表示された文面を認めるや、僕は暮永さんがおすすめしてくれた小説をソファー脇に置いて窓ガラスの外を見やった。とっくに日は暮れていて濃い青色の空気がじんわり染み込んでいる。十時って午後の十時のことかな。


 深夜のお誘い。初めての経験だった。


『うん』


 断る選択肢はない。


 僕は読書を再開しながら夜が深まるまで待った。






「よく来たわね。褒めてあげましょう」


 自転車を走らせること数十分。


 学校に到着した僕を待ち構えていたのは、校門前で仁王立ちする暮永さんだった。


「こんばんは。暮永さん」


「え? ああ、そうね。こんばんは……」


 僕が頭を下げると、暮永さんも慌てて頭を下げてくる。


 その様子に僕はまず「よかった」と安堵した。もう怒っていないみたいだし、とりあえず今晩は避けられないで済みそうだった。


「で、今回は急にどうしたの? こんな時間に学校でなんて」


「ふふふ。それは後のお楽しみよ」


「お楽しみ……」


 おもわず首を傾げる僕に、暮永さんは含みのある笑みを浮かべながら「期待してなさい」と胸を張る。すでに本人が楽しそうだ。


「そういえば……柚月ちゃん、は……」


 僕の眼前で暮永さんがそそくさと歩き出したかと思えば「ん、しょと……」と門扉の一番高い部分の柵を掴もうとする。でも背が低くて手が届いていなかった。「なにしてるの?」と僕はおもわず訊ねる。


「い、いいから。ぼーっと見てないで助けなさいっ」


「ん……わかったよ」


 よくわからないけど、とりあえず協力しようと暮永さんの身体を支える。


「ちょ、こら! どこ触ってんのよ!」


「上りたいんでしょ? 触らないと補助できないよ」


「か、肩車とかでいいでしょう!」


「ええ……」


「ええじゃない!」


 諸々のやり取りのあと、僕らは無事校舎に降り立った(僕は自力で頑張った)。

 

 先導する暮永さんの足取りは淀みなく、さっさと迂回するように校舎を進んで旧校舎の裏側まで回り込むと、どうしてか一番端の窓ガラスの鍵が開いていて、いとも簡単に校内に侵入できてしまった。


「なんかやけに段取り良くない?」


「ふっ、持つべきは優秀な妹分ね」


 柚月ちゃんのおかげらしい。


 なかなか手が込んでいるけど、誰かに見つかったりしないのかな。真面目な暮永さんが一番そういうの許さなそうなのに、意外とスリルを求める性分なのか、ぐんぐんと躊躇なく廊下を進んでいくものだから、僕も従うしかなかった。


 そしてくだんの後輩は真っ暗な廊下の中央で待ち構えていた。悠然と腕を組んで得意げに「どうもっす」と笑う。みんな仁王立ち好きだな。


「警備員の方はちょうど今体育館のほうに向かったところっす。いいタイミングっすねぇ。……ああ、心配しなくても桜庭先生には話を通してあるっすよ。ただくれぐれも見つからないでね! と涙目で言われたので、そこはご理解のほどを」


「ええ、心得ているわ」


 なんだ、この会話。


「さあ行くわよ」


 ここからは抜き足差し足の要領で進んだ。かすかな足音が廊下に響く。目的地は意外と遠くなんと校舎の反対側らしい。


 美術棟とも呼ばれる建物は三階まであって、それを全部上った先の地学室、のそばにある扉の前まで来ると、そのドアノブに暮永さんが鍵を差し込んだ(さっき柚月ちゃんから手渡されていた)。ガチャリと音を立てて扉が開くと、涼しい夜風が頬を撫でる。


