第3話
屋敷の一階にある食堂での会食が終わった後、私は屋敷の三階にある
屋敷には賓客もいなくなり、三十人ほどのイーライル家の方々と執事がひとり、十五人の使用人と警備が四人だけとなっている。
遊興室にはキカ様以外誰もいらっしゃらない。私は遊興室に視界を巡らせる。
イーライル家の屋敷は小さい窓のある石造りで、保温にも長けている。また、間取りを知られないよう魔法もかけられていて、屋敷のなかにいると心も体も温まるのだった。
保温はすれども、と私はキカ様を見つめる。
キカ様は鎧戸を開けた小さな窓からお顔をお出しになり、お外をお眺めになられていた。窓から直接風をお浴びになられているので、赤い盛装が揺れている。お冷えになるのではないかと、
「キカ様」
と私はキカ様をお呼びした。
「どうかした、ノマ」
とこちらをご覧になられ、御目をお細めになられると、キカ様がお楽しそうにおっしゃられた。
遊興室に入ってからというもの、私はおどろき続けていた。
厳しく自らを律し、周囲にもそうあるように接されるのがキカ様で、ご自身のご感情をご解放なされたりはなさらない。子供のころから変らない、お強いお方であられるのに。
これまで遊興室など一度も訪れられたことがないお方だというのに。
きょうは一体どうなさったのだろう。
「キカ様、私の知らないうちに、お酒を召し上がられたのですか?」
という私の戸惑いに、
「いいえ。機嫌がいいだけよ」
とキカ様がお楽しそうにおっしゃられた。
「娘が早めに当主となる。出産を超える幸せがあるとはね」
そういえば、キカ様が十一歳のころ、結婚はしない、と周囲にお鋭くお告げになっておられたな、と私は思い出して楽しくなった。
「ノマ、思い出し笑いはやめてちょうだい」
とキカ様がご苦笑される。
「私の子供のころを思い出したのでしょうね。 私の夢、覚えている?」
「ひとりで家を支える、とおっしゃられていました」
「忘れていてほしかったわ」
とキカ様がお優しいお声でおっしゃられた。
「いいえ、人形は人と違って、物事を忘れたりはしませんから。すべてが心に残ります」
「ええ、よくわかっているわ。それにしても、違う夢を見てもよかったわね。ラジン山に登るとか」
今度はキカ様がご冗談をおいいになった。
「きっとおかないになられますよ」
と答えつつ、私は難解な設問に答えているような気になった。
キカ様がお生まれになってから一緒に過ごしているなかで、なれ合いすらされなかった。ご発言もご簡潔になさるお方だ。
私の疑念がお伝わりになったのか、
「本当にうれしいのよ」
とキカ様がお笑いになられた。
「はしゃぐ姿はワバクにしか見せてこなかったけれどね」
ご結婚なさっているお二人のお時間に私が割り込めるはずもない。
「お幸せで何よりです」
と私は温かくいった。困惑はラジン山から吹き下ろされてくる風に乗る木の葉のように、私から飛んでいく。
多くのご当主様とそのご伴侶を見てきたが、お二人の仲が一番よろしいな、と私は思う。
「話は変わるけれど、ノマ」
私をからかうようだった声が変わり、いつもの調子に戻られた。
「いまさらだけれど、きくわ。ハリアをどう思う?」
私は困惑した。どうしてたずねられるのだろう。答えは決まっているというのに。
「お気負いが見られることもありますが、お強いお方だと思っています。人を楽しませるのがお好きなお方でもありますから人に好かれるかと」
という私のことばに、
「よく見ているのね」
とキカ様がお静かにおっしゃった。
「私のできる限りは」
と私は答えた。
「見逃していることもあるわね」
とキカ様。
「あの子、さびしがり屋よ」
「え?」
私は思わず声を上げた。
「さびしがり屋だから、面白い姿で人の関心を引こうとするの」
キカ様が珍しくお肩をおすくめになられた後、
「あなたをからかうのは、いたずら心だけではないのだと心に留めておいて」
と厳しくおっしゃった。
「あの子は偉業を成せる器よ。ノマ、あの子をお願いね」
とキカ様が私の瞳をお見据えになりながらおっしゃられた。
「はい」
私もまた、キカ様の御目を見て答える。
「キカ様がご当主様になられて、本当によかったと思っています。ご当主様となられた後もお仕えできて幸せでした。長くもあり短くもあった日々をありがとうございました」
と私は一礼した。
「さびしいものね」
とキカ様。私は礼をするのをやめて、キカ様の御目を見る。お優しく細められた御目を。
「これから生活が大きく変わるけれど、楽しみでもあるわ」
とおっしゃるキカ様のおことばの端に、ご大役から降りられるご安堵がのぞかれていた。
「そのときはどうか、長年の夢をおかなえになられてください」
「ええ、ありがとう。儀式まで休んで、ノマ。休んだ後は、ハリアを守りなさい」
お優しいお声でキカ様がおっしゃられ、私に握手を求められた。私はキカ様の御手を握り返す。御手は優しく、温かかった。
思いの石が輝くとき 野木しげる @shigeru_nogi
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