不器用なミツバチ
秋待諷月
不器用なミツバチ
東京郊外に立地する、コンパクトな賃貸オフィスが私の城だ。
エレベーターも無いビルの内階段をヒールの音を響かせながら三階まで一息に上り、短い廊下を進んだ先で突き当たる扉の二重ロックを解除する。
スチールドアを押し開き、壁際のスイッチを手探りで操作して照明をつけてから、改めてオフィスの中に視線を巡らせた私は、いつものように明るく告げる。
「おはよう! みんな、今日もよろしくね」
私の挨拶に対する返事は無い。
その代わりのように、室内スペースの大半を埋め尽くす合計八台のコンピューターが、ヴゥン、と虫の羽音に似た音を低く発していた。
「ハニービー・データ・ファクトリー」。私が経営するデータ調査会社の名称である。
主な業務はネットにおける市場調査・分析、広告効果測定、ソーシャルメディアやウェブサイトの監視、セキュリティ対策提案等で、顧客は中小企業組織を中心として、小規模ながらもニーズに合わせたきめ細かな対応を心がけている。
会社とは言うものの、私の他に社員はいない。法人として設立しているが、実態として社長ひとりで全ての業務を担う、いわゆる一人会社というやつだ。
その私の手足となって仕事を助けてくれるのが、オフィスにずらりと並んだデスクトップPC――正確には、その中に搭載されたディープラーニング型データ収集・分析AI、通称「ハニービー」である。
私からの指示を受けたハニービーたちは、インターネットという広大な「花畑」の中を縦横無尽に飛び回り、データを採取する。集められた膨大なデータは必要に応じて自動で整理・分析され、最終的には分かりやすくまとめられた商品として顧客に納品されることになる。
この情報化社会にあって、ビッグデータを活用できるか否かが企業の未来を左右すると言って過言ではない。精選された情報は、企業戦略において何にも勝る強力な武器だ。
不純物を取り除き、丹念に濾した良質なデータを瓶詰めにして、綺麗にラベリングをした「データのハチミツ瓶」。それこそが我が社の主力商品、というわけである。
なお、IT関連業務とは結びつけにくい社名は、社長たる私の名前が「
ハニービーたちは、導入初期こそなかなか思惑通りにはデータを採取してくれないが、丁寧に指示を与えてやり、根気よくタスクを繰り返すことで、自己学習によりデータ採取の適確さ・効率性をめきめきと上達させる。その吸収力と応用力の高さは目を見張るばかりで、導入から数日も経てば、ごく簡単な指示からでも顧客のニーズを汲んだ商品をほぼ自力で完成させるまでに成長する。
会社設立時には一台きりだったハニービーも、収益が出るごとに一台ずつ増設し、今や八台。賢く、聞き分けがよく、休みも取らずに健気にデータを集めるハニービーたちが、私には可愛くて仕方がなかった。
見返りも求めずに尽くしてくれる働き蜂たちの主である私は、さしずめ、女王蜂というところだろうか。
面白いもので、せっせと働かせているうちに、ハニービーには各々に「個性」らしきものが芽生えてくる。
例えば「マーヤ」と呼んでいる最古参のAIは、指示の意図を的確に掴み、ニーズに合った商品を作り上げる手腕に長けた、優秀なしっかり者だ。一方でデータ採集に対しては慎重、というか、臆病のきらいがあり、国外サイトや未開拓のサービスには滅多に参照範囲を広げない。
その点、自由奔放で、よく言えば勇敢、悪く言うと無謀なのが、五台目に当たる「ハッチ」である。いかにも怪しげな裏サイトだろうが、一歩間違えばハッキングと見なされて通報されかねないような相手だろうが、平気で突撃しては果敢にデータを掻き集めてくる。結果、商品の希少価値は跳ね上がる反面、当然ながら信頼性は低い。ちなみにレポートを書かせると支離滅裂で、時には呆れを通り越して笑えてしまうものすら生み出してくる、困ったお調子者だ。