 フェンスで守られた教室よりも少し狭いくらいスペースからはグラウンドが広く見渡せる。望遠鏡の授業で利用した覚えのある場所だった。


 ここでなにをするんだろう、と思っていると、暮永さんは「こっちよ」と言って校舎側に設けられた梯子を上り始める。まじか。


「そんなことして大丈夫なの?」


「いいから早くついてきなさい。ちなみに上は見ちゃだめよ。見たら許さないわ」


「……はい」


 しかたなく下を見ながら僕もあとに続く。


 梯子を上り切ると、そこはまさに屋上だった。フェンスもなくお世辞にも綺麗とは言えない暗がりの中央に、なんとも都合よくブルーシートが敷かれている。


「これも柚月ちゃんが?」


「ええ。ずっと前から計画して準備を進めていたのよ」


 暮永さんは数枚重ねられたブルーシートに寝転んだ。「……あなたも」と促され、僕もおずおずと横に寝転ぶ。準備よく枕まで置かれていた。


「空を見てみなさい」


 仰向けになって言われた通り夜空を仰ぐ。


 そこでようやく、なるほど、と得心がいった。


 屋上は光源が一つもなく真っ暗で、夜空はあつらえたように一点の曇りもなく、おかげで星がとても鮮やかに輝いて見えるのだ。


 砂粒程度のちいさい輝きが密集して闇色の夜空を盛大に彩っている。星々の弾幕、という表現がなぜか脳裏をよぎった。たぶんさっき読んでた小説の一節だろうけど、なるほどこれは大袈裟でもないかもしれない。かすかに弧を描いて見える月は新月だったか、もしくは大きさ的に三日月でいいのか。どうだったかな。


「ずっと夢だったの。夜の校舎に忍び込んで屋上から星空を眺めるのが」


「夢……」


 こんなのが?


 夢ってもっと絵空事っぽくて現実味がなくて、地球の裏側に行くようなイメージだった。こんな身近で、地に足の着いた経験なんかが夢でいいのかな。


「……」


 ふと、暮永さんが今どんな顔をしているのか知りたくなった。


 僕は枕の上で首を動かす。硬いコンクリートが寝返りを打った身体を押しかえす。暮永さんは仰向けに夜空を見上げていた。表情はうかがえない。


 でもだんだん暗闇に目が慣れてきて、少女の丸い輪郭が暗闇に浮かぶと、まぶたの端から頬に向かって光る線が生じているのがわかった。


「え……」


 僕は絶句した。


「な、なんで泣いてるの?」


「う、うるさいわね。感極まっちゃったのよ。わざわざ聞くなっ」


 感極まったって、そんな。


「暮永さんって…………情緒不安定?」


「ぬぐ……‼ あ、あなたね!」


 暮永さんは唇を尖らせると、つんとそっぽを向く。


「……ほんと、伊庭くんは水を差す天才ね」


「ご、ごめん」


「いいわよ……わたしも自覚あるし」


 そう言い、またまぶたが閉じられる。


「……やっぱり、なんとも思わなかったかしら? この星空は」


「まあ、それなりに綺麗だとは思ったよ」


「それなりに、ね……宇宙の神秘とか、あなたは興味がないかしら?」


「どうだろ。あんまりぴんとこないや」


「はぁ……」


 あきれた調子で暮永さんが溜め息をつく。


「その調子だと……今日のこともそのうち忘れてしまうのかしらね。こんなに綺麗な星空なのに、もったいないわ。とても」


 思いを馳せるように暮永さんは再び夜空を見上げる。


 もったいない、か。


 やっぱり、わからない。


 たしかに星空は綺麗だけど、わざわざ学校に忍び込む意味はさっぱりだし、たぶん他のどこで見たって僕の感想は同じだと思う。綺麗なものは綺麗で、それ以上のものは一切伴ってはくれない。


「まあ、ここまでスケールが大きいものでなくてもいいものね。きっとまだどこかにあなたの心を掴むものがあるはずだし、次はもっと身近を探してみましょうか」


「……そう、だね」


 暮永さんの横顔を見つめながら僕は頷く。そして、


「ねぇ、暮永さん」


「なに?」


「ありがとね。色々、考えてくれて」


「……」


 目を丸くさせた暮永さんがこっちを向く。


 数秒、僕らはふたりで見つめ合う。


「……近いわ」


「え?」


「近いって言ってるの。もっと離れなさい」


 暗闇のなか、一瞬頬が赤く染まっているように見えたけど、すぐに顔を逸らされたせいで確証は得られなかった。気のせいだったか。もうわからない。でも。


「……来て良かったよ。たぶん」


 僕は再び夜空を仰ぐ。涼しい風が鼻先を撫でる。


 今日のこともそのうち忘れてしまうのか、僕にはわからないけど。


 もしそうだったら、ほんの少しだけ、寂しいような。


 そんな気がした。



 

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暮永看鳥のはかまいり。 伊草 @IguSa_992B

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