第26話 帰り道


 ブブ、とポケットがかすかに震えたのを感じて、僕は車両のロングシートとお尻の間に挟まっていたスマホを取り出した。


『看鳥ちゃんの問題、やっぱりどうにかするべきだと思います』


 液晶画面に表示されたのは那瀬さんからのメッセージ。


『もう大丈夫だと思う』


 簡単に返信して、またスマホをポケットに仕舞った。


「あ……」


「ん、どうかした?」


「いえ……たった今、柚月からメールが来て……」


「柚月ちゃんはなんて?」


「『決着はついたっすか?』ですって。なんだか図ったようなタイミングね」


「なんて返信するつもりなの?」


「お、教えないわよ」


 僕から画面を隠すように背中を向けて暮永さんはスマホを操作する。その横顔はこころなしか柔らかい表情をしているようにも見えて、なんと返信したのか、なんとなくわかった。


「ちょ、見ないでよ。変態」


「変態って……」


「言っておくけれど、もう二度とあんな罰当たりなことはしないから。故人は本来ちゃんと誠意をもって冥福を祈らなければならないのよ」


「うーん」


「こら。そこでピンとこないって顔するな。ちゃんと約束しなさい」


「……わかったよ」


 僕は渋々頷くけど、暮永さんの留飲は下がらない。


「やっぱり、あなたの意識を改めさせるのが最優先事項のようね。ほんと、今日でとことん思い知ったわよ」


「なんで叱られてるんだろ、僕」


「あたりまえでしょう。わたしも反省するから、伊庭くんも反省しなさい」


「はい……」


 なにを反省するのかわからないけど、とりあえず素直に頷いておく。下手に逆らってはいけない気がした。


「まあ、でも……意外と強引なところがあるのも今日でわかったから。思った以上にあなたは乾いてもいないのかもしれないわね」


「そうかな」


 たしかに今回は柄にもないことをしたと思う。得体の知れない感情に突き動かされて、らしくもなく無理押ししてしまったのは否定できない。


 ただそれが暮永さんの言う「乾いている」に反した情動だったかと訊かれると、首を傾げたくなる。どうも衝動的で、なんといっていいのか。むしろ一時の気の迷いだったと言われたほうが腑に落ちてしまうような。


「生きている実感を覚えるには、まだ遠そうだけれどね」


 暮永さんは機嫌良さそうに笑う。


「…………そう、だね」


 夢のなかでこれが夢だと気づくように、生きるなかで自分が「生きている」と気づく瞬間がある。以前そんな感じのことを暮永さんが言っていたのを、そのときふと思い出した。


「でも……、今日はたぶん、伊庭くんのそういうところに助けられたわ」


 それは静かな呟きだった。


「だから…………ありがと……伊庭、くん……」


「ん……暮永さん?」


 返事がかえってこない。


 となりを横目に盗み見る。


 ぴんと背筋を正して姿勢よく座る暮永さんは車窓の向こうの景色を眺めながら、時おりまぶたを閉じかけ、うつらうつらと頭を揺らしていた。


「眠たいの?」


「いえ、べつに……」


「遠慮しなくていいよ。まだ時間はあるし、僕は起きておくから」


「男女ふたりきりで、そんな隙を見せるわけには……」


「少しは僕のことを信用してよ」


「……寝顔」


「え?」


「見ないで……」


 糸が切れた人形みたいに暮永さんの上半身が傾き、僕はすかさず近くに移動してその身体を支えた。よほど眠たかったのか、僕の肩に頭を預けながらそのうち暮永さんは寝息を立て始める。


 穏やかに胸を上下させる寝姿はひどく穏やかで、うなされる気配もない。なんだか部室で寝ている姿とそれが重なった。やっと気負いなく眠れるようになったのかな。そうだったら、いいな。


 すぐ近くの寝顔を、僕はまじまじと見つめてしまう。


「……罰当たり、か」


 あんなふうに怒る暮永さんには、やっぱり言えない。


 僕が初めて「生きている」と実感したのは、


 お墓の前で、お供え物のプリンを丸呑みしてやったときだった。


 ――なんて。


「叱られたくないからね」


 寝顔を見つめながらつぶやく。それから僕は「そうだ」と思い至って、ポケットからスマホをまた取り出す。


 カメラアプリを起動すると、ごめんねと心のなかで謝りながらとなりの幼い寝顔を撮影して、とある人物たちにその写真を送ってみる。


 ふたりとも返信はすぐだった。


『どういう状況やねん⁉ 説明してや‼』


『先輩グッジョブッッッ‼』


 僕はなんだか、腹の底から笑いが込み上げてきて。


「……ふふ」


 暮永さんを起こさないよう、静かに笑みを漏らすのだった。



 

 

 




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