あるものは融通の利かない頑固者。またあるものは効率重視の横着者。あるいは早合点しがちな粗忽者。
対話型のAIではないため、ハニービーたちが人間のようなメッセージを寄越すわけではないのだが、働きぶりや仕事の成果に如実に表れてくる「個性」に接するうち、愛着はますます深まるばかりだった。
そんな中に、少し気がかりなハニービーがいる。
通称「ビービーエイト」。八台目として四ヶ月ほど前に導入した、言わば末っ子なのだが、ほぼ同時期に入れた七台目と比べても、業務成績が明らかに劣っているのだ。
まず、採取するデータの絶対量が極端に少ない。参照範囲や時間も限定的で、特に前者は、「なぜそこを?」と首を傾げてしまうような見当違いの場所を調査対象としていることが多い。さぼっているというわけではないのだが、勘が冴えないとでも言おうか、とかく的外れな上に能率も悪い。
まとめられたデータ分析結果はそれなりに信頼できるが、前述の理由から一様に内容が薄いために商品としては納められず、結局、他のハニービーに再調査を命じることもざらという有様である。
非効率的で、要領の悪い不器用者。それが、ビービーエイトに対して私が抱く印象だった。
八台のハニービーには、基本的にはそれぞれに異なる案件を担当させているのだが、規模が大きなものや納期が短いときなど、一つの案件に八台を一斉投入することもある。そういった場合、ビービーエイトの仕事の劣後ぶりはいつにも増して際立ってしまい、気の毒にすら思えてきてしまう。
ぶきっちょにデータを集める末っ子を、可愛くも焦れったく見守りながら、常々私はこう思うのだ。
早く立派なミツバチになってね、と。
ハニービーたちの働きにより、着実に業績と評判を上げていた我が社に暗雲が漂い始めたのは、本物のミツバチも活発化してきた三月下旬のこと。
複数のソーシャルメディア上において、突如として「ハニービー・データ・ファクトリー」に対する散々な悪評が垂れ流され始めたのである。
それは例えば、我が社の仕事の出来映えに対する不満であったり、リスクマネジメントの甘さであったり、ミツバチをモチーフにしたロゴのデザインセンスを揶揄うものであったり、社長――つまり私の人格や外見に対する批判や侮蔑であったりと、矛先は実にバラエティに富んでいるのだが、いずれにしても事実無根のデタラメや低レベルな誹謗中傷ばかり。
被害は風評だけに留まらない。会社の代表アドレスにはマルウェア付のメールが連日大量に送りつけられ、Webサイトには外部からの侵入が幾度となく試みられた形跡が見られた。典型的な標的型サイバー攻撃である。
一連の事象の発生時期から見ても、悪意を持った特定の何者かによる嫌がらせであることは明らか。
犯人の目星はすぐに付いた。「デリバリー・グリズリー」という名の、国内大手通販会社だ。
グレーの大きな熊がマスコットキャラクターで、通称は「デリ・グリ」。主にネットショップの運営を手がけているのだが、年明け前の十二月、別の
結果は、いっそ清々しいまでのクロ。目玉商品には偽ブランド品や海賊版が大量に紛れ込み、決済後の商品未納も日常茶飯事。一般ユーザーになりすましては同業他社を貶める流言飛語をまき散らし、果てはライバル社にウイルスメールまで送りつけるなど、見るに堪えない放埒ぶりが露見した。完全な悪徳業者である。
私は自社のサーバーに
私が顧客を介して悪事を摘発したことによって、デリ・グリは消費者庁から目をつけられ、手痛い措置命令をくだされることになったと聞いている。今回の件は、そのことに端を発していると考えて間違いないだろう。懲りるどころか逆恨みをして嫌がらせに走るとは、見事なまでのクズ会社としか言いようがない。
身勝手な振る舞いといい、簡単に暴かれるような粗雑なやり口といい、我が社を陥れんとする敵は幼稚で愚かだと言えよう。
そうと分かっていても、私に抗う術は無い。会社規模が違いすぎるのだ。
民事訴訟に持ち込んだところで、資金面での体力差は歴然としており、長期戦に持ち込まれれば間違いなくこちらが先に力尽きる。
露骨な悪評は例えデマであっても確実に会社のイメージを悪くするし、今のところは防御できているサイバー攻撃も、物量で押されればいずれは突破されてしまうだろう。
データ調査会社は信頼が命だ。このまま手をこまねいていれば、我が社に未来は無い。
会社ロゴである、社名とミツハチを囲む
「参ったなぁ……」
顔だけを持ち上げ、腕の隙間からオフィス内に視線を巡らせるが、そこにあるのは八台のコンピューターだけ。
こんなとき、対話型を搭載しなかったことが悔やまれる。ひょっとしたら気が付くAIのいずれかが、私のぼやきを聞きつけて、慰めや励ましの言葉をかけてくれたのかもしれないのに。
せめてもの気休めに、社長専用のPCを立ち上げ、八台のハニービー全てに対して一斉指示命令を送る。
【「デリバリー・グリズリー」から、私を護って】
なんという、曖昧模糊とした命令。我ながら可笑しくなって、自嘲気味に笑ってしまった。
気の毒なことにハニービーたちは困惑しているらしく、画面の反応はいつになく鈍い。それでも健気なミツバチたちは、それぞれの解釈でもって私の指示の意図を汲み、それらしきデータを採取するためにネットの花畑へと飛び立っていく。
ただ一台を除いて。
ヴィィィン、と、いまだかつて聞き覚えのない激しい「羽音」が鳴り響く。
驚いた私が音の発信源をオフィス内に探せば、八台並ぶコンピューターのうち、最奥に収まった一番新しいモニターの中で、凄まじい数のウィンドウが次々と展開していた。
ビービーエイトである。
何事かと目を剥き、駆け寄って覗き込んだモニターに映し出されているのは、「人間」と思われる画像データ。思われる、というのは、画面展開が早すぎて視認が追いつかないのと、画像自体が不鮮明で判然としないためである。
咄嗟に手動で作業を中断させ、ようやく落ち着きを取り戻したモニターに映し出されたのは、監視カメラだろうか、夜の繁華街の路地裏らしき場所で、中年男性が若い女性と密着している画像だった。
粗い画ではあったが、男の顔には見覚えがあった。「デリバリー・グリズリー」の代表取締役である。
嫌な予感を覚えながら、私はモニターに残っている他の画像も順に検めていく。
最初のもの以外は知らない人物ばかりだったが、例えばコンビニで万引きをしているように見える映像であったり、制限速度を大幅に超過して運転しているらしい車の動画であったり、子どもに体罰を加えていると思しきものであったりと、いずれもがその人物にとって、「公にされてはまずい」内容のようだ。
これはまさか――全て、デリ・グリの社員、もしくはその関係者?
私の背筋を戦慄が走る。震えた指先が誤ってエンターキーを叩き、画像展開が再開される。会社全体を摘発した以前の調査とはまるで異なる、個々の「人間」の行いが、情け容赦なく曝け出されていく。
デリ・グリに対する脅迫材料たりえるだけの、膨大な数の悪事が。
ビービーエイトは淡々と羽音を響かせ続けている。私は畏怖の眼差しで末っ子を見下ろした。
このデータ量。私が愚痴をこぼしてからの、僅か数分で集められるような数では無い。
では、一体いつから?
恐らく、もうずっと前――我が社がデリ・グリに対する調査に乗り出したその時から、当の案件が終わって、私がすっかり忘れてしまってからも。
他のミツバチがせっせとミツを採取する中、このミツバチは着々と、不器用者のフリをして、密かに貯め込み続けていたのだ。
熊すら殺す猛毒を。
Fin.
不器用なミツバチ 秋待諷月 @akimachi_f
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